宴と殺戮③
「……なるほどなぁ」
惨憺たる殺戮を、金髪の少女――ククリは奥の卓から静かに見届けていた。
彼女の目の前には、二つの死骸。
腰から上下に裂かれたものと、首から上が消え失せたもの。
床には血と肉の欠片が散り、壁にはペンキじみた赤が飛んでいる。
ククリの白い衣には、一滴の汚れもない。
その代わり、近くの卓の客は、頭から血を浴びて石像のように固まっていた。
血と、汚物と、死の匂い。
酒場に似合わぬそれらは、処刑場のものと変わらない。
正に、地獄絵図。
彼女が見た目相応のただの少女であったのなら、とうに失神していただろう。
だがククリは、眉一つ動かさない。
死体も血の匂いも、固まる客も、彼女の関心の外にある。
商売の天秤に乗らないものは、彼女にとって存在しないも同然だった。
他人の生き死に等、心底どうでもいい。
彼女が見ているのは、ただ一点。
たった今、二人を屠った、あの青年のことだけ。
「ベヒーモス殺し……嘘とは思うてへんかったけど」
上位冒険者二人をいとも容易く屠るその実力。
やはり、自分の目に狂いはなかった。
カルデア中の誰もが見抜けなかった掘り出し物を、少女だけが拾い上げた。
その事実が、商人としての矜持を静かに満たす。
ただ――と、少女は薄い眉を寄せた。
「はははっははははっははあははハハハッ!!」
上げる哄笑は甲高く、その貌は狂気に歪んでいる。
先程までの冷静な印象はどこへ行ったのやら、今、そこにいるのはただの狂人でしかない。
……狂人?
否――悪魔。そう呼ぶ他ないだろう。
そのチカラは人の身を遥かに超えている。
この化け物からどうやって利益を生むべきか。
ククリはひたすらにそれだけを考えていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「はぁ……つまんねーな」
ひとしきり笑い続けたソラは、瞬時に真顔に戻る。
先ほどまで狂態がどこへ行ったのやら、すんと冷めた表情で自分が殺したトールズの死骸を見下ろしている。
凪いだ顔には罪悪感は無い。感情も、感慨もない。
「ああ、つまらない。これがイエソド上位か。これがカルデアか。弱いし、狭いし、臭い」
ぼやきながら、右手に纏わりついた血を振り払って周囲を見渡す。
先ほどまで、ソラのことを蔑み嗤っていた冒険者たち。その中には昼間にソラのことをペテン師と言っていたものも何人かいる。
彼らは今、恐怖に支配され、ソラと目を合わせないように、俯いてじっと固まっている。
なんてつまらないのか。
イエソドという狭い世界を抜け出せば多少は変わるのかと思っていた。
カルデアという新天地では違う景色が見られるものかと思っていた。
だが違った。ここもイエソドと対して変わらない。
弱者を蔑み、虐げ、縛ろうとする。
そのくせ、上位者を恐れ、虐げられ、縛られることが骨まで沁みついている。
自分より下を見つけては安堵する、束縛されることを是とする奴隷の集団。
こんな奴らなら――
「皆殺しでもよかったな」
ククリと出会う直前に考えていたことを思い返しながらそう呟く。
そして、それを聞いた近くの客が、顔を俯けながらびくっと震えた。
そのザマすらもがソラにとっては不愉快だ。
気持ち悪くて、見るに堪えない。
「……まぁいいや」
だが、今となってはどうでもいい。
元々の目的は達成し、必要なものは手に入った。
気持ち悪いだけの無価値な連中。そんなものなど、殺す時間すら勿体ない。
周囲の哀れな有象無象を無視して、ソラは振り返る。
その先にいるのは、最後の獲物。
「残りはお前だな」
茶髪の男――エルタ。彼はまだ壁際にいた。
腰を抜かしたまま、ぺたりと尻を床につけて、両足を投げ出している。
顔は土気色を通り越して、もう死人と変わらない白さだった。
それもそうだろう。二人の仲間の死を、彼は目の前で見ていた。
彼だって冒険者だ。
目の前で人が死ぬところなど何回も見たことがある。塔内での小競り合いの結果、同業者を殺したことだってある。
だが、仲間が、十年を共にした戦友が死ぬのを見たのは初めてだった。
十年。苦楽を共にした、十年。
その重みの全てが、今、目の前で肉の塊に変わった。
「あ、あ……」
エルタの喉から、意味をなさない音が漏れる。
涙が頬を伝って落ちる。恐怖か、悲しみか、自分でも分からない。
ただ、体の震えだけが止まらなかった。
ソラはゆっくりと、彼の元へと足を進める。
床にまき散らされたトールズとクロウの血を踏み潰すたびに、べちゃりと湿った音が鳴る。
