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万鎖の空と遥かな自由へ ―永遠の塔と絶対自由の叛逆者―  作者: れび
第二章:栄光と勝利に至る星幽路
34/61

五層の王者②


「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」



王が号令を下す。


巨獣が湖の中心で立ち上がり、天を仰ぐように首を持ち上げる。

その大きな口から発せられる湖の王の咆哮が、円形の空間の内側に響き渡る。



その瞬間、宙に整列していた骸と鉄の塊が一斉に動き出した。



最初に動いたのは、湖底で錆び朽ちていた長剣だった。

誰がいつ握っていたのかもわからない、先の折れた古い長剣。

それが、巨獣の背後から、ソラを目掛けて一直線に飛翔する。


「うぉ――」


まるで弓矢の如く、顔に向って飛んでくるそれを、ソラは驚いた声を出しつつも紙一重で避ける。

だが、それはあくまで一番槍。それを避けて終わりではない。

次の瞬間、ソラの視界に映ったのは――


無数の鉄の塊が、ソラに向って同じように飛翔してきているという状況だった。


剣がある。槍がある。矢があり、盾があり、槌もある。

そんな無数の武具、防具がソラを目掛けて殺到する。


「あぶねッ」


咄嗟に身を低くして転がれば、頭上を十数本の武具が掠めて通り抜ける。

剣、槍、斧、棍棒。それらが湖縁の石畳の上を一直線に飛翔し、外壁に次々と突き刺さった。

石が砕ける音共に、石壁の表面に、刃や穂先が深く食い込んでいく。


転がった勢いのままに石畳の上で半身を起こして、前を向く。

その瞬間、目の前にあったのは一本の矢。


「ッ――!!」


ソラは咄嗟にそれを右腕で打ち払う。

息を整える間もない。第二波がもう来ているのだ。


続けて飛翔してくるのは、武具ではなく、骸だった。

頭蓋骨が一つ、肋骨が三本、大腿骨が五本、それ以外の様々な骨。

それぞれが回転しながら別の角度から迫った。


「――らァッ!」


ソラは右脚を軸にしてその場で半回転。

その勢いのままに左足を振り回して、その骨片全てを打ち払う。


「ぐっ――」


しかし唯一、カタカタと音を立てる頭蓋が、ソラの足に噛みついた。

疎らに残った歯が、むき出しの脹脛に突き刺さり、皮膚が破れて血が垂れる。


「気持ち悪いんだよ、このボケッ!!」


ソラは頭蓋が噛みついた右脚を地面にたたきつける。

地面と衝突した誰かの頭蓋骨が砕け散る。

しかし、砕けて宙を舞う破片もまた、宙に浮いたままその動きを止めない。

むしろより小さな破片となって、ソラの周囲を再び旋回し始めた。


「クソ鬱陶しいな……」


ソラが低く呟いた。


砕いた頭蓋骨の破片は、もう頭蓋骨ではない。

ただの骨の破片の集まり。だがその全てが、湖の王の意思の元でまだ動き続けている。

家臣団は数で勝負する。

そしてその数は、砕いても減らない。むしろ砕けば増える。


それに、王の家臣はその無数の骨だけではない。

今も尚、巨獣の周りを舞い続けている無数の武具がソラを睨む。

まだまだ種は尽きていない。


そして――王が追加の指令を下す。


「GURRRRRRRRRRRRRッ!!」


王が唸ったその瞬間、湖の縁で整列していた骨たちが動き出す。

頭蓋骨が頚骨と接続する。指骨が中手骨、手根骨と接続し、更に尺骨がそこにつながる。

次々と組み合わさる無数の骨たち。


そして出来上がるのは――無数の骸の兵。


「スケルトン……!?」


それはモンスターの一種、スケルトンに近しい何かだった。

塔の中で度々遭遇する、骨の塊で構成された化物。違うのは通常のスケルトンではなく、ベヒーモスの意思により作られた特製の存在であるということ。

湖の底に積もった人骨が、ベヒーモスの意思の元で組み上がり、在りし日の似姿を取り戻していた。

数は、目視で数えるのも馬鹿馬鹿しい。

湖縁の半円形を埋め尽くすように、何百体ものスケルトンがソラを取り囲んで立ち上がっていた。


それぞれが過去の挑戦者の装備を、その手に握っている。

剣、槍、盾、斧、鎌、槌、弓。

