同業者④
【イエソド八層――雷鳴山稜・中腹】
「なんじゃこりゃ」
そう呟いたソラの目の前には、白い大きな壁があった。
それは無数の大きな岩の塊が積み重なって出来た巨大な岩壁。岩と岩ががっしりと組み合わさったそれには、隙間も殆ど見つからない。
すると、ルキナがひょこっとソラの後ろから顔を出した。
「すんごいことになってる」
雷撃蟲の群れを撃退してからというもの、ソラとルキナは暫く道なりに歩き続けていた。
大体一時間は経過しただろうか。その間、雷撃蟲達が再度襲ってくることも、他のモンスターと遭遇することもなかった。
細かったり、広かったり、曲がったり、直進したり、上がったり、下がったりと、歩く度に変化していくその尾根道を、警戒を解かずに慎重に進む。
そうしていれば、そのうち"階段"まで行きつくはずだ――そう思っていたのだが、
「行き止まりか……」
ソラが顔を顰めて溜息をつき、腰の革袋から古びたメモ帳を取り出す。それを片手で開けば、ぱらり、とページが風に揺れる。
ソラの指がそれを押さえて、しばらく岩塊と見比べる。メモ帳の中の道はここで直進していた。つまり、本来、この先には道があったのだろう。
このメモ帳に書かれた地図が間違いでないのなら、当時から地形が変わったのだろう。
ソラは顔を上げる。そして、岩塊の上端、その奥、さらに上の岩稜へ視線を走らせる。
これまでの岩稜の尖端は雲の底に触れそうなほど、高く、鋭く、尖っていた。しかし、この岩壁の向こうのそれは違う。背が低く、その先端は折れた剣先のように平らに見える。
もしかすると何らかの原因で岩稜が崩落し、崩れた岩が尾根道へ落ちて、壁を形成したのかもしれない。
「どうする?」
壁の前で立ち尽くすソラを見ながら、ルキナが問いかける。
ここまではずっと一本道だった。もし別の道を探すのなら、来た道を完全に引き返すことになる。
岩壁を登るというのも選択肢の一つだ。質量を軽減するルキナと、重力を無視するソラであれば比較的容易だろう。
問題は、この岩壁がどこまで続いているか分からないため、どれほどの体力を消費することになるかが分からないということぐらいだ。
選択肢は二つ。別の道を探るか、この道を登るか。
普通の人間ならばこの二つしかありえない。
だが、彼らは違った。
「決まってるだろ」
そう言ったソラの右半身が仄かに蒼く輝きだす。
それは彼のチカラの象徴。彼の『自由』を阻害する何もかもを破壊する怒りの願いの証。
彼にとって壁とは乗り越えるものでも、引き返すものでもなく、壊すもの。
邪魔なら全て壊せばいい。殺せばいい。
それこそが、そして、それだけが彼の心の指針。
「このまま進むぞ」
そう言って、ソラは巨大な壁の前で、蒼く光る右の拳を振り上げた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
雷甲蜥。
体長は2m以上。大きいものは3mにまで到達する中型の蜥蜴型モンスターだ。
その顎には細長い牙がいくつも生えていて、特に下顎の筋肉がかなり発達している。その強靭な顎で噛まれたならどんなことになるかは想像に難くない。
胴の長さに比べると短い手足をしているが、その先には鋭く尖った長い爪が付いている。
岩壁に張り付くために発達した筋肉と相まって、その腕の一振りで人など簡単に切り裂くことが出来る。
しかし、彼らの恐ろしさはそれだけではない。
第一に、彼らはそんな強靭な肉体を持っているのにも関わらず、個ではなく群れで狩りを行う。
彼らは個々が強力で、立ち向かってくる獲物を狩ることを得意としている。だが、その短い手足故に、逃げる獲物を追いかける能力に乏しい。
故に、彼らは群体で行動する。集団で獲物を取り囲み、逃げ場をなくしたうえで襲いかかるのだ。
第二に、彼らは全身が帯電している。雷甲蜥という名称もそれが由来だ。
背骨に沿って走る棘のような発光器官は、常時電流を帯びている。更に。その棘から鱗にかけて電流が巡り、それに直接触れたものには強烈な痺れが走る。
しかも、雷撃蟲と比べると、その威力は桁違いに強い。革鎧越しであれば多少は和らぐが、素肌に触れた場合には、簡単に意識を奪われるだけの電流が流れる。
