残響の道程①
【イエソド九層――朽ち果てし神殿】
上位の階層世界へと至るには塔を登る必要がある。
それはこの世界の住人ならば誰もが知っている事実だ。
上位の人間に虐げられ、服従させられる下層の人間の運命。それを厭い、拒むなら――自身の権限を昇華させて、自らもまた上位の世界へ至るしかない。
そして、そのためには塔を登るしか道はない。実際にイエソドの歴史上だと、少なくとも数十人は上位階層世界に至った者が居たらしい。
しかし、それは希望を意味しない。
イエソドのギルドが発足した数百年前から数えて"数十人"だけ。
これまでイエソドの歴史で活動してきた数百万の冒険者たちの中から、たったのそれだけしか上位階層に至れなかったのだ。
その歴史こそが、塔の攻略がいかに難易度の高いことなのかを物語っている。
しかし、それでも冒険者たちは塔を、いや、上を目指す。
何かに急かされるかのように塔に挑み、そして死んでいく。命を燃やして死の淵を走り抜け、遥かな上を目指して進み続ける。
そんな数多の冒険者たちの最前線を行く者たち、その中の一つが【高みを目指す者】と呼ばれるパーティだ。
そして彼らは再び、ここへとたどり着いた。
第九層――朽ち果てし神殿。
しかし、今回は彼ら四人だけではない。
黒髪の男と白髪の少女――ソラとルキナ。
イエソドの冒険者の最前線であるこの場所に、彼らは今、追いついた。
「……ここが」
「――九層?」
ソラとルキナの声が、その空間に木霊した。
八層の果てにある階段、その先の扉を抜けたそこは、どこか厳かで、そして不気味な場所だった。
まず二人の目に飛び込んできたのは背の高い石造の列柱だった。
柱の一本一本が成人男性が両手で回してもまだ足りないほどの太さで掘り出されたその表面には、びっしりと何かの紋様のようなものが刻まれていた。
その列柱が支える天井は高い。それぞれの柱には松明が備え付けられているが、その光は天井までは届かいていない。暗闇の底でどれほどの高さがあるのか、下からは測ることも出来ないほどだ。
隙間なく敷き詰められた石畳には埃が積もり、過去にその上を歩いた誰かの足跡の形を克明に残している。
聞こえるのは、ただ五人分の足音だけ。
石畳を踏むごとに、その音が高い天井までまっすぐに立ち上がって、そして少し遅れて壁に反射して戻ってくる。
二人が周囲をきょろきょろと見回していると、
「そう、ここが第九層、通称"朽ち果てし神殿"だ。二人はここまで来たことはないのか?」
背後から声がした。
そこにいたのは鎧を着こんだ大男――今回の護衛の依頼者であるガレンだった。
「ああ、初めて来た。というか六層から上に来たこと自体、今回の冒険が初だ」
「……六層から上に来たのが、今回が初?」
ガレンは一瞬、言葉を失った。
【高みを目指す者】の四人でも、数年がかりで六層から九層まで登ったのだ。
何度も何度も途中で引き返し、地道にマッピングを繰り返して、漸くここまでたどり着いた。
それをたった一回の冒険だけで九層まで到達するなど、通常であれば俄かには信じがたい。しかし、目の前の二人に限っては、それが真実なのだろう。
ガレンの後ろではドールが目を丸く見開いていた。どうやら彼もまた、ソラの言っていることが嘘だとは思っていないらしい。
「アンタら、マジですげーんだな……」
「そのとーり。私たちはちょーすごい」
ドールの言葉を受けて、ソラの横の少女、ルキナが口を開いた。両手でピースサインを作ってソラへと向ける。
フードを深く被っているためその顔は分からないが、声の感じからするに自慢げな表情をしているに違いない。
ここ数時間一緒に過ごして分かったが、戦闘中の雰囲気とは違い、彼女は意外と面白い性格をしているらしい。
そんなぶいぶいっとしているルキナを無視してソラは話を続ける。
