始まりの日
「ん、サイズはぴったりだ」
朝の光が眩く照らす街の広場で、ソラはそう呟いた。
羽織った白の上履きが陽光を跳ね返す。その上質な繊維の一本一本が艶めいている。
極上の装備だ。今までの人生で身に着けてきた服とはいったい何だったのかと思うほどに着心地がいい。
しかしそんな服にもところどころ血が滲んでおり、更に両肘から先は強引に引きちぎられたのか断面が不揃いな形をしている。
下履きも同様で、上質ではあるものの、膝から下から引きちぎられ、かつその断面には血がこべりつき、黒く変色して染みとなっている。
そしてそんな彼の目の前には一個の死骸。一切の身ぐるみを剥され、左ひざから先がなく、両腕も欠損した、尊厳のかけらも残されていない骸。
その遺体が誰のものか、わかる人間はいないだろう。
何故なら顔が欠損している。上顎から上がなく、その断面は血の一滴も零れない程に焼け焦げている。それはまるで上顎から上だけ溶岩にでも浸かったかのようだった。
地面に置いておいた銃と剣を両手で拾いながらソラは呟く。
「中々いい報酬だな。あとはバックパックとかでも手に入れば尚よかったんだけど」
目の前の屍は一日で任務を完了させるつもりだったらしく、残念ながら一連の装備以外の荷物は持ち合わせていなかった。
「ソラ」
「ルキナか」
着替え、というか剥ぎ取りを完了したソラの目の前に一人の少女が現れる。
それは勿論、白髪赤目の少女、ルキナ。
「怪我は……なさそうだな」
「ギリギリ巻き込まれなかった」
ぶいっと右手でピースサインを作りながらルキナが言う。
ソラは先ほどの戦闘の最中、ルキナのことを一切気にしていなかった。
そのため飛び交う瓦礫や、マクスウェルの光線の流れ弾が当たらなかったのは運がよかったとしか言いようがない。
そうして彼女の体を見ていたソラは、彼女が左手に持っているものに気が付いた。
「それは?」
「バックパックと、あとよくわかんないけど役に立ちそうなもの。そこら辺から拾ってきた」
朝日に照らされて見えた"街"の姿は惨憺たるものだった。
昨日までの街並みの面影はなく、ほとんどの建物は倒壊し、残っている建物の方が少ない。
ソラとマクスウェルの戦闘の余波が色濃く残る広場の周りに至っては、もう瓦礫の山としか言いようがない。
しかし、そうはいってもここは”街”だ。瓦礫の下をほじくり返せば、昨日までここで売られていた上質な装備や食料などの文字通り掘り出し物が現れる。
勿論、燃え残っているものは少なく、根気よく探さないと出てこないだろうが、ルキナはこの短時間でそれを掘り当てたらしい。
「でかした」
「いぇいいぇい」
ルキナはソラにそのバックパックを渡して、両手でピースサインを作る。
何となく気が抜けるその反応に苦笑しながら、その中身を確認する。
入っていたのはいくつかの缶詰と水袋。小さなナイフと布が数枚。
全部灰と埃に塗れているが、まあ特段問題はないだろう。そう思ってそのバックパックを背に担ぎ、
「よし、それじゃあ行―――」
「―――待ってッ!!」
行くか、ソラがそう言おうとしたときに響いたのは別の少女の声。
その声に振り向けば、見知った顔が一人。
「待ってよ、お願いだから……!!」
「お前……」
赤髪の少女、セナ。ソラの幼馴染で元家族。そんな彼女が、いつの間にかそこにいた。
「なあ、こいつ、いつからいたんだ?」
「ちょっと前に来てた」
「へー」
ルキナに小声で尋ねながら、ソラは彼女の姿を見る。
装備はズタボロ。綺麗な赤髪も毛先が焦げて、乱れている。
目にはクマが浮かび、疲れが見て取れる。どうやら立っているのもやっとのようだ。正に満身創痍といったところだろう。
そんな中でも甲高く響く声は変わらないんだなと、なんとなくソラは思った。
「アンタ、これからどうするの……?」
「これから?」
「イエソドは終わりよ。街もスラムも綺麗さっぱりなくなって、上も下も何もない」
「……」
「逆に言えばここでは何にも縛られることはないわ。人も物も消えた今のイエソドはソラの望んだ『自由』な世界なんじゃない?」
「……」
「だから、教えて?」
セナが一歩踏み出して、ソラの顔に鼻先を近づける。
汗と煙の残り香の奥に、どこか甘い匂いがあった。理性の端を掠めるような、花に似た芳香。
鼻先が触れそうな距離で、セナは尋ねる。
「ソラは、これから何をしたいの?」
―――何をしたいか?
