特殊個体・放浪残響⑦
リッキの熟練の技と、ガレンの言霊を乗せて放たれた矢は、空間を切り裂き、唸りを上げて一直線に飛ぶ。
狙いは塗りつぶされた無貌、そのど真ん中。当たれば必殺の一射。
「行くぞ、ドールッ!!」
「あいよッ!!」
そしてそれと同時に、ガレンとドールも弾かれたように走り出す。お互い、矢の行方等見ようともしていない。
二人とも確信していたのだ。リッキの矢は外れない、と。
そしてそれは正しかった。その一矢は狙い過たず、まるで吸い込まれるように"残響"の無貌を貫く、
――その刹那、残響の輪郭がぶれた。
踏み込みも、身を捻る動作も、そこには何一つ無かった。
ただそこに在ったはずの体が、当たる寸前に当たらない場所へと滑り落ち、矢は無人の虚空を貫き進む。
「嘘ッ!?」
リッキの驚愕の声がガレンの背後から聞こえてくる。
外さぬはずの一矢。その確信が裏切られた。
だが、それでいい。
動きを見せた怪物、矢を交わしたその先には既にドールが走りこんでいた。
「オオオおおおお――!!」
低く身を沈め、ドールが棒を大きく後ろに引いていた。
棒の端を両手で強く握りしめ、全身の捻りを、腰から肩へ、肩から腕へと一息に乗せ、遠心力を使って振り回す。
"残響"の胴体を目掛けた渾身の一撃。
だが、それだけでは足りない。全力で棒を振るいながら、ドールはそこに更に別のモノを上乗せする。
『――爆ぜろッ!!』
界約。彼の口から、自身の異能を象徴する呪詛が吐き出される。
彼の持つ破砕のチカラが、"残響"との衝突の瞬間に解き放たれようとして――何もない虚空を薙いだ。
「ちッ……!」
棒の先端が"残響"を捉えた瞬間、その輪郭が風に消えたのだ。
リッキの弓を避けたのと同様の、回避の異能。ドールは舌打ちを付きながらステップを踏む。振った棒を引き戻しながら、消えた人型の怪物の姿を探す。
だが、それはもう遅かった。渾身を放った後のドールの隙……それを"残響"は見逃さない。
ドールの背後、死角となったその場所で、"残響"は既に構えていた。そして、金属靴を履いた右脚を、ドールの胴に目掛けて鎌のように振るおうとして、
「――まだだッ!」
叫んだのはガレンだった。
横合いから身を投げ出しながら、今まさに足を振るわんとする"残響"のその胴へ、右手に握った片手剣を真横から奔らせる。
それは"残響"が放つ蹴りよりも半拍早く"残響"の身に届く、はずだった。
刹那、ガレンの目の前で怪物の動きが変化した。
ドールへ振るわれかけていた脚が、ぴたりと止まる。
一瞬、塗りつぶされた無貌がガレンを見て――消えた。
「ッ!?」
自身が振るった刃が空を切る。その感触にガレンはただ驚愕する。確かに捉えていたはずの怪物の体が掻き消えたのだ。
まるで、初めからそこには何もなかったかのような、そんな感覚。避けられたとかそういう次元では決してない。
恐らくは何かしらの異能だ。だが、詳細は分からない。
そして、考えている暇もない。
――どこへ消えた?
右手の剣で虚空を薙ぎながらガレンの目が周囲を見渡すが、その影はどこにも無い。
列柱の陰にも、崩れた瓦礫の向こうにも、残響の姿は見当たらない。
ではどこへ?
