特殊個体・放浪残響⑥
通常ならば生き物の気配等一切感じられないような、冷たい静寂に包まれているはずの九層の石の回廊。しかし、今は違う。
遠くから鳴り響く破壊の音、その度に天井から落ちてくる砂埃。何かが爆発するような轟音が繰り返されて、それと同時に石の床をわずかに震わせる。
そんな、剣呑な音と衝撃が響く仄暗い廊下をとある四人組が走っていた。
彼らは冒険者。数多いるイエソドの冒険者の中でもトップに近い者たちが組んだチーム――【高みを目指す者】だ。
「なんか、どんどん激しくなってねえかッ!?」
走りながらそう叫ぶのは、愛用の棒を背中に担いだまま叫ぶ細身の男、ドール。
最初は慎重に歩いていた彼らだったが、どんどんと間隔が短くなる破壊音に急かされるように徐々にその歩みを速め、気づけば走りだしていた。
そんな彼らの進む先はその音から遠ざかる方向――ではなく、むしろその音の中心だった。
「ねえ、ホントに行くの!?」
不安げに叫ぶのは、弓を背負ったリッキ。
その声に、しかし、先頭を行くガレンは足を緩めない。何故なら、首筋の後ろからのチリチリとした感覚が止まないのだ。
「――ああ!」
短い答え。だが、彼ら四人にとってはそれで十分だった。
ガレンの予感が外れたことは一度もない。ならばこの胸騒ぎの先には放ってはおけぬ"何か"があるということだ。
「……了解ですッ!」
ガレンの言葉に最初に答えたのはイズメだった。
走る中で自然と脱げかけたフードの下、たなびく黒髪から覗く瞳にはガレンへの絶対の信頼があった。
ドールとリッキもまた、走りながら黙って一つ頷く。その瞳はイズメと全く同じだった。
四人は無言のまま、暗い回廊を駆け抜ける。
そして――ふいに、視界が、開けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
回廊の果て。そこに広がっていたのは、見覚えのある円形の大広間――ではなかった。
「何じゃこりゃ……!?」
ドールが言葉を失うのも無理はない。
静かで、不気味で、そしてどこか息を呑むような何かの気配に満ちていたその場所は、今や見る影もなくなっていた。
四方上下を囲む冷たく静かな石。しかし、その全てが今や跡形もなく破壊されている。
崩れ落ちた列柱。石畳を走る無数の亀裂。壁には、深々と抉られた傷跡。天井からは、今も砂と小石が、ぱらぱらと零れ落ちている。
かつて荘厳とすら言えたその円形の広間は、まるで嵐に蹂躙されたかのように、見る影もなく荒れ果てていた。
だが――彼らの目を奪ったのは、その惨状ではない。
広間の、奥。
本来なら決して開かぬはずの、あの巨大な石の大扉。
それが――大きく開け放たれていた。
「扉が……開いてる?」
イズメが掠れた声で呟く。
何をしてもびくともしなかったあの扉。それが今、まるで何かを招き入れるようにその奥を晒している。
そしてその奥から蒼い光と、絶え間ない破壊の轟音が溢れ出していた。
吸い寄せられるように、四人の視線がその奥へと向く。
開かれた扉のさらに先。崩れ果てた、もう一つの広間。蒼い光が満ちたその場所に、一つの小さな人影があった。
「あれは――」
「あの二人組の……嬢ちゃんじゃねえか!?」
真っ白なローブを全身に纏ったその姿は、先ほど別れたばかりの二人組の片割れに間違いない。
前までと違うのは、フードが脱げて、その白い髪をさらけ出していること。そして遠目でも分かるほどにズタボロの満身創痍な状態であることだ。
そんな彼女に対峙しているのは――ボロの外套を身に纏う人型。
「アレは、何だ……!?」
だが、それは明らかに人ではない。遠くからでも感じる脅威の程は、人が出していいものではない。
それはまるで五層の壁、ベヒーモスのような、前に立つ者すべてを威圧するような、そんな圧倒的な物。
ガレンの背筋を滝のような汗が流れる。首元に走るヒリヒリとした感覚が強くなる。
間違いない。あの存在が、ガレンの嫌な予感の源だ。
そう直観した瞬間――ガレンの足が自然と動いていた。
「あ――おいッ!?」
後ろから聞こえるドールの呼びかけも無視して、ガレンはただただ前へと走る。
そうしている内にも目の前の状況は刻刻と変化する。
崩れ落ちた少女。地面を蹴りつける異形。宙へ浮き上がる大小さまざまな石。
そして――突如発生した豪風が、宙にある石の全てを弾き飛ばした。
「くっ……!?」
強烈な向かい風が、走るガレンの体を後方へと吹き飛ばそうとする。
風に乗った無数の石が津波となって、倒れこんだ少女に向って殺到する。それは、圧巻なまでの死の光景。
だが――ガレンの体は止まらなかった。
「オオオおおッ!!」
自然と上がる咆哮。最早思考などない。
風に逆らい、地面を蹴る。開いた大扉を抜け、崩れた瓦礫を蹴立て、少女と死の狭間へとただ全力で。
――間に合えッ!!