過去、五層に挑んで敗れた人間たちが最後に握っていた、あらゆる武具。

それらが今、ソラに向けられていた。


「は……マジかよ」


ソラの口の端から、低い笑いが漏れる。

絶望の笑いではない。目の前の状況の規模に、純粋な感嘆を覚えただけ。


そして、スケルトンの第一陣が踏み出した。


剣を構えた一体がソラの正面から斬りかかる。

ソラはそれを右拳で叩き上げた。

スケルトンの右腕が剣ごと上に弾き上げられる。

そのままソラはスケルトンの顎を、左の踵で蹴り上げた。

首が後ろに折れる。頭蓋が背中側に落ちた。


だが、それで一体倒したわけではなかった。


折れた首がすぐに戻った。

落ちた頭蓋が宙を浮いて、首の上に戻ってくる。

そして剣を握ったままの右腕も、もう一度剣を構えた。


それと同時に、ソラの左右から別のスケルトンが襲いかかる。

槍を突き出す左、槌を振りかぶる右。


それに対して、ソラはバックステップ。

ソラの目の前を槍と槌が交差して、それぞれがそれぞれの持ち主を打ち砕く。

だが、それも意味がない。砕かれた骨が再び形を取り戻し始める。


「キリがねぇな……ッ!?」


一息つきかけたその瞬間だった。


ソラは見た。

無数のスケルトンのその奥。

未だ宙を舞い続ける鉄の武具と骸の破片。



それらが――全てソラに向って迫ってきているという壮観な光景を。



「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!!」


ベヒーモスが雄たけびを上げる。

全軍突撃――モンスターなど分からないソラでも、そう言っているであろうことが本能でわかった。


「クソッ――」


槍がソラの頭の横を通り過ぎていく。


頬を風が掠めた。

僅か数センチの差。耳の脇で、空気が裂ける高い音が響く。

槍はそのまま外壁に突き刺さり、その重量で石壁に深い亀裂を入れた。


それと同時に、横合いからスケルトンがソラに向かって切りかかる。


錆びた剣が水平に薙ぎ払われた。

ソラは咄嗟に右半身を捻って、その軌道を躱す。

そして反動で右拳を握り、剣を握っていたスケルトンの腕に叩き込んだ。


スケルトンの錆びた剣に、ソラの拳がぶつかる。

ぽきり。

古い金属が、ソラの拳の力で根元から折れた。

折れた刀身が宙を舞って、湖縁の石畳に落ちる。


スケルトンは剣を失っても止まらなかった。

代わりに、空いた両手でソラに掴みかかろうとする。

ソラはそれを左の踵で蹴り上げて、後ろに弾き飛ばした。


だが、それで一息つく余裕はなかった。


頭上で、空気が変わった。


ソラの本能が危険を察知する。

反射的に視線を上に向ければ――月光の柱の中に、無数の鉄の矢が整列して宙に浮いていた。

過去の挑戦者の弓兵が放ち損ねた矢。あるいは折れた剣の破片。

それらが王の意思の元に集まり、ソラの真上で一斉に切っ先を下に向けていた。


「ぐッ――」


ソラは全力でその場から後退した。


湖縁の石畳の上を、半歩、一歩、二歩。

足が転がる勢いで、五歩分の距離を瞬時に空ける。


直後――


矢の雨が、ソラがいた場所に降り注いだ。


数十本の鉄の矢が、湖縁の石畳に突き刺さる。

そこに残されていた十数体のスケルトン。

ソラに掴みかかろうとしていた骨兵。

剣を失った骨兵。

その全てが、頭蓋を、胸郭を、骨盤を、矢に貫かれて、湖縁の石畳に縫い止められた。


王の意思の前では、家臣の損失など問題ではない。

家臣は無限に湧く。

どれだけ砕いても貫いても、湖底に積もった骨の数だけ補充される。

であれば、ソラを潰すためなら、家臣ごと矢で射殺することも、王にとっては何の躊躇もない。


「ははッ、容赦ねェな!」


ソラが息を切らせながら笑う。

しかしそんなソラには、後退した先にも逃げ場はなかった。


背後で、空気が動いた。

ソラは振り返る間もなく、その場で身を低くする。

次の瞬間、頭の上を、長い槍の柄が横一線に薙ぎ払われていく。

槍を構えた骨兵が、ソラの背後から襲いかかっていたのだった。


槍がソラの真上を抜けた直後、ソラは下から肘を振り上げて骨兵の顎を打ち抜いた。

顎が砕ける。頭蓋が後ろに弾ける。

