長期的な利益①
【イエソド六層――カルデア歓楽区・ヤマト商会出張所】
沈黙が青白い灯火の下に落ちた。
ククリは結晶から目を逸らさない。
ただその黄金の瞳で、結晶と、その中に蠢く蒼と黒をじっと見つめている。
その目に浮かぶのは驚愕。しかし、それ以外の別のナニカも混じっている。
「……失礼しました」
ククリの声がようやく静寂を薄く破った。
少女はゆっくりと細い指を机の上で解いた。
合わさっていた両手が別々の動きを取り戻していく。
「お見苦しいところを、お見せしてごめんやす」
声は軽い。
目はいつものように細められ、顔に浮かんだ余裕のある微笑が戻ってくる。
しかし、ほんのわずか。その瞳に浮かぶ感情を未だに隠しきれていない。
冷徹な黄金の目が、目の前に置かれた結晶を前にして何かを計りかねていた。
「……ふぅ」
ククリは小さく息を吐く。
そして金の瞳をソラの方へとゆっくりと戻す。
「ソラのあんさん」
「……ああ」
「ひとつ、確認させてくださいな」
息を着いた後、少女の声はもう、いつもの調子に戻っていた。
ただし、その軽さの下に、今までとは別種の重みが置かれている。
「これ、本当にあんさんがベヒーモスから取ってきはった、いう前提でよろしいか?」
「ああ」
「他の場所で拾うた、ではなく」
「俺があれの胸から抜いた。間違いない」
「……」
ソラの言葉は短かった。
だが、その短さに、嘘の余地は無い。
隣のルキナも首をぶんぶん振って肯定している。
ククリはしばらくソラの目を見ていた。
それから、もう一度、結晶に視線を戻して、再度ソラに問いかける。
「……あんさんは、これが何か知っとる?」
「分からん。検討もつかない」
「……」
ククリが再度、沈黙する。
薄く開けた目でソラの顔をじっと見つめながら、何かを考えている。
恐らく、測っているのだろう。
ソラの言っていることは本当か。嘘だとしたらどこまでが嘘か。嘘を吐くとしたら何故か。
そして――どうすれば自分の利益に繋がるのか。
その沈黙は、長くは続かなかった。
ククリの細い指が、机の上で軽く揺れて、止まる。
浅くも深くもない息が、ひとつ、零れた。
それから少女は軽く首を傾げて薄く笑った。
その薄い笑みは、これまでの軽い調子に合わせていたものとはどこか違っていた。
どこが違うのかは、ソラには言葉にできない。
ただ、商人としての顔の作り方が、一段別の形に組み直されていた。
言うなれば――覚悟を決めたような。
「ほな、ウチが知っとる範囲のこと、お話させてもらいましょか」
そう言ったククリの口調は、どこか吹っ切れたかのようだった。
「これは『核石』。コアストーン。魔石。魂結晶――色々な別称はあるけど、大抵はそう呼ばれとります」
ククリは机の上の結晶を、白い指先で軽く突く。
合わせて、結晶の中の蒼と黒が蠢いた気がした。
「核石……?」
ソラは、その言葉達を頭の中で転がした。
呼ばれたすべての単語を、頭の辞書で検索してみる。しかし、それらは一切ヒットしなかった。
ということは、ソラの持つ古びた手帳にも、それらの単語は記されてはいないだろう。
頭に疑問符が浮かんでいることが明白なソラの様子を見て、ククリは笑う。
「まあ、あんさんが知らんのは無理もないやろなぁ。そもそも、核石はここらのモンスターじゃ手に入らないんよ」
「……手に入らない?」
ソラは、短く、ククリの言葉を繰り返した。
「そう。手に入らない。正確には、そもそもイエソドのモンスターには無いんよ」
ククリは細い指で結晶の縁を、軽く撫でた。
「イエソドより上の階層の塔やと、モンスターも魔術を使うようになってくる」
「モンスターが魔術を?」
ククリは、薄く笑った。
「そう。まあ、魔術言うても人間が行使するようなもんとは似て非なるモノやけどね。火ぃ吐くとか、水を操るとか――種類は様々やけど、とにかく通常の物理現象では考えられないようなことが出来るモンスターがたまーに出てくるんですわ」
「……」
その言葉にソラは思い出す。
宙を舞う千の武装。
立ち並ぶ無数の骨兵。
組み上げられた骨の檻と巨大な剣。
そして――それらを指揮する五層の王。
アレは間違いなく、ベヒーモスの意思が起こした事象。
所有する物を自在に操作することがベヒーモスの持っていた魔術だろう、とソラは考えた。
「で、そういう特殊な魔術を使うモンスターの体内には、これと同じ類の結晶が入っとる――というのが、これまでの経験上分かっていることなんよ」
ククリは机の縁に肘を軽く乗せ、指の背で頬の横を支えた。
