塔を登る理由②
「よっと」
背中に背負ったバッグを床にゆっくりと降ろす。
ギルドで金を手に入れた後、彼はスラムの露店を周り、生活に必要な物資を数時間かけて確保していた。
まずは食料。何の肉なのかも全く分からない塩漬けの肉を数キロ。乾燥した穀物粉も数キロ分。他の野菜はスラムでは殆ど出回らないし、需要もそこまでない。腹にたまる肉と炭水化物がここでは好まれる。
次に水。この拠点の裏手には山がある。その中を数分程歩くと、小川が流れており、そこから水を確保してきた。もちろん綺麗な水とは言い難いので煮沸して消毒した。
そして衣服。彼自身は衣服を他にも持っているため、未だ目を覚まさない少女のための服を数着だけ購入した。おそらくは街で作られた後廃棄されたモノを拾ってきたのだろう、多少値段が張ったが生地は頑丈でデザインも悪くないように感じる。
後は布団代わりの毛布を一枚購入した。彼自身が元々持っていたモノは、横たわる少女にかけているため、もう一枚必要となったのだ。
それらをバッグの中から取り出し、床に並べる。ひとまず落ち着いて、部屋においてある無毒化済みの水を取り出し、口に含む。ポーションを除けば、今日初めての水だ。カラカラに乾いた喉に染みわたり、体全体に行き渡るような心地がした。
そしてふと思い出し、服をまくり、左の脇腹を確認する。
するとそこには、薄黄色の拳大の痣があるのみだった。朝見たときにはかなり広範囲に渡っていた蒼痣が、数時間経過しただけで殆ど回復している。
これはおそらく、別れ際にセナに飲まされたあのポーションのおかげだろう。借りが一つ増えた。体に巻きついた鎖がまた少し重くなったような気がして、溜息が漏れる。
とはいえ、これで満身創痍という状態からは抜け出した。この感じだと、折れたアバラ数本も明日明後日当たりには回復しているかもしれない。
元々は物資を確保してからは体力の回復のためにひと眠りしようと考えていたが、この調子なら他の作業をしてもいいかもしれない。食事の準備や安全な水の生成、衣類の洗濯等、やることはたくさんある。
だが、食料にせよ、水にせよ、まず必要なのは火を起こす事だ。そう考え、住処の外にある焚き火台へ向かおうとした時。
「ん…」
床に横たわる少女から声がした。慌てて、そちらを振り向くと、あの少女がモゾモゾと動いている。
苦しそうな顔は変わらないが、若干顔に赤みが戻っている。どうやら漸く目を覚ましそうだ。
少女のそばに近寄り、彼女が目を覚ますのを待つ。だが、彼女は一向に目を覚まさない。モゾモゾと毛布の中で動き、苦しそうな顔で呻いている。
容体が悪化したかと考え、彼は彼女に声をかける。
「おい、大丈夫か?」
「…も…る…」
すると、彼女から切羽詰まった声が聞こえてくる。途切れ途切れで何と言ったかは分からない。
そのため彼女の口のそばまで耳を持っていきながら、もう一度確認する。
「どうした?」
「も…る…!」
「だからなんて?」
もう一度、横たわる少女に向かって、問い詰める。すると今度ははっきり聞こえた。
「もう無理でる」
「…」
その時初めて彼女が目を開けた。そのきれいな瞳は涙で潤み、顔には脂汗が滲んでいた。
だが、彼女が目を開けたという事よりも、想定外の一言が彼の頭の中を駆け巡る。その言葉を理解するのには数秒を要した。
「…上?下?」
「下」
「前?後ろ?」
「両方」
「…」
その瞬間、彼女の腹部の辺りからぎゅるぎゅるぎゅるというかなり大きな音が部屋に響き渡る。どうやら前方に決壊寸前のダム、後方には爆弾を抱えているようだ。
「本当に無理。出る」
「…待った、ちょっと待って」
彼は慌てて、そうなってしまっても何とかなるように準備を始める。そうしている間にも時限爆弾とダム決壊のカウントダウンが始まる。
「5, 4, 3」
「あー!分かった!バケツ、バケツ用意するから!!」
「0」
「2と1は!?」
「あっ」
「あ…あー!!」
