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万鎖の空と遥かな自由へ ―永遠の塔と絶対自由の叛逆者―  作者: れび
第二章:栄光と勝利に至る星幽路
35/61

五層の王者③

ベヒーモスは、間違えた。


遠距離からの飽和攻撃で敵を削る――それは妥当な判断だった。

そのうちソラが痺れを切らして自ら近づいてくる――その読みも正しかった。

故に、本体への接近を許す前に、罠を仕掛ける――それも当然の判断だった。


だが――その罠の選択を間違えた。


空中で慣性に乗ったソラを打ち取る手段は、本来いくらでもあった。

軌道上に槍の穂先を構えるだけで良かった。

ソラの軌道は読めていた。回避不能の位置に刃を置けば、空中で串刺しにできた。

あるいは、自分が一歩横に避けるだけで良かった。

ソラの落下点は決まっていた。そこから外れるだけでソラの渾身の一撃は空を切る。

あるいは、先程と同じように口を開けて待ち構えるのでも良かった。

今度は軌道を読み違えないだろう。そこで待って、頭から丸呑みにすればそれで終わる。

そのいずれの選択肢でも、湖の王は確実に仕留められた。


なのに――ベヒーモスは、その全てを選ばなかった。


数百年のうちに、初めて味わった、痛み。

初めて受けた、自分の攻撃が「躱されない」という前提が「躱される」に裏返った、無力感。

その二つが湖の王の判断を歪めていた。


もう一度、空中のソラと間合いを共有したくない。

もう一度、自分の肉体をソラと近接でぶつけ合いたくない。

もう一度、あの痛みを、味わいたくない。

それが、本能の囁きだった。


だから――湖の王は、自分の体を使う選択肢をすべて放棄した。


そして、彼はソラの身動きを封じた。

何もできないように縛り付け、その上で遠距離から剣で薙ぎ抜く。


限りなく安全な行動。

リスクもない、確実な手段。

数多の選択肢の中から、そう思えるそれを選んでしまった。


()()()()()という唯一、明確な死の選択肢を。



そして――撃鉄が落ちた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


剣の刃が、檻の表面に触れる、その直前。


球の継ぎ目という継ぎ目から、蒼い光が滲んだ。

過去の挑戦者の骨が密着して組み上げた、隙間のない球型の鋳型。

その骨と骨の僅かな噛み合わせの線から、内側の青が染み出してくる。


最初は、毛細血管のように細い一条。

それが太り、別の線と交わり、網目を編み、面となる。


球の表面全体が、内に灯った蒼で照らし出される。

そして――その輝きが、内側からの圧に屈した刹那。


球が、内側から爆ぜた。


放射状に、骨と骨の継ぎ目から青い光の柱が噴き上がる。

そして、檻を構成していた頭蓋が、肋骨が、大腿骨が、四方八方に散る。

湖の上空で骨と青い光の爆発が起きた。


ベヒーモスの濁った小さな目が、その爆発を捉える。


驚愕。

湖の王の本能が、初めて自分の予期しなかった事態に直面していた。


だが、湖の王の体は、既に振りの慣性に乗っていた。

口に咥えた巨大な剣はもう止まらない。

首の振り抜きは、最後まで走り切る。

剣の刃は檻ではなく――檻の中から現れたモノに向かって走り続けた。


蒼い光に包まれた、その何か。

湖の王には、最早、何が檻の中から出てきたのか視認できなかった。

眩い蒼が、視界を塗り潰している。

それでも、本能は告げていた。


――振り抜け。

――振り抜かなければ、その何かに自分が殺される。


剣は走り続ける。

そして――刃が何かに触れた。


直後。

湖の上空に固く高い音が走った。

それは剣がモノを切り裂く音ではなかった。



それは――鉄が、砕ける音。



過去数百年分の挑戦者の鉄を集めて作った、湖の王の最後の武器。

その刃が内側から外側へ罅を入れていく音。


そして、剣の刃が湖の上空で二つに折れた。


折れた先端の鉄が回転しながら湖の中央方向に飛んでいく。

