未知の層へ③
「OOOOOOOOOOOOッ!!」
「うるっせぇな、このデカブツッ!!」
モンスターの低い雄叫びと、ソラの苛立ち混じりの叫び声が辺りに響く。
彼の正面にいるのは、端的に言うと大きなキノコだった。
セーフティゾーンでの休憩の後、ソラとルキナの二人は再び菌糸の森の中を歩き出した。
襲ってくる菌兵たちを蹴散らしながら、メモに書かれた道に従って、上層への階段を目指して先へ進む。
そうして暫く歩いた頃に、何故か菌兵が現れなくなったと気づいた時にはもう遅かった。
そこは既に、今目の前に居るモンスターの縄張りだったのだ。
腐喰い《ロットグレイザー》。
体長は3m強。人型の猪のような姿のモンスター。
主食は腐った木や、菌兵たちのような死骸。縄張り意識が非常に強く、自身の領域に踏み込んできたものへ即座に突進を仕掛けてくる。
特徴は菌糸との共生関係。背中には幾重もの菌の傘を背負い、その身は多種多様な菌の苗床となっている。
その代わりに、彼らには菌糸や胞子の毒性が一切効かない。体内で共生している菌によって、各種菌毒に対する抗体を獲得した腐喰いは、この森の頂点捕食者の一角だ。
「BUOOOOOOOOOOOO!!」
そんな腐喰いが巨腕を振るう。
豪風を纏って振るわれた右腕。オークの腕の3倍は太く、最早丸太とすら言っていいほどのそれを、ソラはすんでのところで屈んで回避。
頭上を通り過ぎていく脅威を感じながら、ソラもまた右拳を握る。
「うっさいんだよ、このボケが……!!」
狙いはがら空きの腹部。体勢は低く、腰をひねって腕を引く。
菌糸に塗れたその胴体を目掛けて拳を突き出そうとして、
突如、足元からぼふっという音と共に、灰色の煙が立ち上った。
「……ッ!?」
ソラの目が驚愕に見開かれる。
咄嗟に足元を見れば、踏み込んだソラの右脚が何か柔らかい球体を踏み抜いていた。
弾け茸。モンスターではなく、この森のキノコの一種。
人の頭ほどの大きさの灰褐色の球状菌であり、木の根や生物の死骸に住み着き、破裂と同時に胞子を周囲にまき散らす。
「げほっ…!」
そして、その胞子は生物の体にとって有害な毒でもある。
喉と肺が苦く、灼けるような感覚。止めようと思っても出てくる咳。息は吸うほどに胸の奥が重くなった。
思わず、地面に膝が付きそうになる。
「BUUU……」
そんな状態のソラに対して、腐喰いは変わらず平然と二本の足で立っていた。
菌糸と共生する彼らにとって、弾け茸の毒性は一切効かない。
菌毒に侵されたソラを高みから見下ろして、巨大な右腕を振り上げる。
「BOOOOOOOOOOOOOOッ!!」
右腕が、真上から落ちてくる。
丸太のような一撃。だが、振り上げてから振り下ろすまでの動作は鈍い。
咳で胸を折ったソラでもそれだけは見えた。
「ぐっ……!」
咄嗟に横へ転がると、腕が菌床を叩いて土と苔が爆ぜる。
伏せたまま、ソラは息を吸おうとした。吸えない。喉の奥が灼けて、咳がせり上がる。
立ち上がろうとして、膝が一拍遅れて曲がった。
――動きにくい…!
