同業者③
細い岩道が延々と続いている。道の片側には果てなき断崖、もう片側には反り立つ白い岩壁がある。
積み重なった雲が天からの光を拒絶し、薄暗く閉じた世界。時折落ちる稲光が、一瞬だけ、轟音と共に周囲を照らす。
そんな中を、【高みを目指す者】の一行は駆け抜けていく。
全力の疾走ではない。継続的に走り続けられる程度の速度。しかし、それでも体力は徐々に削れていく。
目指すのは八層のセーフティーゾーン。そこは岩稜の脇にぽっかりと空いた洞窟であり、雨や風、雷を凌ぐことが出来るはずだ。
そこを目指して彼らは走る。
ドールは不意に鳴り響く雷鳴に顔を顰めながら、先頭を行くガレンに向って、後ろから叫ぶ。
「なぁっ、こんな急ぐ必要あんのかっ!?」
「分からん!」
それに対するガレンの対応はシンプルだった。
彼自身、走る必要があるのか分からない。体力を温存するために歩いてもいいんじゃないかと、理性はそう囁いてくる。
「ただ――」
「ただっ!?」
「イヤな予感がする!」
予感。ガレンは先ほどからそれを本能で感じていた。
天から落ちる雷は頻度を増している。
遠くで鳴り響くだけだったそれは、忍び寄るかのように、徐々に彼らの傍まで近づいてきている。
「……了解!」
そして、ドールはリーダーが感じたそれを信じた。
ガレンの予感は良く的中する。そしてその予感に従って、悪いことになったことは一度もない。
恐らく言語化出来ない危険のシグナルを、ガレンは長年の経験から無意識に捉えているのだろう。
ドールはそれ以上何も言うことはなく、周囲を警戒しながら走り続けた。
走る4人。それを照らすのは近くに落ちる稲光のみ。
遠く、遥か上で鳴り響いていた轟音が、今では彼らの頭上でその音を響かせている。
稲光が走るたびに、一本道の岩稜が白く浮かび上がる。次の光が来るまでの間隔が、縮んでいる。
4人の呼吸が荒くなっていた。岩稜の尾根道を走り続けることは、疲弊した体に確実に負荷をかけていく。
ドールの背中が揺れる。リッキの細い腕が、走りながら弓を握り直す。イズメが荷物袋を揺らしながらついてくる。
その先頭を行くガレンの目が、前方を捉える。
延々と変わらないように見えたその道のり。しかし、そこにはついに変化が生じていた。
「――見えた」
およそ数百m先。走ればすぐにでも届きそうな、その場所にそれはあった。
岩稜の側面に、ぽっかりと口を開けた暗い穴。即ち、セーフティーゾーン。
走るたびに、その入り口が視界の中で大きくなってくる。
「もう少しだ……ッ!?」
ガレンが後ろを振り向いたその瞬間、彼の首の後ろに何かが走った。
彼は、咄嗟に頭上を見上げた。雷雲の底が、岩稜の上方に触れていた。
黒と灰色の境目が、尾根を走る岩の最も高い部分にめり込むようにして、そこにあった。その境界の内側で、光の芯が育っていた。
予感。
『全員――』
その瞬間、ガレンは本能のままに、声にチカラを込めて、
『全力で走れッ!!』
ガレンがそう叫んだ直後、彼らの真上に光が走った。
雷雲の底から岩稜の上方へ、一本の柱が降りる。否、落ちる。
目も眩むほどの光が、轟音と共に岩稜の上端へ突き刺さって、岩稜の上部が裂ける。
上端の岩が縦に割れて、割れた塊が両側に崩れていく。その下の層も連鎖して崩れる。
一抱えどころではない。岩塊ですらない。岩稜そのものが、上から崩れていた。
そして、引き裂かれた岩は――そのまま、真下の尾根道へと降り注いだ。
「マジかよ!?」
「ぴぃいいいいいいッ!?」
「鳴いてないで走りなさいッ!」
ガレンの咆哮が彼らの体へ染みわたり、いつもより遥かに速いスピードで、彼らの体は尾根道を駆け抜けていく。
尾根道の端から岩塊が降ってくる。頭上の岩稜が裂けて、割れた塊が砕けながら尾根道へ叩き落とされていく。
