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万鎖の空と遥かな自由へ ―永遠の塔と絶対自由の叛逆者―  作者: れび
第二章:栄光と勝利に至る星幽路
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カルデアへようこそ①

【イエソド六層――合間の草原】


最初に来たのは、風だった。


頬を撫でる、温い風。

湖の冷気でも、地下の湿気でもない。乾いた草の匂い。遠くの煙の匂い。土の匂い。生き物の生活の匂い。

それらが一つの大きな波になって、ソラの全身を、包んだ。


次に来たのは、光だった。

眩い、と認識する間もなく、ソラは目を閉じた。

瞼の裏が、赤く透けている。皮膚の上に、温度が降り注いでくる。


ソラは深く、息を吸い込んだ。

そして、ゆっくりと目を開ける。


空。


頭上に、青いものが、無限に広がっていた。


ソラは、しばらく動けなかった。

動けない、というよりは、動こうという意思が、湧かなかった。

ただ、見ていた。

青の濃淡。雲の白さ。光の差し方。


今度は視線を下ろしてみる。


扉の出口は、開けた高台になっていた。

その先は、一面の緑。視界を遮るものは何もない。

緩やかに起伏する草原が、見渡す限り広がっていた。風が吹くたびに、草の波が音もなく倒れていく。

色は薄い緑。所々に、白や黄色の花が混じっている。


左の方角、遥か遠くを見てみれば、剥き出しの岩山が連なっている。

岩肌は鉛のような色をしていて、頂は陽光を返して白い。


右の方角を見てみれば、そこには草原が果てもなく続いていて、その先の地平線まで見える。

その景色の中にモンスターの姿形は映らない。


しかしそんな緑と白で満ちた光景の中に、一つだけ違うものがある。

この扉のある高台からどこかへ続く、灰色の道。

そしてそれの続く先、岩山の裾にそれがあった。


最初に目を引いたのは、煙だった。

細い煙ではない。何本もの黒々とした煙の柱が、まとまって一塊になり、空へと突き上がっている。

鍛冶炉、解体場、酒場、調理場――そのすべてが、常時、活動している証だった。


煙の根元には、密集した建物の群れがあった。

木組みの平屋が大半だが、その中に、明らかに二階建ての建物が、いくつも頭を出している。

一際高い丸太組みの櫓が、街の中心に屹立しているのも見えた。

建物の合間で、何かが動いている。人影だ。この距離では豆粒に見えるが、絶え間なく、動いている。


そして、遠くから、僅かに音が届いてきた。

鉄を打つ甲高い音。何かを叩く重い音。人の声のざわめき。

それらが地平を渡って、この高台にまで薄く届いていた。

あれこそが、上位冒険者たちの街。カルデア。


青空と、草原と、山と、街。

それらが混然一体となった、その光景を前にして、ソラはただそこに立ち尽くした。


風が髪を揺らす。

その温かさに目を細めながら、ソラは一言呟いた。



「ここが――第六層」



未知の、新しい層。

ソラは、そこに今、ようやくたどり着いたことを実感した。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


扉のある高台を降り、街道を下る。


最初の数百歩のうちは、まだ街は遠かった。

緩やかな下り坂の石畳が、やがて踏み固められた土の道に変わる。道の両脇には背丈ほどの草が生え、その間を細い溝が走っていた。


道の上には、すでに人の気配があった。


最初に擦れ違ったのは、二人の冒険者だった。

背に大きなバックパックを担いだ男と、その後ろをついていく女。男の腰には剣、女の腰には弓。

両者ともに装備が立派で、顔色も悪くない。恐らくは街の冒険者だ。

彼らはソラとルキナを一瞥して、特に何も言わずに通り過ぎていく。


警戒も、敵意も、差別もない。

むしろ、扉の方向から来たソラとルキナを、彼らはほんの少しの好奇の目で見ていた。


それはソラにとっては新鮮なものだった。

スラムの住人であるソラに向けられる視線には、いつも少なくない侮蔑が混じっていた。

しかし、先ほどの彼らからはその悪感情を微塵も感じることはなかった。


その後も、人とすれ違うペースは増えていった。

三人組の冒険者。革製のバックパックを背負った中年の男。皮で巻いた包みを担いだ老兵。一人の大男が運ぶ、樽を二つ積んだ荷車。

皆、それぞれの目的を持って、この街道の上を、移動していた。


目的地に近づくたびに、空気の匂いが変わっていく。

草と土の匂い、その中に他の匂いが混ざる。

木の燃える匂い、肉の焦げる匂い、油の煮える匂い、鉄が灼ける匂い。

即ち、人の営みが発する匂い。


歩くたびにその匂いは強くなり、そして人の喧噪が近くなる。

前を見れば、所せましと建造物が並んでいる。

ここからでは家屋なのか、それとも何かの店なのかはわからない。

しかし木と石をメインの建材として組み立てられたそれらは、雑でありながらもどこかかつてのイエソドの"街"を彷彿とさせるような品位があった。

そう感じるのは品位のかけらもないスラム出身のソラだからなのかもしれない。


そうして更に道を進めば、街の入り口が見えてくる。


入り口には、特に門などはなかった。

街道の両脇に、立てられた杭。

それぞれに、古びた幟が結わえられて、強い風で絶え間なくはためいている。

杭の高さは、せいぜい大人の腰程度。

この粗雑な2つの杭のみが、ここから先が冒険者たちの街であるということを示していた。


だが、ソラがその杭の内側に踏み込んだ瞬間――


世界が変わった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


【イエソド六層――冒険者の街・カルデア】


まず、感じたのは音。


鉄を打つ甲高い音。樽が転がる重い音。

獣の革を叩く、湿った音。誰かの甲高い掛け声。

誰かが大声で笑う声。誰かが大声で売り口上を上げる声。

それを聞いた誰かが、別の店から負けじと声を張り上げる。

それらが幾重にも重なって、街全体が一つの大きな音の塊になっていた。


次に、匂い。


肉の焦げる匂い、香辛料、酒、湯気、煙草に似た葉を焚く匂い、革をなめす匂い、香水のような甘ったるい匂い、解体場の生臭い血の匂い、そして、その全てを束ねる、煙の匂い。

