長期的な利益②
「死骸を丸ごと?」
「そう。今ここにある牙も爪も鱗も…五層に残る他の全ても。核石以外の全てをウチが取る」
ソラは少し考える。
死骸の所有権を譲るとはつまり、全ての素材をククリに明け渡すということだ。
元々、五層に戻って、全ての素材を運び出すというのは考えていなかった。やるとしても、価値のありそうなものだけ抜き取りに戻るかどうか。
そして、そもそもカルデアではベヒーモスの素材を買い取ろうとする人間は、この少女以外にいない。
ならば、死骸を渡すことに何ら問題はない。
ソラにとって、重要なことはただ一個。
「…見返りは?」
ソラの問いに、ククリの顔つきがほんの一段、引き締まった。
今までの軽口めいた語りとは、明らかに別の温度。本題の値踏みに入った商人の静かな顔だった。
「三つ、まとめて、お渡しします」
ククリは、合わせた両手を解いて、右手の人差し指を一本立てる。
「ひとつ。ホド金貨、20枚」
「金貨20枚……」
ソラが少女の言葉を繰り返す。
先程、核石に対してつけられた金額には到底及んでいないが、それでもかなりの大金だ。
「これだけあれば、お兄さんとお嬢さんの装備をふた揃え組んで、保存食と消耗品まで含めても、まだ半分以上余りますよって」
ソラの内側で、数字が回る。
夕方まで素材屋を回るついでに、この街の価格相場も軽く確認済みだ。
ちゃんと調査したわけではないが、少女の言う通り、それだけあれば十分な装備が整えられるだろう。
そんなことを考えていると、隣のルキナがソラの脇腹を突いた。
「どうした?」
「金貨20枚って…」
「……」
「肉串何個分?」
「黙ってろ。……2つ目は?」
「……」
軽くいなされたルキナが隣でむくれているのも気にせず、ソラはククリに続きを促す。
ククリもまた、ルキナのことを気にせず、2本目の指を立てた。
「2つ目は――上層に着いた時のための、職人の紹介状」
少女は視線をソラに据える。
「あんさんがホド、もしくはネツァクまで上がったその時、ウチからの紹介状一枚で腕利きの中の腕利きをお繋ぎします。核石の加工も最高の条件で組めるよう、こっちで段取りしますよって」
「なるほど……」
それもまた、ソラにとってはかなりありがたいものだ。
そもそも上位階層世界まで到達できるのかという問題はあるが、もし到達できたなら加工屋を探す必要が無くなる。
少女の言う"腕利き"という紹介が真実かどうかは分からない。
しかし、ソラは何となく、少女の言っていることは真実であろうと直感していた。
「そして3つ目」
ククリは3本目の指を立てた。
「塔に登るのに役に立つマジックアイテム二つを、お二方にご提供します」
そういって、少女は懐から白い和紙のような薄い紙片を数枚取り出して、机の上に並べていく。
そしてその隣に、小さな茶色い革の袋をひとつ置いた。
「……なんだ、これ?」
机の上に置かれた札と袋。
幾何学的な模様が記されて札は、明らかに何かしらの魔術的な意味合いを持っているものだろう。
勿論、それが何なのかはソラには分からないが、何か貴重なものであることは間違いない。
しかし、その隣。そこに置かれた皮の袋。
一見すると何の変哲もない、ただの小袋だ。ソラが腰に下げたものと何ら変わりもない。
だが、目の前の少女がこの場に置いた以上、何か意図があるはずだ。
「順に説明させていただきます」
そんなソラの疑問に答えるように、ククリは説明を始める。
「こっちが『羽衣札』。荷物や装備に貼り付けると、貼った物の重さが、半分以下に落ちますんよ」
「……効果期間は?」
「札一枚でおよそ一月。鎧、剣、バックパック、どこに貼っても効きますよって。まあ大抵の人はバックパックに張ることが多いようですわ」
ソラは札の一枚を指で触れた。
サラサラとした手触り。その質感は紙というより布に近い。
恐らく水で濡れた程度では破けたりしないだろう。
これ自体は確かに貴重で、冒険にはありがたい品だ。