湖の王の口に咥えられたまま残った剣の柄とその付け根の部分が、湖の王の歯の間で軋んだ。


刃の根元から、青い光が湖の王の口の中まで侵入してくる。


その光の奥に、何かが立っていた。


骨の檻の残骸――宙に浮かぶ骨の破片の上に、地面の如き自然さで、片足を置いている。

重力など、その何かにはもう関係がなかった。


そしてそれは――



「ぎゃはっひゃっははっはははははははははははははははああははははははっはははははははッ!!!」



笑っていた。嗤っていた。嘲笑っていた。

生きる者、死んだ者、命なき石、瓦礫、剣、盾、鎧、何もかも――この世界の全てを嗤っていた。


笑い声は湖の上空に反響し続ける。

円形の空間の内側で何重にもその狂笑がこだまする。

湖の王の濁った小さな目が、その音に初めてたじろいだ。


「嗚呼、嗚呼……お前は間違えた」


狂笑がふと止み、それが呟いた。

表情はない。喉の奥で何かが軋み、その軋みが声を低く擦らせている。

両目だけが紋様の蒼を反射して、湖の王をまっすぐ見据えていた。


「普通にやればよかったのに。俺を殺す手段なんかいくらでもあったはずなのに」


感情がない――否。

極大の感情を捉えきれないだけだ。


その声色には嘲りがあった。

落胆もあった。

そして何より――怒りがあった。


「なのに――お前は俺を縛った」


世界すら壊す怒り。

己の自由を縛る全てを壊すという誓いが怒りと共に駆動する。

何もかもを嗤いながら破壊する、『自由』の化身が脈動する。


「俺の『自由』を邪魔したな」


その象徴たる右半身の蒼が、天井から差し込む月光すら呑み込む光を放ちだす。

蒼が、五層全体を侵食する。

そして、一瞬の凪は掻き消えて――



「ああああああああああああはっはははははははっはははははははははあはははッ!!壊そう、殺そう、お前という存在を踏みにじって自由を得ようッ!!」



爆笑。絶笑。狂笑。

歯を剥いて、目を見開いて、大声で笑うそれ――すなわちソラ。


それは先程までと同じ存在ではなかった。

人間の形をした何か別のもの。

誓約と、怒りと、自由への渇望が肉体に宿った姿。


その右半身の輝きが最高潮に到達する。

つまり――ソラの己約が、満身で駆動を始めて、



「さあ――ぶち壊してやる」



虐殺が始まった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


瞬間、轟音と共にベヒーモスの視界からソラが消えた。


音の正体は、檻の残骸が崩壊した際のもの。

目の前のそれが突如として、粉々になるまで粉砕されていた。

何が起きたか、などと考える暇もなかった。


湖の上空に、蒼い線が一本、走った。


線の終端は、湖の縁で構えていたスケルトンの集団。


そして、その瞬間――骸どもが消えていた。


骨の塊が跡形もなく霧散していた。

組み上がっていた頭蓋も肋骨も脊椎も四肢の骨も、すべてが蒼い光の触れた瞬間に粉になっていた。

欠片すら残らず、塵となって消えていく数十の骸。

湖の王も塵を操ることはできず、ただただその光景を眺めていることしかできなかった。


線は止まらない。


蒼い線は、湖縁の半円形を埋めていたスケルトン軍団の中を縫うように走り続ける。

ジグザグに石畳の上を駆ける蒼。それに触れたところから順に、骨が塵になる。

頭蓋が砕けることもなく、ただ青い光に触れた瞬間に消える。


数十、数百――湖縁の半円を埋めていた家臣団の数が、目に見えて減っていく。


湖の王の濁った小さな目は、それを視認すらできなかった。

蒼い線の速度は、王の動体視力の限界を、軽々と超えていた。

気づいた時には、湖縁を埋めていた家臣団が、ほぼ全滅していた。


「GU……ッ!?」


ベヒーモスが初めて動揺の声を漏らした。


そして消えるのは骨だけではない。

線の通り道にある鉄の武具、防具――王の所有物もまた、粉々になって宙を舞う。


剣も、槍も、斧も、鎌も、槌も、鎧も。