ソラは自問する。
セナの言う通り、イエソドという階層世界は崩壊した。
目障りな街の人間達はいない。スラムもない。
ホド・ネツァク側もそのうち状況を認識するだろう。そうなれば、しばらくはあちら側から人が来ることもあるまい。
つまり、今のイエソドはソラのことを縛る者もいない、『自由』な世界。
ソラの望んだ世界。確かにそうかもしれない。
だが。
「狭いな」
「……え?」
ソラは上を見上げながら呟く。
空を、一匹の鳥が飛んでいく。かつて憧れたあの姿。
しかし、今のソラは違う感情を持っていた。
「ここの空は狭い」
この世界は鳥かごだ。
いくら中で翼を広げたところで、籠の外には出られない。
―――鳥かごの中を飛び回る鳥たちが自由?
否。断じて否。
「俺はこの鳥かごから抜け出したい」
「何を言って……」
「この狭い世界の中の『自由』じゃない。あの塔を登って、果ての果てにあるらしい『真の自由』を手に入れる」
ソラは見る。
崩壊したイエソドの中で唯一無傷のままそびえたつ、天を貫く巨大な塔。
ルキナが言うにはその果てには『自由』があるらしい。
「アンタ、本気で言ってんの……!?上層には何があるかわかんないのよッ!!『真の自由』なんて嘘かもしれないじゃない!?」
「だからどうした」
ソラは冷ややかな目でセナのことを見る。
「それが嘘かホントかなんて今はどうだっていい。俺は自由だ。やりたいことをやりたいようにやるだけだ」
無機質な表情の、その目に映る燃えるような感情がセナのことを覗いている。
ソラは今、測っている。
セナが己を縛ろうとしているのかどうか。
昨日まで彼にしていたように、界約や過去で彼の行動を制限しようとしているのかどうか。
もしそうだとするならば。
「邪魔をするなら殺す」
「―――ッ」
ソラはセナを見つめ続ける。
冷酷な視線。家族を見る目では決してない。敵かそうでないかを測っている、そんな目だ。
「俺は塔を登りたい。俺を縛るこの世界を全て全て壊し尽くして、あの頂の『自由』を手に入れたいんだ」
「……」
ソラはもう止まらない。
夢から逃げ、諦め、乾き、死んだように無為に日々を過ごすことなどもうしない。
彼は自由だ。
人も過去も世界も何も、彼を縛ることはもうできない。我慢などしない。
邪魔なものは全て壊して空へ進む。例えそれが家族であったとしても、躊躇はしない。
そのことがセナにはわかる。分かったから、
「じゃあ、アタシも連れてって」
「……」
止まらないなら縋りつくしかない。
「アタシ戦えるよ?足手まといには絶対ならないし、料理もできる!」
「……」
セナにとっては、ソラが全てだ。
彼女にとっては、ソラが居れば後は何でもいい。
逆に言えば、彼女にはソラしかないのだ。
だからこそ、今までは自分の元から飛び立たないように押さえつけようとしていた。
ソラが死なないよう、どこかへ行ってしまわないように縛り付けていた。
だが、もうそれは不可能だ。ソラを止めることはもうできない。
ならば、今度は飛び立つ彼の足にしがみつく。
蒼褪めた顔で必死に自分を売り込むセナを見たソラは、
「それにね、昨日も言ったけど、アタシ昨日10層まで行ったの!だから」
「いらない」
「……え」
「お前は要らない」
そんな冷酷な一言で彼女をバッサリと切り捨てた。
「な……なんで」
「何となく。今のお前は要らない」
「え……あ」
呆然と立ち尽くすセナの目に映るソラは、最早彼女のことなど見ていない。
彼の目に映るのは、遥か彼方、塔の果てにあるという自由のみ。
そこに辿り着くために必要なもの以外は、要らない。
それに、
「ムカつくんだよ。生きる理由を俺にすがるな。自由に生きて、自由に死ね」
