金色の少女①
冒険者の街、カルデアは複数の地区に分かれている。
まず、入り口から続く大通りの左手にあるのが武具区。
区画内の店で売られているのは、剣、槍、弓などの武具、あるいは鎧や服などの防具、それ以外の魔術札といった特殊な装飾品。
武具区という名ではあるものの、実際は冒険者として役に立つ装備品の数々がこの区画内ではよく売られている。
装備の研ぎや修理、加工等もこの区画で出来ることの一つだ。
武具区の奥にあるのは素材区。
この区画ではモンスター素材、または死骸そのものの売買が盛んにおこなわれている。
他にもモンスターの革の鞣しや、死骸の解体といった素材の前処理もここでは可能だ。
街の入り口から見て右手には食料区がある。
干し肉に水袋といった冒険に当たり必要な食料は勿論のこと、この街の酒場で使われるような保存の効かないものも売られている。
他にはポーションや薬なども売られており、その関係で治癒師の天幕もこの区画に属している。
そしてその奥には歓楽区。あるのは酒場、宿屋、賭場、そして娼館。
酒と飯、ギャンブルと女。
塔で命を懸けて稼ぎ、何とか生き延びた冒険者たちは、ここで一日の癒しを得る。
この区画の夜の賑わいは、昼の中央通りにも匹敵するほどだ。冒険者たちは皆、ここで金を落としていく。
そしてその4つの区画の中央には広場がある。
広場といっても規模は小さい。あるのは依頼の張られた掲示板とベンチが数個のみ。
昼間はそれなりに人がいるものだが、日が沈みだすと徐々に人が消えていき、オレンジ色に染まったころには殆どが歓楽区へと流れていく。
そんな人のいなくなった中央広場のベンチに、二人の男女が座っていた。
「はぁ……」
「ぼんはい」
男――ソラはベンチに深く腰掛けて、大きな溜息をついた。
それに対して女――ルキナは、手に持った肉串を頬張りながら、煽ってるんだか心配しているんだかよくわからない態度で男を慰める。
むぐむぐと肉を詰め込んだその頬は、リスのようにパンパンに膨らんでいた。
そんな彼女のことを横目でちらりと睨んだソラは、再び大きく溜息をついた。
彼の頭を悩ませているのはたった一つの問題。
「ベヒーモス……売れないな」
「ね」
「全く相手にされないな」
「ね」
「ていうか、滅茶苦茶バカにされたな」
「ね」
「虚仮にされまくったな」
「ね」
「……話聞いてるか?」
「ね……痛い痛い痛い痛い」
ルキナの頭にアイアンクローを食らわせながら、ソラはここ数時間のことを思い出す。
ヴォルフの店でベヒーモス素材の買い取りを断られた後、二人は素材区の様々な店を回った。
最初に当たったのは、素材区の角にある、それなりに大きな素材買取屋だった。
看板に巨大な甲殻が立てかけられている。店構えからして、それなりの量の素材を扱える店。
ソラがバックパックから鱗の一枚を出して、ベヒーモスの物だといった瞬間、鼻で笑われた。
そして、一言。
「ホラ吹き野郎が。とっとと失せろ」
以降は完全に暖簾に腕押し。何を言っても一切相手にされず、ただただその店を出るしかなかった。
しかし、その対応はまだ良いほうだった。
2件目の店は素材区の中央付近に位置する中規模の店舗。
それなりに広い店内には、店主と思わしき老人が一人と、三人の若い冒険者が雑談していた。
これまでと同様に鱗、爪、牙と順にカウンターに置いていく。
そして店主は目を細めて値踏みを始める。
鱗を光に翳す。
重さを量る。
そこまでは、よかった。
「いい素材だ。これ、どこで取った?」
「五層」
「……何だと?」
「ベヒーモスからはぎ取った」
カウンターに置かれた鱗を触っていた、店主の手が止まった。
そして、後ろの三人の冒険者の談笑もまた、止まった。
数秒の沈黙。
それから一人の冒険者が、噴き出した。
「ぶっ、ベヒーモス?」
すると、堰を切ったかのように他の二人も笑い出す。
