宴と殺戮②
静寂。
店の音が、死んだ。
先程までの喧噪は嘘のように遠のき、代わりに訪れたのは痛いほどの静けさ。
笑い声も、卓を叩く音も、一斉に消えた。
まるで時間が止まってしまったかのように、店内の全てが凍り付いていた。
中心に居たのは、ソラ。
その右半身の蒼の紋様の微かな輝きが、明るいはずの店内にどこか暗い影を落としている。
傍らには真っ二つの人の死骸。少し前までクロウと呼ばれていた人物の成れの果て。
グチャリと湿った音が響く。
それはクロウだったものの中身が零れ落ちる音。
流れ出した赤が床を染め上げていき、店中に鉄の匂いが広がっていく。
それは血の匂い。
そして――死の匂い。
「こうなると面倒なんだよ」
無音の中で、ソラが独り言つ。
言葉と同時に、その蒼の輝きが消えていく。
束縛者の喪失によって、彼の異能が意味を失う。
しかし、それはこれで終わりということを意味しない。
ソラは足元に転がった下半身をつま先で軽く小突いた。
びくりとも動かぬその死骸。それを冷たい目で見下ろす。
「まぁでも仕方ないよなぁ…コイツは俺の邪魔をしたし」
それは自分か、あるいは連れのルキナとククリに向けた言い訳の言葉。
ソラにとっても、本当はこんなことをしたくはなかったのだ。
どれだけ罵倒されようが、嘲笑されようが、本当にどうでもよかった。
ただ仲間に手を出されるのが不愉快だったから、制止しようとしただけ。
そしたら相手が縛ってきたから。邪魔だったから。
「なら――ちゃんと殺さなきゃな」
邪魔、といってもそれは些細なものだった。
ただ襟元を掴んで、ソラの目の前に立ちふさがっただけ。
人によっては邪魔とすら思わないような、ただ、ちょっと突っかかってきただけのことかもしれない。
しかし、ソラはそれを我慢できない。
彼は自分の『自由』を阻害するものを全て破壊する。
たとえそれが誰で、そこがどこで、どの程度の拘束であろうと関係ない。
「ああ、面倒くさい」
言いながら、ソラの蒼い目が、ゆっくりと動いた。
向かう先は二人。
クロウと共にソラを囲んでいた、残りの男たち。
茶髪に包帯を巻いた男――エルタ。
でっぷりと太った巨漢――トールズ。
二人とも、腰を抜かしたように、その場で固まっていた。
仲間の上半身と下半身を、交互に見ている。
信じられない、という顔。酔いの赤がみるみる引いて、土気色に変わっていく。
「お、おい……」
エルタの喉からは、掠れた声が漏れた。
後ずさろうとした足が、床に伝った仲間の血を踏んで滑る。
べちゃっという重く湿った音を立てながら、エルタは尻もちをついた。
無様な体勢。顔に浮かぶのは、仲間を殺された怒りではなく、突然の出来事に対する驚愕と――恐怖。
先ほどまで上から目線でソラを挑発していた男はそこにはいない。
そこにいるのは、追い詰められた哀れなネズミの群れのその一匹。
「仲間がいる奴は本当に面倒だ。復讐なんてつまらないことをされないように、やるときは根こそぎ潰さなきゃいけない」
青い瞳が足元の男、エルタを見据える。
その中に浮かんでいるのは純粋な殺意。ただそれのみ。
ソラからすれば、殺したかったのは先ほどの男一人だけ。
あとの二人には怒りとか憎しみとか、そう言った負の感情を一切持っていない。
ただ、先ほどの男の仲間だったらしいから殺す。
本当にただそれだけに過ぎない。
「ひっ……」
エルタの喉が鳴った。
彼は腰を抜かしたまま、土間を後ろへと這っていく。
ずりずりと音を立てて、床についた仲間の血の痕を延ばす。
その後をソラは歩きながら付いていく。
「さっさと終わらせよう。後が残ってる」
そう呟きながら一歩、また一歩と獲物に近寄ってゆく。
それは狩りか?