――まさか。
その思考に至った瞬間、否応なく、冷たい予感がガレンの首筋を這い上がった。
加速する思考の中、漸く剣を振り切ったガレンは、頭上を振り返る。
そして見つけた。
頭上、遥かな高み。何もないはずの虚空に、残響は音もなく佇んでいた。
見えぬ床の上に立つかのように、宙の一点に左脚を置いている。
そして、右足は――既に振りかぶっていた。
息を呑む間も、なかった。
振りかぶられた右足が虚空を蹴り下ろす。
何故そんなところ離れた場所から蹴りを放つのか、ガレンにはさっぱり分からなかった。
だが、それに何か意味があることだけは分かる。
だからガレンは、ひとまず左手に持った盾を構えようとして――
「ダメッ!!避けてッ!!」
背後から聞こえたリッキの絶叫に、ガレンの体が勝手に答えた。
構えかけた盾を投げ出すように、ガレンは全体重を横へと投げ倒して無理やり地面を転がった。
同時に、反対側でドールもまた、床を蹴って跳び退く。
次の刹那。
ガレンが今しがた立っていた一点の床が――轟音とともに爆ぜた。
「――!?」
石畳が深々と切り裂かれ、地面に大きな一本の線が走る。
砕けた石片が、礫となって四方へ弾け飛ぶ。
離れた場所からのあの蹴り。その意味をガレンはようやく理解した。
――見えざる、刃。
あれは遠距離攻撃だ。この広間に走る、数多の線状の破壊痕。それらは全てあの攻撃によるものだろう。
抉れた石畳の断面は深く、その刃の鋭さを物語っている。
ガレンの持つ盾型の塔遺物、"堅守の盾"でも、あんなものを受けたらひとたまりもあるまい。間違いなく盾ごと両断されていただろう。
リッキの一声がなければ、確実に死んでいた。
「……厄介だな」
まるで当たり前のように空中にたたずむ怪物を見ながら、ガレンはそう呟いた。
攻めれば躱される。敵の攻撃は必殺、受けることは許されず、必ず回避しなければならない。
隣のドールもまた同じ考えだろう。いつものような軽口もなく、額から汗を垂らしながら黙って空中の怪物を見上げている。
――どうするか。
答えの出ない問いが、焦りとともにガレンの胸を灼く。
ガレンは人型の怪物を睨みつけながら、思考を巡らせた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
他の三人が"残響"との戦闘を繰り広げている中、イズメはただ一人、白髪の少女を広場の隅まで背負って、その身を石畳の上に横たえた。
少女――ルキナの体はざっと見ただけでも分かるほどにボロボロだ。目は閉じられ、息は荒く、汗で艶やかな白髪が頬に張り付いている。意識があるのかも分からない。
そして全身には無数の切り傷と打撲痕。これだけ満身創痍でありながら生きているというのが凄まじいとさえ思う。
だが、その命の灯も微かな物だ。
イズメの目には、常人とは違うものが視えている。恐らくは彼女の異能の副産物であろう。
生命あるものの内を巡る力の流れ――イズメはそれを"命の光"と呼んでいる。それは淡い輝きとなって、彼女の視界に映し出される。
ルキナの体を覆う"命の光"は、今にも消え入りそうなほどに、細く、揺らいでいる。
そんな状況のルキナを見てイズメは思う。
――間に合った。
そして、彼女の祈りが形となって、その唇から溢れ出した。
『――巡れ』
両手を胸の前で合わせ、指を組み合わせて、目を閉じる。祝詞のような呪詛がその場を満たす。
その瞬間、イズメの内で、何かが巡り始めた。
組んだ指の先から、胸の奥から温かな"命の光"が手繰り出されていく。それは彼女自身の生命。
己の内を巡っていたはずの光が、今、糸のように細く引き出され、横たわるルキナの体へとゆっくり流れ込んでいく。
目を閉じていても視える。
消え入りかけていたルキナの"命の光"が徐々に太く、輝きを増していく。
逆にイズメの全身からは熱が引いていく。
爪の先から、指が冷えていく。視界の端が白く霞み、頭の芯に鈍い痺れが差した。
「く……っ」
当然だ。
彼女が今、ルキナへ分け与えているのは、他でもない自分の命そのものなのだから。
【流転】。
彼女は自身の異能をそう呼んでいる。
その効果は『周囲の生物の"命の光"を循環させる』こと。要するに命の譲渡こそが彼女の異能だ。
使い方は単純。傷ついたり、病んだり、そうして命がやせ細った者に対して生命力を明け渡す。しかもそれは、自分でも、他の他者のものでも構わない。
生命力のあるものとないもの……両者の"命の光"が等量になるまで、それを循環させる。
正しく、命を巡らせ、流転させること。