そして、爆発した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…」
「…」
結論から言うと、後ろの爆弾はギリギリで間に合った。しかし、前方のダムは決壊し、一枚の毛布と薄い布団が尊い犠牲となった。
ひとまず汚れた毛布と布団を籠の中に詰め込み、少女には買ってきた衣服を渡し、着替えてもらうことにした。今の彼女は元々来ていたローブの下に無地の白シャツと黒のズボンを履いていた。
痛いほどの静寂が辺りを支配する。かたや粗相をしたもの、もう片方は粗相をされたもの。お互いなんと言えばいいのか分からない。
「まあ…無事で何より」
沈黙に耐えかねて、彼はそう口にする。
「…無事に見えるの?」
彼女はスナギツネのような乾いた鋭い目つきで彼のことを睨む。完全な逆恨みである。
「……」
一応、家主は彼であり、汚されて被害を被ったのも彼である。生意気な態度に怒りが湧かないでもないが、少女の尊厳が傷つけられたことを考慮して、優しい言葉をかけることにした。
「まあ、ゆるゆるな膀胱以外は無事に見えるな、しょんべん垂れ」
全然優しくなかった。むしろ、言葉のナイフで切りつけていた。どうやら部屋を汚されたのが気に入らなかったらしい。
「…ころす」
「やってみろや、ガキ」
額に青筋を浮かべ、立ち上がりファイティングポーズをとる小柄な少女に対して、売り言葉に買い言葉で彼もまた挑発しながら立ち上がる。
一触即発の雰囲気漂うが、その直後
「う――」
少女の体がぐらりとよろめく。どうやら体は万全ではないらしい。1秒後には床に倒れこんでしまうだろう。
だがその瞬間、彼女の背後に廻った彼が、その小柄な体躯をいわゆるお姫様抱っこのようなスタイルで支えた。
「あぶねえな…」
少女と顔が近づく。目と目が合い、お互いの顔を初めて見つめあう。
やはり見れば見るほど美しい顔立ちをしている。思わずまた見惚れてしまうほどだ。
対して、少女もまた彼の顔を見つめ、数秒お互いの時が止まる。
そして、ふと彼女の方から顔を背ける。
「…ありがとう」
そして彼女は色白な顔を少し赤く染めながら、礼を言うのであった。
少女の前に、黄色いドロドロとした何かが盛られた器、そしてその横にはぬるい水が入ったコップが置かれる。
「まずは食えよ」
「…」
それは少女用の食事だった。先程のやり取りの後、彼女の調子がまだ治っていないと考えた彼は、ひとまず食事を作ることにした。
本日の食事は、買ってきた乾燥した穀物粉に水を加えて練り混ぜた粥のようなものだ。胃腸の調子が悪くても消化できるように水を多めにしている。
彼女は手前に置かれた器をじっと眺める。
「…どうやって食べるの」
どうやら食べ方が分からないようだ。とはいっても掬って食べるだけだ。
そこで気づいた。スプーンを渡してない。自分だけだったら別に手でも食べることができるため気にしていなかった。
「あぁ悪い」
部屋の隅にある棚からスプーンを二つ取り出して、それを彼女に手渡す。昔彼とセナが作った、木でできた粗雑なものだ。
すると彼女は右手に渡されたそのスプーンをキョトンとした顔で見つめた。
スプーンを数秒見つめた彼女は、握ったそれでおっかなびっくり粥もどきを掬って口に運び、少し嚙んだ後と呑み込もうとした。だが、うまく呑み込めずむせてしまう。
「ごほっ、げほっ」
「水飲め、水」
右手で口を抑えながらえずく彼女の様子を見た彼は、彼女の左手に水の入ったコップを持たせる。少女はすぐさま水を口に含むと、ゴクリと喉がなった。どうやら呑み込めたようだ。
そして、涙目で彼のことをじとっと見ながら口を開く。
「…不味い」
「まあな」
それはそうだろう。
彼もまた手元にある同じモノを口に含む。やはり不味い。それには味付けも何もないため、無味のドロドロが口に広がり、ダイレクトに穀物の匂いが鼻の奥を刺激する。
味も食感も匂いも悪い。美味しい要素など一つもない。不味くて当然だ。