セナはソラに依存している。セナはソラを鎖として生き方を縛っている。
それが許せない。鬱陶しい。気持ち悪い。
人は自由に生きて、自由に死ねばいい。
「行くぞ、ルキナ」
「おけ」
そしてソラはセナに背を向け歩き出す。
その隣に白髪の少女が並び立つ。
「待っ―――」
セナが伸ばした手は届かない。
「あ―――」
ソラは振り返らない。振り返る必要がない。
そしてセナにはようやくわかったのだ。
―――もう、アタシは要らないんだ。
セナは膝から崩れ落ちて、前を歩きゆく二人を眺め続ける。
彼らの向かう先等セナにもわかっている。
今なら走れば追いつけることもわかっている。
「あ、ああ」
だというのに彼女の足は動かない。
彼女の頬に熱い何かが伝わる。
目が熱い。勝手に声が出てくる。
「あああ…」
あふれ出る涙が汚れた地面に斑点を作る。
どうすればよかったのだろう。
あの時、ソラから手を離したのがダメだったのだろうか。
それともソラを縛ろうとしたことがダメだったのだろうか。
どうしていれば、彼の隣にいるのはセナだったのだろうか。
見上げれば、青い空。視界の中を一羽の鳥が飛んでいく。
「ああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
セナの慟哭がどこまでも青い空に吸い込まれて消えていく。
人も、ものも、何もかもが無くなったこの世界で、その声だけがいつまでも響いていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
背中にいつまでもまとわりつく慟哭を振り切るように、ソラは歩いた。向かう先は勿論、塔。
一歩、また一歩と灰と瓦礫を踏みしめるたびに、あの声が遠くなっていく。
やがて、それも聞こえなくなった頃、不意にルキナが口を開いた。
「アレ、よかったの?」
「ん、何が?」
「泣いてたけど」
「あー」
問いかけられたソラは若干気まずそうにしながらも、
「まあ、いんじゃね?」
「投げやり」
そんな適当なやり取りをする。
それ以上、ソラもルキナも何も言わない。
今の彼らにとってはセナは路傍の石にも等しいほどに、どうでもいい存在だ。
だからこそ、お互いに彼女のことについて、それ以上話すことはない。
話すことはないが、
「ふふっ」
「あ?どうした?」
ルキナが突然、微かに笑う。
それに対してソラが怪訝そうな顔でルキナに振り向けば、
「何でもない、ただ……」
「ただ?」
「ソラは優しい」
そこには微笑があった。
あらゆるものに興味を失ったはずのソラの視線が、吸い寄せられるように止まる。柔らかく、それでいて逃がさない――魔性としか呼びようのない笑みだった。
「……なんの話?」
だがソラには何故そんなことを言われたのかはわからない。
高鳴る自身の心臓の音に驚きつつも、何を言われたのかよくわからずにソラはルキナに聞き返す。
「何でもないよ」
その様子を見て、ルキナは更に笑いながらそう答えた。
彼は本当に分かっていないのだろう。
もし、彼がセナのことを本当にどうでもいいと思っているのなら、彼女は己約が覚醒したソラと出会った時点で殺されていた。
何故なら彼女はソラを界約で縛ったことがある。つまり、彼女は既にソラの己約のトリガーを引いている。
今のソラは間違いなくセナに対する破壊権を獲得している。
そして少しでも殺意があれば、今のソラは我慢できずに殺しているはず。だが殺していない。
それはすなわち、ソラが無意識下で彼女を殺したくないと思っていることを意味している。
そうでなければ、自由を我慢できないソラは、彼女のことを必ず殺してしまうはず。
矛盾だ。