数多の匂いが層を成して、ソラの鼻の奥に、押し寄せてくる。

イエソドのスラムの腐臭でもなく、街のさわやかな香りでもなく、雑多で豪快な、しかし不快ではない匂い。

草原に届いていた匂いは、あくまでもこの街を構成するもののほんの一部だったらしい。


そして、人。

ソラは今まで、イエソドの"街"の広場を指して、「賑わっている」と思っていた。

だが違った。ここの喧噪は、その比ではなかった。


通りの両脇には、店が密集していた。

木組みの平屋、二階建ての建物、軒を伸ばした天幕、その前に並ぶ露店。

それらが隣の店との隙間を惜しむように、ぴたりと寄り添って並んでいる。

店の前には、商品が積まれていた。

獣の毛皮を束ねた山。木箱に詰められた香辛料。瓶詰めの何か。乾燥した薬草の束。

武器や防具に、つるはし、ランタン、よくわからない謎の紙札等、無数の何かがそこかしかに陳列されている。


通りを歩く人の流れは、二筋。

一筋は街の奥へ、もう一筋は街の外へ。

歩く速度は、それなりに早い。皆、目的を持って、動いている。

立ち止まって商品を眺める者がいて、そこで流れが小さく分岐したり、合流したりする

誰かが何かを叫び、誰かがそれに笑い、誰かが声を低くして商談を始める。

そういうことが、視界の中で絶えず起きていた。


「いらっしゃーい!今日だけ蜂蜜酒がなんと半額!半額だよ!」

「ホド産の魔術札が入荷してるよー!今回はなんと炎の魔術だ!」

「研ぎ、今なら2本まとめて銀貨5枚!」

「グレイボアの保存ハム、最後の一本!早いもん勝ちだよー!」


声が、ぶつかり合っている。

売る側の声、買う側の声、笑う声、抗議する声、値切る声、釣られる声。

無数の声と声が重なり合ったり、打ち消しあったりして、この喧噪を作り出している。


「……行くか」

「ん」


ソラとルキナは、その流れの中を歩き出す。

目的地は無い。強いて言うなら、まずは全体を見て回ることが目的だ。


入り口から続く大通りの中を二人で歩く。


歩くにつれ、店は密になっていった。

並ぶ露店と、それを眺める人の数が増えていく。


「お、おっと…っ」


すぐ前方で、声が上がった。

果物を山積みにした手押し車が、何かに躓いて、傾いた。

赤い実が一つ、飛び跳ねて、ソラの頭上を越えていく。

だが、それが地面に落ちる前に、


ぱしっ、と。


短い音が鳴った。

ソラの背後を歩いていた中年の男が、何気ない仕草で、その実を空中で掴んでいた。

振り向きもしない。


そのまま、手押し車の商人に向かって、ぽいと、投げ返す。

商人が「おーきに!」と笑って受け取り、また手押し車を押し始めた。

中年の男は、それで全てを忘れたように、ソラの横を通り過ぎていった。


ソラは、その一連の動きを、見ていた。

振り向かずに、掴んだ。

背中で、物体の軌道を捉えていた。

そしてその腕は肘から先がまるで別の生き物のように、最短距離で実に到達した。


男は、それを特別なことだとも思っていなかった。

ソラの横を通り過ぎる時の表情は、ただの中年の通行人のそれだった。


数歩進む。

通りの左、屋根のない酒場の前で、二人の冒険者が、声を荒げていた。


「もう一杯くらい奢れよ!」

「お前が昨日借りた金返してからにしろや!」

「うるせえ!」


片方が、相手の胸ぐらを掴もうと、手を伸ばした。

その手が、相手の襟に触れる前に――


二人の周りの空気が、一瞬、固くなった。


