仄暗き回廊①
【イエソド4層――錆びた回廊】
「おオオォッ」
青年が唸りを上げながら、大地を蹴った。
腰が回る。それに連動して右脚が地面を離れ、弧を描いた。脛が空気を裂く音がした。
豪風を纏った彼の右足は、空中を滑空する敵に向けて放たれる。
敵―――それは体長が1mにもなろうかという巨大な蟲だった。
石甲虫。文字通り、甲殻が石のように硬い、甲虫型のモンスター。
主食は石、岩、鉱石といった無機物。石畳や壁を齧り、食した鉱物によって甲殻を育てる。
しかし、主食が石なだけで、実は彼らは雑食。貪欲な石甲虫は柔らかい生物の肉を好む。
普段は壁面などに張り付いて擬態しているが、目の前を生物が通過した時、唐突に牙を剥いて襲い掛かるのだ。
青年――ソラがその虫たちに気づいたのは奇襲の直前だった。
回廊を歩いていると、壁面に凸凹とした浅いクレーターがいくつも現れるようになった。
それが虫食いの跡であると気づいた時には既に遅く、石甲虫は不快な音を出しながら、彼に向って飛び掛かって来ていた。
その数、6匹。
薄暗い回廊の壁面にへばり付いていた石甲虫達はソラを囲うようにして、同時に迫ってくる。
通常、石甲虫を討伐するなら槌、もしくは斧のような重量のある武器が必要だ。
その硬い甲殻の前に剣は無意味。弓や銃などの遠距離武器も効果がない。
ましてや徒手空拳で彼らを狩ることは不可能に等しい。
しかし、それはソラ以外ならの話だ。
空中で放たれた彼の渾身の回し蹴りが石甲虫に命中する。
その瞬間、グチャッという湿った音が空間に鳴り響いた。
それは当然、ソラの足から出た音ではなく、石甲虫が一匹潰れた音だ。
「はッ――」
地面に着地したソラに向って、もう一匹の石甲虫が飛んでくる。
真正面から飛んでくるそれに対して、ソラは右腕を振り下ろして、空中の甲虫をそのまま拳で叩き落とす。
甲殻が手のひらに触れた瞬間、ぱきりと乾いた音がして、床に叩きつけられた虫が二度三度と脚を痙攣させた。
続いて、頭上から別の2匹が急襲。
ソラは慌てることもなくその2匹の軌道を見極める。
そして空中にあるその2匹の顔から飛び出た大きな一本角を掴んで、右手と左手でそれぞれ一匹ずつ捕まえる。
そして両腕を全力で地面に向って降り降ろす。ぐしゃりという音が同時に二つ鳴った。
そんなソラの真横を、更に別の一匹が滑空する。
狙いは彼の後方にいるもう一人。
ぶぅんという不快な音をたてながら羽ばたく石甲虫は、その巨大な角をもう一人の標的に突き出して、
『墜ちて』
突如としてその体が地面に墜ちた。
まるで上から突然重石でも降りかかってきたように、その体は地面に急降下。
その勢いのままに硬い石畳に激突し、そして動かなくなった。
「怪我は?」
そんな石甲虫を右足で踏みつぶしながら、ソラはその少女――ルキナに問いかける。
「問題なし」
ルキナは右手でグーっと親指を立てながらそう返す。
何となく気が抜けるその態度は塔の中にあるまじきもの。
しかし、流石に慣れてきたので、ソラは気にせず、石甲虫の死骸から甲殻を採集し始めた。
死骸の傍に膝をつくと、視界が低くなる。
そこで初めて、足元に転がっている錆の塊が目に入った。
兜だった。
正確には、兜だったもの。長い年月の湿気に侵されて形が崩れ、赤黒い粉になりかけている。
数歩先には折れた剣の柄。さらにその先には潰れた籠手。
回廊のあちこちに、似たような金属片が散らばっていた。
ここはイエソド4層――通称、錆びた回廊。
通称の由来は単純だ。
回廊のそこかしこに、朽ちた鎧や折れた剣、歪んだ兜といった金属片が放置されている。
どれも長い年月の湿気に侵されて、赤黒く錆びついている。誰がいつここに残していったのか、もう誰も知らない。
塔の1層から3層までが『挑戦者の腕試しの場』だとすれば、4層は『準備不足の者が最初に死ぬ場所』だった。
金属片の持ち主たちは、ここから二度と上には行けなかった者たちだ。
回廊は2層と同じように、上下左右を壁で囲まれた密閉空間である。
壁面の節々からわずかな水気が滲み出て、それが気流に揺れている。
その揺らぎが微かな光を反射するたびに、回廊の石組みが呼吸をしているかのように見えた。
辺りは仄暗く、壁面に埋め込まれた燐光石だけが唯一の光源。
その冷たい青白い光が、ソラの足元から三歩先までを照らす。それ以上は深い闇だ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ソラとルキナが塔の中に入ってから既に2日が経過していた。
マクスウェルを殺したその足で彼らが目指したのは、塔の走破。
