同業者①
【イエソド八層――雷鳴山稜】
そこはこれまでとは違った意味で薄暗かった。
黒い雲が世界を覆う。その積み重なった雷雲が天からの光を遮っている。
扉を抜けた先に広がるのは延々と続く岩稜。扉の前にも後ろにも、岩の一本道が延々と続いている。
道の片側は岩壁、もう片側は断崖であり、通路の幅は人が二人通れるかどうかという程度。
その稜線には、雷雲の垂れ込める空から定期的に雷が落ちる。
ここがイエソドの第八層、通称"雷鳴山稜"。
他の層と比べると構造が単純だが、地形や天候、出現するモンスターの性質から、攻略難易度はかなり高いとされている。
五層の"壁"を乗り越えた者たちに対する次なる試練。それがこの層である。
果てまで続くその尾根道。それを歩くのはソラとルキナの二人。
前方はソラが、後方はルキナが、それぞれ違う方向を警戒しながら狭い一本道を歩いていく。
「……大分治ったな」
警戒は解かずに、ソラは自身の右手をグーパーと握ったり、開いたりを繰り返す。
七層での腐喰いとの戦闘からは既に2時間ほど経過しているが、弾け茸から受けた毒はもう殆ど感じない。
多少喉の奥にイガイガとした不快感が残っているが、それもまあ問題はない。
少なくとも動きに支障は出ないだろう。
現時点で、カルデアを出発してから1日半が経過している。
六層から八層まで到達に一日半しかかかっていないというのは、通常の冒険者からすれば信じられない話だろう。
大抵の冒険者は、七層の攻略に数か月をかける。例え階段の位置が分かっていたとしても、それは殆ど変わらない。
菌兵という無数に湧いて出てくる、耐久力の高いモンスター。弾け茸といった自然のトラップ。木々が密集した、方向感覚を失わせるような地形。
七層は五層より下とは比べ物にならないほどに、難易度が高い。
そんな場所を、ソラとルキナは1日弱で駆け抜けたのだ。その攻略速度は驚愕に値する。
そして今、彼らが立つのは第八層。
先述の通り、この場所は冒険者たちにとっての第二の試練となる。
不意にどこかから、ジ、という音が鳴った。
ソラが構える。ルキナは警戒しながら辺りを見渡す。
視界の中には見渡す限りの尾根道。それ以外、何も見えない。
しかし、確かに何かがいる。
ジジジ、と音が連続する。
最初は小さかったはずのその音が、連なって、重なって、大きくなって耳に届く。
そして漸くソラは、その音がどこから聞こえてくるのかを理解した。
「――上か」
それは最初、青い点のように見えた。
絶壁の表面にへばり付いた、ぽつぽつとしたその点は、耳障りな音と共に膨れ上がる。
ジジジジジ。音が重なる。一つが鳴るたびに、別の一つが応えるように鳴る。
やがて、音を出すその点が壁から離れ、空へと飛び出して、
「来る」
羽音と共に強襲。空に散ったいくつもの青い点が牙を剥く。
点の正体は雷撃蟲。岩壁に潜む、甲虫型のモンスター。
一匹当たりの体長は手のひら半分程度で、大きいものでもそのサイズを大きく超えることはない。
甲殻も薄く、上位冒険者であれば素手でも簡単に割れる程度の耐久力しかない。
しかし厄介なのは、彼らが持つ、二つの性質。
一つは生態。彼らは普段、数十~数百という大規模な群体として岩の影に隠れているが一匹が獲物を見つければ、音を出して群れ全体へと伝達。
そして襲うときは全体で飛び掛かってくるのだ。
今もまた同様。宙を舞う無数の点。それら全てが雷撃蟲であり、ソラとルキナを狙っている。
「きっしょいなッ!?」
「百はいそう」
ルキナの目測は正しい。その数、およそ150以上。
更に言えばその群体の出す音につられて、別の個体まで寄ってきている。
「ZIZIZIZIZIZIZZZZZ」
「きもいんじゃ死ねッ!」
顔に着いた小さな角を向けて、鳴き声を上げながら突っ込んでくる一匹の雷撃蟲。
それに向ってソラは右足を合わせる。
雷撃蟲の飛翔速度はそこまで早いわけではない。その右足は難なく雷撃蟲に当たって、
ばりっという大きな音を立てた。
「ッ!?」
ソラが驚きの声を上げる。
殺せなかったわけではない。ソラが蹴った個体は宙でバラバラになって死んでいる。