いや、違う。ソラからすれば、それは殆どゴミ処理か何かに等しい。
面倒だがやった方が後が楽。本当にただそれだけ。
「来るな……来るなッ!!」
エルタが叫ぶ。顔面は蒼白。顔を伝う冷や汗が床に落ちて、仲間だったものの体液と混ざる。
そして――エルタの動きが止まった。
「あ……」
エルタが振り返れば、そこにあったのは壁。
後退し続けていた彼は、いつの間にか酒場の壁にまで追い詰められていた。
逃げ場は、ない。
そして、目の前には、悪魔。
ソラは変わらず無表情。ただ冷徹に、目の前の処理対象を見つめている。
「それじゃあ――」
右足が上がる。
それはまるで、足元の小さな虫を踏み潰す時のような、そんな動き。
「死ね」
ソラが短く呟く。
それと同時に、その右足がエルタの頭を目掛けて、落ちてくる。
酒場に居た全員が、その後に起こる殺戮を幻視した――その瞬間だった。
「オオオおぉぉおッ!!」
ソラの背後から獣のような咆哮が上がった。
そして、足元に違和感。床がミシミシと音を立てて蠢きだす。
【穿てェぇぇぇエッ!!】
そして、その声が響いた瞬間――何かがソラの足元の床を突き破った。
先のとがった、茶色の、槍。
それは土だった。
突如として地面から隆起した土の槍が、店の床を突き破って、ソラのことを突き刺さんと迫りくる。
並みの冒険者であれば避けられないであろう、死角からの強襲。
「おっと」
そんな一撃をソラは半歩下がることであっさりと避ける。
そして振り返れば、
「テメェ……ッ!!」
肥満体の男――トールズと呼ばれていた巨漢が、立ち上がってソラのことを睨んでいた。
その顔と目が、真っ赤に染まっている。
それは勿論、酔いではなく、怒りと憎しみ。
あふれ出る涙が、頬を伝って地面に落ちていく。
「許さねェッ……!!」
10年。
彼らの付き合いはもうそれぐらいにはなる。
そして五層を超え、この街にたどり着いたのは2年前。やっとの思いで"壁"を乗り越えて、イエソドの中でもトップ層に上り詰めた。
苦しいことも、つらいことも山ほどあった。怪我することも、挫折することも、いくらでも経験した。
それでもクロウとエルタとトールズの三人はそのすべてを乗り越えて来た。
あともう少しのはずだ。
あともう少しで上層まで、まだ見ぬ階層にまで至れるはずだ。
そう思っていたのに。
「ぶっ殺してやる!!」
殺意に吠えるトールズの周囲の床が再び蠢きだす。
ミシミシと音をたてながら、床の板材にひび割れが起こって、
【穿てッ!!】
トールズが、もう一度、そう叫んだ直後、彼の周囲の床から、土の槍が飛び出した。
その数、合計五本。全てが細く、硬く、練り上げられた形状をしている。
その強度はそこらの岩や石等よりも遥かに強く、殆ど鋼といって差し支えないほどだ。
これこそが彼の持つ技術、土操作の魔術。
彼を上位の冒険者たらしめるものは、イエソドの中でも珍しい、魔術を扱えるその才能と技術、そして教養。
そんな五本の槍が、左右からソラに向って迫る中、
「しょうもな」
一言、ソラはそう呟いて、前に出た。
歩幅は変わらない。速度も変わらない。
ただ、まっすぐ歩いた。
左から迫る一本目、ソラは首を僅かに傾けて避けた。
右から迫る二本目、肩を軽く引いて避けた。
左右同時に来た三本目と四本目は、腰のひねりだけで二本の間を抜けた。
そして、最後の五本目。それは真っ直ぐソラの心臓を狙って飛んできた。
ソラは避けなかった。
ただその穂先を見据えながら、土槍の柄を左手の甲で払った。
カン、という高い音が鳴った。
そして――ぽきりと折れた。
鋼に等しい硬度を持つ土の槍が、子供を払うかのような気軽な手の動きで折られた。
魔術による制御を失ったのか、折れた先の土が霧散し、宙を舞う。
「な――」
トールズの口が半分開いたまま固まる。
思わず、怒りと憎しみを忘れて、目の前の光景を呆然と眺めてしまう。
多方向から迫る、自身の土の槍。
硬く、どこまでも伸びるソレは、対人では絶大な効果をもつはずだった。
それが全て、児戯のようにあしらわれる。
4本は最小の動きで躱され、そして一本は素手で簡単に折られる。
――ベヒーモス殺し。
その単語が、頭の中をよぎる。
彼らがホラだと決めつけたそれが、酷く現実味を帯びてくる。
――いや、違う!