そのための準備が整っているとは言い難い。何せイエソドは崩壊し、準備を整えるための場所もなくなっていたのだから。
あの時持ち出せたのは、マクスウェルから剥いだ装備一式と、ルキナが拾ってきたバックパックの中身だけだった。
中身は保存食が数日分、水袋が二つ、包帯と消毒薬が少々。塔に入る準備としては心許ないにも程がある。
だが、今のソラには、否、ソラ達にはそれだけで十分だった。
彼らは2日かけて第1層から4層までを駆け抜けた。
足りない物資は現地で調達。食料はモンスターを狩って入手。水の入手場所もソラの持つメモ帳の中に記載がある。
初回の冒険は何だったのやら、特殊個体との遭遇やモンスターの群れに追い回されるといったトラブルもなく、彼らは順当に塔の攻略を進めていた。
その攻略速度は、イエソドのトップ層の冒険者と比べても殆ど遜色ないものだった。
だが、それも当然だろう。
元々ソラは単独でも5層までなら攻略できる冒険者だった。
散々自分を卑下してきたが、"無能"であった頃でさえ、その膂力だけはこの塔の上位層に十分通用するものだったのだ。
そこにルキナが加わった。界約で敵の動きを止め、ソラが殴る。単純だが、それだけで二人の攻略効率は跳ね上がった。
そして、もうソラは無能ではない。
ソラの右半身に走る蒼い紋様が示す異能――己約。
あの日、マクスウェルに追い詰められて覚醒したチカラ。
ソラにもまだ全容は掴めていない。
確実なことは二つ。
それはソラが何かに縛られたと感じた時にだけ発動するということ。
そして発動した時は、全てが壊れること。
そんなことを考えながらソラは作業を続ける。
ソラは甲殻の継ぎ目に剣の先端を差し込んで、使えそうな殻片を一枚ずつ剥がしていた。
「それ、全部剥すの?」
ルキナが石甲虫の死骸を見下ろしながら尋ねてくる。
「持ってける分はな。石甲虫の甲殻はそれなりに硬くてな、武器とか防具の材料になりやすいんだと」
そう言いながら、ソラはまた一つ、傷が付いていない大きな甲殻を剥ぎ取っていく。
微かな光を受けたその殻が、貝殻の内側のように鈍く虹色に光った。
剥ぎ取りを終えたソラが、バックパックの中に取集品を詰め込んでいく。
元々はそれなりにスペースが開いていたはずのそれは、今は冒険の中で取得した食料と、そしてモンスターから採取した素材によってパンパンに膨らんでいた。
「その素材はどうするの?」
それに対して、ルキナが疑問を呈した。
階層世界イエソドが崩壊した今、ギルドという仕組みも喪失している。
そんな状況で、モンスターの素材を集めることに意味があるのか、ルキナには全く分からなかった。
しかし、それには明確な回答がある。
「ああ。ここら辺の素材は売れるかもしれないしな。取れるなら取っておきたいんだよ」
「売れる?」
彼女の頭に疑問符が浮かんだ。
売れるというのはどういうことだろうか。
売るということは誰か買い手がいるということだが、少なくとも今のイエソドにはそんな人間はいないだろう。
「イエソドにはな。でも塔の中にはいる」
「……?」
ルキナが怪訝そうに首を傾げた。無理もない。
塔の中は本来、モンスターが跋扈するダンジョンだ。そんな場所に商売をしている人間がいるというのは、常識的に考えればおかしい。
だが、ソラはそれを知っていた。
上を目指して塔に潜っていた頃、先輩の冒険者からいくつかの情報を聞き出していた。その中に「6層には冒険者が集まる場所がある」という話があった。
当時のソラにとって6層は遥か遠い未踏の地だったが、その情報だけはメモ帳にしっかりと書き留めてある。
「塔の6層辺りに、冒険者が集まる場所があるらしい」
「冒険者が?この塔の中に?」
「詳しくは知らない。行ったことないからな。ただ、6層には巨大なセーフティゾーンがあって、そこに人が集まる街があるんだと」
ソラはバックパックの中に石甲虫の甲殻を詰め込みながら説明を続ける。
「考えてみりゃ当然だ。冒険者の稼ぎの大半はモンスターの素材だろ?深い層から取れるものほど値が張る」
手に取った甲殻もそうだ。これだけでスラムの食事何日分になるのだろうか。
正確には分からないが、少なくとも2,3日は生活できるだろう。
「ただ、深い層まで潜るのには、時間もかかる。狩るたびに地上まで戻ってたらキリがない」
「うん」
「だから、腕のある冒険者は塔の中に留まる。そして留まるなら寝床がいる。寝床ができれば飯を売る奴が来る。飯屋が来りゃ武器屋も来る。そうやって自然に街ができたって話だ」
ほーと、興味があるんだかないんだかよくわからない反応を示すルキナに対して、ソラは説明を続ける。
「街の名前は『カルデア』っていうらしい」
「カルデア」