問題は蹴った際の感触と音。先程の音は雷撃蟲を引き裂いた音ではない。
それは、放電の音。
「これが電気ってやつか…?」
この雷撃蟲の厄介な性質のもう一つ。それは電気をため込むということ。
先程から青白く発光している腹部下面の発光器官。これはただ発光しているだけでなく、電気により光っているのだ。
鍛えていない生身の人間であれば、当たれば一時的に動けなくなる程度の微弱な電気だが、それが群体となって飛び掛かってくると話は別。
接触のたびに人体を流れる電流。一回一回が微弱でも、それが数十、数百と重なればどうなるか、想像は容易だろう。
革鎧の上から感じた電気の感触に驚いているソラの元に、更に雷撃蟲が飛来する。
「ZIZIZIZIッ!」
まずは正面から三体、右方から二体。
それぞれが同じタイミングでソラに向かって飛翔する。
避けるということは出来ないだろう。
「めんどいなッ!」
その状況に、悪態をつくソラ。しかし、彼には何ら恐怖は無い。
まずは正面から向ってくる虫たちに向って――ソラは逆に接近した。
「ZIZIZIZI」
「声が耳障りなんだよ、ボケがッ!」
宙を駆ける虫たちと、地を踏みしめるソラ。
一瞬のうちに詰まる彼我の距離。
雷撃蟲たちはその口を開けて飛び掛かろうとして、
「らァッ!」
「ZIッ!?」
ソラの右腕の横薙ぎ一回で、すべての虫たちが引き裂かれた。
彼の目の前で蒼白い火花が、3回連続で散っていく。
当然、虫たちがその身にため込んでいた電気は全て、ソラの体を巡ろうとする。
しかし、ソラが手に嵌めた革の手袋が、その下の皮膚へ電気を伝えることを許さない。
――あのおっさんの店で買ってよかった。
今回の冒険で何度思ったことか分からないが、ソラはそう思いながら、今度は右方を確認。
右方に広がる絶壁とその向こうからやってくる二匹の雷撃蟲。
「ZIZIZIッ!」
思考を打ち切ったのは、右方から届いた二つの羽音。
視線を向けると、蒼白く光る二体の雷撃蟲が翼を高速で振り、真横から飛び込んでくる。
「うっさいんじゃッ!」
ソラは右足で地面を蹴り、右へ半歩だけ踏みこむ。
先頭の一体が視界の中心へ入ってくる。それに合わせて、右膝を引き上げ、足首のスナップだけで蹴り出す。
激突。革靴のつま先が甲殻に当たって、ばりっという放電の音が鳴った。
「ZIZIZIZ――」
「よっと」
それに続くように襲い掛かってくるもう一匹。ソラはそれを右の肘で捉えて打ち砕く。
甲殻が割れる音と一緒に蒼白い火花が散り、電気がまた手袋の表面を走った。
これでソラが討伐した雷撃蟲は計6匹。
しかし、それは群れの十分の一にも満たない些細な数。
「クソが……」
新たに襲い掛かってくる2匹の雷撃蟲を避けながら、ソラはそう呟いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ソラが徒手空拳にて雷撃蟲たちを潰している間。
背後ではルキナもまた、突撃してくる雷撃蟲を捌いていた。
「ふっ」
少女が躍るように地面を蹴って、身をひるがえす。
右手に持った短剣が閃いて、その度に雷撃蟲が両断されて地面に落ちていく。
「――」
体を回転させながら、短剣を逆手に持ちかえる。その動作の流れの中で、背後から襲い来る雷撃蟲が両断される。
その死骸が地面に落ちる前に、ルキナは真正面にいる蟲にアッパーをするようにして刃を通す。
短剣を振りぬいたルキナに向って、別の虫が飛来するが、それは咄嗟に身を屈めて回避。
体勢を崩したルキナに向って更にもう一体の虫が襲い掛かってくるが、それは冷静にバックステップ。
それと同時に口を開いて、
『墜ちて』
その一言と共に飛んでいた雷撃蟲の体が突如として地面に落ちる。
まるで上から見えない錘を落とされたような勢いで地面にたたきつけられた蟲の体はバラバラに砕け散った。
流れるような一連の動作。少女の身軽な舞の後に残るのは、二十を超える蟲たちの屍だけ。それは正に舞踏。
「……むぅ」
しかし、それを為したルキナの顔には不満が浮かぶ。
再びソラと背中合わせの体勢になって、お互いがお互いに背中を預けながら口を開く。
「数が多い」
「そうだな……」