「ひ……ッ」
エルタの喉から出るのは、掠れた悲鳴。
最早、彼の頭の中には抵抗という選択肢はない。
壁に背を押し付けたまま、足で床を掻くが、後ろにはもう壁しかない。
逃げ場等、どこにも無いのだ。
ソラは、そんなエルタをただ見下ろしていた。
その目に、憐れみはない。怒りも、嘲りもない。
道端の石を見るのと何も変わらない目だった。
エルタの目の前に立ったソラが、一言。
「お前、金はあるか?」
彼は、エルタのことをじっと見つめていた。
「か、金……?」
エルタの口から、掠れた声が漏れる。震える喉が、その単語を必死に反芻する。
金。財布。それはすなわち――助命の対価。
絶望に埋め尽くされた頭の中で、生き残りの目がちらりと光った。
ソラの問いかけは、彼にとって唯一の蜘蛛の糸だった。
これを掴めば、まだ生きていられる。
そう、思った。
「あ、ある……ある!」
ガクガクと震える手を必死に懐へと這わせる。指先が言うことを聞かず、何度も革袋の縁を取り損ねる。
冷や汗で滲んだ指が、ようやく袋の口を捉えた。
「これが、俺たちの金、全部……ッ」
エルタは、震える両手で、革袋をソラの方へ差し出す。
中で硬貨が、ぐしゃりと重い音を鳴らした。
彼はチームの資金管理担当。
チームの金は全てエルタが一旦管理し、その中から個人への分け前を配分したり、チームの資金を確保する。
つまり、その袋は、彼らのチームが冒険者として何年も貯めてきた全てであり、チームの十年の集大成である。
そして、チームが崩壊した今、その全てがエルタの命の対価となる。
「た、助けて、これで、ゆるして……!!」
縋るような視線がソラの顔を見上げる。
土気色だった顔に、わずかな血の気が戻る。
助かる、かもしれない。死なずに、済むかもしれない。
そんな淡い希望が、エルタの中で、ちらちらと灯った。
仲間を殺されたことに対する怒りや、憎しみの感情はない。
あるのはただ、死にたくないという一心。
そのために、今まで仲間と一緒に集めた冒険の集大成を、エルタは容易に手放した。
ソラは無言のままにその革袋を受け取った。
その中身をちらっと見て、そしてエルタを見下ろす。
その目は、何も変わっていない。
「あ……ありがとう、ござ――」
自分だけが助かるという喜び。
エルタの口から、感謝の言葉が漏れかけた――その瞬間。
ソラの右足が上がった。
「え」
エルタの目が見開かれる。
何が起こったか理解する暇もなかった。
ソラの踵が、エルタの頭に向けて落ちた。
ぐしゃり。
頭蓋が陥没する音。
壁に、薄い赤の飛沫が散った。
エルタの首から上は、もう、形を保っていなかった。
それきり、エルタは動かない。
ソラはゆっくりと踵を上げ、靴底を横の死骸に擦り付ける。
こびり付いた何かが、別の何かと混じり合って床に落ちた。
人を踏み潰せば、靴底に汚物が付く。汚物が付いたまま金を取り出せば、金も汚れる。
だから先に、金を出させた。
ただ、それだけのこと。
エルタの命を救うつもりなど、最初から欠片もなかった。
「……ふー」
ソラが、一息吐く。全て終わったのだ。
先程までの喧噪はもうどこにも無かった。そして、他に無くなったものは3つの命。
足元に転んだ死骸を、冷たい目で一瞥したソラは酒場の方へと振り返る。
「他にこいつらの仲間はいるか?」
静まり返った酒場の中で、その問いかけは全ての客と店員に届いた。
「あとから復讐とかされるのは面倒だ。いるなら、さっさと出てくればいい」
無言。
誰も、その言葉に返す者はいない。
実際、この場には彼らと同じチームの人間はいなかった。
酒場で酒を酌み交わしたことがある程度の浅い関係でしかない。
数十の喉が、揃って沈黙を選んだ。
返事はおろか、咳一つ、椅子の軋み一つ立たない。
卓の上の杯を握る指だけが、持ち主の意思を離れて小刻みに揺れている。
ソラの問いに答えるということは、ソラの目に映るということ。
その意味を、この場の誰もが本能で理解していた。
「ふーん」
答えが返らないと知って、ソラの目から重さが抜けた。
青い視線が、客たちの顔を順に撫でていく。だが、どの顔にも焦点は結ばれない。
並んだ顔は、ソラの内では並んだ酒瓶や椅子と同じ陳列でしかなかった。
誰が誰の顔をしているか、ソラはもう確かめもしない。
「まあいっか。どうせこんな奴らしかいないなら、いつこようがどうでもいいな」
その言葉は、ソラにとって蔑みの言葉ではない。