さらに恐ろしいのは、攻撃する時も、される時も、電撃のリスクが発生するという点だ。
いくら剣を振るっても、鱗に刃が触れた瞬間に電流が剣身を伝い、柄を握る手から腕へと駆け抜ける。
それは例え革の手袋をしていたとしても変わらない。1、2回程度、電流を受けただけなら問題ないかもしれないが、長期戦では非常に厄介だ。
彼らを攻撃する、あるいは攻撃されるたびに走る電流は、毒のように少しずつ筋肉を破壊していく。
要するに、個体としての強靭さ、群れによる組織的な狩り、そして帯電する鱗。
この3点が雷甲蜥の厄介な点であり、八層攻略のためにはこれらに対する対策を用意しておく必要がある。
それは装備という点だけではなく、戦術という観点でも極めて重要だ。
例えば、そもそも囲まれないようにするために、警戒箇所をチームメンバーそれぞれに割り振るだとか。
例えば、囲まれてしまった時には、一点突破して包囲網を素早く切り抜けるだとか。
起こり得る状況のシミュレーションと、それに対する戦術の準備。それを抜け漏れなく用意できてなければならない
そして、それができる者たちのことを、この世界では一流の冒険者と言うのだろう。
それで言うと、【高みを目指す者】《アルティオラ》は一流だ。色々なパターンを事前に打ち合わせして、誰がどんな行動をとるかも決めている。
しかし、今の彼らには、その"定石"を守る余裕は無かった。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」
雷甲蜥の耳障りな鳴き声が、雷の音すらかき消さんばかりに木霊する。
一匹や二匹のものではない。岩壁や尾根道を埋め尽くす彼らの軍勢は数十を超えている。
それは正しく、絶望的な状況と言っていいだろう。
「ふんッ!」
そんな中、ガレンが声を上げながら剣を振るう。
盾の影から伸びた刃が、飛びかかってきた三体の蜥蜴の体を薙いで切り裂く。
しかし、最後の一匹の鱗で剣が滑った。思ったより硬い。刃が方向を失って、三体のうち一体だけが横に弾き飛んだ。
「ぐ――」
そして、それと同時に、腕に嫌な痺れの感触が伝わる。
上質な革手袋の上からでも感じる電流の強烈さは電撃蟲とは比較にならない。
それに思わず呻き声を上げながら、しかし、ガレンは更に前を見据える。
そこにはこれまで殺した十を超える蜥蜴の屍と、そして未だ無傷の蜥蜴の群れがいる。
「おおおオォオッ!!」
ガレンの後ろではドールが雄たけびを上げながら鋼の棒を振るっていた。
硬く、長いそれが、彼に飛びかかろうとしていた二体の蜥蜴を弾き飛ばす。その表面には今や黒い焦げ跡が三本筋を引いていた。
「ちッ――!」
振るった棒から電流が伝わり、その嫌な感触にドールは舌打ちをする。
革手袋の親指の付け根がじりじりと熱い。気づけば手袋には裂け目が入っていた。どうやらどこかで蜥蜴の爪が掠ったらしい。
「クソがッ……!」
悪態を吐きながら棒を振るうドールだが、その振りの速度はいつもとは違っていた。
明らかに遅い。戦闘の最初の一振りと今の一振りを比べたら、誰が見ても分かるほどに違う。
「アアああああぁぁぁッ!」
それを隠すかのように、ドールが咆哮しながら再び棒を振るう。
いつものドールならば危機的な状況でも飄々として、冷静に対処することが出来ているだろう。
だが、今の彼は違った。その顔には焦りが浮かんでおり、明らかに冷静さを欠いている。
そして、その理由は彼の背後にあった。
「リッキさん、リッキさんッ!!」
「……ぅ、あ」
前方のガレンと、後方のドール。
その間には岩肌に寄りかかったリッキと、そんな彼女に向って必死に声をかけるイズメがいた。
死人のように蒼褪めた顔をしたリッキの脇腹をイズメは両手で必死に抑えている。
その手の下には斜めに裂けた革鎧があり、その隙間からは赤い血が次から次へと溢れ出していた。
雷甲蜥の爪。それが彼女の脇腹を切り裂いたのだ。
「リッキさん、私の声が聞こえますか、リッキさんッ!?」
「……ぅ」
呻き声とも言えないほどの微かな息。
血色が失われた皮膚の下に、うっすらと浮かぶ静脈の青さ。そしてその唇に差し始めた紫がかった色。