その一念だけで、前へ走る。円盾を構える。
そして――大男の背中が、白い少女の前へと、滑り込んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「思ったより早い再会だな」
ガレンは倒れ伏した少女に向って苦笑いしながらそう言った。
「……貴方、は」
「えーと……ルキナ、だよな?」
何とか顔を上げてガレンを見上げる少女。
ガレンは今まではフードに隠れて見えなかったその美貌に一瞬見惚れかけるが、そんなことをしている場合ではないと思い直す。
「早速だが――借りを返しに来たぞ」
そう宣言したガレンの目は、真っ直ぐに目の前の異形――"残響"へと向かっている。
『次あった時、何かで返してくれ』――そう言っていた、黒髪の青年の言葉。その言葉に報いるために、彼は駆け付けたのだ。
その時、残る三人が遅れて広間へと駆け込んでくる。
「大丈夫か、リーダー――って、うぉ!!」
「その娘誰――ってかすんごい美人……!?」
「綺麗……」
ガレンとは違い、他の三人は少女の美貌に、驚愕を抑えきれずに見惚れてしまう。だが、それも長くは続かなかった。
ぐちゃぐちゃになった蒼い広間。そして、目の前に対峙している異形の怪物。
その只ならぬ気配を前に、三人の顔からは瞬く間に余裕が消えていく。
「……というか、あの兄ちゃんはどこ行った…?一緒じゃないのか?」
圧倒的な威圧感を放つ人型の脅威に注意を向けつつも、横目で辺りを素早く確認する。
そして、その視線は――広間の隅、崩れ落ちた列柱の根本でようやくそれを見つけた。
「……おい、まさか」
ドールの声が、掠れる。
血の海の中にぐったりと沈む、黒髪の青年。
あの、八層の尾根で雷甲蟲を素手で引き裂き、九層の骨兵を軽々と蹂躙した化け物じみた男。
その男が今、蒼白い顔で、ぴくりとも動かずに倒れ伏している。
「マジかよッ……!?」
「っ、ソラさんッ……!」
ドールが絶句し、イズメが悲鳴のような声を上げた。
一瞬で場の空気が凍りつく。
あの圧倒的な二人組の片方が死にかけ、もう片方も満身創痍。
それが何を意味するのか、歴戦の彼らにとって分からぬはずもない。
つまり――目の前の怪物が、それほどの化け物だということ。
「――イズメ」
その沈黙を破ったのは、ガレンの低く鋭い声だった。目の前の脅威から一瞬も目を離さぬままに、彼は口を開く。
「まずは、ルキナの治癒からやってくれ。時間は俺たちで稼ぐ」
「……っ、はいっ!」
「アイツの注意が完全に俺たちに向いたら、今度はあの男を頼む。何としてでも、お前の力で助け出せ」
コクリと頷いたイズメは、その荷を抱えて倒れ伏すルキナのもとへと駆け出す。
その背を守るように、ドールが棒を、リッキが弓を構えて、ガレンの横に並ぶ。
「なあ、リーダー…ほんとにやるのか?」
「ああ……不満か?」
「いや――確認しただけだよ。リーダーの言うことは絶対だ。それに、借りを返すにはちょうどいい。利子が増える前に返しとかないとな」
「同感」
リッキが短く応じ、弓弦を引き絞る。
「アタシは知らないけど、助けてもらったんでしょ?じゃあ今度はアタシが率先して助けないとね」
軽口。だが、その指先は微かに震えていた。
目の前の異形は人の手に負える類のものではないと、冒険者の勘が否応なく告げている。
緊張と恐怖。それがその場にいる全員に圧し掛かる。
それでも、【高みを目指す者】の四人は誰も逃げ出そうとはしなかった。
そのことにガレンは、何も言わなかった。
ただ円盾を構え直し、深く腰を落として――微かに笑った。
「じゃあ、やるか」
言うや否や、ガレンが一歩前へ出た。円盾を掲げ、真正面から異形を見据える。
左右にはドールとリッキ。三人が並び、倒れ伏すルキナとその治療をするイズメを、その背で覆い隠すように立ち塞がる。
顔のない虚が品定めするように、ゆっくりと三人へ傾いだ。
張り詰めた沈黙。
その只中で、ガレンは背後を振り返りもせず、低く確かな声で言い放った。
「ここは、俺たちに任せろ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ガレンは前へと歩み出しながら、目の前の人型をじっと観察する。
何もせず黙ってガレン達のことを目詰めている、それ。人では決してないだろう。
だがモンスターと呼ぶには、それはあまりにも異質だった。
擦り切れた外套を纏った人の形をした何か。顔の在るべき場所には、ただ、黒く塗り潰された虚。
一目見ただけで背筋に氷のような怖気が駆け上がるほどの威圧感。
ゴブリンのような亜人種とは違う。スケルトンのようなアンデッド種とも違う。そんな者たちとは格が、違う。
これまでどんなモンスターと対峙しても感じたことのない、底知れぬ"死"の気配。
ならばこれは何なのか。その結論も、なんとなくついていた。
――特殊個体。
言葉にすることもなく、彼はそれを確信する。
長いこと冒険者としてやってきた彼らだが、実際にそれを見るのは初めてだ。
だが、ガレン達は逃げない。覚悟は決まったのだ。
背筋を伝う汗を感じながら、ガレンは更に一歩足を踏み出す。その後ろでドールとリッキもまた、少しずつ前進する。
そんな、慎重に近寄ってくるガレン達に対して、目の前の怪物はただ静かにその場で佇んでいた。恐らくはこちらの出方を伺っているのであろう。
敵の力は未知数。しかし、その凶悪性だけはこの部屋の惨状、そして先程の石の津波という攻撃の規模で見て取れる。
――あれの一撃は、おそらく、掠っただけで終わる。
絶対に、先に動かせてはならない。先手を取られた瞬間、この四人が、いやこの場にいる六人全員が物言わぬ骸に変わる。
当たれば必殺の攻撃、それを撃たせる暇を与えてはいけない。
だから。
「……リッキ」
ガレンは小さく、背後の二人にだけ聞こえるように呟く。
その声に、リッキの構えた弓、そこにかけた指先に力が籠る。
そして。
『――穿てッ!!』
そう、ガレンが叫んだ瞬間――リッキの手で限界まで引き絞られた弓から、開戦の一矢が放たれた。
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