それはただの事実だ。周囲の冒険者全員が、己を害することなどできないと判断した故の発言。
声も上げず、蹲って、ソラが過ぎ去るのを待つだけの存在。
スラムで良く見た弱者たち。ぬかるんだ路地の隅で、痩せた背を丸めていた者たち。
彼らはそろって、それと同じ目をしていた。
ソラはもう、彼らを見ない。
首だけを動かして、視線を床へ落とす。
そこには三つ。
腰から二つに裂けたクロウ。頭部を失ったトールズ。頭蓋の陥没したエルタ。
無惨な死に方をした屍達。血と肉で塗れたそれら。
そこから流れる血と汚物が、酒場の床を真っ赤に染め上げている。
そんな汚れた死骸には、しかしまだ有用性がある。
「とりあえず剥ぎ取っとくか」
彼らが身に着けている、上等な装備の数々。
クロウの腰の細剣、トールズの厚革帯、エルタの首から下がる小さな魔導具。
どれもイエソド上位の冒険者として、数年かけて積み上げてきた一切だろう。
それらの全てを、ソラは死体からむしり取っていく。
まるでモンスターを倒した後、塔内で素材を剥ぐように、ソラはそれら全てを自分のものだと認識していた。
それは正しくスラムの論理。
弱者に尊厳等ない。
命亡き者には何も残らない。
強者だけが生き、全てを奪う。
倫理観のかけらもないそんな思考が、ソラの根幹には根差していた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
死体から使えるものを物色し始める青年。
その背中をじっと見つめながら、ククリは先程の光景をもう一度頭の中で再生する。
クロウと呼ばれた男は、腰から上下に裂けた。
腕を一振りしただけで、人体が縦に千切れた。
どれほどの膂力があれば、そんなことになるのか。
そもそも、それは物理として起こりうることなのか。
肥えた大男は、顔面に拳を一発受けて死んだ。
頭の中に火薬でも仕込まれていたように、殴打と同時に弾け飛んだ。
だが、ククリが舌を巻いたのは、そこではない。重要なのはそこに至るまでの、速さ。
ククリの目では、青年が動いた瞬間を捉えられなかった。
瞬き一つの間に、十を超える土の槍が砕かれ、巨漢の頭が消えていた。
人外の膂力と、底の見えぬ速度。
そのトリガーとなった、右半身の刺青から噴き出す、あの蒼い光。
カルデアの上澄み三人を、いとも容易く皆殺しにしたそのチカラ。
その能力こそが、ベヒーモスを殺せた理由だろう。
ではそのチカラの詳細は何なのか。
「……わからへんなぁ」
魔術によるものには思えない。
かといって、界約で出来ることでもない。
何かしらの特殊なマジックアイテムの類かとも思ったが、それも違う気がする。
そのチカラは、彼女の知るどの分類にも当てはまらない。
「くふふ」
ククリは嗤う。
分からない。
分からないということは、値が付けられない。
それはすなわち、青天井ということ。
「流石は、悪魔狩り……この階層程度にはとどまりそうもないなぁ」
ククリの脳裏に、一人の上客の顔が浮かんだ。
ここより遥か上、"美"の階層に座す、一人の少年。
彼女の仕入れる素材や、アイテム、そして情報を高値で買い続けてくれる最良の取引相手。
そんな彼は、近ごろ、ある"商品"と"情報"を探しているという。
ちらりと、ククリの視線が酒場を流れた。
血の海の中央で、悠然と死骸を漁る青年。
彼の羽織る外套には、聖炎騎士団の紋章が付いている。それに、腰に差した細剣には、とある貴族の印章が刻まれていた。
そして、それを微塵も気にせず卓で頬杖をつく、白髪赤目の少女。そのフードの中には、息を呑んでしまいそうなほどの美貌がある。
間違いない。
求められていた二つが、揃って少女の目の前にある。
「えらい奇跡もあるもんやなぁ」
無論、今すぐ売るつもりはない。
目の前の二人は期待のできる金ヅルにして、大事な商品でもある。
青すぎる果実は、安く買い叩かれる。
熟させて、値が極まったその時に、最も高く買う相手へ差し出す。
それが商いというものだ。
「精々、立派に育っとくれやす」
ククリは、誰もいない方へ、薄く嗤った。
その金の瞳は、血の海の真ん中ではなく遥か頭上の階層を見ている。
酒場の惨状など、もう、彼女の眼中にはない。
あるのは、これから積み上がるであろう、莫大な蓄財の予感だけ。
フードの下で微かに笑うククリの姿を、ルキナだけがじっと観察していた。
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