塔を登る理由④
「惜しかった。もう少し近くから投げていれば殺せたかもしれない」
「そうなったら俺もお前も本格的にお尋ね者だ。もう街には入れなくなっただろうな」
残念そうな顔をしたルキナに対して、ソラは呆れたような顔をして言葉を返した。
あれからソラとルキナは騒然とざわつきだす群衆を背にして、走って逃げることにした。
ルキナが石を投げるところを見ていた人間はいなかったように見えたが、ばれるのも時間の問題だろう。そうなったら街の人間も上層の人間も彼らのことを追いかけてくるに違いない。
だからこそ、彼らは犯人探しが始まる前に広場の隅の路地を抜け、人に極力見られないようなうす暗い道を選んで、スラムまで二人で逃走した。
「ははっ」
倒れこむ上層の男と、その周りを取り囲む有象無象。
それなりの重さの石が途轍もない速度で頭部に激突したのだ。恐らくあの上層の男はしばらく寝込むことになるだろう。あの少女も救われたはずだ。
先程、自分の目の前に起こったそんな光景を思い出すと、ソラは自然に笑えて来た。
それは彼自身がしたかった事であり、出来なかった事でもある。それを隣の少女がやったということに、なんだか笑いが抑えられなかったのである。
「?」
急に笑い出したソラを見て、少女は首を傾げて彼のことを見つめる。
どうやら本格的に自分がやったことを異常さが分かっていないらしい。
――そして、それがどれほどソラにとって価値のある行いだったのかも。
「なんでもない。ちょっと思い出し笑いしただけだ」
「…?」
「そんな事より、最後の場所に行くぞ」
本来ならもうイエソドの大半は見て回れたため、このまま拠点に帰るつもりだった。
しかし、先程の光景に気分を良くしたソラは、彼自身のとっておきを教えることにしたのだ。
日も暮れ、スラムの廃墟の中を夕日が徐々に差してくる。そんな中を二人で歩きながら、ソラは言った。
「俺がこの世界で唯一好きな場所だ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ぅわ」
思わずルキナの口から声が零れる。
それもそうだろう。目の前にはこの世界の全てが広がっていた。
ここはスラムの奥地、ソラ自身の拠点の裏手にある小山の頂であった。
スラムを抜け、鬱蒼とした林をくぐり、急な坂道を10分ほど歩くと到着できるこの場所はソラのお気に入りの場所であった。
そして、そこから広がる景色は正しく世界の全てであった。
眼下に広がるのは荒廃し、くたびれた廃墟の連なるスラムと、外観も整えられ、区画も整備された街。
住居が密集した街側の景色には機能的な美を感じざるを得ない。
しかし、スラム側には焚き火の煙や人の喧噪がそこら中から零れている。そこには苦しい環境の中を生きる人間的な美があった。
――そして、そびえたつ巨大で荘厳な塔。
街の秩序とスラムのカオス、そして世界の中心である塔。
それらが混然一体となって目の前に広がっている。
ここからは正しく、世界の全てが見渡せた。
オレンジ色に沈む世界を見ながら、ソラはルキナに問いかける。
「どうだ、ここは」
「…すごい」
目の前の光景にルキナも語彙力を失ってしまい、ただただ子供のような感想が出てくるのみだ。
「ここは多分、この辺りで一番高い場所だ。塔もスラムも街も見えるのはここだけだろう」
「ふーん…」
ルキナは目の前の景色に夢中で気もそぞろとなり、ソラへの相槌も適当なものになっていた。
そんな様子に思わず苦笑してしまい、そんな自分に少し驚く。
――こんなに面白いのはいつぶりだろう。
心の中で自問してみるが、それに対する答えはなく、なんとなく残念な気持ちになった。
「で、今日一日歩いた結果、記憶は戻ったか」
「……」
そんな気持ちを忘れるように、ソラはルキナに問いかけを重ねた。
ルキナはその言葉に対して、少し考え込んだ。そして短く口にする。
「何も」
「…そうか」
今日一日でイエソド中を回ってみたが、彼女はその一切を新鮮なものとして見ているようだった。どの景色を見ても何かを思い出したような素振りはなかった。
ということは、彼女はイエソドの人間ではないということであろう。そうなると必然、彼女は上層の人間ということになる。塔の中にいたことも考慮すれば、彼女の正体は上層の冒険者といった所だろうか。
何故そんな人間が最低階層の僻地で倒れていたのかは分からないが、それくらいしか考えられない。
つまり、おそらく彼女はソラよりも上位の存在と言うことになる。
そんなことは頭ではなんとなく予想がついていた。
ソラは人が嫌いだ。街のおこぼれを漁るスラムの人間、上層に媚を売る街の人間、そして、彼を見下す上層の人間。
その全てが嫌いで嫌いで仕方がないが、一番嫌いなのは上層の人間だ。
それを見るだけで怒りがこみ上げる。傲慢な態度と、彼を見下す目、そして口から吐き出る下種な命令の言葉。全部が全部、怒りの対象である。
しかし、ルキナは違った。
イエソドの人間のような、縛り付けられているような卑屈さを感じず、上層の人間のような傲慢な態度も感じないが、それだけではない何かがあった。