「で、この層はどういう場所なんだ?モンスター、地形、その他諸々――知ってることは全部教えてくれるんだろ?」
「そうだな」
その言葉にガレンは一つ頷いて、口を開いた。
「まずは地形だが、ここは見た通り、四方を石で囲まれた閉鎖空間だ。どこまで言っても屋外には出られず、延々と同じような回廊が続いている」
「ふぅん…」
「見た目にも変化がない上に、内部構造は迷路のように複雑だ。考えもなしに歩き回っているとそのうち迷って出られなくなるだろうな」
ガレンの言葉に被せるように、横からドールが口を出す。
「しかも、罠とかてんこ盛りだぜ?矢が飛んできたり、落とし穴が仕掛けられてたり…気を付けて歩かないと一瞬でお陀仏だ」
「なるほどな……」
まとめると、罠がちりばめられた、入り組んだ閉鎖空間というのがこの層の地形らしい。
ここまではメモがあるから何とかなっていたマッピングの技術が、この層の攻略の重要なカギとなっているようだ。
「ま、そこに関してはイズメがきっちりマッピングしてくれてるから後で彼女に聞いてくれ」
ガレンがそう言うと、突然名前を呼ばれたイズメの体が一瞬びくっと震えた。
彼女はソラの方を向いて、小さくお辞儀をする。まだ少し、ソラのことは怖いらしい。
「分かった。とりあえず今はお前ら言う通りに進めばいいんだよな?」
「そうしてくれると助かる。次にモンスターだが――」
言いかけたガレンの唇の動きが止まった。
直後、廊下の奥から乾いた摩擦音が届いた。何か、硬いモノと石が擦れるような、そんな音。
ガレンの目が瞬時に鋭くなる。
「見た方が早いな。ちょうどお出ましだ」
ガレンが低く呟いて、前方に広がる闇を睨む。
廊下の少し先、左右に開けた広間の入口。松明灯りも届かないそこに、ゆっくりと何かが浮かんだ。
まず見えたのは錆が滲んだ長剣だった。見るからにボロボロで、およそ何かが切れるとは思えない鈍器のような、そんな剣。
それを握る手は白い。肌が白いとかそういう次元ではなく、完全な純白。
そして闇の中から現れたのは――骨だった。
鎧を着こみ、剣を構える白骨死体。それが両足で立ち上がって、こちらに歩いてきていた。
そのモンスターの名をガレンが口にする。
「骨兵。低層で見かけるただのスケルトンとは格が違う奴らだ」
「KAKAKAKAKA」
ガレンの紹介にあずかるように、現れた骨兵がその顎を打ち鳴らす。
「KAKAKAKAKA」
「KAKAKAKA」
それも一体だけではなかった。
最初の一体が顎を鳴らすのに応じるように、その後ろの闇の中から、同じ乾いた音が、次々と重なって届いてくる。
純白の手が、錆びた剣が、朽ちた円盾が、闇の底からゆっくりと浮かび上がってくる。松明の光の届く縁に、一体、また一体と、白い骨の輪郭が姿を晒していく。
その数、十二体。広間の入口を、白と錆の色をした隊列が、隙間なく埋めていた。
「要点だけ言う。基本の性質は普通のスケルトンと変わらないが、その速度や剣の技量、膂力は並みの冒険者では太刀打ちできないレベルだ」
隣に立つソラにそう告げると、ガレンは剣を鞘から引き抜き盾を構えた。ドールも同じように鋼の棒を握りなおして前に構える。
八層で使い果たした体力も、徐々に戻りつつある。今ならば多少は手伝うことが出来るはずだ。
「正面は俺たちが受ける。だから二人は――」
「いや、いい」
ソラが、ガレンの言葉を短く遮った。
「俺たちでやる。万が一にでもお前らの誰かが死んで報酬が無くなるのは嫌だからな」
「むしろ邪魔」
ソラとルキナが声をそろえる。
二人には悪意も気遣いもない。ただ、効率の計算だけがそこにあった。
ガレンは一拍だけ迷った。
あの数の骨兵を、たったの二人に全て任せてしまってもいいのだろうか――そんな思考が頭にちらつく。
が、その迷いは一瞬だった。目の前の二人は間違いなく傑出した実力の持ち主だ。その言葉に、経験の浅さからくる楽観はない。
