カルデアへようこそ②
混雑する通りをソラとルキナの二人は歩く。
冒険者、商人がごちゃ混ぜとなって密集している一本の幅広の道。
しかし、意外と歩きやすいのは、道行く人々が全て、自然に人に当たらないように体を傾けたり、スペースを開けるようにしているからだろう。
おかげでソラとルキナの二人は、スムーズに前へと進むことが出来ている。
そんな中、ソラは道行く人々の観察を続けていた。
この大通りだけでも、大体200人ほどの人間がいる。
勿論、カルデアはこの大通りが全てではない。全体を見れば、倍以上の人間がここで生活しているはずだ。
数人ほど、イエソドのギルドでも見たことのある人間がいる。恐らくは冒険者だろう。
街にいる人間の半数が冒険者だとすると、最低でも100から200ほどの実力者たちがカルデアにはいることになる。
もしその全員が敵に回ったのなら――
「ソラ」
不意に、ルキナが袖を引いた。
「肉、焼いてる」
ルキナの視線の先には、串に刺さった肉を炭火の上で焼いている、一軒の食堂のテントがあった。
脂が炭の上に滴り落ちて、じゅうッと音を立てた。それと同時に炭の香りが辺りに広がる。
ルキナの鼻が、僅かに動いていた。口の中からじゅるじゅると音が聞こえた。
ソラは、思考を打ち切った。
「あとでな」
「ぬう」
不満げなルキナの視線は、肉に張り付いたままだった。
ソラは、そのまま道を歩く。
いつの間にか、頭の中から物騒な考えは消え失せていた。
「目に映る全員が敵だったのなら」。
その思考はある種、スラム出身の人間の癖のようなものだ。
スラムではすべての人間が敵に見えていたし、実際そうだった。
誰しもが生きることに必死で、盗みも殺しも、強者であるなら何をしても許されていた。
だからこそスラムでは、目に見える全てを敵と見なして警戒することが基本で、それができない者から死んでいく。
勿論、ソラにもその癖は沁みついているし、もう消えることは無いだろう。
だが、この場ではそんなことを気にする必要はない。この通りを見ているだけでもわかる。
誰もがそれなりの実力を持っているはずなのに、誰も盗み、脅し、殺し等、罪となるようなことをしようとはしていない。
それはきっと誰もが実力者であるからこそなのだろう。
誰もが武器を扱える。誰もが反撃の手段を持つ。
故に、誰かを脅し何かを奪おうとすれば、即座に同程度の暴力で返される。
スラムのように強者が一方的に弱者を喰らう構造ではないのだ。
だからこそ、全てが敵に回ることなど、ここでは考える必要がない。
よっぽど罪でも犯さない限り、そんなことは起こらないだろう。
それに、
「もし、立ちふさがるなら――」
――その時は皆殺しにすればいい。
そう思って、ソラは口の端を軽く歪める。
それに対して、ルキナは未だに物欲しそうに串焼きを見つめていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
大通りの奥にはまだ街が続いている。
多少は、この街がどんなところなのかもわかった。
ぼんやりと歩き続ける時間もそろそろ終わりだ。
バックパックの中で五層から持ち帰った素材がそれぞれの重みを抱えていた。
鱗、牙、爪――そして、腰袋に入れた拳大の蒼黒い結晶。
これらを全て金に変える必要があった。
塔を上るには装備も食料も足りない。
ソラは視線を通りの左手へと向けた。
そこには明らかに他の店より一回り立派な、二階建ての木組みの建物があった。
木の梁が他の店より太く、入口の脇には毛皮が二重に張られて内側の音を遮っている。
そして入口の上には大きな看板が掲げられていた。
「ヴォルフ商会」。
恐らくは、街の中でも大きな商会であろう。
建物の格、入口の構え、立地。一目で他の店とは段違いだ。
入口の前には鎧を着た男たちが、何人もたむろしている。冒険者だ。
あそこで素材の換金をしているのだろう。
ソラはバックパックを背負い直した。
「あそこに入ろう」
「りょ」
二人が商会の扉に消えた、その後。
通りの反対側、樽の陰に屈んでいた小さな影が、被っていたフードを少しだけ上げる。
そして、糸のように細い目をわずかに開けて、微かに笑った。
扉の向こうの空気は外より一段冷ややかだった。
毛皮で二重に防音された入口を抜けると、街の喧噪は遠くに引いた。