お互い、顔を合わすこともなく、背後の相棒と会話する。
蟲たちとの遭遇から既に二十分ほど経過している。二人はお互い30匹以上、雷撃蟲を屠ったはずだ。
しかし、未だ蟲の数は減る様子がない。それどころかどうにも数が増している気がする。
もしかすると戦闘の音につられて別の群れも合流してきているのかもしれない。
だとすれば、このままでは埒が明かない。
「ルキナ」
「何」
背中合わせのまま、短剣を捌きながらルキナが答える。
「このままだとジリ貧だ。だから、叩くなら大本だ」
「……大本?」
「ああ」
雷撃蟲の群体が、あれほどの数で連携して動けるのには理由がある。
個々の個体はそれほど賢くない。だが群体の中に、触角から電気信号を出して仲間へ指令を送り続ける個体がいる。
中核個体と呼ばれる司令塔。それこそが、あの群れが統率を取って動けている理由だ。
逆に言えば、その個体さえ倒せれば、他の個体は統率を失い自然に散っていく――と、ソラのメモ帳にはそう書かれていた。
「じゃあ、それを叩けばいい?」
「らしい…まぁやってみないと分からないな」
そこまでの説明を終えて、ソラは目の前の群れを見る。
宙に羽ばたく蟲の軍勢。
果たして、この蟲の群れ目掛けて飛んでくる蟲たちを躱し、潰しながら、ソラはよく観察してみる。
しかし、分からない。青白い光を灯しながら飛んでくる雷撃蟲たちは、どれもこれも違い等ないように見える。
メモ帳にはただ『見ればわかる』とだけ記されていたが、今のところさっぱり見当がつかない。
どうしたものか――ソラがそんな風に考えていた時だった。
「見つけた」
ソラの背中側から、涼し気な声が鳴った。声の主は勿論ルキナ。
背中合わせのまま、少女は戦闘を止めていない。
右の短剣が弧を描き、飛来する蟲を二体ほど断ちながら、それでも声だけがソラの背後に届いた。
「マジか…どこだ?」
「上」
ルキナの声は短い。ソラは視線を上へ向けた。
しかし、見上げた先にあるのは黒い雷雲と、そして視界いっぱいの蟲たちのみ。
青白い光を放ちながら飛び回るそれらは、どれもこれも同じに見える。
正面から飛んでくる三体の虫を横薙ぎ一回で全部まとめて払いながら、ソラの視線が宙をさまよっていると、
「そっちじゃなくてあっち」
「あっち?」
蟲を捌きながらルキナの方を向けば、彼女は空中…ではなく岩壁の方を顎で示す。
「んん?」
目を細めて、壁を見る。
正面に広がるのは、縦に走るひび割れだらけの灰色の岩肌。その表面に青白い点が無数にへばり付いて、ジジジと鳴いている。
宙を飛ぶ群体と同じ光り方、同じリズムで点滅し、そこにはまるで違い等ないかのように見えた。
「…あ」
しかし、ある一点――壁の高所、せり出した岩棚の辺り。
そこだけが、他と違っていた。
他の場所には疎らに分布している蒼白い点。だが、何故かそこには点が密集している。
大量の虫達が幾重にも重なりあって、小山のように盛り上がったその大群。
更に集中して見てみれば、その蟲の集合の中に、一点だけ色が違うものがあるように見えた。
赤紫。
「……アレか」
「ん」
ルキナがその言葉に頷く。
彼らの推測は正しい。
中核個体は電気信号で群れへ指令を伝達する。
しかし、他の個体と同じ信号ではかき消されてしまうため、彼らは常時、他とは違う固有の信号を発している。
その際、彼らの体内発光器官が特有の赤紫の発色を示す。メモ帳の『見ればわかる』とはこのことを指していた。
これで位置は分かった。だが、問題はその位置にある。
そこは岩壁の高所。登ることも出来なさそうな絶壁の先。
通常の冒険者であれば遠距離での狙撃を選択するだろう。
しかし、ソラとルキナにはその選択肢は取れない。
一応、ソラの腰にはマクスウェルから剥いだ銃が下げられている。一度だけマクスウェルの見様見真似で使ってみたことはあるが、弾は狙い通りに飛んで行かず、それ以降この銃はただの置物と化していた。
更に言えば、その時に弾丸も切れてしまったらしく、その補充も出来ていない。
つまり、銃による狙撃は現実的に不可能ということだ。
ではどうするか。
その答えは単純だった。
「やるか」
そもそもの話。