ショックを受けた体が、熱を手放していく。その兆候がすでに、顔に出ている。
死が、近づいている。
「私が、私が何とかしますからね、大丈夫、大丈夫だから……ッ!!」
イズメは頬を伝わる涙も無視して、震える手で荷物袋からポーションや薬草、包帯をあるだけ取り出す。
その傷口にポーションを振りかけながら、イズメの目がリッキの右足首に動いた。
革グリーブの裂け目から覗く足首は、落石の直撃で腫れ上がっている。皮膚が盛り上がって、関節の形を失いかけていた。
その指先の爪の根元に、指の色とは違う薄紫が差し始めている。
いつもならば避けることが出来るたずの雷甲蜥の一撃。
しかし、それが出来なかったのはこの怪我だけが原因ではない。
「どうしてっ…どうして私なんかのために…ッ!!」
イズメの口から、そんな言葉が漏れた。
リッキは雷甲蜥の攻撃からイズメを庇ったのだ。
動きにくい体で、それでもイズメを蜥蜴の凶爪から守ろうとして、彼女は自ら前に出た。その結果がこれだ。
「死なないで……リッキさん、お願い、死なないで……!」
振るえる声で、イズメが祈る。
ポーションは使い、傷口には包帯も巻いた。しかし、流れる血は止まらない。
カルデアで手に入る高価なポーションの効能と、イズメの持つ特異なチカラ。リッキの命が保たれているのはその二つが理由だ。
しかし、もし、そのうちのどちらかでもかければ、彼女はすぐに死に至るだろう。
傷口を押さえる手が、また熱くなった。
滲み出てくる血の温度だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
雷甲蜥との戦闘を開始してから、もう何時間が経過しただろうか。
尾根道には二十を超える蜥蜴の死体が散らばっているが、未だに雷甲蜥の群れは戦意を失っていない。
むしろ、獲物に反抗された怒りからだろうか、その攻撃は苛烈さを増してきているように感じる。
「クソッ……」
ガレンが似合わない汚い言葉を漏らす。
状況は最悪だ。退路はない上に、前方には無数の蜥蜴で出来た壁があり突破も出来ない。
そもそも仲間の一人が重傷を負っている以上、逃げるという選択肢は取れない。
もし逃げるのであれば、それは仲間を――リッキを見捨てるということになる。そんなことはできない。
向かってくる蜥蜴たちを振り払い、切り殺しながらガレンは考える。
どうすればこの状況を打破できるのか。
考える。考える。考えて考えて考えて――しかし、答えは出ない。
その思考にガレンが気を取られたその瞬間だった。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」
ガレンに向ってきていた群体の一匹が、その向かう先を変えた。
その目が狙っているのは――岩壁の傍にいるイズメ。
「ひッ――」
「イズメッ!」
それに気づいたイズメが小さな悲鳴を上げる。
彼女の小さな体は恐怖に固まり、蜥蜴の攻撃を避けることは出来ないだろう。
咄嗟にガレンはその身をひるがえして、イズメの元へと向かう個体を追おうとするが、
「GUGYAYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
「ぐ…ッ!?」
それを阻むように別の個体がガレンの前に姿を現し、その強靭な顎で彼の腕に噛みつこうとする。
間に合わない――そのことを悟ったガレンは、左手に構えた盾を蜥蜴の顔に向けて振るいながら、渾身のチカラを込めて叫んだ。
『打ち払えッ、ドール!!』
「――ああッ!」
ガレンの"声"に呼応したドールが両手で棒を握りなおす。
「GIIIIIIIIIIAAAAAAAAAAAAッ!!」
そのドールに向けて五体の蜥蜴が一斉に襲いかかる。
繰り返し筋肉に流れる電流と、長時間の戦闘による疲弊。最早、ドールの体にも限界がきている。
だが、その瞬間は、その瞬間だけは、彼はその限界すら無視することが出来た。
ガレンの号令――それに従うものの行動を一時的に強化するチカラ。
「おおおおおおお―――!!」
疲弊しきった体が痛む。腕に至っては今にも千切れてしまいそうだ。
それでもなお、ガレンのチカラが、ドールの体に限界を超えることを許可する。