湖の主が千年かけて蓄えた、過去の挑戦者の遺物の全て。

それらが、青の通過する順に、塵となって消えていく。


消える。消える。全てが消える。

数百体のスケルトン。

数多の武具。

数多の防具。

湖の王の百年分の財宝が、十数秒で、無に還っていた。


「GAAAAAッ!!」


ベヒーモスが咆哮した。

それはもはや王の声ではなかった。

何が起こっているのかも判らぬまま追い詰められた、ただの獣の悲鳴。


湖の王が踵を返して、湖の対岸の方向へ逃げようとした。

四肢が湖の底を激しく蹴る。

湖の水が激しく波立つ。


その動きはこれまでの王者の悠然とした足取りではなかった。

ただの、必死の、逃走。


逃げる場所など、円形の空間の内側にはなかった。

それでも王は逃げようとした。

本能が命じていた――そこにいてはいけない、と。


が、もう遅い。



「後はお前だけだなァ」



それは、逃げる王の目の前に居た。


蒼い輝きを纏いながら、ケタケタと嗤う、小さな――化け物。

それが空中にふわりと浮かんでいた。


それは楽しそうだった。

心の底から楽しそうだった。

湖の主が踵を返して逃げ出した、その様すらも、子供が玩具を追う遊びのように楽しんでいた。


「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」


咄嗟に、王はその巨大な前足を振るった。


直径が大人の身長くらいはある、それ。

湖の王の最後の抵抗。

その爪が、空中に浮かぶ小さな化け物に向かって振り下ろされる。


これまでなら避けるしかない、致命の一撃。

だが――化け物には、それがもう何でもなかった。


避けない。

受けない。

ただ、振るわれたそれに向けて、右手を振る。


鬱陶しい羽虫を払うように。

道端の小石を蹴飛ばすように。

無造作に。

そして――伸ばした右手の指先が、振り下ろされた前足の大爪に触れた。


その瞬間。



湖の王の前足が、消えた。



肉球の表面の鱗。その下の肉。筋繊維。骨格。関節。腱。

その膝関節から下の全てが、跡形もなく霧散した。


「GIAAAAAAAAAAAAッ!?!!?」


巨獣の悲痛な絶叫が、円形の空間の内側に響き渡る。


肢の付け根の傷口から、湖の水ほどの量の鮮血が、滝のように溢れ出した。

湖の水が、瞬く間に深紅に染まっていく。


「かははっ! 良い声で鳴くなァッ!!」


化け物が嗤った。

歯を剥き出しにして、目を見開いて、心の底から楽しそうに。

返り血が頬を伝っていたが、それを拭う気配すらなかった。


巨獣は、ようやく理解した。

先程からの不可解な消失。

骨が、鉄が、塵となって消えていく謎のチカラ。

それを自分の体で体験して、初めて理解した。


その正体は――ただの暴力だった。


視認すら許さぬ速度。それでもって突き抜けるだけの突進が骨と鉄を塵へと変えた。

今、自分の右足が消えたのも同じだ。

尋常ならざる膂力で薙がれ、肉と骨が衝撃に耐えきれず、粉になった。それだけ。


正真正銘、ただの暴力。


魔術なら、何かしらの対策があったかもしれない。

異能なら、それを縛る方法があったかもしれない。

だが――純粋な暴力に、対処の方法は、存在しない。


ベヒーモスは、それを見上げた。


それはただ、自分の恐怖を嬉しそうに見ていた。

それはただ、自分の悲鳴を心地よさそうに聞いていた。


濁った小さな目に、初めての感情が宿る。

これまで一度も知らなかった感情。

怒りでも、悲しみでも、恐怖でもないそれ。


数百年を生きた湖の主が初めて理解したそれは――絶望だった。


きっとこれまでの挑戦者たちが、彼と相対した時に湛えていたもの。

それを、湖の王は今、初めて、自分の側で味わっていた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


化け物は、その絶望を上から覗き込んでいた。

飽きたわけでも、満足したわけでもない。