「お前本気で言ってんのか!?」
「くは、ははははは!」
3人の顔に浮かんでいるのは嘲笑。
まるで下手な道化師でも見ているかのような――そんな嘲り。
店主は一つ、深く溜息をついた。
「おい、店長!相手してやれよ!ベヒーモスだぜ!?」
「鱗一枚でどんだけの値段が付くんだろうな!?」
「牙なんて売った日にゃ、もう家が30個くらい立つんじゃねえか!?」
その店長の様子すらも三人にとっては面白いようで、静かな店内を汚い笑い声が埋め尽くしていく。
耳障りなその声を聴いた店主は額に青筋を浮かべ、
「…うるせえ、ガキ共ッ!!」
腹を抱えて笑う三人の事を一喝した。
店内に静寂が戻ってくる。
しかし、冒険者たちはそれでも抑えきれないようで、口元を抑えつつも尚笑い続ける。
店主は呆れたようにその三人を見て、しかし、止めようとはしなかった。止める価値もないと判断したのだろう。
そして、短く息を吐いて、手に持っていた鱗をカウンターに放り出す。
「ガキ。出てけ」
そして放った言葉は一件目と同様のものだ。
「たまにいるんだよ、お前みてえなホラ吹きが。だが、ここまで盛大な嘘は、しばらく聞いてねえ。冗談のネタとしては、今夜の酒場で語ってやるよ」
「……」
「だがな」
黙って話を聞き続けるソラに向って、店主はその顔をすぐそばまで近づける。
その顔に浮かんでいるのは――怒り。
「あの場所には、俺の戦友が三人、骨を残してるんだ」
「……」
「カルデアまで来た奴らってのは、必ずアイツを潜り抜けてきた奴らだ。あそこで仲間を失った奴なんてここには掃いて捨てる程いる」
店主は歯を剥きだしにして、ソラを睨む。
対してソラは、それに怒るでも怯えるでもなく、ただ凪いだ表情で店主を眺めていた。
その様子に気圧されたのかはわからないが、店主は更に一回溜息を吐いて、
「その嘘は、もう止めときな。この街で口にしたら、いつか酒場の隅で、本当に殺されるぞ」
ソラはそれに答えることはしなかった。
代わりに鱗を布で包み直して、バックパックに戻す。
ルキナは何も言わず、ソラの隣に立っていた。
そして、二人は黙って店を出た。
店内では、三人の冒険者が、また小声でクスクスと笑っていた。
3件目以降はもう話にすらならなかった。
カルデアは広いようで狭い。
ベヒーモスの素材を持ってきたという新入りの話はあっという間に素材区に広まっていた。
ある店主は、ソラの顔を見るなり、片手を上げた。
「もういい。次」
品物を出すことすら、許されなかった。
ある店主は、ソラがバックパックに手をかけた瞬間、低く呟いた。
「面倒くせえから、帰ってくれや」
それだけだった。
ある店主は、ソラに目を合わせないまま、口元だけで薄く笑った。
「ご丁寧に、わざわざうちにも? 律儀だな、英雄様は」
ただただ嘲り、ソラのことを相手にしない。
何時間もかけて10件以上の店を回ったソラだったが、その結果はどれも同じだった。
真昼間の人通りの多い時間帯であることも災いして、噂は一瞬でカルデア中の商会に広まっていく。
一度知れ渡ってしまえば、あとはもうどうしようもない。
何を言おうと、彼らがソラに張った嘘つきというレッテルは消えない。
何だったら5層まで戻って死骸でも見ればいいとも言ったのだが、誰もが聞く耳を持とうとしない。
そうして延々と店に入っては出て、入っては出てを繰り返し、気づけばこの有様だ。
最早、素材区にいた冒険者の殆どにはソラの顔が知れ渡っていることだろう。
そして、嘘つきであるという噂もまた同じように広まっているはずだ。
元々人と関わるのが嫌いなソラにとって、ここ数時間の交渉とも言えない一方的なコミュニケーションは、心底精神をすり減らす苦行だった。
結果、今に至る。今はただ、疲れた精神を癒すためにベンチに座って項垂れることしかできない。
