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万鎖の空と遥かな自由へ ―永遠の塔と絶対自由の叛逆者―  作者: れび
第二章:栄光と勝利に至る星幽路
29/61

仄暗き回廊②

二人が歩く音が回廊に響き渡る。

闇の中を歩くたびに、微かな息遣いが聞こえてくる。

何かが壁を走るカサカサという音が耳に入るが、その姿は見えない。

ここではいつ、何が襲ってきてもおかしくはない。


ソラはルキナの前を歩き、前方を警戒する。

逆にルキナは神経を研ぎ澄ませて後方の闇を睨む。

出会って2週間にも満たないはずの二人は、最早長年共にしたペアなのではないかというほどにその連携を強めていた。


不意に、ソラの足が何かを蹴った。

ちらりとそちらに目を向ければ、そこにあったのは灰色の何か――骨だ。


恐らくは人骨だろう。白くはない。長い年月の湿気を吸い込んでくすんだ灰色になり、床と一体化しそうなほど細くなった腕の骨。

目を凝らせば数歩先には折れた剣が転がっている。剣身はなく柄のみのそれは、もしかすると石甲虫にむさぼられた後なのかもしれない。


だが、これは塔では当たり前のこと。


誰かがここまで来て、ここで終わった。

それだけのことだ。


誰かの残骸にそれ以上の感情を覚えることもなく、ソラは邪魔なそれを道の端に蹴とばして先を歩く。


更にそこから二十分ほど歩いた頃、通路が二手に分かれた。

どちらを見ても深い闇があるのみ。先は見通せない。


ソラは外套の内ポケットからボロボロの手帳を取り出して、燐光石の微かな灯りでそれを見つめる。

育ての親、アベルの残したメモ帳。それにはこの回廊の地図も詳細に記されている。


「右だ」

「りょ」


ソラが出した小さな声に、ルキナが了承を返す。

何でコイツはこんなに気が抜けてるんだろうと思いつつも、ソラは気にすることなく、右の暗闇の中を進んでいく。

そして、数歩歩いた時、ソラは足を止めた。


「……」


壁面の虫食い痕は最早ない。

代わりに、壁の上部に引っ掻いたような細い傷が断続的に走っている。


石甲虫のものではない。爪だ。何か別の生き物が、壁を登って天井まで移動した跡。

よく見れば、それだけではなく壁や床に何かを引きずったような跡が走っている。

一本の線ではなく、太い帯が擦ったような、そんな痕。


「ルキナ」

「わかってる」


小声で名を呼ぶと、ルキナは既に警戒態勢に入っていた。

赤い目が細められ、フードの奥で周囲を走査している。


二人は一歩ずつ、慎重に暗闇の中を歩き続ける。

一歩、また一歩と歩いていく度に音が消えていくような気がする。


壁で何かが蠢く音も、陰から聞こえた息遣いも、今は何も感じない。

しかし、その先に何かがある、いや居ることを、ソラは確信していた。


歩くほどに濃密になる気配。

音は無い。しかし徐々に感じ始めるのは匂い。

生臭い。血と粘液が混じったような、喉の奥に張り付く匂い。死の匂い。


そうして歩いたその先、曲がり角を超えたそこに、それはいた。



岩壁蛇ロックバジリスク



その全長は15mを超えていた。

蛇と蜥蜴の中間のような姿をしている。太い胴体は人の胴回り2つ分ほどの直径があり、その表面は壁と同じ灰色の鱗で覆われていた。

頭部は三角形で、顎の下には石甲虫の殻の欠片がこびりついている。

あの硬い虫を捕食しているのだ。間違いなく、この回廊の食物連鎖の上位に当たる存在だ。


そんな巨大なモンスターが、回廊の壁に大きな爪を食い込ませ、首をもたげてこちらを見ている。

二股に分かれた舌を出しながら、爬虫類特有の縦長の瞳孔がソラをじっと睨みつける。


モンスターの感情などソラには分からないが、それが敵意であることだけは間違いなかった。

縄張りに踏み込んだ侵入者を値踏みする目。獲物か、脅威か。その判定が終わるまでの静寂が、回廊に張り詰める。


