長期的な利益③
「くふふ……権限?」
少女は嗤う。
まるで、子供の戯言を聞いた親のような、穏やかで、しかし見下した笑み。
淑女のようなその顔で、しかし、どこか狡猾な狐のようにソラのことを嘲笑う。
「そんなもん使うたら、商人としては終わりですよって」
「……」
ソラはただそんな少女を黙って見つめている。
怒りも、殺意も何もない。ただその目の中にあるのは少女への純粋な疑念だけ。
そして、彼のその様すら少女のツボに嵌っている。笑い続ける少女には何一つ理解していない彼のことが滑稽に見えて仕方ないのだろう。
「まあ商人じゃないあんさんにはわからないかもしれんから、教えといてあげましょか」
ククリは嗤いながら、ソラの目を真っ直ぐと見つめた。
「ウチにとって、この世の全てとは銭や」
ソラを見るその視線が、上から下へと動いて、その全身を嘗め回す。
その目の動かし方は、目の前の商品の価値を見極めようとする商人そのもの。
黄金の瞳が、ソラを見定めている。
「飯も、服も、家も。老いも、若いも、男も、女も。そして生きるも、死ぬも。この世の全部は銭次第でなんでも買える」
ソラよりもさらに若い、小さな娘が語るには、どこか重すぎるその語り口。
少女の語るその言葉には、深い実感が籠っていた。
「それはつまり、全ては銭さえあれば何とかなるということや」
少女の言うことはソラには分からない。
ソラにとっては、金とはそこまで重要なものではない。
あったらうれしいが、必須ではない。ソラが奉じる『自由』のための礎の一つに過ぎない。
しかし――ククリにとってはそうではないと、ソラは直観した。
彼女の口から出たその言葉は、嘘偽りなき少女の本心のような気がするのだ。
ソラが『自由』を追い求めるように、ククリは金に焦がれている。
「やからウチは、全ての銭が欲しい。そのために搾り取れるもんは全部搾り取る。全てをウチの財とするまで、余さず残さず貪り尽くす。それこそがウチの哲学ですわ」
つまり、彼女の本質とは、強欲。
全ての財貨を貪りたいという欲望が少女の中で渦を巻いている。
しかし、その"欲"はただ奪うというものではない。
少女の本質は、その程度の浅い欲望ではない。
「やけどな、絞るためには必要なモノがある」
「……?」
「"信頼"や」
話が分かっていないソラの疑問に、少女は先回りして回答する。
「"信頼"がなければ、客はウチに貢がへん。そして、権限を使うことは"信頼"を失うということや。権限を使われた相手に取引なんてせえへんやろ?」
絞るためには、"信頼"を得なければならない。
客が、自ら進んでククリに財を差し出すようにしなければならない。
その存在がもつすべての財貨をむさぼるためには、一時全て奪うだけでは足りないのだ。
少女の欲望は、現在という一瞬ではなく、未来の、人生全体で得られる財貨をこそ求めている。
つまりは、短期ではなく、長期的な利益。
「だからウチは権限なんて使わへん。殺して奪うなんてこともしない。長く、長く、延々と。その客が生き続ける間中、ずっと絞りつくすために、命も信頼も欠かさへん」
目の前のこの少女が語ったのは、慈悲でも、善意でも、無い。
それは徹底した搾取の宣言だった。
「つまり――これは投資や」
そして話が戻ってくる。
何故、少女がソラ達に徳のある取引をするのか。
「ウチは、あんさんら二人が、ここより上に必ず登っていく、と"信頼"して投資しとるんよ」
少女の語った哲学。恐らく嘘のかけらもない、その本心。
それに照らし合わせれば話は単純だ。
客からより多く絞るためには、その客がより多く稼ぐようにならなければならない。
そして、そんな客から利益を貪るためには信頼を得なければならない。
故に、投資。信頼と、稼ぎ。どちらも獲得するための一挙両得。
「だからこそ、最初の投資はド派手に。後で返ってくるリターンが大きくなるよう盛大なものを提供する」
黄金の目が二人を見つめている。
否、その瞳が見ているのは二人の背後に広がる宝の山。即ち、将来二人が稼ぐであろう銭。
貪欲なる妖狐は、それを獲物に見定めた。
「お二人さんは上へ、上へと、登っておくれやす。いつかウチがぎょうさん絞りつくせるように」
少女は嗤う。
細められた目から覗く黄金は、どこまでも冷徹に目の前の利益を見つめていた。
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「ま、そういう理屈で、ウチはお二人さんに良くしたいんよ。納得いきますやろか?」
少女は再び目を細め、その強欲な視線を断ち切って微笑む。
その軽い笑いからは、先ほどの強欲で狡猾な感じはしない。
まるで、先ほどまでとは別人のような、そんな変わり身の早さ。
「いかれてる」
そんな少女に対して、端的な感想を呟くルキナ。
ルキナの言う通り、少女の言葉が本心だとするならば、いかれてるとしか言いようがない。
その考えがというよりは、その本心を客を目の前にして語って見せるその精神性が。
「……」
ソラはただ、黙って考える。
今の話に裏があるかどうか。
隠していることはあるかもしれない。
語っていない細部が、別の考えもあるのかもしれない。