何故通常は遠距離攻撃を選択することになるかと言えば、距離を詰める手段がないからだ。
反り立つ岩壁を登りきって、中核個体に手を届かせることなど通常できるはずもない。
しかし、ソラならば。
「ふ――」
周りを飛び交う蟲たちを払いのけながら、ソラは尾根道の端に立つ。
そして、岩壁の方を向いてゆっくりと息を吸って、
「よっ!」
そこから数歩の助走をつけて――地面を蹴って、絶壁へと跳んだ。
通常ならば放物線を描くはずの跳躍。しかし、ソラのそれは違う。
その軌道はまるで直線。目指した場所に向けて、弾丸のようにその身が飛んでいく。
それは、重力の無効化――ソラの己約の副次効果。
重力という束縛を無視できるソラにとって高所というのは地面の延長線上に過ぎない。
その軌道の先は、岩棚の端。集合し、団子状になった蟲たちの群れ。
「ZIZIZIZIlッ!」
飛んでくるソラに気づいた虫達が、一斉にざわめきだす。
ソラの行く道を邪魔するように、軌道上にその甲殻を重ねる。
「しつけぇなッ!」
蟲たちはその一言と共に右手で払われ、空中でバラバラになって散っていく。
革手袋が甲殻を捉えて、ばりっという放電の音が鳴った。電気が肘から上腕の表面を走る。
だが、ソラの体は止まらない。
その身がやがて岩棚の上に出て――中核個体と、向かい合った。
気色悪いほどに集合した蟲たちの塊。蠢くその団子の奥に、赤紫色が見える。
幾重にも重なった蟲の肉壁。
その奥に潜む中核個体が、突如として叫び出した。
「ZIZIZIZIZIZIIIIIIIIIIIIッ!!!!」
球体の表面が一斉に帯電する。
全体がびりびりと震えて、青白い放電が球面から針状に飛び出す。
そしてそれと同時に、奥の赤紫色が膨らんでいく。
つまり、それは――迎撃。
近寄ってきたソラのことを、中核個体は迎え撃つことを選択した。
一つ一つは微弱な放電でも、これほどの集団が一斉に解き放ったなら、それはどんな生物でも焼き切るに違いない。
正しく、雷撃。
その準備をする蟲の塊のことをソラは――
「見つけた」
見ていなかった。
彼が見ているのは、その団子の中心だけ。周りの有象無象等一切気にしていない。
跳躍の軌道はそのままに、中核個体とその群れに肉薄する。
「ZIIIIIIIIIIIIIIIIIIッ――」
雷撃は解放の寸前。
腹部の赤紫色が最大輝度に達し、外殻の表面に走る放電が直線的に伸び始めている。
外側を覆う蟲たちの体表が同調して光り、団子全体が一つの発電器のように脈動した。
一秒も経たぬうちに、放電が来る。
「きしょいんだよッ!!」
突進の勢いを乗せたソラの右拳が、団子の表面に突き刺さる。
ばりばりばりばり。
甲殻が一斉に砕ける音。放電が拳の周囲で爆ぜる音。革手袋の表面で何かが燃える音。三つが同時に響いて、岩棚の上に青白い火花が散乱した。
蟲たちが弾け飛んだ。十、二十、三十――拳の突破口に重なっていた個体が、衝撃でまとめて散る。
だが、塞がる。
砕けた穴に、周囲の個体が押し寄せて埋め直す。一秒もかからない。
外から殴り続けても、奥の中核個体には届かない。
「らァッ!」
故に、ソラはそのまま、虫の集合に体ごと突っ込んだ。
放電が全身を走った。外套と革鎧の表面で電気が枝分かれして、肩から腰までの革を焼く。
焦げ臭が鼻についた。革の縫い目が一箇所、ぱちんと弾けて切れた音がした。
痛みはない。熱の感覚だけが、皮膚の表層にぼんやりと届く。
しかし、関係ない。ソラの目には、ただ赤紫色だけが映っていた。
団子の内側。
押し固まった蟲たちの肉壁の中に、空洞があった。
その中心に、人の頭ほどの体躯がうずくまっている。
長い触角を二本、最大速度で振動させながら、腹部から赤紫色の光を限界まで膨らませているソレ。
つまり、中核個体。
そして、至近距離。
その腹部の発光が、今、最大限に到達した。
雷撃の準備は、終わった。
「ZIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIッ――!」
極大、極濃の赤紫色が、白く反転しかけて、
「うっせえよ」
その前に、ソラの右拳が頭部に叩き込まれた。