それに対して、買い取りの場でもずっと黙ってソラの後ろを着いてきていただけのルキナは大分元気そうだ。
ソラがベンチで休憩している間に、いつの間にか肉串を買って来て、ソラの目の前でむしゃむしゃと食い荒らしている。
暫くアイアンクローを続けていたソラだったが、やがてそれすらも億劫になって彼女から手を離す。
ルキナは涙目で、頭をさすっていた。
「……ひどい」
「…悪かったよ」
避難がましい目で見つめてくるルキナに、多少の罪悪感を感じたソラが謝罪する。
その謝罪に気をよくしたのか、うむりと小さく呟いたルキナは、再び手に持った肉串を啄みだす。
これで通算4本目だ。
何本食うつもりだこいつ、とソラは思った。
「……はぁ」
むぐむぐと肉を食う付きなの横で、ソラはもう一度、深く息を吐く。
夕日が広場の地面を、オレンジ色に染めている。
広場の隅で焚かれた篝火が、最初の火を立て始めていた。
このまま夜になる。
そうなれば、街は歓楽区中心に動き出す。
素材売りには、もう、向かない時刻だ。
目を閉じて考える。
ベヒーモス。
数百年、誰も倒せず、鱗の一枚さえ持ち帰ることすらできなかった、五層の"壁"。
この街の人間は何かしらの形で必ずその壁に挑んで、乗り越えた者たちだ。
そしてそれ故に、その壁の強大さをよくわかっている。
新入りがベヒーモスを殺した等というのは、おいそれと信用することはできないのだろう。
故に、嘘と決めつける。
ソラの話を聞いた人々の行動は大体2種類だ。
嘲笑するか、無視するか、そのどちらか。
彼らがソラに向ける視線は、詐欺師か、はたまた道化師でも見るかのようなものだ。
唯一違ったのは最初に入った商会の店主、ヴォルフくらいなものだろう。
それ以外のこの街の者は皆、ソラのことを嘲り、見下し、相手にしない。
しかし、ソラはそれに対して、特に何も感じてはいなかった。
彼らが信じようと信じまいと、自分の事実は変わらない。
それに、罵倒も、嘲りも、無視も、ソラにとっては日常に過ぎない。
スラムで生きていれば、そんなもの等いくらでも受けるのだ。
今更知らない誰かにどう笑われようが、ソラにとっては心底どうでもいい。
問題なのは、今の彼らには塔を登るための資金がないということ。
そして、資金を得るための素材の売り手が見つからないということ。ただその2点のみ。
しかしその二つがソラの頭を大いに悩ませていた。
「はぁ……」
「肉、要る?」
「…要らない」
「うい」
溜息しか出ないソラとは反対に、ルキナは肉を食い散らかし続けている。
ついに5本目の串に突入したようだ。無表情ながら、心なしか表情には幸せという感情が浮かんでいるようにも見える。
ソラはただ、ぼんやりと天を見上げ続ける。
そうしているうちに、やがて徐々に空の端に黒色が混じり始める。
歓楽区の各地に明かりが灯り始め、人の喧噪が聞こえてくる。
するとルキナがすっくと立ちあがり、ソラの方に向けて手を差し伸べる。
「串買ってくる」
「……まだ食うの?」
「うん。お金ちょうだい」
「……」
ソラは更に一つ大きなため息を吐くと、小袋の中から銅貨を三枚取り出して、ルキナに投げ渡す。
すると、ルキナはいやっほぉうと声を上げながら、歓楽区の方に走り去っていく。
その背中を見ながらソラは考える。
さて、この後どうするか。
このままではいつまでたっても買い手は見つからないだろう。
しかも、嘘つきという噂まで広まりだしている現状だと、今後は普通の素材すら売るのに苦労するかもしれない。
――面倒だな。
ソラの目の前を何人もの冒険者たちが通り過ぎていく。
歓楽区の方角へと向かう、酔いがけの男たち。
腰には小袋を下げ、笑い声を上げながら、酒場の方角へと足を運んでいる。
楽しそうに、仲間たちと笑いあう彼らを見て、ふと思った。
――殺すか。
それは、スラムなら当然の思考。