それが彼女のチカラで、それこそが【高みを目指す者】が九層までこれた要因の一つであった。
健やかな者から、弱った者へ。命を手繰り、巡らせ、宿らせる。
負傷した仲間を戦線へ繋ぎ止め、長期間の戦闘、探索を可能とする――それがパーティにおけるイズメの役割であり、故にこそ彼女はこのパーティの要となっていた。
「……っ」
イズメは、自身"命の光"がどんどんと流れていき、命が削られていくのを感じながらも、目を閉じ、手を組み、集中する。
そんな彼女の耳に聞こえてくるのは、激しい戦闘の音。三人の声と大きな破壊音。
恐らく、彼らが相対しているのはかつてないほどの脅威だろう。
八層、九層で圧倒的な実力をイズメ達に見せつけたルキナとソラ…その二人がここまで追い詰められたのが、その証拠だ。
戦いの余波が、いつイズメ達に襲い掛かってくるかもわからないこんな状況で、しかし彼女は目の前で死にかけている一人の少女にだけ心血を注いでいた。
それでも、彼女の集中が一度も揺らがなかったのは――背中を、預けられるからだ。
ガレンが、ドールが、リッキが、前に立っている。あの三人がいる限り、この背に刃は届かない。そう、何の疑いもなく信じられるからこそ、イズメは目の前の命にだけ、全てを注ぎ込めた。
どれほど時間そうしていただろうか。数十秒か、数分か、イズメには分からない。
やがて彼女は組んでいた指をほどいた。
途端、堪えていたものが、どっと押し寄せた。
視界がぐらりと大きく傾ぐ。耳の奥で、自分の脈がやけに遠く鳴っている。石畳についた両手が小刻みに震え、指先の感覚はもう半ば失われていた。
「はっ、はぁ……」
息が上がる。肺が痛む。息をするのも辛く、苦しい。
それもそのはず。ルキナは満身創痍で、動くことすらできない程に衰弱していた。それを均したということは、イズメ側も相当量の命を削ったことになる。
だが――その効果は確かにあった。
伏せられていた睫毛が、ぴくりと震えた。
底光りする赤い双眸が、ゆっくりと見開かれる。
「よかった…!!気が付かれたんですね」
イズメの掛ける声に反応を返すこともなく、少女はゆっくりと上体を起こす。
その視線はイズメのことなど見ておらず、まっすぐに広間の中央の異形へと据えられていた。
そしてルキナは――片膝を立て、石畳に手をつき、ふらつきながらも立ち上がろうとした。
「だ、駄目です……!」
イズメは縋るようにその腕を掴んだ。
「動いちゃダメです……! 貴方の体はまだ治り切ってはいないから……!」
確かにイズメの異能はルキナの命を繋いだ。生命力も大きく回復しただろう。
だが、それはあくまでも死にかけの状態では無くなったというだけだ。全身にあった無数の傷も多少は癒えているが、未だに残っているものが多い。
異能を使う前と比べれば"命の光"も大分戻っているが、九層で彼女を最後に見たときとは比べ物にならない程、弱く見える。
つまり、彼女が満身創痍なことに変わりはない。
「今のあなたは、とても万全じゃないんですッ!いま動いたら――」
「行く」
しかし、短く、だが鋼のように揺るぎない声が、イズメの言葉を断ち切った。
赤い瞳がちらとイズメを見下ろす。そこに迷いは欠片もない。
「あなたの仲間じゃ、あれは無理。いずれ絶対に持たなくなる。あれを止められるのは……私だけ」
【高みを目指す者】の三人では出来ても時間稼ぎが精々だ。いずれ瓦解して、そうなったらこの場の全員が死ぬだろう……と。
ルキナはそれを確信していた。
だから、ルキナは掴まれた腕をそっと、しかし有無を言わさず振りほどく。
立ち上がった足取りは、まだ頼りなく揺れている。それでもその背はもう目の前の戦場だけを見ていた。
「ありがとう――あと、ソラをお願い」
「待っ――」
イズメの制止は、最後まで声にならなかった。
ルキナはもう振り返らない。腰の短剣の柄に手をかけ、ふらつく足のままに戦場の方へと走り出す。その背は、引き止める言葉の一切を拒んでいた。
――行かせるしか、ない。
伸ばしかけた手を、イズメはぐっと握り込む。
戦闘能力の無いイズメには、彼女のことを引き止める資格はない。それが覆しようのない事実であり、そして自分のすべきことも一つしかなかった。
イズメは唇を噛み、よろめく体を引きずって血の海に沈む黒髪の青年のもとへと向き直る。
託された、もう一人の命を繋ぐために。
本作品を読んでいただき、誠にありがとうございます。
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