ただ、次の作業へと意識を移しただけだった。


「あと三本か」


化物が短く、そう告げた。


気づいた時には、化け物は湖の王の左の前足の真上に立っていた。

空中に。

足場など何もないのに、まるで石畳の上に立つかのような自然さで。


ベヒーモスが残った前足を振り上げる前に――化け物の右脚が、無造作に振り抜かれた。


「よいしょっ」


気の抜けるような声と共に放たれる回し蹴り。

落下も加速もない、ただ腰を捻っただけの軽い一閃。


それだけで。

左の前足が、根元から引きちぎられた。


「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!?!?」


両前足を失った巨体が、湖の中で前のめりに崩れる。

顎が湖の水面に突き刺さった。

根本から千切られた左足が、宙を高く舞い上がり、湖縁の石畳に落ちて、低く重い音を響かせる。

湖縁の石畳の表面に、巨大な肢の重みが、罅を入れた。


「よし、二本目ッ!」


化け物が、また嗤う。

それは、命を奪う声ではなかった。

それは――遊びを楽しむ子供の声。


「次ィ」


そして後肢へ。


「三本目」


ベヒーモスはもう抵抗しない。否、できない。

何故ならもう、それに対抗するための手段がない。

脚も無くし、財も尽きた。

その有様はまさに裸の王。


「四本目ェ」


化物の声が、淡々と続く。

声が響くたびに自身の四肢が消失していく。

最早、苦痛に叫ぶことすら、できない。


出来ることは、ただ蹲って耐えること。

湖の王は、湖の水面に顎を突き刺したまま、ただ震えていた。


「オイオイ、随分小ぶりになったなあひゃはははははははははははははああああははははははははははっははあはッ!!」


響き渡る耳障りな笑い声。

笑いの対象は哀れな王の姿。


そこには四肢も財も――全てを失った湖の主の巨体が、湖の中央にただ横たわっていた。


胴体だけが湖の水の中に半身浸かっている。

頭部だけが湖の水面の上に、辛うじて残されていた。


その頭部からは、もう音は出ていない。

咆哮も、悲鳴も、唸りも、何もない。

ただ、濁った小さな目だけが、湖の上空に浮かぶ化け物を見上げていた。


「いやー、でもやっぱり胴体だけでもデカいな。小分けにして正解だったか」


化け物が、湖の上空でふわりと回って、王の死に様を上から眺めた。

両手を後ろに組んで、まるで散歩でもするかのような、緩い姿勢で。


それの言葉は、ベヒーモスには分からない。

分からないが、命の尊厳など気にしていないことだけは、伝わっていた。


「お前とやるのは楽しかったよ」


化け物が、ベヒーモスの頭部に降り立った。

そして右脚で彼のことを踏みつけにして嗤う。


「最後だけは残念って感じだけどなー」


そして、人差し指を、ベヒーモスの額に向けて伸ばす。

まるで、家畜に最期の処遇を言い聞かせるような態度で、それは巨獣に語り掛ける。


「ま、安心しろ。お前の死骸は無駄にはしない。できる限り使ってやるからさ」


笑っている。嗤っている。嘲笑っている。

その化け物は、最早身動きすらとることの出来ない巨獣を、その命を、嗤っていた。


「それじゃあ」


それの右脚が上がる。

踵が、ベヒーモスの額の真上に置かれる位置で止まった。

そして、


「死ね」


踵が墜ちた。


絶望。

恐怖。

そして――諦め。


それらが湖の主が、最後に湛えた感情だった。








本作品を読んでいただき、誠にありがとうございます。


この作品では、批判批評を自由に受けつけ、それによる展開の変更や内容の修正が起こることがあります。


誤字脱字、読みにくい文体・改行位置、設定の不整合、唐突な展開へのご指摘等、全てをご自由にレビューいただけますと幸いです。


どんな内容であろうと否定は一切いたしませんので気軽にフィードバックいただきたいです。

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