金は稼ぐものではなく、ある所から奪うもの。
強いなら何をしたっていいのだ。全て殺して、奪えばいい。
ソラは目を細めて、通り過ぎる冒険者たちを先程とは違う視線で眺める。
腰に下げた袋。その中身は銭貨だろう。中身は数枚から数十枚。多い者なら金貨も入っている。
いや、そもそも金すら必要ないのかもしれない。
この街には多くの店が存在する。
武器も、防具も、ポーションも、飯も、何もかも。欲しいものはそこから奪えばいい。
問題はそれによるリスクだが、
「……はっ」
ソラは微かに笑う。
冷笑。
目の前に居るすべての人間達を、ソラは嗤う。
この街には数百人の冒険者たちがいるらしい。
全てが全て、イエソドの冒険者の中でもトップ層。五層を超えた歴戦の者たち。
だが――それがどうした。
彼らは全て弱者だ。
ベヒーモスの討伐を諦めた弱者。
ソラが倒したといっても信じることが出来ない、年季の入った、敗北者。
討伐を諦め、逃げることしかできなかった逃亡者たち。
そして、この世は弱肉強食。弱いことはそれ自体が罪。
――できる。
やろうと思えば、できる。
何の障害もない。
今の彼にとって、この街の人間を皆殺しにするのは、ベヒーモスを倒すより、遥かに容易な作業だろう。
ソラはベンチに座ったまま、夕暮れの広場を見渡す。
通り過ぎる冒険者。
酒場の前で笑う男たち。
店じまいを始める素材屋の店主。
歓楽区へと急ぐ若い者たち。
皆、殺せる。
一人。十人。百人。
――全員。
ソラは頭の中で、街並みに消えていく人々を機械的に数えていく。
それらは全て、ソラの餌だ。
数えながら、ソラはまったく何も感じていなかった。
怒りも、興奮も、躊躇も、罪悪感も。
あるのはたった一つ。
――できる。
その認識だけが、彼の中に明確に横たわっていた。
ソラの瞳に殺意が混じる。
それはもう、「思考」ではなくなっていた。
「やるべきこと」として、固まった考えが頭の中で輪郭を持ち始める。
ソラは、ベンチの座面に置いていた手を、ゆっくりと持ち上げた。
そして、脚に、力が入りかかって、
「あんさん」
横から、高く、しかし柔らかい声がかかった。
ベンチの反対側の端。
そこに、いつの間にか、一人の人物が座っていた。
真っ白なフード被った、小柄な少女。
薄い唇と色白な肌が、幼くもどこか妖艶な雰囲気を醸し出している。
フードから覗く黄金色の髪の毛が、風に揺られてサラサラと音を立てた。
「あんさんが、ベヒーモス殺し?」
少女が薄く微笑みながら、言葉を続ける。
ソラとルキナが今日、街中で聞いてきた、無数の冷笑とも嘲笑とも、まったく違う響き。
夕暮れの広場で、ふと、誰かが鼻歌を口ずさんだような、そんな軽さ。
「……誰だ、お前?」
そう言いながら、ソラは少女のことをじっと観察する。
体格は華奢。背は低く、大人と子供の中間程度。
腰には武器の一つも、下げていない。
縫い目の一つも見当たらない、真っ白なローブには赤の紐が結ばれている。
どこか浮世離れした、高い品位と美を感じるようなその意匠。
冒険者ではない、しかし商人の身なりでもない。
どういう身分で、どういう立ち位置の人間なのか、見た目からでは全く分からない。
しかし、一つだけわかることがある。
――コイツは違う。
脅威。
ソラは何故か、ククリと名乗るその少女に対して、底知れない威圧感を感じていた。
「ウチ?ウチはククリ」
少女が微笑む。
それは穏やかで、冷涼で――しかし、底知れぬ冷酷なナニカを含んだ妖しい笑い。
「えらい物騒な顔をしてはったみたいやけど――」
少女は、目を細めてソラを見た。
フードの影が、彼女の顔に薄い線を引く。
「お兄さんの本物、ウチが買わせてもろてもよろしいか?」
フードの中にある、糸のように細い目が薄く弧を描く。
わずかに開いたその瞳に、夕日よりも明るい金の輝きが見えた気がした。