つまらないものを見るかのような、ソラの目。
それに対する恐怖を、否定で無理やり塗りつぶす。
違うはずなのだ。何もかもが間違っているはずなのだ。
クロウが死んだことも、今、新入りが自分を見下していることも、全てが間違っている。
「違う、違う、違うッ!! 違うッ!!」
トールズが叫んだ。
頭の中の現実を打ち消すように、認めまいとするように。
その瞬間、彼の周囲の床が三度、蠢きだす。
【穿てッ! 穿てッ! 穿てぇえええッ!!】
トールズの足元から、新たな土の槍が幾本も突き出した。
先程の倍以上、十三本。
細く硬く練り上げられた死の刃が、床を突き破って四方八方からソラを狙う。
魔術の連続行使。
それはトールズにとっても、相応の精神力を削る行為。
痛む頭。今にも倒れこんでしまいそうな程の倦怠感。
しかし、トールズにはそれを惜しむ余裕などない。
殺す。
目の前の悪魔をなんとしても殺さなければ、自分が殺される。
それだけが、肥えた巨漢の頭の中の全てだった。
目の前に迫ってくる槍。しかし、ソラは微塵も臆していない。
五本が十三本になったところで、ソラにとっては何も変わらない。
彼にとってみればその能力はベヒーモスの劣化版。
数百を超える鋼、無数の死兵を操る巨獣と比べると、トールズの能力など塵にも満たない。
「だから同じだって――」
詰まらなさそうに、一言呟く。
そして、ソラが再度前に歩き出そうとした――その時。
足元に何かが絡んだ。
「――」
右の足首を見れば、そこにあったのは土で出来た縄のようなもの。左にも同じものが巻き付いている。
土の槍と同じ様に硬く練り上げられた土は、重く、そして強く、両足を地面へと引っ張り、ソラのことを離さない。
それは正しく、土の鎖。
トールズが目を血走らせながら獰猛に笑う。
端から、数を増やしたところで、土槍が当たるなどとは思っていない。
十三本の槍に目線を向けさせながら、先ほどの五本の槍を構築していた土を操作し、鎖へと加工。
それを気づかれないように、慎重に動かす。音もたてずに床を蛇のように這う、土の鎖。
そして、今、ついに鎖がソラの足に絡みついた。
「ハッ! ハッ! どうだッ!」
トールズが叫んだ。
土の鎖は、彼の極限の集中力により、これまでにないほどの精度、強度で緻密に編まれたものだ。
それが足首を締め付けながら、地面に引きずりこまんばかりに、その足を縛り付ける。
こうなってしまえば、もう詰みだ。
両足を縛られて動けなくなったソラに、十三本の土の槍が四方から迫る。
血走った目の奥に、勝利の色が灯る。
もうソラは槍を躱すことは出来ない。
例え先程のように槍の一本や二本が破壊されたところで、十三本の槍を捌き切ることは不可能だ。
トールズの口から、引きつった笑い声が漏れた。
仲間の仇が、取れる。
そして自分も生き延びる。
だがその時、トールズは見た。
ソラの目が、自分の足元へ向いていた。
ゆっくりと、確かめるように。
両足首に巻き付いた、土の鎖を見下ろしている。
冷たい目。
感情が消えているようにすら見えた。
だが、違う。今までの無感情とは相反する、あまりにも極大な感情が、その目には渦巻いている。
それは、即ち――怒り。
「お前」
ソラが低く呟いた。
右半身の紋様が、また蒼く光る。