対するソラも、それから目を逸らさずに考える。

岩壁蛇ロックバジリスクの巨体はこの狭い通路を完全に塞いでいる。そして、迂回路はない。


つまり選択肢は二つ。退くか、狩るか。


今までのソラだったら、退くことを念頭に置いていただろう。

リスクとリターンを考えて、この場で無茶な行動はしなかったはずだ。


だが、今のソラは違う。


「邪魔だな」



スイッチが入る。

右半身の蒼の紋様が輝き始める。



――コイツは邪魔だ。俺の道に塞がる壁だ。

――ならば壊そう。ならば殺そう。立ちふさがる全てを屍に変えてやろう。

――俺の自由を邪魔する奴は一切合切悉く、



「ぶち殺すッ!!」



そしてソラの撃鉄が落ちた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ソラが床を蹴った。


石畳が陥没した。踏み込みの衝撃だけで床が砕ける。

蒼い紋様が脈動するたびに、ソラの体から溢れ出る力が周囲の空気を歪ませていた。


彼は勢いのままに跳躍し、右壁に着地。更にその壁を蹴って宙へと跳躍。

一瞬のうちに岩壁蛇ロックバジリスクの目の前まで三角飛びで躍り出る。


勿論、岩壁蛇ロックバジリスクも黙ってみているわけではない。

獲物ではない。脅威だ。

判定が塗り替わった瞬間、蛇の本能が全力の先手を選択。

その巨大な体が鞭のようにしなり、直径1mの尾が回廊を横薙ぎに振り抜かれる。


尾が通過した軌道上にあった壁面の石組みが、横一文字に吹き飛ぶ。石片が散弾のように飛び散り、通路の反対側の壁にまで突き刺さる。


長く、重く、まるで丸太のようなその尾は、更に岩のように硬い鱗に覆われている。

それが全力で振るわれるのだ。人体等、それに当たればいとも容易く粉砕されるだろう。


――それがソラ以外であれば。


「ははッ」


ソラが嗤う。

空中にあるその身は、岩壁蛇ロックバジリスクの一撃を避けることはできない。

しかし、ソラはそもそも避けるつもり等なかった。


尾が直撃するその瞬間、ソラは右手を尾に突き立てる。

腕の筋肉が盛り上がり、爪が鱗に食い込んで、ひと際強く蒼の紋様が輝く。


そして――全力で引き裂いた。


轟音。

絶叫。


悲痛な叫び声が回廊に木霊する。鮮血が噴水のように溢れ出す。

それは勿論ソラのものではなく―――


「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!」

「はははははははッ!思ったよりかわいい声で鳴くんだなァッ!」


右の壁面に大きな何かが激突。その衝撃に、壁面はひび割れ、回廊が揺れた。


大きく、硬く、重い質感のそれは――今振るわれた岩壁蛇ロックバジリスクの尾そのもの。


直径1mはあるであろうその巨大な尾が、真っ二つに引きちぎられて、勢いのままに壁に打ち付けられる。

強引に引きちぎられた断面からは骨と肉が覗いていて、あふれ出る血液が暗い通路を静かに伝った。


ソラに目覚めた異能――〈怒れる自由よ(イーラ・)万鎖を壊せ(サタナエ)〉。

怒りを象徴するそのチカラは、ソラが縛られたことを認識した時に発動し、彼に人外の膂力を与える。


痛みにたじろぐ岩壁蛇ロックバジリスクは、口を限界まで開いて身を捩り、今なお空中にあるソラの体を噛みちぎろうと頭を振り回す。

三角形の顎が迫る。石甲虫を噛み砕くあの顎だ。


大きく、大きく、空いたその口。

ソラなど簡単に丸呑みにしてしまいそうなその口腔に、鋭い歯列が並んでいるのが見えた。


だが、それがどうしたというのだ。


「ひゃはッ」


そういってソラは無造作に右足を引いて、


「くたばれ」


蹴り上げた。


その瞬間、空気が爆ぜた。


蒼い光を纏った右脚が、岩壁蛇ロックバジリスクの下顎を真下から捉える。

石甲虫の甲殻を噛み砕いてきた自慢の顎――そのど真ん中に、ソラの蹴りが突き刺さった。