それが何かは分からない。見た目に惹かれた所も確かにあるのかもしれない。
だが、彼女の隣という立ち位置はどことなく居心地の良さがあった。
昨日今日で少し一緒に話し、歩いただけなのに、何故か彼女と共にいることが自然に思える。
――それはきっと昔セナと一緒に生活した時よりも。
そんなことを考えながら、ルキナの顔を横目で見る。夕日に照らされた顔はあまりにも美しくて、思わず固唾を飲んでしまう。
「だけど」
そうして、ソラが彼女の横顔に見惚れていると、彼女が口を開いた。
彼女の目線は眼下に広がる景色ではなく、空へと伸びる塔を向いていた。
「やりたい事は覚えてる」
「やりたい事?」
美しく輝く彼女の目には、燃えるような意思が宿っていた。
どこまでも熱く、触れるものを皆焦がしてしまうようなその熱量に負け、思わず彼女の言った言葉を復唱する。
「私は――」
そう彼女が言いかけた時、彼らの上空を鳥が飛んで行った。
思わずソラはその後ろ姿を眺めてしまう。
何にも縛られず、空を優雅に旅する鳥の姿は、彼にとって憧れの姿だった。
――いつかあいつらと同じように空を飛べたら。
昔からずっとそう思い、翼のない自分に落胆した。
この縛られた世界から抜け出し、あの雄大な空を飛べたらどれだけ幸福だろうか。
そう思って、ふと隣の少女を見やると、少女もまた、空を飛ぶ鳥を見つめていた。
ルキナは呟いた。
「私は――塔を登る」
「何のために?」
思わず、ソラが問いを返す。
そしてそんなことを言った己自身を彼は呪った。
彼には能力がない。例えどれだけの膂力があろうと、それだけで塔を登ることはできない。セナのように、塔を登るためには特異な力――才能がなければならない。
だからこそ、彼は塔を登れるであろう、能力のある少女に嫉妬した。ここから羽ばたいていける彼女を羨んだのだ。
その気持ちが思わず零れて、少女に何故を問いかけたと自分で理解していた。
しかし、少女はその言葉に対して、凛と答えた。
「私は自由になりたい」
「――」
その言葉に乗せられた質量は何よりも重く、その呟きを聞いただけのソラにも彼女の想いが伝わるかのようだった。
そして何より、その言葉――『自由』。
その単語が彼の心を掴んで離さなかった。
「『自由』って何だ?」
――自由。
全てが鎖に繋がれたこの世界では、実現不可能なもの。
故にその単語はこの世界から失われ、その意味を知るものはいない。
しかしそんな単語を聞いたこともないのに、意味も分からないのに、それはソラの心、あるいは魂に響いた。
それはきっと、彼が恋焦がれてきた何かだったから。
「何にも縛られず、どこにだって行けるし、何にだってなれる、なんでもできる」
「それは――」
なんて幸福な事なのだろう。あの鳥のように、重力に縛られず、空を飛翔する。
『自由』という概念がないから自分自身でも説明できなかった、それ。そして、それは彼女の祈りと同様のものでもあった。
漸く、ソラは彼女の隣が居心地が良い理由に気づいた。
彼らは似たもの同志なのだ。性別も、見た目も、能力も違うのに、その根本だけは共通していた。
そしてそのことに気づいたのはソラだけではなかった。
ルキナは隣にいるソラに顔を向け、手を差し伸べた。
「私と一緒に、あの塔を登ろう」
それはソラにとって魅力的で、そして残酷な誘いだった。
能力のない彼では、きっと彼女の足手まといになるだけだろう。例え最低階層周辺では何とかなっても、塔を登るに連れて彼では何も出来なくなる。
「俺は能無しだ。塔を登るのは無理だ」
「違う」
そんな忸怩たる想いを正直に吐き出したソラに対して、ルキナは確と否を唱えた。
「あなたならきっと何とかなる」
「何とかって…」
そんな根拠がどこから出てくるのかは全く分からなかったが、彼女はそれを確信しているらしい。
差し出された手を握らない彼にしびれを切らしたのか、彼女は強引にソラの右手を両手で掴む。
「これだけは"覚えてる"。塔の果てには『自由』がある」
「……」
なんでそんなことを覚えているのか。それが真実なのか。何もかもが分からないが、彼女がそう信じていることは確かなように思えた。
そして彼女の目にはソラに対する信頼と期待が浮かんでいた。その過分な評価に困惑するソラを前にして、彼女は言うのだ。
「あなたとなら、きっとあの塔の果てを目指せる」
この世界ではどんな生物も必ず何かで縛られる。
人種、階級、才能、貧富――人を彩る属性のすべては、評価軸となってそこに差を生む。
同じ人間でも、そこに差があれば人は区別を生み出し、区別は枷となって人を縛る。
人の上にも人があり、そのまた上にも人がある。
人と人が織りなす無限の螺旋。
誰かに縛られるがゆえに、誰かを縛る、束縛の円環。
この世界では全ての生物が鎖で縛られ、自由なき家畜として一生を終える。
この物語は、『自由』なき世界で『自由』を求める誰かのためのお話。
自由のために全てを越えて、――を壊す誰かのお話。