弾け茸の胞子の毒は喉や肺だけでなく、身体の末端にまで作用する。
それは、自身を吸い込んだ生物の手足の先から力をゆっくりと抜いていく。
数分もすれば全身に毒が周って動くことが出来なくなり、死に至る。
弾け茸は、そうして死んだ生物を苗床として繁殖をするのだ。
そして、そんな動きの鈍さには、ソラの己約は反応しない。右半身の刺青は暗く沈んだまま、蒼は灯らない。
それも当然。毒とは物理的、あるいは精神的な拘束ではなく、身体機能の低下を起こすものなのだから、ソラの己約のトリガーとはなりえないのだ。
ソラの異能の弱点である、「発動しなければ何の効果も及ぼさないこと」が、彼を窮地へと追い込んでいた。
地面に伏したソラの目の前で、腐喰いが再び右腕を振り上げる。
痺れた脚では、二度目はかわせない。
「クソッ……!!」
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」
振り下ろされる右腕。満足に動けず、ただそれを睨みつけるソラ。
正しく絶対絶命の状況下。しかし、ソラは死の恐怖など一切感じていなかった。
何故なら――彼には仲間がいる。
『飛んで』
鈴の音のような冷涼な声が、すぐ横で鳴った。
直後腐喰いの振り下ろした右腕が高く上へと弾かれた。
「BUッ!?」
腐喰いが驚愕の声を上げる。
彼の目の前に居たのは、その身長の半分にも満たないほど小さい少女。それが自身の一撃を短剣で軽く弾いたのだから。
少女――ルキナの赤い目が腐喰いを見つめ、互いの視線が交差する。
しかしそれも一瞬のこと。
腐喰いは咄嗟に、左腕で少女の体を弾こうとするが、
『墜ちて』
「BUOッ!!??」
そんな言葉が響いた瞬間、振るおうとした左腕が突如として重くなる。
まるで見えない錘が乗ったかのように、急に重さが増した左腕を振ることが出来ず、腐喰いの上体が重くなった左腕に引かれて前へ泳いだ。
二本の脚が踏ん張ろうとして菌床を抉る。だが、支えきれない。
巨体が前のめりに沈んでいく。
「BUUUUUUUUUUッ……!!」
その異常な現象を引き起こしているであろう少女のことを、腐喰いは血走った目で睨みつける。
それに対してルキナは平静。赤い目が、前のめりに沈む巨体を見上げた。
直後、ルキナが地を蹴った。
「はっ――」
同時にルキナは自分の重さを軽くする。とんっという軽い音の一蹴りで、少女は前のめりに沈む腐喰いの首より高くまで飛翔する。
直後、腐喰いに掛けられていた呪縛が消失する。左腕の重さは正常に戻り、崩れた体勢をもとに戻そうと、彼は頭を上げた。
対するルキナは空中でその身を反転。逆手に握り直した短剣の切っ先を真下に晒された首へ向けた。
そして一言。
『墜ちて』
三度目の言葉は、自分の刃へ落とされた。
細い短剣がありえない質量を帯びる。その重さのままに少女は宙から落下して――
「死ね」
そんな呟きと共に短剣の切っ先が腐喰いの首の付け根を捉えた。
「BUGYAAAAAAAAAAッ!?!?」
腐喰いの悲痛な叫び声が辺りに木霊する。
ルキナの持つ短剣はそれを知らぬかのように、無慈悲にその首を切り裂いていく。
肉が裂ける音は、もはや斬撃のそれではなかった。
丸太のような首を、上から下へ。皮が裂け、脂が弾け、太い筋が次々と断たれていく。
少女の全体重の何倍もの重さを乗せた刃が、太い首をまっすぐ縦に割り落としていく。
硬い音がいくつも連なって、最後にひときわ大きく弾けた。
そして――
「BU、GA――」
そんな小さな鳴き声とともに、その巨大な頭が落ちた。
胴から切り離された頭部が菌床へ転がり落ちる。断面から黒い血が噴き上がった。
支えを失った巨体がたっぷり一拍を置いて傾いだ。三メートルを超える図体が、ゆっくりとそれから一気に崩れ落ちる。