先頭のガレンが一歩踏み出すたびに、背後の岩がまた一枚落ちる。
右側の断崖へ向かって岩が弾けながら落ちていく音が、轟音と一緒に連続して届く。
走る4人。
そして岩の雨。
暫くの間、それが続いて――
やがて音が消えた。
土煙が漂う尾根道。上から降ってくる岩はもう無いようだ。
ガレンは膝に手を着き、息を切らせながら後ろを振り向く。
「……全員、生きてる、か」
そこにはしっかりと彼のチームメンバー全員が居た。
「生きてるよ! 怖かったけどッ!」
ドールが土煙の向こうから声を上げる。
「私も、大丈夫、です…」
それに続いて、イズメも今にも倒れそうな疲れ切った声でそう返した。
「…アタシも、問題ない」
最後にリッキがそう呟く。
ひとまず全員、無事だ。そのことが分かって、ガレンは息を吐いた。
荒くなった息を整えながら周囲を見渡す。
彼らが立っているそこは尾根道の中でも少し開けた、幅広な場所になっていた。ここでなら座り込んで息を整えることも出来るだろう。
左手にあった岩壁は半分ほどが崩れていた。天高く反り立って、雷雲にまで届く、尖った岩稜。それは最早無くなっている。
そして、彼らの後方。彼らが走り抜けた道も、同様に無くなっていた。降り注いだ岩塊が狭い尾根道に積み重なり、その道を完全に塞いでいる。
見たところかなりの広範囲で崩落が連鎖したようだ。もし、事前に走っていなかったのなら、その崩落に巻き込まれ、命を落としていたことだろう。
予感を信じたことは正解であった。しかし、別の問題も生じていた。
「……戻ることは不可能か」
尾根道が広範囲で塞がれている。つまり、彼らの退路が無くなったということだ。
今回の冒険は十層を踏破したその先の階層世界へ至ること。元から戻るつもりはなかった。
とはいえ、今回のように不測の事態は発生しうる。帰る道があるのと無いのとでは大違いだ。
最悪、九層で"出口"を探して、イエソドまで戻って一層から再度登るというのも選択肢としなければならないだろう。
更に問題は積み重なる。
荒い息を吐いていたイズメが、リッキの様子がいつもと違うことに気づく。
その顔は平静を保とうとしていたが、額には脂汗が滲み、その手は右足首に添えられている。
「リッキさん、脚、どうしたんですか?」
「……何でもない」
「…ちょっと見せてくださいッ」
そう言ってイズメは無理やりに彼女の足首に添えられた手を引っ剥がす。
血は出ていない。しかし、そこは目に見えて赤く腫れあがっていた。
どうやら逃げる最中に岩の破片がぶつかったようだ。
「……ちょっと掠めただけよ。別に問題ないわ……ぐッ」
「どこが問題ないんですかッ!」
言いながらイズメは尾根道に膝をついて、リッキの容態を確認しようとする。
それに対してリッキも抵抗しようとするが、痛みには抗えないようで、その反抗も弱弱しいものだった。
「…こりゃあ暫く足止めを食うかもな」
そんな様子を眺めながら、ガレンの横でドールがそう呟く。
状況は悪い。十層攻略の出鼻をくじかれたような、そんな感覚。
「だけど、"最悪"じゃあねえな」
不意の自然災害に遭遇したうえで、怪我人は出たが、命には別条がないのだ。
考えようによってはむしろ運がいいともいえる。
幸いにしてセーフティゾーンはすぐそこだ。あと数分も歩けばその中で休憩ができるだろう。
状況は悪いが、最悪ではない。ドールはそのように楽観的に状況を捉えていた。
しかし、ガレンは違った。
「……」
その顔は未だ険しく歪み、全く周囲の警戒を解いていない。
まるで――危険は未だ過ぎ去っていないかのように。
「…どうした?」
その顔を見たドールが問いかける。
「……予感がする」
ガレンは視線を動かさないままそう返した。彼は未だに、首の後ろからチリチリと、嫌なナニカを感じていた。