傍目には、何も起きていないように見えた。

だが、ソラには分かった。

胸ぐらを掴もうとした男の右手が、ある一点で止まっていた。

止まらせたのは、相手の左手だった。

左手が男の右手首の内側に、ふわりと添えられている。

力は入っていない。だが、男の右手首はそれ以上動かなかった。


「……分かった。分かったから」


胸ぐらを掴もうとした男が、両手を上げて後ろに下がった。

左手の主の表情は即座に元の笑顔に戻った。


「分かったらいい。一杯だけな?」

「ああ、すまん、悪かった」


二人は何事もなかったかのように、また酒場の中に消えていった。


ソラはその一連の動作を、静かに観察していた。

笑顔のまま、相手の手首を制した左手の主。

あの手の添え方、あの瞬発力、あの距離感。



歩きながら、ソラは更に観察した。


露店で薬草を選んでいる頬被りの女。

商品を取る指の動きが、明らかに剣を握る者の指の動きだった。

指関節が、無意識に最も力の伝わる角度で薬草の茎を摘んでいる。


店先で居眠りしているように見える老人。

半開きの目の奥が、通りを通る全ての人間の動きを、淀みなく追い続けていた。


酒場のテーブルを布で拭いている店員。

布の動きが、一秒に二度、入口の方向を確認する仕草と連動していた。


賭場であろう建物の中では5人の男が卓を囲んで、何かのゲームしている。

そのうちの一人が大笑いしたかと思えば、その場に積まれていた銀貨の山が、その男の方に動いた。

スラムの暮らしで言うのなら、あれだけで数年は暮らしていけるだろう。

対して、大量の銀貨を奪われたはずの他の男たちは、感心したような表情で拍手をする。



ここでは、誰もかれもが皆、笑っている。

得をしても、損をしても、明るく声を張り上げて笑っている。

しかし、そんな人間達はほぼ全員が武装している。


腰に剣を下げた者。背に弓を負った者。手に重そうな棍棒を持った者。

冒険者だけではない。商人もまた、何らかの武器を腰に下げていた。

そして彼らの目は、全て同じ目をしていた。


狩りを、殺し合いを、命のやり取りを知っている目。

笑顔の下に、その目がある。

売り口上を上げる商人の、笑い声を立てる冒険者の、酒を飲む老兵の、賭場で札を見つめる賭博師の――その全員が、武器を扱える人間だった。


腕力、技術、財力、権力、あるいは知力。

ここに到達した人間は皆、イエソドの中でも何かに長じた実力者、あるいは上層から来た存在だ。

例えそれがただの露天商であろうとそれは変わらない。


誰もが笑って――上を目指している。


商人として商品を並べている男も。

酒場で酒を注ぐ女も。

研ぎ師として剣を磨く老人も。

解体場で皮を剥ぐ巨漢も。

果実商の女も、護衛の隊列も、賭場の親方も。

皆、何らかの形の力を持ってここに至り、そしてここより上を夢見ている。



これが冒険者の街――カルデア。



皆が皆、命を懸けて、その賭けに勝ったものたち。

戦って、狩って、稼いで、費やして、また稼ぐ。

そのサイクルを実現できる実力者たち。


賑わいは、強さの上に、成り立っていた。

強さは、命を賭けた経験の上に、成り立っていた。

命を賭けた経験は、塔の経路の上に、成り立っていた。


命を天秤にかけて、上を目指す者たちの集う憩いの場。

それこそがカルデアだった。









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