ソラはバックパックに甲殻を詰めながら、頭の中で聞きかじった情報を並べ直した。
断片的な記憶の欠片を、継ぎ接ぎに並べて一枚の絵にしていく。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――六層の入り口を抜けたすぐ先。
広大な平地の真中にその町はあるという。
天幕の屋根が何十と連なり、仮設の木組みが不揃いに組まれた雑多な街。すれ違うたびに肩が当たるほどの密度で、雑多な店と宿と酒場がひしめいている。
夜になると、屋根の内側に吊された蝋燭の光が透けて、天幕の布地そのものが淡く発光するそうだ。上から俯瞰すれば、塔の底に小さな星々が集まっているように見える、という話もあった。
そこに集まるのは一般人ではない。
六層の入り口までたどり着けるのは、イエソドの上位冒険者か、それを護衛として雇える財力を持つ商人だけ。平均して腕に覚えのある連中ばかり。トップ層の人間ですら、街道で鍛え上げた顔と、腰に下げた装備の質だけで互いの実力を測り合う。
喧嘩は日常らしい。が、殺しには至らない。ここで騒ぎを起こせば街から追い出され、六層で追放された冒険者に塔を生き抜く術はない。皆それをわかっているから、拳は振るうが剣は抜かない。そういう暗黙のルールの上に、街が回っている。
誰がいる。
腕の太さが子供の胴ほどある、剛毅と呼ばれる屈強な戦士。
片目に眼帯をつけた、手足のない冒険者を看取る治癒師の婆。
モンスターの素材なら何でも値をつけると言い張る、狐のような顔の商人。
ホドから来た学生。ネツァクから流れてきた武芸者。
何が売っている。
下の層では見たこともない味の肉と酒。
モンスターの素材から削り出された、握るだけで手に馴染む武器。
治癒魔術を封じた一回限りの巻物。紙切れのように軽いくせに、骨折すら瞬時に治すらしい。
上位階層の貨幣――金貨・銀貨・銅貨。それに、どこの国のものか判別もつかない、古い硬貨。
時々、誰にも読めない古い地図や、割れた結晶片、塔のどこかから拾われた意味不明な遺物。
そういうものが、雑多に並ぶ。
何が起きる。
賭場では毎晩のように誰かが破産する。
酒場では冒険者が自慢話を始め、隣の客の大笑いで終わる。
治癒師の天幕の前には、手足を引きずってきた者たちの列ができる時もある。
街の端の暗がりでは、顔を隠した連中がひそひそと何かの取引をしている。モンスターの素材を売っているのか、人を売っているのか、わからない。誰も近寄らない。
そして。
そこに集まる冒険者たちは皆、一つのことを夢見ている。
六層より上。七層、八層、九層――いずれ到達する『ホド』か『ネツァク』。更にその上。
誰もが頂きを見上げている。誰もが自分がそこに至れる者だと信じている。そしてそのほとんどは途中で死ぬ。
だが、死ぬまでの間は、カルデアで酒を飲むのだ。
――そして、そこでなら、ソラたちが持っている石甲虫の甲殻もきちんとした値段がつくはずだ。
ルキナは少し考えるように瞬きした。
「……スラムと同じ」
「ん?」
「人が集まったら、勝手に街になる。イエソドと同じ」
ソラは一瞬だけ黙って、それから少しだけ笑った。
「まあ、そうかもな」
スラムと同じ――言われてみればそうかもしれない。
トップ層の冒険者といえど、結局は同じ人なのだ。
腹が減ったら飯を食う。飯を食うには金を稼ぐ。金を稼いで、疲れたら寝る。
人の習性というものはどこであろうと、誰であろうと、そんなに変わらないのかもしれない。
妙な納得をソラがしていると、ルキナがバックパックに手を伸ばして来た。
ソラがそれに何かを言う前に、その手からバックパックを奪い取り、地面に中身を全部出し始めた。
「……何してんの?」
「詰め直し」
言いながら、ルキナは素材を大きさと硬さで分類し、布切れで包んでから隙間なく詰め直していく。手際がやたらと良い。
こいつ、こういうのは得意なのかと思いながら、ソラはそれを黙って見ていた。
一分もかからずに再梱包が終了した。バックパックの容積は変わっていないはずなのに、見た目がすっきりしている。
「……器用だな」
「いえい」
ルキナは表情を変えずにバックパックを返した。
ソラはそれを受け取って背負い直す。確かに背負い心地が違った。重さは同じなのに、揺れない。
歩く時にガチャガチャ鳴らないだろう。
礼を言おうかと一瞬考えて、やめた。
言ったところでルキナは「うん」としか返さないだろう。
「よし、行くか」
「その前にもっと褒め讃えよ」
「……」
予想の斜め上のめんどくささだった。
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