だが、骨兵はそれでも倒れず、まだ槍を握ったままもう一度突きの体勢に入った――

その時、視界の正面で別の何かが迫っていた。


鎧。

過去の挑戦者の鎧の破片。胸当て、肩当て、籠手、すね当て。

それらが独立した塊となって、ソラの正面から一直線に飛来していた。

数は十数枚。

それぞれが、人の上半身ほどの大きさ。

それぞれが、鈍い金属の重量を持っている。


「次から次へと……ッ!!」


ソラが低く呟いた。

槍の骨兵が背後にいる。

鎧の塊が正面から来る。

湖縁の石畳の四方は、再構築されたスケルトンに、完全に埋め尽くされていた。


ソラの言う通り、キリがない。このままでは、いつか避けきれなくなるだろう。

ではどうするか。


「上等だ――」


ソラがまた、獰猛に笑う。

覚悟は決まった。

このままではジリ貧。ならば流れを変えるしかない。


つまり――前進。


「こっちから出向いてやりゃあいいんだろッ!?」


そう叫ぶソラが、湖縁の石畳を蹴った。

向かう先は、前。

背後から突き出される槍を避けながら、前方へと走り出す。


正面から飛来する鎧の塊の群れ。

その第一波が、ソラの胸郭の高さに迫っていた。

しかし、ソラはそれを避けない。


逆に、踏み込んで――両拳を構えて、正面から、最初の鎧の塊を殴り抜く。


「おらァッ!!」


ソラの拳が鎧の胸当てに直撃する。

人の上半身ほどの大きさの鉄の塊が、ソラの拳の力で軌道を逸らされ、横に弾かれた。

その反動でソラの右腕がぐらりと痺れたが、無視する。

そのまま二発目、三発目を続けて殴り抜く。

肩当てが、籠手が、すね当てが、それぞれの軌道から弾き飛ばされていく。


弾かれた鎧は湖縁の石畳に落ちる。

そして再び宙に浮いてソラを追う。

まだまだ、上下左右前後ろ、様々な方向から飛んでくる無数の鉄たち。


だが、もうそれは構わない。

ソラに必要だったのは、今、この瞬間。


正面に空いた一瞬に、道が、開いた。


ソラはその隙間に頭から突っ込む。

スケルトンの群れの中、ソラの体が、現在の己約オースの出力で動ける限界の速度で走り抜けた。


剣を振りかぶった骨兵が、ソラの正面に立ちはだかる。

ソラは構えもせず、その骨兵に体当たりした。

己約オースで強化された身体能力が、そのまま骨兵の胸郭を粉砕する。

骨兵が後ろに弾ける。

ソラはそのまま走り抜けた。


槍を構えた骨兵が、ソラの足元を狙う。

ソラはその槍を踵で蹴り上げて、別の骨兵の方へ向け直した。

槍が、別のスケルトンの胸郭に深く突き刺さる。


弓を構えた骨兵が矢を放つ。

ソラは半身を捻ってそれを躱す。

矢は背後を抜けて、別のスケルトンに突き刺さった。


家臣が家臣を撃つ。

それでも王の指揮は止まらない。

家臣の補充は無限に続く。


ソラはその全てを、無視した。


目指すのは、ただ一つ。

湖の中央で佇んで、静かにこちらを睨みつける、湖の王。五層の"壁"。

その本体。


「お前を、ぶち壊すッ!!」


ソラの口から漏れた言葉は、もう、誰に向けたものでもなかった。

ただ、自分の中の意思を、自分の口で確認するためだけの言葉。


そして、ソラは湖の縁に辿り着いた。


湖縁の石畳の最後の一歩。

その先にあるのは、湖の水。

湖底に積もった骨が、その水中でまだ動き続けている。


背後から追いすがる無数の屍兵の群れ。

全方向から迫る鉄の武具防具。

破片となりつつも迫る、千の骨。



それら全てを無視して――ソラは跳んだ。



両足の裏が湖縁の石畳から離れる。

膝を折り、脹脛のばねを最大に解放する。

紋様の出力で底上げされた肉体が、その全力を垂直跳躍に変換した。


ソラの体が、湖の上の空間に放り出される。


空中。

湖の中央方向に向かって、一直線。

その軌道の終点には――ベヒーモス。


四肢を踏ん張り、ゆっくりと体を起こしつつある、湖の王の本体。

その頭部が水面から顔を上げる位置で、ソラの跳躍の終点と重なっていた。


「ハッ――」


ソラの口から息が漏れる。

笑いか、気合か、ただの呼吸か。

自分でもわからなかった。


空中で、ソラの体がねじられる。