頬杖、と言うほどの重みでもない。少女らしい、軽い手の置き方。
「魔術が使えるから核石ができるのか、核石が出来たから魔術が使えるのか……ま、ウチは学者じゃないから、詳しいことは分からへん。分かっているのは言うた通り、魔術を使うモンスターにはこれがある言うこと、そして、これを砕かれたモンスターは例外なく死ぬ言うこと」
「死ぬ?」
「そう。これがあるモンスターなら、これさえ砕けば死んでまう。脳髄、心臓、それに次ぐ第三の急所。そのモンスターを生かしている石。故に"核石"」
ククリは指先で結晶の縁をもう一度なぞって、それから息をひとつ抜いた。
「つまりや。そもそも核石は"魔術を使える特殊なモンスター"からしか手に入らない稀少なシロモノっちゅうことですわ。そしてその重要なことは――」
少女はそこで区切って、
「加工することで特殊な性質を引き出せる、いうこと」
ククリは結晶に視線を落とした。
「核石はただの石やない。中には元のモンスターが生前持っとった魔術が、形を持たんまま眠っとる。それを職人が加工して道具に組み込むと、その魔術が『性質』として外に出てくる」
「……」
「火を吐く獣の核石を剣に組めば、その刃は触れたもんを焦がすようになる。水を操る獣の核石を靴に仕込めば、水の上を歩けるようになる。獣が生前にしとったことが、加工後の道具の上で形を変えて現れる」
「なるほど……魔術が付与された装備になるのか」
「そうや。ただし、それがどんな効果を獲得するかは、加工してみるまで誰にもわからない」
薄く開かれたその目は、机の上の結晶、そしてその中にある蒼黒の軌跡を辿る。
その黄金の輝きが見据えるモノは、勿論一つ。
「そこで問題になるのはその価値や」
ククリはそう言って、頬杖を解いた。
価格、価値、利益。彼女が気にしているのはただそれのみ。
「核石ひとつの相場は、ホドの上位モンスターのもので、ホド金貨で数十から数百単位。物によっては千も行く」
「千……!?」
聞いたこともないような単位の金貨にソラは言葉を失ってしまう。
これまでのソラが一回の冒険で稼げた金額はおよそ銀貨10枚程度。金貨は少なくともその数十倍の価値はある。
ましてや、少女が語った単位はイエソドではなく上位層、ホドの通貨。その価値がどれほどのものなのか、ソラには検討もつかなかった。
「そして、これは普通の核石やない」
そんなソラを横目に、ククリは話を続ける。
「ここ数百年、誰にも討伐されなかったイエソド五層の壁、ベヒーモス。そこから採れた歴史上初のシロモノ。更に言えば、本来、核石が採れる階層でもないはずなのに発生したイレギュラー品でもある。それはつまり、市場で値ぇを比べるべき基準がひとつも無いいうこと」
「つまり……?」
「この核石には未知の価値が詰まっとる。イエソドという低階層の出自とはいえ、その価値は相手次第で天井知らずに振れますよって」
「……マジか」
ソラはしばらく結晶を眺めた。
金貨で千。ホド通貨で千。桁が大きすぎて、その重みはむしろ薄く感じられる。
何となく、ただの素材とはかけ離れた異様さがあるとは思っていたが、まさかそんなシロモノだとは考えてもみなかった。
「で、ここからが本題ですわ」
ククリの声が、ソラの内省を引き戻す。
その黄金の瞳が、じっと、ソラの顔を見つめていた。
「前提として、カルデアでこれの加工は不可能や。ここにはそれができる技術も知識もあらへん」
「……」
彼女の言を信じるのなら、そもそもイエソドでは核石が見つからないという話だ。ないモノを加工する技術を持った人間等、いるはずがないだろう。
そして、カルデアで加工が出来ないということは、すなわちイエソドという階層世界で加工が出来ないということに他ならない。
「そして、さっき言うた通り、核石は加工を施すことでチカラが引き出される。逆に言うたら…」
「加工しなけりゃただの石、か」
「その通り」
少女はソラの言葉に深く頷いた。
「あんさんの取りうる選択肢は二つ。加工か、換金か」
「……でも、加工はここではできないんだろ?」
「そう。せやから、加工を選んだ場合は加工できるところ……すなわち上の階層世界にまで到達する必要がありますなぁ」
「……」
そういってククリは再び目を細めて、軽い笑みを浮かべる。
ククリの顔をじっと見つめる。しかし、その表情から少女の感情は読み取れない。
嘘を吐いているのか、それとも真実を語っているのか…それも全く分からない。
少女が真実しか話していなかったと仮定して、ソラはここまでの情報をもう一度頭の中で整理する。