だが、ソラにとって、これがそこまで嬉しいものかというとそうではない。
何故ならこちらには、人型羽衣札であるルキナがいる。
「……」
「…分かってるって」
隣のルキナが無言の視線を向けてくる。恐らく、「わたしでもできる」とでも言いたいのだろう。
説明を聞いた限り、この札の効果は殆どルキナの界約の劣化版のようなものだ。
ルキナの疲労を節約できるという観点ではうれしいが、ソラとルキナにとってはそれ以外のメリットはない。
そんな、二人の微妙な反応をククリは変わらず微笑みながら見つめていた。
札がソラとルキナに刺さっていないことは、商人の勘で認識しているはずだ。
しかし、ククリの軽く、そして不敵な笑みは少しも曇っていない。
少女は札を軽く脇へずらし、机の上の小袋を、迷いない仕草で視線の真ん中に置いた。
それはまるで、
「で、これが最後にお渡しする品」
それこそが切り札であるかのように。
「ヤマト商会最新のマジックアイテム、『壺中嚢』どす」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「こ、こちゅ……?」
「『壺中嚢』な」
噛み噛みのルキナに被せて、ソラがその単語を繰り返す。
しかしソラにもそれが何なのかはわからない。
字面も不明瞭で、どんなマジックアイテムなのかは検討もつかない。
二人が頭に疑問符を浮かべていると、ククリは再びコロコロと笑いだす。
「まぁ、名前だけだとようわからんやろ?その効果は見ても方が早いやろなぁ」
そう言って、少女は机の上の鱗の一枚に指を伸ばした。
両手で軽々と持ち上げる。
大の大人が両手で抱えるほどの灰黒色の鱗が、彼女の細い指の中でまるで紙のように扱われた。
その鱗をククリは袋の口に近付ける。
入る訳が無い。
袋の口はせいぜい拳ひとつ分。鱗の大きさはその十倍以上ある。
それなのに――鱗は袋の口の中にするりと滑り込んだ。
「え」
隣でルキナが、はっきりと驚いた声を上げた。
無表情が崩れている。赤い瞳が机の上の袋に釘付けになっていた。
ソラも同様だ。驚きに目が見開かれ、ただただ無言でそのマジックアイテムを見つめている。
二人の反応に、ククリはしたり顔を浮かべる。
そして、袋の口をソラの方へ向けた。
「あんさん、手ぇ入れてみたらええよ」
その言葉に、ソラはゆっくりと右手を袋の口へと差し入れる。
拳ひとつ分のはずの口を、手のひらは何の抵抗もなく通り抜けていった。
肘まで、入る。そして、指先に固いものが触れた。
それを掴んで引き上げると、机の上に灰黒色の鱗が再び現れた。
「こういう種類のマジックアイテムはな、『マジックインベントリ』言いますわ」
ククリは机の上の袋を指先で軽く叩いた。
ぱさ、と乾いた音が机の縁に薄く響く。
「機能は単純。中に入れたものを保存すること。この中に入れたもんは入れた時と変わらない状態でいつでも取り出すことが出来るんですわ」
「……」
「上層でも、ごく一握りの腕利きしか作れへん、特殊な代物ですわ。そんなマジックインベントリの中でも、この壺中嚢の最大の特徴は収納性能どす」
言いながら、少女はテーブルに置かれた他の素材も袋の中に詰め込んでいく。
爪も、牙も、核石も――その袋は全てを丸々と呑み込むが、外観は一切変わっていない。
「見ての通り、これはその体積よりも遥かに多くのものを詰め込むことができるんよ。容量は大体、普通のバックパックの3から4個分前後くらいやろか」
「素材を大量に詰め込んでも嵩張らず、かつ腐らない…」
「そう。ま、重さは中に入ってる物の分増えてまうんやけど、それも羽衣札で補えば問題ないやろ」
そういって、少女は懐から更に一本の剣を取り出す。
見事な意匠の長剣だ。それが少女の懐からするすると手品のように現れる。
「制限は一つ。この袋の中に入れられるのは非生物のみですわ。生きてさえいなければこういう武器も防具も、あるいはモンスターの死骸なんかも詰め込めますよって」