そしてドールもまた、渾身のチカラを込めて叫んだ。
『爆ぜろッ!!』
その瞬間、ドールが振るった棒に当たった蜥蜴の体が、突如として爆発した。
「GIA――」
「GRU――」
一体、二体、三体と――その棒の一薙ぎに当たった雷甲蜥の体が次々に内側から弾け飛んでいく。
それはまるで体内に火薬でも仕込まれていたかのような、そんな不思議な光景だった。
「はああああああああああああああッ!!」
そして前方から飛びかかってきた蜥蜴の全てを打ち払ったドールは、振るった棒の勢いのままに回転。
そのまま彼の後方でイズメに飛びかかろうとしていた個体に向けて、全力で棒を突き出して、
『くたばれッ!!』
雷甲蜥の爪がイズメに届く前に、その大きな肉体を打ち砕いた。
「GUIA――」
途中で途切れた鳴き声と共に、蜥蜴の体が内側から分解するように飛び散る。肉片と血飛沫が石畳に降り注ぎ、イズメの前に広がった。
そのことに安堵の息が漏れそうになったガレンだったが、
「ぐっ…!」
その呻きと共に、右の片膝を地面につけた。
「くそッ…!」
そしてガレンと同時に、ドールもまた地面に倒れこむ。
その手からは武器である鋼の棒が手放され、地面をコロコロと転がった。
二人とも肩が大きく上下している。一度、二度。呼吸を整えようとしているのに、肺がうまく動かない。息が、熱い。
それは――異能の過剰使用。
彼らの異能は強力だ。しかし、その使用にも限界というものがある。
異能も使い続ければ疲弊する。ましてや、彼らは何時間も休憩なしでそれを使い続けていたのだ。
こうなるのも時間の問題だったのだろう。
「ぐ、あ……!!」
「畜生……ッ!!」
ガレンとドールの二人は地面に手を着いて、立ち上がろうとする。
が、身体は一切動かない。全身に鉛で出来た鎖が巻き付いたように、身体が地面から離れない。
「ガレンさん、ドールさん…ッ」
ガレンの耳にイズメの震える声が届く。
大丈夫だ、何とかする――そう言いたいが、声が出ない。
膝をついたガレン、倒れ伏すドール、意識のないリッキ、そして一切の戦闘手段を持たないイズメ。
その四人の周囲を、再び蜥蜴たちが囲い込む。
「GYURRRRRRR……」
しかし、彼らはすぐには飛びかかってこなかった。
六体の同胞を一瞬のうちに屠ったドールを警戒しているのだろう。
蜥蜴たちはゆっくりと【高みを目指す者】の四人との距離を詰めながら、彼ら4人のことを警戒していた。
しかしそれが良いことかというとそうではない。状況は一切変わっておらず、ほんの数十秒だけ寿命が延びただけだろう。
今はまだ襲い掛かろうという素振りを見せていないが、そのうち四人には反抗できる余力がないことに気づくはずだ。
――ここまでか。
声を上げることも出来ず、ガレンはそう思う。
イエソドで偶然出会った4人。上を目指して冒険を続け、辛いことも苦しいことも乗り越えて――
その行きつく先が、こんなくだらない死に方なのか。
「ごめんなさい…ごめんなさい…ッ」
イズメが泣いている。
震える声で紡がれる謝罪の言葉に、ガレンは声を出そうとする。
――違う。お前のせいじゃない。全て俺の責任だ。
だが、その言葉は口から出てこない。唇は震えるのみで、その奥から音が出ない。
代わりに溢れるのは、ひゅうひゅう、というかすれた息の音のみで、それがなんとももどかしい。
体が怠い。意識が朦朧とする。視界がぼやける。
皆に謝らなければ――そう思うのに、何も出来ない。
「GRU――」
やがて四人にはもう何も出来ないと気が付いたのだろう。
雷甲蜥の前列が、跳ぶ姿勢を作った。
顎が開く。後ろ足が石畳を押す。尻尾が上がる。
そして雲の奥で、また稲妻が走って――
「邪魔」
その時だった。
ガレンは見た。遠くで光る雷よりも、強く輝く蒼の光を。
それが尾根道に積み重なっていた岩塊を弾き飛ばしたのを。
「GI――!?」
岩の壁が崩壊する轟音。落ちる稲妻よりも大きく響くそれに、蜥蜴の群れが一斉に振り向いた。
そこに居たのは――
「うわ、何匹いんだよ。キモ」
右半身を蒼く光らせた黒髪の男――ソラだった。
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