どおん、と地が揺れた。
背の傘がいくつも折れ、噴き上がった胞子と血が、辺り一面に降りかかる。
森の頂点は、少女の放った一太刀でただの肉に変わった。
血の雨の中が降り注ぐ場所を避け、ルキナは地面に降り立った。
膝を折って衝撃を逃がし、すぐに立ち上がる。短剣の重さはもう元へ戻っていた。
ローブにはね跳んだ黒い染みも気にせずに、刃に絡んだ汚れだけを軽く振って落とす。
少女は息ひとつ、乱れていなかった。
ルキナが、こちらへ歩いてくる。
短剣を鞘へ戻してソラの前にしゃがんだ。赤い目が伏せたソラの顔を覗き込む。
「だいじょぶそ?」
「うっさい、わ」
無表情で煽ってくるルキナに対して、咳の合間にソラはそう返した。
そのソラの様子を見たルキナは、何も言わずに彼の腕を取った。
「よいしょ」
小さな手に引かれてソラは半身を起こす。近くの倒木に背を預けて、ようやく座る格好になる。
喉の奥はまだ苦い。指の先にも力が戻りきっていない。
「ぐっ……」
呻きながら、ソラは腰の革袋――壺中嚢に手を入れた。
見た目の何倍も呑み込むその小袋の中から、指先で目当てのものを探る。少し探れば、冷たい硝子の感触。
取り出されたのは、小さな硝子の瓶だった。中で揺れているのは緑の液体。
その口にされた栓を、満足に動かない手ではなく、歯で噛んで抜いて、
「んぐっ」
瓶を呷って中身を一息に飲み下した。
苦い。喉の奥の苦みに、薬の苦みが重なって思わず顔をしかめる。
だが効果はすぐに来た。
胃の底からじわりと熱が広がる。その熱が血に乗って手足の先まで巡っていく。
重かった腕が軽くなる。力の入らない右脚に、徐々に自分の感覚が戻ってくる。
「……ふぅ」
調子を取り戻し始めた自身の体に、ソラの口から安堵の息が漏れる。
先程の液体は解毒のポーションだ。それはヴォルフの店で他のポーションと一緒に見繕ってもらったうちの一つ。
ヴォルフは恐らくはこういう事態を予期していたのだろう。
本当に良い買い物をしたと思いながら、倒木に手をついてソラは立ち上がった。今度は膝も笑わない。
そして、ルキナのことを睨みつける。
「……フォロー遅くね?」
口を衝いて出るのは、先ほどの状況への愚痴。
弾け茸を踏んで窮地に陥ったのはソラだが、そもそもルキナの助けが遅かったのだ。
だが、睨まれたルキナは、悪びれもしない。
代わりに、くいと顎で森の奥を示した。
「……?」
意味が分からずソラはその方を見た。そして理解した。
倒木の陰、菌糸の柱の向こうにもう一つの影が転がっている。
腐喰いだ。今しがた倒したものと、同じ姿。背の傘が潰れ、菌床に平たくめり込んでいる。とうに事切れていた。
二体目。
つまりこういうことだ。
ソラが一体目と殴り合っている間に、もう一体が森の奥から寄ってきていた。
ルキナはそれを先に潰してから、ソラのところへ戻ってきたのだ。
助けが遅れたのはそれが理由。
「……なるほど」
「ムフン」
ルキナを見る。少女は、そのふくよかな胸を自慢げに張っていた。
いつもは何の色もないその顔が、今は少しだけ得意げに見える。
フードの下の赤い目が、褒めろとでも言いたげにソラを見上げていた。
「……ありがとう、助かった。あと、愚痴を言って悪かった」
「ふふん」
ソラの感謝と謝罪の言葉に、ルキナは満足そうに鼻を鳴らす。
仲間というのは、こういうものを言うのだろう。ソラには、まだうまく馴染まない言葉だったが。
そんな少女を見ながら、ソラは再び思う。
――これなら行ける。
チカラと、装備と、そして仲間。
今まで得たことのなかった全てを手に入れて、ソラとルキナは再び歩き出す。
八層への入り口は、もう近い。
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