音が、遅れた。


一拍の静寂の後、衝撃波が回廊を走り抜ける。壁面の燐光石が幾つも弾け飛び、天井から石の粉が雪のように降った。

岩壁蛇ロックバジリスクの歯が砕け散る。大きいもの小きいもの区別なく、白い破片が四方八方に飛び散った。

そして下顎が、蝶番ごとへし折れた。


「GI――、A――――」


悲鳴にすらなっていない。

顎がひしゃげた岩壁蛇ロックバジリスクの頭が蹴り上げの勢いで仰け反り、天井に激突した。石組みが砕け、頭部の鱗に天井の欠片がめり込む。

15mの巨体がたまらず後退する。四本の短い脚が石畳を掻き、壁に縋るようにして姿勢を保とうとしていた。


――逃がすかよ。


ソラが再び床を蹴って、宙を舞う。

重力は彼を縛らない。まるで床に着地するかのように、ソラは天井を足場とする。


そしてもう一度跳躍。今度は下へ。

後ずさる岩壁蛇ロックバジリスクの頭めがけて、真上から急降下。


飛びながら右拳を引く。彼のチカラを示す蒼い光が集束する。

その光が、逃げる巨体を残酷なまでに照らし出す。


渾身の、落下。


その拳は狙い過たず、岩壁蛇ロックバジリスクの頭に吸い込まれ、


「――沈めッ!」


再びの轟音。

グシャリという音が鳴り響き――


拳が、岩壁蛇ロックバジリスクの頭頂部を叩き潰した。


鱗が爆ぜた。骨が粉になった。

その下の肉も脳も、区別なく全部まとめて床に叩き込まれる。

岩壁蛇ロックバジリスクの頭部が石畳にめり込み、床そのものが蜘蛛の巣状に砕けた。

衝撃が回廊を走り、十歩先の壁にまでひび割れが伝播する。


岩壁蛇ロックバジリスクの全身が、一度だけ大きく痙攣した。

15mの胴体がばたん、と倒れる。尾を失った後半身が力なく横倒しになり、四本の脚がだらりと投げ出された。

それきり、動かなくなった。


無音。


辺りに深い静寂が落ちる。

否、そうではない。この回廊のモンスター達はが息を殺したのだ。


彼らは理解した。この回廊の食物連鎖の頂点が入れ替わったことを。

そして、その頂点が今この場に立つ人間であることを。


ソラが岩壁蛇ロックバジリスクの死骸から拳を引き抜く。

赤黒く、ねっとりとしたものが腕に纏わりつき、ソラは不快感に少し顔を顰めた。


それと同時に、輝きを放っていた右半身の紋様が脈動を緩める。

目的を達成した誓いのチカラが弱まり、その光もやがて消えた。


「……ふぅ」


小さく息を吐き、首を鳴らして、振り返った。


気づけば、ルキナが岩壁蛇ロックバジリスクの胴体の上にちょこんと座っていた。

戦闘中どこにいたのかは知らないが、いつの間にか特等席を確保している。両足をぶらぶらさせながら、何とも言えない目でソラを見ていた。


「……何だよ」


ルキナはゆっくりと両手を前に突き出す。すると、握りこんだ両の拳から徐々に親指が出てくる。


「……」


にゅるにゅると上がる両親指はやがてピンとそり立ち、ダブルグッドサインを作った


「やるじゃん」

「……」


なんじゃこいつ、とソラは思った。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


パチパチ、と焚き木が音を立てる。

暗い回廊の中を、それのぼんやりとした光が辺りを照らしていた。


焚き火の煙が立ち上っては天井に吸い込まれるように消えていく。

どうやらこの回廊の天井には気流が流れている穴のようなものがあるらしい。

塔の構造は未だに理解できないことが多い。


ソラとルキナは焚き火の前で座って暖を取る。

その優しい暖かさに、肌寒い回廊の中で歩き続けた体が芯から解されていくように感じた。


しばしの休憩。

第五層を目前にして彼らは歩き続けた体を回復させていた。

かれこれ6時間は歩いたのだ。疲労困憊とまではいかないが、それでも疲労感は溜まっている。


「思ったんだけど」

「?」