だが、彼女はその粥もどきをもう一口、更にもう一口と食べだす。
「…だけど、おいしい」
「あ?」
何故か彼女の目には涙が浮かんでいた。最初は不味すぎて泣いているのかと思ったがどうやらそうではないらしい。
彼女は鼻をすすりながら粥を食べ進める。その手のペースは早く、がっついているといっていいほどだった。
彼は手元の器の中のモノを見る。やはりいつもと殆ど変わらない、多少水気の強い粥があるのみだ。もう一度、手元のそれを食べてみるが、やはりいつもと同じ味しかしなかった。
泣きながら食べる彼女に疑問符を浮かべながら、彼は同じものを食べ進めるのだった
そして数分後、そこには空になった器とコップが二つずつあった。
「おいしかった、ありがとう」
「…そうか」
相も変わらず不愛想であるものの、しっかりと感謝のこもった言葉を受け、彼は少々照れながら器を回収し、重ねて横におく。
そして、改めて彼女の前に座りなおすと、漸く本題を切り出すことにした。
「まずは自己紹介だ。俺はソラ。お前は?」
「……ルキナ」
ルキナと名乗った少女もまた、彼と同様に座りなおして、彼の顔を見つめる。
その美貌に見惚れてしまいそうになるソラだったが、流石に何度も同じことを経験しているため耐性が付いたのか我慢することができた。
彼女もまたソラに質問を投げかける。
「ここはどこ?」
「ここはイエソドの外れにある俺の拠点だ。お前が塔の中で倒れてたから、連れて帰ってきた」
「塔…」
彼女は塔という言葉に引っかかるものがあるのか、その言葉を復唱しながら頭の中で何かを考え出したようだった。
だが、彼にもまだまだ確認したいことが山ほどあるため、それを遮って質問を重ねる。
「質問だ。お前はなんであんな所で倒れてた?」
「……あんな所?」
「第一層、廃墟の森の中のドームでお前は転がってた」
まず彼が気になっていたことはそこだ。あの廃墟の森のドームの中で倒れているという状況はあまりにも不自然だ。
第一層の深層にあるドームという意図不明の場所と、その中でところどころに傷を負い、衰弱して倒れている少女。どう考えても何かの関連があるに違いない。
彼はそう考えたのだが――
「……分からない」
「あ?」
返ってきたのは予想外の一言だった。
「私には倒れたという記憶がない」
「それはどういう意味だ?気づいたら倒れてたってことか?」
記憶がないのに倒れてた。確かに気絶の前後で記憶が混濁するという話は聞いたことがある。そういう事かと思い、次の質問をぶつける。
「そもそもなんであんな場所にいた?」
次に何故あんな場所にいたのかということが気になっていた。あの時調べた限りでは、あのドームの中には何もなく、あったのはだだっ広い空間と模様のある壁面、そして謎の地下空間のみだった。
あの場所で何をしようとしていたのか、あるいは何のためにあの場所にいたのか。それを問おうとしたのだが――
「分からない、私にはそんな場所にいた覚えもない」
それも分からないと一蹴されてしまう。
そもそも――と彼女は次の言葉をつなげる。
「私はそんな場所を知らない」
それもまた予想外の一言だった。ソラは頭の中で情報を整理しようとするが、うまくまとまらず形にならない。
「……つまり、気づいたら知らない場所で倒れていた、ってことか」
それに対して、彼女はコクリとうなずく。小動物的な仕草は愛くるしいものがあるが、そんなことよりも彼の中で今の話が気になっていた。
現状を整理すると、彼女には倒れた理由も、あの場所にいた理由も分かっていないという事だ。
それが嘘か本当かは定かではない。もしかしたら彼女はあの場所にいた理由を知られたくなくて適当なことを言っている可能性もある。むしろその可能性の方が高いだろう。
もしそうであるならば、力で無理やり情報を吐かせるという手段もあり得る。彼女は華奢だし、体調は万全ではない。彼の膂力をもってすれば一瞬で制圧することができるだろう。