1。核石はそもそもが稀少なアイテムであり、その価値は金貨数十枚以上。
2。核石は本来イエソドでは手に入らない。
3。そのためベ、ヒーモスから出たこの核石は、歴史上初の存在であり、その価値は量りしれない。
4。核石は加工しなければ何の効果も発揮しない。
5。核石はイエソドでは加工出来ず、加工するならイエソドより上位の階層世界を目指すしかない。
こうして並べてみると、現実的な選択肢はひとつしか残らない。
売る。それだけだ。
今のソラとルキナの問題は単純。
塔を上るための装備が、まるで足りていない。
鱗、牙、爪――他の素材にいくらの値がつくかは、まだ分からない。だが核石より遥かに劣ることは、すぐ分かる。
装備を整えるための金が必要ならば、最大の値がつくものを手放すしかない。
核石を加工して使う、という選択肢は確かにある。
しかし、そのためには上位階層への到達が前提条件。
上の階層に上がるための装備を作るために、上の階層に上がる必要があるということだ。
それは本末転倒というものだろう。
それに、加工した先で何が出てくるのかもまるで読めなかった。
ククリの話では、元のモンスターの魔術が性質として現れるという。
だが、加工をしてみるまでどうなるかはわからないらしい。ベヒーモスのあの能力がどういう形で現れるのかは検討もつかない。
要は加工という選択肢は、前提条件を満たしていない上にリターンも不明瞭ということだ。
故に、ソラとしては売るというのが最善の選択に見える。
「そこでウチからの提案なんやけど――」
少女は机の縁の上の両手を膝に下ろした。
それから一拍置いて、続ける。
「核石は、そのままあんさんが持っときなはれ」
「……ん?」
てっきり、自分に核石を売れ、と言われることを予期していたソラが面を食らう。
ククリの提案は、ソラの想定と完全に逆だった。
「ここじゃ加工出来ないんだろ?」
「そうやなぁ。まあホドまでは登らんと加工は無理やろな」
「じゃあ、売った方がいいんじゃね?」
少女の口角がわずかに上がった。
それは、客の反応を計算通りに引き出した商人の笑み。
「まあ、今までの話ならそう聞こえますやろなぁ。けど、ウチはこの核石に秘められた『特異性』が気になっとるんですわ」
「特異性?」
「そうや。歴史上初の、ベヒーモスの核石。これを加工して引き出される性質の値打ちがいったいどれくらいの代物になるか、ウチでも読めへん。ホド金貨を山のように積んでも、なお安う見えるほどのもんを秘めとる可能性がある」
「なるほど……?」
「あくまで可能性の話ですよ。あれへん可能性かて当然あります。けど、ウチが今ここで提示できる買取額を遥かに上回る価値が秘められている可能性もある」
少女は軽く首を傾げた。
「やからウチはこう提案しますわ。核石はホドに上がってから加工した上で、使うなり売るなり決めはったらええ」
「……」
「お兄さんはどうせ、塔を上らはる人やろ?」
ククリの金の瞳が、ソラの目に真っ直ぐ届く。
「ほな、こいつを連れて上がりなはれ。途中で要らんようなったら、その時、好きな所で売ったらええ」
確かに少女の言うことには一理ある。
今、この場で換金すると将来的な価値を失ってしまう可能性がある。
塔を登るための強力な装備の素材を別の装備のために手放す、というのもまた本末転倒かもしれない。
しかし、そうなると今度は別の問題が生じる。
核石を加工まで持っていくとしても、まずはそこに辿り着くまでの装備が要る。
そして、今のソラとルキナには、塔を上る装備が全くない。
今の資金は銀貨11枚に銅貨18枚。これで何が買えるかはまだ分からないが、まあ大したものは買えないだろう。
つまり、核石を温存したまま、装備の金をどこから工面するか――その問題は、ここでは解けていない。
ソラがその顔つきをした瞬間、
「もちろん、今足りてない資金の問題も、ウチの方で片付けますよって」
ククリの声が、先回りで降ってきた。
「あんさんがほんまにベヒーモスを討伐したんなら、その素材はこれだけじゃないやろ?牙も爪も骨も鱗も…まだまだ他にもあるはずや」
「…まあそうだな。運べないから、他は全部五層に置きっぱなしだけど」
「それは好都合」
そういって少女はぱちりと両手を合わせた。
それはもしかすると少女の癖なのかもしれない。
「五層に残ったまんまの、ベヒーモスの本体。その死骸丸ごとの所有権を、ウチに譲ってもらいたいんよ」
そして提案されるのは、なんともスケールの大きな話だった。