肩を起点に、腕、頭、背中、腰、脚と、上から下へ軸がねじれていく。


回し蹴り。


跳躍の勢いと、己約オースにより強化された肉体の出力。

それらを重ねて、踵の一点に、収束する。

水平ではない、傾いた回転軸を持つ、振り下ろし型の回し蹴り。


「おおおおぉォ!!」


それがちょうど軌道の終点で放たれる。

振り下ろされた先には、ベヒーモスの頭蓋骨と、その下の脳。

それらを、踵の一撃で、抉り抜く――


その筈、だった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



だが――湖の王は、それを許さなかった。


「GRUッ!!」


空中にあるソラの姿を睨みながら、一吠え。

直後、ソラの背後で、湖の水面が突然盛り上がる。


水柱――ではない。

湖底に積もっていた千の骨が、水と一緒に、垂直に湧き上がったのだった。


骨の柱。

それは湖の中央のベヒーモスの脇から、空中のソラを包み込むように、四方から立ち上がる。

水を滴らせながら、ソラの空中の四方を塞いでいく。

そしてその骨たちが、突如として形を変えた。


肋骨と肋骨が、頭蓋の眼窩が、大腿骨の節々が、互いに連結する。

骨が、繋がる。

何百本もの骨が、線になる。

線が、編み込まれる。

編み込まれた骨が、面になる。

面が、湾曲する。

そして、面と面が、噛み合った。


そして出来上がったのは骨で出来た球。

ソラの周囲を取り囲むように、それが突如として空中に形成される。


「なッ――」


ソラが空中で回転の慣性を止める間もなかった。

最後の継ぎ目が、噛み合う。


その瞬間――


球が、閉じた。


外側からは、何も見えない。

内側からも、何も見えない。

ベヒーモスも、月光の柱も、湖縁の石畳も、すべてが、骨の壁の向こうに、消えた。

両手も両足も、まだ動く。

だが、振り抜く先がない。


ソラは咄嗟に、振り抜きの途中だった左脚を、戻そうとした。


その時――球が、収縮する。


骨と骨の継ぎ目が軋む。

互いに食い込んでいく音。

湖底から、まだ追加の骨が、球の表面に組み込まれていく。

球の内壁が、内側に向かって、押し詰まっていく。


骨の壁が、ソラの体に、触れた。

肋骨の冷たい先端が、ソラの背中に。

頭蓋の眼窩の縁が、ソラの肩に。

大腿骨の関節の凹凸が、ソラの太腿に。


ソラの体が、四方から、押される。

両手は、肘から先で、壁に押さえつけられる。

両足は、太腿の途中で、固定される。

背中は、骨の壁に密着する。

胸も、腹も、骨で押し込められる。


指一本、動かせない。

首も、回せない。

膝も、肘も、固定された。

皮膚と骨の壁の間に、隙間がない。


物理的な、完全な、密着拘束。


これが――湖の王の、最後の罠だった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


空中に閉じた球が浮かぶ。

その中には、王の敵が閉じ込められている。


それを睨みつける五層の王――ベヒーモスは叫ぶ。


「GUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUッ!!」


直後、宙を漂っていた数多の武具と防具、それらが動きを変える。

剣。槍。斧。鎌。槌。

胸当て。肩当て。籠手。すね当て。兜。

過去、五層に挑んで敗れた挑戦者たちの装備の、その全て。

家臣の骨で作った球を作り上げた後で、湖の王の意思の元に集まった、もう一つの群れ。

それらが、ベヒーモスの大きな口の前に、集まっていく。


そして、変質を始めた。


剣の刃と、別の剣の刃が、互いに溶け合う。

湖の王の意思の元、鉄が鉄の中に溶け込んでいく。


槍の穂先が、剣の刃の中に組み込まれる。

斧の刃が、その剣の腹に、補強として張り付く。

鎧の胸当てが、剣の鍔として、変形する。

籠手とすね当てが、その柄の周りに、巻き付く。


何百もの鉄の武具防具が、互いに溶け合いながら、一つの巨大なナニカの形へと組み上がっていく。


それは――剣。

ただし、巨大な、とても巨大な剣。