代わりに鼻に届くのは、鉄と革と油の匂い。内装のあちこちに沁みついたその匂いが、どこか気持ちを落ち着かせる。
壁一面に剣と槍と弓が並び、奥には防具の試着台が置かれている。
ちらりと流し見ただけだが、それでもそれらが全て上等なシロモノであることは分かる。
店の中ほどでは、二人の鎧を着た男が小声で話していた。
何かの取引の相談らしい。
彼らはソラとルキナをちらりと見て、すぐに視線を戻した。
特段の警戒も興味もない。ただの新しい客という認識。
二人は店の奥へと足を進めた。
奥のカウンターには、一人の男が立っている。
赤毛の中に白髪の混じった、五十がらみの男。
右目に革帯を巻き、左手は小指が欠けていた。
体格も大きく、がっしりとしたその肩幅は、その男がもともと冒険者であったことを雄弁に語っている。
「らっしゃい」
低い声がカウンターから飛んだ。
その目がソラとルキナを上から下まで一瞥する。
その視線が一瞬、ソラの羽織る外套の胸元の紋章で止まって、すぐにソラの顔に戻った。
「初めて見る顔だな」
「ああ」
「下から来た口か…名前は」
「ソラ。こっちはルキナ」
「ん」
「俺はヴォルフだ。よろしくな」
声に敵意は含まれていない。
その声に小さく頷きつつ、ソラはバックパックを下ろす。
「モンスターの素材を売りたい」
ソラはそういうと、バックパックから四層で採取した石甲虫の甲殻を取り出した。
合計8枚になる、鈍い灰色の塊。
カウンターに並べられていく石のような、あるいは金属のようなそれを見ながら、ヴォルフは頷いた。
「鉱食いの甲殻か。八枚だな。一枚銅貨三枚で計二十四枚。今出すか」
「銅貨……?銀貨じゃないのか?」
「そりゃイエソド通貨の話だろう。うちの店じゃ通貨はホド・ネツァク基準だ」
「…なるほど。じゃ、それで頼む」
あいよ、と短く声を上げて、ヴォルフは奥の引き出しを開ける。
そして取り出した銅貨を数え、それらをカウンターに置いた。
ソラが受け取り、ルキナがその枚数を黙って数え直す。
合っている。ソラは腰に下げた小袋の中にその銅貨を全て放り入れた。
その次にソラは別の物をバックパックから取り出す。
灰色の鱗が五枚。その隣に、30cm程の長さの牙を二本。
ヴォルフが鱗を一枚手に取った。
光に翳す。重さを量る。爪で叩く。
その隣に置かれていた牙にも同様のことを試し、そしてヴォルフは目を細めて、唸った。
「岩壁蛇か」
「ああ」
「四層の上位モンスターだ。中堅以上の冒険者じゃないと相手取らん相手だ。若いのに腕があるな」
手に持った牙を両手で撫でながら、ヴォルフは続ける。
「上顎の牙だな。下顎のは無いのか」
「砕いた」
「随分荒い殺し方をするもんだな」
ヴォルフは少し笑った。
皮肉ではなく、元冒険者として、相手の力量を理解した故の笑み。
「鱗、一枚銀貨一枚。牙は一本銀貨三枚。鱗五枚で五枚、牙二本で六枚…合計、銀貨十一枚だ。それでいいか」
「いい」
ヴォルフは奥の金庫からまた銀貨を出して、カウンターに積んだ。
きっかり十一枚だ。ソラは再び銀貨を革袋に収めた。
「肉…肉が買える…」
ルキナが横で何かを口の中で小さく呟いている。
さっきの銅貨より満足げな顔だった。
「他にもある」
ソラが続けて言った。
上等な岩壁蛇の素材を満足げに見ていたヴォルフが顔を上げた。
そして――ソラがその手に持っている素材を見て、目を丸くした。
「五層で取った素材だ」
ソラは灰黒色の鱗を一枚、カウンターに置いた。
ヴォルフの動きが、止まった。
ヴォルフは静かに、カウンターに置かれた大きな鱗を手に取った。
眼帯に覆われていない左目が細まり、その鱗をじっと見つめる。
これまでと同じように、光に翳し、重さを量り、爪で叩く。
そして、ソラを見た。
「…これが五層の素材?」
「そうだ」
「五層の…何だ?」
ソラは答えなかった。
代わりに布に包んだ牙を二本、爪を一本、そしてもう何枚かの鱗をカウンターに並べた。
ヴォルフの呼吸が深くなった。
恐る恐る牙を持ち上げる。長さ、ほぼ腕一本分。
鋭く、硬く、重いそれは、人を鎧ごと嚙み砕けるであろう凶悪なフォルムをしていた。
爪は大人の顔ほどの直径。
どれほど巨大なモンスターなら、こんな爪を持つのだろうか。
灰黒色の大きな鱗。
その色も形も、硬さも展性と延性も――何もかもが彼自身の知識のどの素材帳にも当てはまらない。