ククリはそういって剣を再び懐へしまっていく。
それを見て、ソラは漸く、この店の中を見回したときに気づいた違和感の理由が分かった。
この店には、一切商品が置かれていない。
壁も床も天井も――どこを見ても、肝心の売り物が配置されていなかった。
それは恐らく、この少女が懐に同じ袋を携えているからだ。
商品は店には置かず、少女がいつも懐に持ち運んでいる。
恐らくその大きな袖の中かどこかに隠しているのであろう。そして商品を格納したことによる重量の問題は、袋自体に羽衣札を張ることで解消している。
大切な財産は必ず自身で持ち運ぶ――そんな商人としての気性が、そこには見え隠れしていた。
「以上が、ウチからの三つの提案ですわ」
少女は机の上の品々を、視線で順に示した。
「ひとつ、ホド金貨二十枚。ふたつ、上層へ着いた時のための職人の紹介状。みっつ、羽衣札5枚と、壺中嚢ひとつ」
ククリは両手を膝の上にゆっくり下ろした。
「ベヒーモスの本体の所有権、それひとつと引き換えに、お渡しします」
「……」
ソラはしばらく机の上の品々を眺めた。
ククリの提案する3つの提案。それらへの不満は全くない。
特に三点目のマジックアイテム『壺中嚢』。これの有用性は計り知れないものがある。
何ならベヒーモスの死骸とこれ一つの交換と言われても可笑しな話ではないように思える。
これ一つで本来どれほどの価値があるのだろう。少なくともホド金貨で何十枚単位はかかるはずだ。
そう、ソラにはこの取引に不満はない。だが、気になることがある。
ソラは、ククリの顔へと視線を移す。
「お前、上層の人間だろ」
ソラが、短く言った。
少女の発言や所作の端々には、それを匂わせる情報はいくらでも散らばっていた。
例えば、ベヒーモスの素材を確認するときに漏らしたホドの記録という単語。
例えば、ホドやネツァクの加工屋との伝手があるということ。
例えば、扱っているマジックアイテムの質の高さ。
これで気づくなという方が無理があるだろう。
「ホド、ネツァク…いや、その上か。少なくともお前はイエソドの人間じゃあないだろう」
冷たい視線。ソラの蒼い瞳が静かにククリを見つめている。
張りつめる空気の中、それでもククリは何ら変わらず涼しい顔を浮かべていた。
「隠していたつもりじゃあないんやけどな」
ククリは軽く首を傾げた。
否定の素振りも、戸惑いの色も無い。
「ウチはそれをひけらかすのは嫌いなんよ。商売とは関係ないし、された側からすればいい取引はできないやろうし」
「そこだよ」
ソラの目が薄くなる。
なのに、その目に浮かぶ感情の色はむしろ濃くなっている。
その感情とはつまり――猜疑心。
「何故、わざわざ上層の人間がイエソドの人間と取引なんかをする?『持ってるものを全てよこせ』とでも言えばいいだろ」
上層の人間なのであれば、わざわざ取引等する必要等ない。
散々価値を語った核石も『寄越せ』と一言いえばいいのだ。
権限を使えば、他のベヒーモスの素材を奪うことだって容易なはずだ。
なのにそれをしない。
それどころか、肝心の取引では貴重なマジックアイテムの他にも複数のおまけをつけている。
ベヒーモスの死骸の価値はソラには分からない。しかし、どちらかと言えば得をしているのはソラ達の方であることは間違いないだろう。
わざわざ下層の人間相手に、権限も使わず、自分側が不利な取引を持ちかける。
そんなことをする理由が、ソラには全く分からなかった。
「お前は何故、権限を使わない?」
故に、疑う。
スラムで長年培ってきた猜疑心が、目の前の少女を疑えとソラに囁いている。
ソラの蒼い瞳が、机の向こうの少女をじっと見据えた。
その瞳にはまだ殺意は無い。しかし、やろうと思えばいつでも出来る。
少女の返答次第では、いつでも覚悟を決めて殺しにかかる。
そんな冷酷な視線を受けた、ククリは――
「くふっ」
微かに声を上げて、嗤った。




