怒れる自由よ、万鎖を壊せ②
「が、あ、ああああ…ッ」
気ままな会話を楽しむソラとルキナとは裏腹に、殴られたマクスウェルは灰塗れの地面に倒れこんで苦悶の声を上げていた。
地面には口から吐き出された大きめの臼歯が転がっている。それが抜けた穴からとめどなく血が溢れ出し、空いた口から地面に垂れ落ちる。
「いたい…痛い、痛いいぃぃぃぃ…」
殴られた箇所が熱を持ってジクジクと痛む。頬骨にも罅が入っているだろう。あまりの激痛に悶えるマクスウェルの目から熱い涙がとめどなく溢れて、地面に零れ落ちる。
「なんで、なんでっ…なんで僕がこんな目に合わないといけないぃぃいいい…」
蒼炎の悪魔と呼ばれたマクスウェルの面影はそこにはなく、そのあまりにも情けない姿は騎士団の副団長というに幼稚で、まるで物心ついたばかりの幼児のようだった。
彼の界約は確かに強い。ティファレトの聖炎騎士団というトップクラスの戦闘集団の中でも、特に最強の盾とでもいうべきシロモノだ。
だがその反面、究極の盾に守られて生きてきた彼は、生まれたての赤子と同じく、痛みというものを知らなかった。
「おいおい、さっきまでと態度が全然ちげえなあ」
ぺたぺた、と誰かが歩く音が聞こえる。そしてそれは間違いなくマクスウェルに向って近づいている。
マクスウェルがその声に体を震わせて、声の主に目を向ければ
「ひッ」
「どうしたァ?もう泣いてんのか?」
その顔は嗤っていた。鋭く尖った犬歯が口の端から覗いていて、その男の狂暴な性を明確に表している。
いつも眠そうに半開きだった青い両目をしっかりと見開き、その目は玩具を前にした子供のように爛々と輝いていた。
「まだ一発、たかだかワンパン…泣くには早いんじゃないか?」
事実、ソラにとって最早マクスウェルは敵ではなく玩具だ。
「まだまだ試しきれてないんだ、この『自由』を。てめえにはもっともっと付き合ってもらわなきゃなあ」
「あ、悪魔……」
ソラが月を背にしてニタニタと嗤う。
悪魔だ。そのソラの姿はマクスウェルにとっての悪魔に他ならない。
【も、燃えろッ!!】
恐怖に駆られたマクスウェルが咄嗟に叫ぶのは、彼の十八番である蒼炎の魔術。
それは「指定した地点に蒼炎を発生させる」といういたってシンプルな魔術であり、マクスウェルが自身の界約、そして権限、その次に信頼している極めて強力な攻撃手段だ。
叫んだ直後、ぼうっ、と音が鳴り、青色がソラの体を完全に覆い隠した。
周囲の建物を燃やしているのと同じ蒼炎が、一瞬のうちに空高く登り、夜空を照らす。
このイエソドを焼き尽くしたその魔術により発生した炎は1500℃を優に超え、当然ながら人体に向けて使えばいともたやすく対象の命を奪うことが出来る――はずだった。
「ぬるいなあ?」
「……ッ!?」
炎の中から声が聞こえる。くつくつと嗤うその声が、炎の壁を突き破ってマクスウェルの耳に直撃する。
多分に嘲笑を含んだかのようなその声色は、きわめて平静なもので苦痛など微塵も感じさせない。
そして、炎が割れた。
「ぬるくてぬるくて、」
燃え盛る火柱の中心から、一人の影が歩いてくる。
火は触れているはずなのに、その人物を拒むように道を開いていく。
そして彼――ソラは青い炎の光を背に受けながら、
「笑っちゃうよなあああはははっはははははッ!!」
何が面白いのか、再び甲高い笑い声をあげるソラの服は焦げていない。髪も、肌も、瞳さえも――傷一つない。
燃え上がる蒼炎の轟音すらかき消してしまいそうな笑い声が夜空を引き裂かんばかりに響き渡る。
「ば…馬鹿な…ッ」
先程までは確かに彼の魔術は通用していたはずなのだ。
蒼炎は彼の皮膚を焼き、肉を焦がし、内臓を溶かしていたはずなのだ。
しかし、今のソラには一切効果がない。蒼炎は彼の筋肉質な裸体を照らすのみで、彼のことを傷つけることはできない。
「次は俺の番だな」
そう言ってソラがゆっくりとマクスウェルに歩み寄る。
「あ、が、…」
「まずはどれからやろっかな」
マクスウェルは動けない。両手両足は震えて力が入らず、恐怖で痙攣した喉からは意味のある言葉は出てこない。