そんな中ソラがぼそりと呟く。

その手には木の枝と、それに刺さった大きな焼けた肉。


しっかりと焼き目が付いた赤身の肉。焦げ目からはじんわりと肉汁が滴っている。

そんな肉串をソラが大きく口を開けて頬張れば、溢れ出す旨味と脂が口の中を満たしていく。


香辛料も塩もない。ただ、切って焼いただけなのにこの旨さ。

スラムであろうが、街であろうがこんなものはそうそう食えるものではない。正しく冒険者の醍醐味の一つ。

それを咀嚼し、味わって、呑み込んで、一息ついて、


「俺の能力弱くない?」


身も蓋もないことを言い放った。



「は?」


ルキナが焼けた肉に齧りついたまま、怪訝そうにソラを見た。

口の端に脂がついている。拭う気配はない。


「ソラはさっきのモンスターも簡単に狩ってた」

「いや、そうなんだけど」


ソラは肉串を膝の上に置いて、右の手のひらを見つめた。

先ほどまでそこに宿っていた蒼い光はもうない。あの時感じていた万能感も消え失せて、あるのはいつもの肉体だけ。


「俺のチカラ…己約オースだっけ?これは俺が『縛られた』って認識しないと発動しないんだよな?」

「恐らくそう」

「うーん」


ソラは唸る。

彼が手に持つ肉串の肉は、自身が能力で屠った岩壁蛇ロックバジリスクの肉だ。それをまた一口頬張って思考に耽る。


怒れる自由よ(イーラ・)万鎖を壊せ(サタナエ)〉。

『自由』であることを誓約として、ソラの『自由』を阻害する対象の破壊権を獲得するソラの異能。


ソラ自身、いまいち自身の能力の全容が分かっているわけではない。

しかし、本能的に理解していること、そして第三者であるルキナの考察を合わせることで、ある程度の詳細はつかめていた。


要点は3つ。

一つ。発動すれば、対象を必ず壊せるようになること。

二つ。発動にはいくつかの条件を満たさないといけないこと。

三つ。これが一番重要で、ソラにとっての悩みのタネ。それというのは――


「発動できないとなーんの意味もないんだよなあ」


それこそがソラの己約オースの弱み。

発動すれば無敵だが、発動しなければ何の効果も及ぼさないというのが、この己約オースの問題点だった。


「意味ないは言い過ぎ。空も飛べるようになってる」


ソラの己約オースは彼自身が『縛られた』と認識した対象に対してのみ影響を及ぼす。

例えば重力。この世に存在する物体全てを縛り付けるこの法則は、ソラからすれば鬱陶しい鎖の一つ。

故に、ソラは重力から解放され、宙を自在に舞うことが出来る――なんていうことはなかった。


「いや、飛んでんじゃなくて浮いてるだけなんだよ、アレ」

「あー」


確かに重力は無効化できるようになった。

しかし、それだけなのだ。彼には翼がなく、空を歩くことも出来ない。

要するにプカプカ浮くだけ。


「まあ塔の攻略なら便利ではあるけどさ。空に浮いて、上から位置とか方角とか確認できるし」

「うーん」


ルキナが無表情のまま唸った。

それから少しだけ小首を傾げて、肉を齧りながら口を開く。


「……でもそれ、不思議」

「何が」

「重力は間違いなくソラを縛っている。なのに己約オースは重力を完全には無効化してない」

「んん?」


ソラは肉を齧る手を止めた。

言われてみれば、確かにそうだ。己約オースは『縛られた』と認識した対象への『破壊権』を獲得する能力のはず。

であれば、重力という鎖を認識した時点で、それは粉々に壊れてしかるべきではないのか。

だがソラに起きたのは『破壊』ではなく『無効化』、しかも中途半端な。


「つまり、ソラは自分で力の強さを決めてる」

「……俺が?」

「うん」


ルキナは火の粉が天井に吸い込まれていくのを見つめながら、続けた。


「多分、こう。『縛られた』って感じた強さの分だけ、反撃する力が出る。ソラが『全力で壊したい』って思えば全力で壊せる。『ちょっと自由にしたい』くらいなら、ちょっと浮くだけ」