そして最後にソラは、腰に下げた袋から、布に何重にも巻かれた拳大の何かを取り出した。
その包みを解くと、現れたのは――蒼黒の結晶。
ナニカもわからぬ不思議なそれが、差し込む光に呼応するかのように、わずかに輝いていた。
ヴォルフの右手が結晶に伸びかけて、止まった。
「……」
彼は息を吐いた。
長い、長い息だった。
それから結晶を手に取らずに、ただ見つめた。
表面の流れ。内部に走る蒼の脈。
カウンターを支える腕に、僅かに力が入っているのが分かった。
「お前さん」
ヴォルフがようやく口を開いた。
「これは、なんだ」
「分からん。ベヒーモスから取った」
店内の空気が、一拍、止まった。
ヴォルフは結晶を見つめたまま動かなかった。
それからゆっくりと顔を上げ、ソラの目を真っ直ぐに見た。
薄く灰がかった、力強い瞳。
しかし、今、その瞳に映るのは――純粋な困惑の感情だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「お前さん」
ヴォルフは静かに切り出した。
「その外套の紋章。儂は見覚えがある。確か上の――それもティファレトの騎士の意匠だ」
ソラは何も言わなかった。
「生地の方も似たような上等品だ、見ればわかる。傷ついちゃいるが上も下も同等のシロモノだろう。上の連中の伝手で買ったか、それとも――上の連中ともやり合ったか」
ヴォルフは指先で結晶を軽く叩いた。
「他の奴らがどうかは知らんが、もしそうだとしても儂は信じる。お前さんが上の連中を一人や二人潰したってんなら、儂は素直に感心する」
「……」
「回答は要らない。別に事情を知りたいわけじゃあないしな。儂が言いたいのは、それぐらいのことだったら儂だって信じるってことだ」
その目には嘘も偽りも嘲りも何もない。
ただ正直な心の内を話していることがソラにも伝わった。
「――だが、ベヒーモスは別だ」
しかし、ヴォルフはそこで区切った。
「儂はな。十年、この店をやってきた。その前は二十五年、塔を登ってた。五層の"壁"の前で死んだ仲間は、一人や二人じゃない」
ヴォルフは結晶をそっとカウンターの上に置き直した。
「ベヒーモスは誰も倒せん。そういう生き物だ。数百年、イエソドの歴史で、誰一人としてアレを打倒したものなどいない。その鱗一枚でも持って帰ってきたものもな」
「…俺が倒した」
「だろうな。そう言うんだろうな、お前さんは」
ふうと一つ息を吐いて、ヴォルフは結晶から指を離した。
そして自分の左目を片手で軽く拭う。
そして少し黙って――沈黙の末、ヴォルフは結論を口にした。
「儂は、買わん」
「……」
「というよりも買えん。これらの材は、確かに最上等だ。だが、ベヒーモスの素材として買い取れば、儂の三十五年が嘘になる。逆に由来不明として安く叩けば、儂はお前さんを騙すことになる」
ヴォルフは結晶を、ソラの方へとそっと押し戻した。
鱗も、牙も、爪も、同じように一つずつ、カウンターの上を滑らせて、ソラの方へ。
「儂は、お前さんを儂の三十五年で値切るつもりはない。儂が買えば、それはあんたを騙す値段にしかならん。だから、買わん」
ソラはその言葉を、しばらく咀嚼した。
怒りは、湧いてこなかった。むしろ、奇妙に納得していた。
安く買いたたくことも出来たはずなのに、それをしなかった。
「正直」
ルキナがぼそりと呟いた。
ヴォルフはその一言にちらりと視線を向けて、わずかに肩をすくめた。
「正直なだけじゃ商売は廻らんがな」
「…なるほどな」
ソラは黙って、押し戻された素材を一つずつ布で包み直していった。
バックパックに戻す。
蒼黒の結晶も、布に何重にも包んで、また腰の袋に戻した。
腰の重みが、再び元に戻った。
ヴォルフはその一連の動きを、何も言わずに見ていた。
ソラが包み終えるまで、口を挟むことはなかった。
「上の商会か、別の流通屋を探した方がいい」
ソラがバックパックを背負った頃合いを見計らって、ヴォルフが続けた。
「この街にも、儂とは別の買い手がいる。あんたの素材を、適切な値段で買える奴が、多分、いる。ソイツを探すことだな」
ソラは少し考えてから頷いた。
「分かった」
「気が向いたら、また来な。あんたの言ったことが嘘でも本当でも、儂は別の話で売り買いに来るあんたを歓迎する」
そう言ってヴォルフは小さく笑った。
それは皮肉ではなく、どこか自嘲のような笑いだった。