「……頼んだ」
ガレンが短く応じた。
剣の柄を握った手を、逆に少しだけ下げる。守りに徹する構えに切り替える。
「ドール、俺の後ろだ。後衛の警戒を頼む。イズメは俺とドールの間に居ろ」
「あいよ」
「…はい」
ガレンがそう指示を出すと、ドールとイズメがその通りに動き出す。
その隊列の再編成が完了するのを、ソラは目線の端で確認した。
そして、それだけを確認すると、足を一歩前に踏み出す。ルキナもまた同様に、その半歩後ろに続く。
二人の動きに、合図のようなものはなかった。だが、お互いが何をするべきかはわかっていた。
ソラはルキナを見ずに口を開いて、
「それじゃあ――行くか」
「うん」
そう声を交わした次の瞬間――二人は全力で骨兵の隊列に向って駆けだした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「KAKAKAKAKAッ!!」
突如全速力で自分たちに向ってくる二人に、骨兵たちの顎の音が一段大きくなる。それはまるでバカな冒険者を嘲笑うかのような、不気味な音だ。
十二体の骨兵たちは、自然と隊列を組みなおす。それぞれ六体ずつが分かれて右翼と左翼に分かれて、二人の男女を個別に狙う。
まず動いたのはソラを対処する右翼、そのうちの三体。
それらがほぼ同時に踏み込み、その手に持った長剣を揃った角度で振り上げる。
柔らかいパンですら切れるかどうか怪しいほどに錆び付いた刃は、しかし鈍器としては優秀だ。その質量と骨兵の身体能力をもってすれば、鎧越しでも簡単に人を通じて潰すことが出来るだろう。
骨兵たちは一斉にそれを振り下ろす。モンスターらしからぬほどに美しい太刀筋は、正に戦士のそれだ。低層の冒険者よりも遥かに腕がいい。
「KAKAKAKAKAKAKAッ!!」
髑髏たちは笑う。
走るソラ。振り下ろされる3つの鈍器。その2つの軌跡が交差するその瞬間――
「カタカタカタカタ」
ソラは、更に一歩前へと踏み込んだ。剣の間合いの、更にその内側。三本の長剣がソラの身に当たる前に、一番左にいた骨兵の懐へと飛び込む。
そして兜の隙間に手を伸ばし、その顎をがっしりと掴んで、
「うるせぇ、よッ!」
ソラの右腕が、掴んだ一体の顎を軸にして、大きく右へ振り抜かれた。
「KA!?」
バキリ、と掴んだ骨兵の顎が割れる音がした。しかしソラは止まらない。
一体分の骨と鎧の重量が、遠心力に乗って加速する。
「KA――」
振り回された骨兵の胴と、その手に握ったままの長剣が、二本の鞭のように空を薙いだ。
掴まれた一体の肩と剣が、続いて隣に構えていた二体目の胸へ叩き込まれる。
胴と胴が激突する乾いた音。二体目の骨兵の姿勢が崩れかけた瞬間には、ソラの振り抜く腕は既に更に進んでいて、
「らァッ!」
掴まれた一体の背中が、三体目の背中へと横から突き刺さっていた。
ソラが右腕を薙いだ。その一回の動作の中で、三体の骨兵は揃って廊下の右側の壁へ吹き飛ばされていた。
轟音。
三体分の骨と鎧が同時に叩きつけられた、重なった破砕音。それが石の廊下に反響した。
ソラは三体の骨兵が居なくなったその場所で、右手の指を軽く開く。その中から最初に掴んだ一体の顎の骨がポトリと落ちた。
鳴り響く残響、しかしそれも長くは続かない。
壁際で崩れていた骨と鎧の破片が動き始めた。
「――KA、KAKA……」
頭蓋は割れている。しかしそれは彼らには関係ない。肋骨も折れている。だが、それもまた関係ない。
そして――壁際で崩れていた三体の骨兵は、また、両足で立ち上がっていた。
「KAKAKAKAKA」
砕けた顎で髑髏が嗤う。
「――ちッ」
ソラは短く、舌打ちを鳴らした。
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