「……」


ソラは空を『飛びたい』とは思っていたが、『重力を殺す』とまでは思っていない。

面倒な鎖ではあるが、それだけだ。歩くために地面は必要だし、物を置いておくためにも必要だ。完全に消えたら不便になる。

だから――無意識に、手加減している。出力を調整しているのだ。


「……お前、時々鋭いな」

「時々?」

「……常に鋭い」

「よろしい」


ふんす、とルキナが自慢げに鼻息を漏らす。

その様子にソラは小さく溜息をつきながら、更に思考に耽る。


何となくだが、ルキナが言ったことは殆ど正解に思われた。だが、少し違う気がする。

重力を完全に無効化していないのは、そもそもできないのではないだろうか。


ソラは右手を持ち上げて、じっと見つめた。

己約オースの発動条件は、ソラが『縛られた』と認識すること。ならば、認識の質が変われば出力の質も変わるはずだ。


重力は法則だ。見えない。音もない。誰かに絞められるわけでも、押さえつけられるわけでもない。

ただ「なんとなく、体が地面に引っ張られている」という漠然とした実感があるだけ。誰が縛っているのかもわからない。

それを『縛り』と呼ぶのは、ほとんど屁理屈に近い。


岩壁蛇ロックバジリスクの時もそうだった。

あの時、己約オースは確かに発動していたが、その出力はマクスウェル相手の時の数十分の一程度だったように思う。

全開だったのならば、初めの一発目で殺せていたはずだ。

恐らく"道の邪魔をしていた"程度だと、全力は出せないのだろう。


つまり『縛られた』という実感の強さと、『誰が縛ってきたか』という対象の明確さ。

その二つが揃った瞬間にだけ、ソラの己約オースは真価を発揮する。


どちらか一方でも欠ければ、力は落ちる。

二つとも欠ければ、ほぼ発動しない。


「…はぁ」

「どんまい」


ソラは自分の中で整理が進んだのを感じたが、理解が進む度に溜息が出る。

無表情のまま、思ってもいないであろう軽い励ましの声を投げかけてくるルキナをジロリと睨む。


「大丈夫、生きてりゃいいことある」

「……」

「それに雑魚めの能力でも大丈夫。超絶無敵さいきょーの私がいるから」


ぶいぶいっといつものダブルピースで煽ってくるルキナを見ながら、いつコイツをひっぱたいてやろうかとソラは少し悩んだ。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「……考えても仕方ないか」


ソラは手のひらを下ろして、焚き火に薪をもう一本足した。

知ったところで発動条件が甘くなるわけではない。

どうせ使うのは本番の戦いで、そこでは考える余裕などないのだ。


「まあ、いいさ。使えないときはおまえに任せる。それが一番早い」

「ひも野郎」

「黙れ」


ルキナは肩を竦めて、水袋を一口含んだ。


沈黙。

焚き火がぱちり、と小さく爆ぜて、一つ大きめの火の粉が天井に吸い込まれていく。


ソラは膝を抱えたまま、通路の先を見ていた。

そこにあるのは"階段"と扉――更にその先には第五層がある。

ソラの最高到達階層にして、過去に挫折を味わった階層。


「……ルキナ」

「ん?」

「前も言ったが、俺は五層に一度行ったことがある」


ルキナが肉を齧る手を止めた。

珍しくソラの方から過去の話を振ってきたからだろう。赤い目が少しだけ大きくなる。


「俺にとっちゃ、あそこは一度諦めた場所だ」


今から登る場所には、過去の自分を叩きのめしたモンスターがいる。

太刀打ち等できなかった。ただただ蹂躙され、何もできずに逃げ帰ったあの日を思い出す。


「怖い?」


ルキナが静かに尋ねた。

煽るような響きはなかった。ただ、確認するような声。


それに対してソラは嗤った。

怖い?


「むしろ楽しみだ」


本音だった。


少し前のソラであったのなら恐怖を感じていたことだろう。

だが今のソラは違う。ソラはもう何にも縛られない。それは己自身が経験した、過去の苦い敗北にさえも。


同じ場所で、同じモンスターに、また逃げる?

そんな選択肢はもう存在しない。


――アイツは邪魔だ。


この世界は鳥かごだ。ソラの前に立ち塞がるものは全て、粉々にされなければならない鎖に等しい。

道を塞ぐもの。殴ってくるもの。踏み潰してくるもの。巨大な肉の塊が、過去に自分を一度地に這わせたから何だというのだ。


壊せ。

殺せ。

踏み潰せ。


自由を邪魔する鎖となるなら、どんなものでも壊して殺せばいい。

自由のためにひた走ること。それこそがソラの願いで、祈りで、唯一の誓い。


だから。


「アイツは俺が殺す」


ソラの蒼い目が怒りに燃える。

口元が笑いで歪む。


焚き火の炎が、ソラの顔の半分をオレンジに染めている。

もう半分――蒼い紋様の走る右半身――は、ほのかな光をまとって昏く照らされていた。

まだ発動はしていない。ただ、それの気配だけが漏れ出ている。

まるで、ソラの殺意に呼応するように。



ルキナはその顔を、焚き火越しにじっと眺めていた。

フードの奥で赤い目が、燃える炎を映してちらりと揺れる。そして――ふっ、と息を吐くように、唇の端を歪めた。





本作品を読んでいただき、誠にありがとうございます。


この作品では、批判批評を自由に受けつけ、それによる展開の変更や内容の修正が起こることがあります。


誤字脱字、読みにくい文体・改行位置、設定の不整合、唐突な展開へのご指摘等、全てをご自由にレビューいただけますと幸いです。


どんな内容であろうと否定は一切いたしませんので気軽にフィードバックいただきたいです。

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