邪魔をするものを全て壊し尽くすという誓約をソラは無意識のうちに捻じ曲げている。
本来ならばありえないこと。自分で立てた誓いを、自分自身で破っている。
もしソラがそのことに気づいてしまったのなら、今度こそソラはセナを殺してしまうかもしれない。
だからこそ、ソラは彼女を遠ざけた。
近くにいればいつか殺してしまうから。
それに、彼女の人生を縛りたくないから。
ソラは無意識のうちにそう思ったのではないだろうか。
「ふふ」
「??」
そう思考を巡らせて、ルキナは微笑む。
そして、そんな彼女に対して、ソラは疑問符を浮かべる。
そんなソラの様子が愛くるしくて、ルキナの微笑は更に深まるのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
晴れ渡る青空がどこまでも続いている。
そして、その空の中心に一本の線が引かれている。
それはこの世界の誰もが知っている建造物。
誰が何のために作ったのかもわからないもの。
塔。
その入り口を前にして、青年と少女は並び立つ。
どこまでも長い、遥かな天すら貫く巨大な塔。
その果てには何があるのか、何がいるのか。少なくともイエソドでそれを知る者は一人もいないであろう。
昨日までのソラは、ここをただの金稼ぎの場所だとしか考えていなかった。
自由を諦め、ただ生きるという逃避をし続けていた彼にとって、塔とはそんな程度の場所でしかなかった。
しかし、その果ての果てには自由があるらしい。
ふと、ソラは隣のルキナを横目で見た。
その横顔の奥に何があるのかは、ソラ自身にも分からない。
ただ、隣にいることだけが、今のソラには自然だった。
「……」
ソラは塔の入り口、大きな門に右手をつける。
触れた瞬間、指先から何かが伝わってくる。この門をくぐった者たちの気配。
帰ってきた者と、帰ってこなかった者。その両方の。
背後には崩れた世界がある。昨日まで生きてきた、彼の住処がそこにある。
だが要らない。過去の全ては彼には不要。
育った家も、育ての親の骨も、幼馴染の慟哭も、全てそこに置いてきた。
振り返らない。振り返る理由がない。
そしてその遥かに巨大な塔、否、空を見上げる。
崩壊したイエソドの惨状に反して、どこまでも晴れ渡る青空。
その空の中を鳥が一羽、飛んでいく。奇しくもそれは、置いて行かれた少女が見たのと同じもの。
それを見てソラは言う。
「俺は自由だ」
今のソラの『自由』は不完全。あの鳥のように、彼もまだ、この狭い世界に囚われている。
ならばどうするか。答えは決まっている。
「誓うぞ。俺が必ず」
自由―――そのためならば何でもできる。
怒りが湧いてくる。笑いがこみ上げる。
溢れてくるそれらを我慢せず、ソラは笑う。
「この鳥かごをぶち壊す」
そういって彼は門を開く。
目指すは頂。その先に待つ真の自由。
ソラは笑う。
そして魔性の彼女、ルキナもまた嗤う。
彼と彼女は笑いながら、誰も知らない未知の自由へ、一歩足を踏み出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この世界ではどんな生物も必ず何かで縛られる。
人種、階級、才能、貧富――人を彩る属性のすべては、評価軸となってそこに差を生む。
同じ人間でも、そこに差があれば人は区別を生み出し、区別は枷となって人を縛る。
人の上にも人があり、そのまた上にも人がある。
人と人が織りなす無限の螺旋。
誰かに縛られるがゆえに、誰かを縛る、束縛の円環。
この世界では全ての生物が鎖で縛られ、自由なき家畜として一生を終える。
この物語は、『自由』なき世界で『自由』を求める誰かのためのお話。
自由のために全てを越えて、世界を壊す彼らのお話。