だが、と彼は考える。
彼では倒せなかったドームの化物を倒したのはおそらく彼女だ。
あれは彼女の能力だろう。どういう効果かは分からないが、あの化物をいとも簡単にひねりつぶしたのだ。
実力行使による脅迫は不可能だ。
ならば――
「じゃあ、何か覚えていることはあるか?」
この聞き方は彼女自身に情報の取捨選択をゆだねている。仮に彼女が嘘をついている、あるいは情報を出すことを忌避しているとしても、この方法であれば話せる情報があれば引き出せるだろう。
ソラはそう考えて、彼女にその質問をした。
だが、その質問はある意味、彼女の核心をついていた。
「ない」
「あ?」
回答はたった一言だった。
「私には、ここで目覚めるまでの記憶が何もない」
謎の場所で倒れていた謎の少女は、その全てが彼女自身にとっても謎に包まれていた。
「…記憶がない?」
「そう」
訝しみながら聞くソラに対して、ルキナは端的にそう返す。まるで本当に何も隠すことがないかのようにきっぱりとした態度だ。
「……一度、お前はドームの外で目を覚ましてた。その時の記憶もないのか?」
「ない」
どうやら化物を倒した時の記憶もないようだ。彼女の顔を見る限り、嘘をついているようには見えないが、良くわからない。
ソラは彼女が話していることが全くの嘘だった場合も考える。だが、そんな仮定をしたところで何の意味もないことにすぐに気がついた。
所詮ソラはただのスラムの人間だ。権力もない、財力もない、そんな人間に嘘を吐いたところで、何かしらメリットがあるとは思えない。仮にメリットがあったとして、それを何なのかを理解することもできないだろう。
ならば彼女の言うことを全面的に信じるしかない。
「……話は分かった。じゃあ一つだけ言わせてもらう」
ソラは改まって姿勢を直し、ルキナの目を見つめる。彼女はそんな彼に対してキョトンとした顔で見つめなおす。
そして、ソラは少しだけ頭を傾ける。
「お前には助けられた。ありがとう」
ソラは一言だけ感謝の念を伝えた。おそらく彼女が居なければ、彼はドームの化物に切り刻まれあそこで死んでいただろう。
彼女の正体やどうやって化物を倒したのか等、分からないことだらけではあるが、助けられたことは事実だと思ったからこそ、彼は頭を下げた。
スラムの人間が感謝を伝える手段は2つ、言葉と態度のみだ。その両方で感謝を示すことで、彼は自身ができる最大限の誠意を見せていた。
対して急に頭を下げられた少女は目をパチクリとした後、多少の戸惑いを顔に浮かべる。
「…どういたしまして?」
彼女にしてみれば身に覚えのない人助けをしたようなもので、その感謝を伝えられてもよくわからないのだろう。キョトンとした顔で首を傾げている。
そんな彼女の状況に対して、ソラは苦笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「助けられた礼だ。お前が望む限りは面倒みてやる」
彼自身、どうしてそんな申し出をしたのか分からなかった。彼は確かに悪人ではない。施されれば感謝もするし、恩を返そうという気持ちにもなる。
ただし、彼は善人でもない。実際にそれを行動に移すかは別問題だ。そもそも彼は他人が嫌いだ。人と一緒に行動することが嫌で、こんな場所で一人で生活していたはずだった。
なのに、この少女からは嫌な感じがしない。もしかすると、無意識のうちに彼女の見た目に惹かれているのかもしれないが、そうでもないような感じがした。
形容しがたい感覚だが、彼女のことをどこか他人のように思えない。まるで別の自分を見ているような、そんな気がするのだ。
「…ありがとう」
その申し出に対し、彼女もまた感謝を伝える。そして、言葉を続けた。
「であれば、一つ、やりたいことがある」
「なんだ?」
それは単純で、簡単な事。彼にとって見れば何の意味があるかも分からない要求だった。
「この世界を見たい」