長さは、ベヒーモスの巨大な体調と同じ程。十数メートル。

刃の幅は、人間の身長を超える。

過去数百年、五層に挑んで散った全ての戦士の装備がその素材となっていた。


そして、その出来上がった巨大な剣を――ベヒーモスは、口で、咥えた。


牙の間に、剣の柄が深く挟み込まれる。

湖の主の顎の力で、それは強固に固定された。

柄が、ベヒーモスの口の中で、噛み締められる。


「GURRRRRRッ……」


ベヒーモスの咽喉から、低い唸り声が漏れる。

それは、王が振りに入る前の、深い呼吸。


湖の王の首が、ゆっくりと後ろに引かれた。

口に咥えた巨大な剣の刃が、湖の上空に大きく振りかぶられる。

鉄の刃の表面に、月光が走る。

過去の挑戦者の鉄が、月光の柱の中で暗く輝いた。


ベヒーモスの巨体が、振りの体勢に入る。

首の付け根の筋肉が盛り上がる。

湖の王の上半身が横なぎの軌道に合わせて捻られた。



そして――首が、振り抜かれた。



「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!!」


咆哮と共に、巨大な剣が、湖の上の空間を横一文字に薙ぐ。

湖の水面が剣の通過した軌道に沿って右に裂ける。

水柱が、剣の腹と空気の摩擦で左右に立ち上がった。


その振り抜きの軌道の終点には――


ソラを閉じ込めた、骨の球が、ある。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ベヒーモスは、恐れていた。


恐れていたのは、目の前にいる、小さく、そして対等の存在。

人間ごときが、湖の王に対して刻んだ、いくつかの傷。

たかだか人の手のひらほどの傷ばかりだが――その全てが、千年単位で「無傷」だった湖の王の体に初めて刻まれた、明確な「敗北」の証だった。


近づかれれば、また同じことをされる。

それは、湖の主にもわかっていた。

そして自分の攻撃は、おそらく、また避けられる。

それも、簡単に予想がついていた。


故に――湖の王は自分の体での戦いを放棄した。


代わりに動かしたのは、骨と鉄の群れ。


ベヒーモスの能力は、『自分が所有する物を自在に操る』こと。

広義には魔術に類する、湖の主の生来の異能。

湖底に積もった過去の挑戦者の骨と、湖底に転がった彼らの鉄の遺物。

湖の王の縄張りに眠る限り、そのすべてが湖の主の所有物だった。


王はその所有物を戦士に作り変える。

あるいは武具に作り変える。

そして、敵に向けて放つ。


自分は安全な距離を保ったまま――遠隔から敵を磨り潰す。

それが最も正しい戦略であることを、ベヒーモスは理解していた。


だが、彼にはわかっていた。

飽和攻撃をただ繰り返しているだけでは、敵はいずれこちらに近づいてくる。


故に罠を仕掛けた。

家臣として動かしているのは、湖底に積もった骨のほんの一部に過ぎない。

湖縁に降り注いだ骨と、すぐに動かせる手駒だけ。

残りの大多数は――湖の主の意思の元、湖の底で眠ったまま待機させていた。


敵が湖の王の本体に近づいてきた、その瞬間。

王は、湖底で眠らせていた骨の全てを一斉に起こす。


そして――起こした骨で敵を囲う檻を組み上げる。


球状の檻。

過去の挑戦者の骨で組まれた、密着拘束の鋳型。

敵をその中に嵌め込んで動けなくする。


動けなくなった敵を、湖の王は最後の一手で粉砕する。


その最後の一手にも、湖の王は自分の体を使わない。


代わりに、湖底に転がった鉄の武具防具を集め巨大な剣を作る。

リーチの長い武器を敢えて作り上げる。

そしてその刃で檻ごと敵を薙ぎ抜く。


万が一にも、自分の体には届かない安全な距離。

そこから過去の挑戦者の遺物だけで、敵を狩り殺す。


家臣で消耗させ。罠で囲い込み。リーチの長い剣で、薙ぎ抜く。

全てが計画通り。

湖の王の予期した通りの終わり方。

彼は、勝利を確信していた。


そして、王の剣が球の檻ごと、敵を両断する――その瞬間。



「――ひゃはッ」



檻の中から小さな嗤い声が聞こえた。




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