そんな、色々な考えが頭の中をよぎる。
しかし――少女は、その本心を騙ってはいない。何となくそんな気がする。
強欲にして、狡猾。
金のことしか頭にない、狂人。
人の価値を稼ぐ財貨でしか見ていない、異常者。
少女はソラとルキナではなく、二人が稼ぐ金のことしか見ていない。
利益のために誰を切り捨てるなんて、平気で出来る。
そんな人間であるということは、確かなことのように思えた。
信じることは出来ない。
しかし――
「分かった。提案を全部受け入れる」
"信頼"はできるかもしれない。
「……良いの?」
「良い。どうせ、ベヒーモスの素材なんてコイツ以外に売れそうにないしな。投資してくれるってんなら、ありがたく使わせてもらおう」
ククリはただ――こちらの価値を認めたのだ。
ただ一時話しただけのソラとルキナの価値を、その実力をどうやって見極めたのかはわからない。
しかし、二人がこれから上へと上がっていくと、少女は何故か確信した。
故にこその投資。
そう語った少女の話に嘘はない気がする。
ソラが言った直後、ぱちりと乾いた音が店内に響いた。
それは、ククリがその両手を合わせた音。
「おおきに。それじゃあ契約成立やな」
彼女の顔に浮かぶのは変わらない軽い笑み。
「ほな、さっそく、お渡しするもんから」
少女は懐から、革袋をひとつ取り出した。
机の上に置くと、中で金貨が、密に詰まった音を立てる。
「ホド金貨、二十枚。お確かめください」
ソラは袋の口を開いて、中を覗いた。
見たことのない意匠の金貨が、整然と並んでいる。
ルキナが横から手を伸ばし、一枚を摘んで、明かりに翳した。
「ぴかぴか」
ソラもルキナも、思わずその輝きに見惚れてしまう。
初めて見たホド金貨。
その艶のある黄金の輝きは、ソラですら美を感じてしまうほどだった。
「数えるぞ」
「ん」
気を取り直して、二人は袋の中を覗いて、その中の金貨を数えだす。
そして、しばらくして、目を合わせてこくりと頷く。
二十枚。合っている。
ククリは続けて、机の上の羽衣札と壺中嚢をソラの方へと押し出した。
「羽衣札、五枚。壺中嚢、ひとつ。加工屋とのつなぎはお二人さんが上層に着いてからにしましょ。そちらにもヤマト商会の出張所があるさかい、来てくれたら話つけますよって」
「……上層に行くまでにどれだけ時間かかるか分からないけどな」
「まあ気長に待っとりますよ」
言いながら、ソラは皮の袋――壺中嚢を手に取り、その中に机の上の品々を収めていった。
ホド金貨の袋。羽衣札の束。腰の核石も布で包み直してその中へ。
拳ひとつ分の口の中に、その全てがするりと消えていく。
袋に膨らみは出ない。しかし、その袋には確かな重さがあった。
そして最後に、ソラは壺中嚢の口を革紐で軽く絞った。
そんなソラを黙って見つめていたククリが口を開く。
「ほな、最後に。ベヒーモスの死骸の所有権はヤマト商会が引き取らせてもらいます。問題はありますやろか?」
「ない。回収は手伝わなくていいんだよな?」
「回収はこちらで段取りするから大丈夫ですわ。あんさんは、もう、あれのことは忘れてもろて構いまへん」
「分かった」
話しながら、ククリは机の上に置かれた鱗、牙、爪を懐へ納めていく。
やはり壺中嚢を隠しているのだろう。
一つ一つが大きいベヒーモスの素材が、次から次へと、するする服の中に消えていく。
そうしてすべての素材を納めた後、ククリはその小さな手をソラに向って差し出した。
「これで取引完了ですわ」
少女の意図を理解したソラもまた、自身の右手を差し出して、その手を握る。
色白で、か細い、少女の右手。
簡単に握りつぶしてしまいそうなそれには、しかし、商人としての重みがある。
「それじゃあ今後ともヤマト商会をご贔屓にしておくれやす。素材も武器も何もかも、儲かるなら何でも取引いたしますよって」
「また頼む」
少女はきっと、これからもソラとルキナを支援するだろう。
二人が稼ぐ限りは延々と。命が尽き果て、それ以上稼げなくなるその時まで。
「そうや!」
立ち上がり、店を立ち去る準備をしていたソラとルキナの背中に、ククリの明るい声が届いた。
「せっかくやから、一緒に飯でもどうやろか?ちょうど夜やし、お二人さんもお腹すいてるんとちゃいます?」
「めちゃくちゃ空いてる」
ソラが答えるより先に、ルキナが反応した。
ククリの声に食い気味で、しかも毅然とした表情で答えるルキナのことを、ソラは二度見した。
既に肉串を何本も平らげているはずだが、まだその腹には余裕があるらしい。
「肉?」
「肉も、魚も、酒も。なんでもありますえ。もちろん、ぜーんぶウチの奢りや」
「まじか」
「大マジですよって」
ルキナが、ソラの袖を、ちょいちょいと引いた。
無言の圧。無表情の中にあるジトっとした瞳が少し潤んで、ソラのことを見つめる。
「行きたい」と、全身で訴えている。
「お二人のお話ももっと聞きたいし、どないやろか?」
「……」
そういってお願いをするように手を合わせて頼み込むククリ。
ふんふんと鼻息荒く、ソラの袖をグイグイと引っ張るルキナ。
断るという選択肢は、ソラにはなかった。