クロウを殺した時と同じ蒼。否、それよりも深く、強い、店内の光を搔き消すほどの蒼。
「俺を縛ったな」
その呟きが口から漏れた直後――蒼が、爆ぜた。
最初に、店が崩壊したかと思うほどの、音と衝撃。そして、強烈な蒼の光。
それらが店内を奔ったかと思えば、トールズの視界の中からソラが消えていた。
その脚に絡みついていたはずの鎖もどこにもない。
それどころか、十三本の土槍もいつの間にか消えている。
空中を漂う土埃だけが、それらが確かに存在していたことを証明していた。
トールズの目が、見開かれる。
詠唱を継ぐ口は、もう間に合わない。
追加の魔術を起こす意識も、間に合わない。
何故なら、もう、それは目の前に居るから。
「……あ」
視界から消えたソラ。
それはただ、消えたように見えただけ。
実際は――彼はたった一歩で、ソラはトールズの目の前に立っていた。
その瞳がトールズを見据えている。
その口がトールズを嗤っている。
「ま、」
トールズが口を開く。
何かを言おうとした。詠唱か、命乞いか、それとも別の何かか。
それは、もう、誰にも分からない。
「死ね」
何故なら――ソラの右拳が、トールズの顔面に低く深く突き刺さったから。
瞬間、何かが破裂するような甲高い音が店内に鳴り響いた。
彼の肥えた頭部が、消え失せた。
店内に、何か細かい物が飛散する。そして周りにいた客や店員の全てに降りかかる。
赤色、白色、黄色、様々な色をしたそれは、骨と血と脳漿とその他諸々。すなわち、トールズの破片。
近く居た客は服や装備を真っ赤に染め上げられながらも、あまりにも唐突な出来事に、ただその場に固まることしかできない。
まるで、ペンキでもぶちまけられたかのように、店内は鮮やかな赤に染まっている。
そして、赤い染みの真ん中に、ソラと、頭部を失った巨体だけが立っていた。
その死骸を見ながらソラは嗤う。
「大分汚しちゃったなァ」
頭のない巨体が、糸を切られたように崩れ落ちる。
ぼたん、と。肉が土間に落ちる音。
それきり、トールズは動かなかった。
誰もしゃべらない。音も立てない。
ただ、黙って、嵐が過ぎ去るのを待つように、その場でじっと固まっている。
「ぷ――」
そんな、静まり返った世界で、ソラの喉から最初の一音が漏れた。
低い、湿った音。
店内の沈黙が、その一音で破られた。
「く、はは」
二つ目。
肩が、震え始める。
「あはは――ああひゃあはハハハハハハハハッはハハハッ!!」
それは、笑いだった。
顔の半分を蒼に染めたまま、無惨な死体の前でソラは笑っていた。
歯を剥いて喉の奥を晒し、空に向かって。
それは何かを嘲るでもなく、何かを楽しむでもない。
ただ内側から溢れ出るものを抑える術を、ソラが持っていないだけ。
縛られた、その怒り。
縛った者を破壊した、その解放。
両者が一気に体の中で混ざり合って、笑いという形でしか出口を見つけられないでいる。
「ひゃハハハハハッ!! ハハあああはッははハハハハハッ!!」
ソラの笑い声が、店内に響き渡る。
誰も動かない。
誰も声を上げない。
ただ、ソラの狂気の笑い声だけが、店内の空気を支配していた。
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