彼の感覚はこう言っている。"まだ終わっていない"、と。
その言葉にドールがギョッとして、周囲に目を走らせる。
轟音は消えた。落石は終わった。尾根道に聞こえるのは頭上で唸る雷雲の低いうなりと、断崖側から吹き上がる風だけのはずだった。
しかし、ドールの耳には別のナニカが微かに届いた。
それは、地面を擦るような、あるいは引っ搔くような音。
岩の内側から、何かが岩の表面を爪で削るような乾いた音。
一か所ではない。断崖側の岩壁だけではない。岩稜側の岩壁からも同じ音がした。
幾つもの音源が両側の岩壁の深い部分から、背後にある積もった岩塊の山の中からも聞こえてくる。
そして小さな音だったそれらはやがて積み重なって、そして近づいてくる。
まず最初は断崖側の岩壁に入った亀裂。
その奥の暗闇から、何かがぬるりと顔を覗かせた。
「GYURRRRRRRR……」
唸りを上げるソレは、蜥蜴のような顔をした生物だった。
しかし、通常の蜥蜴とはまるでサイズが違う。その顔は成人の男のそれよりも大きい。
その顔から細長い舌をちらちらと覗かせて、縦長の瞳孔で周囲を見渡す。
そして、【高みを目指す者】《アルティオラ》の4人を視認すると、亀裂から全身を抜き出した。
体長は最低でも2mはあるだろう。暗い灰色の鱗を全身にまとい、その背びれには鋭利な棘上の突起が並んでいる。
「雷甲蜥……」
ドールの口から、そのモンスターの名称が漏れ出る。
雷甲蜥――それは雷撃蟲と並ぶ、八層の代表的なモンスターだ。
そして彼らは、雷撃蟲との共通点がある。
亀裂から這い出てきた雷甲蜥の後ろから、更に別の個体が現れる。
一匹、二匹、三匹と、彼らは次々に姿を現す。
雷撃蟲との共通点、それは即ち、この群体で生きるという生態。
「…おいおい」
それがドールの口から出た声だった。陽気な声ではない。
七体目が壁から引き剥がされるように這い出た。そして八体目が地面に着地する。
そうして瞬く間に現れた八体の雷甲蜥。だが、それで終わりではない。
尾根道の右手にある断崖の下。そして背後の岩塊の中。あるいは、折れた岩稜の影。
巨大な蜥蜴が、それらから湯水のように溢れ出してくる。
人以上の大きさのソレが岩壁の表面を埋め尽くしていくその様は、彼らのような熟練の冒険者と言えども悍ましく感じるほどだ。
気づけば彼らの立つ尾根道の周囲を、数十体の雷甲蜥が取り囲んでいた。
そのすべてが目の前の4匹の獲物を見て、舌なめずりをしているかのようだった。
上も下も、右も左も前も後ろも――全てがモンスターに埋め尽くされたこの状況。
セーフティゾーンまでの道はモンスターで塞がれ、帰る道は岩で塞がれている。
つまり、逃げ場も、退路もない。
「……訂正するわ」
ドールが右手の"相棒"を握りなおし、構えを取りながら呟く。
その顔には脂汗が滲み、いつもの余裕は一切なかった。
「やっぱ"最悪"だッ!!」
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
そう彼が叫んだと同時に、数十のモンスター達が彼らに向けて一斉に襲い掛かる。
絶望的な状況の中、彼らの長い一日が今、始まりを告げた。
本作品を読んでいただき、誠にありがとうございます。
作者のモチベーションにつながるため、コメントや評価、リアクション等をいただけますと大変ありがたいです。
また、この作品では、批判批評を自由に受けつけ、それによる展開の変更や内容の修正が起こることがあります。
誤字脱字、読みにくい文体・改行位置、設定の不整合、唐突な展開へのご指摘等、全てをご自由にレビューいただけますと幸いです。
どんな内容であろうと否定は一切いたしませんので気軽にフィードバックいただきたいです。