彼はただ恐怖の対象が自身の目の前に近づいているのを黙ってみていることしかできない。
一歩、また一歩。
悪魔がマクスウェルに近づいてくる。
「よし、決めた」
気づけばソラはマクスウェルを静かに見下ろしていた。
そして、
「まずはこれからだ」
次の瞬間、ソラの裸足の右足がマクスウェルの顔を踏みしめた。
マクスウェルの視界は闇に塞がれ、床の冷たさとのソラの硬い足裏の感触だけが現実になる。
かつて数え切れぬ者を見下ろしてきた目は、今や見上げることすら許されない。
「ぐ、ああああ…!!」
「一回やってみたかったんだよ。上層の奴を踏みつぶすっていうの」
灰と煤と土で汚れた足裏が上位者の頬をベタベタと汚して、その美しき相貌を台無しにする。
それは最早不敬なんてものでは済まない大罪。下層の人間が上層の人間を踏みつけにする等、通常なら死罪すら生ぬるい罰が下ることだろう。
だが、そんな常識は今この場においては完全に崩壊していた。
「や、やめろ"ッ…!!」
「でもつまんねえな」
マクスウェルは地面と右足に挟まれて潰れた顔で静止を懇願する。
だがソラは聞く耳を持たない。ただ退屈そうにぐりぐりと右足を動かすのみだ。
踏みつけて、見下して、支配する。上位者がいつもやっていることを、今度はソラがやっている。
――だが、それは何も満たさなかった。
「本当に――つまらないッ!!」
その一語に、怒りの全てが凝縮されていた。
「お前らというのは実にくだらないッ!!下を従えることに悦を覚えるのか!?下を見下せば笑えるのか!?自分以下がいることに安心しているのかッ!?ああ、ああ、つまらないくだらないうんざりだッ!!」
青い瞳の奥で何かが弾ける。歯を剥きだしにして嗤うその顔は、退屈と激怒と愉悦が同時に燃えている矛盾そのものだった。
顔を踏んでいた右足を引いて、
「だから殺す」
それを勢いのままマクスウェルの無防備な腹部に打ち込んだ。
「が―――」
先程と同様に、マクスウェルの体が弧を描いて吹き飛ぶ。地面に衝突するたびに灰と砂礫が舞い上がった。
その体が地面と衝突するたびに、土と灰が煙のように立ち上り、その上等な服と端正な顔を無惨にも汚していく。
「殺す。気持ち悪いから殺す。つまらないから殺す。俺の前に立ちふさがる一切合切諸々全て、必ず壊す」
「ぐ、お、げえええ…」
倒れ伏したマクスウェルは自身の胃の内容物を地面にまき散らす。その中には血も混じり、黄色と赤色が織り交じった奇怪なマーブル模様を地面に作り出す。
ソラは一歩踏み出しながら言う。
「お前はその一歩目――俺が踏みつぶすべき、この世界の第一号。このままなら死ぬぞ?だからお前は抗えよ」
ソラがマクスウェルの長い髪の毛を右手で掴み、その顔を覗き込む。
それは傷一つ、汚れ一つないソラの顔とまるで対照。先程までの傲慢な態度はどこへやら、美麗な顔つきは汚物と血、灰と土にまみれ、その表情は恐怖に歪んでいる。
「まだまだできることがあるだろ?やれよ、全てを出し切れ。お前の目の前の下層のゴミを殺してみろよ。お前が嫌いな、見下すべきカスが目の前にいるぞ?さあ、やれよ。さあ、さあ、さあ――」
急かすように煽り続けるソラはマクスウェルの顔に自身の顔を近づける。
そしてその目を見ながら、
「精々俺を楽しませろ――負け犬が」
マクスウェルにとっての致命的な一言をお見舞いした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――犬が。
それはマクスウェルが生まれてから常に聞かされ続けた罵倒の言葉。耳をふさいでも、目を閉じても、その言葉は彼の隣に常にあった。
名門ルクスフレア家において、妾腹の子として生まれたマクスウェルの幼少期は、常にその罵倒の言葉に彩られていた。
彼の母は当時ルクスレア家に勤めていた下女で、気まぐれに当主に手を出されただけの存在だった。
そんな彼女は正妻や側室、それらの縁者からは疎まれ、表であろうが裏だろうが「野良犬」と罵られ続けた。
その結果、彼女は心と体を病んで、マクスウェルが幼少の時に亡くなった。
彼女にとって唯一の救いだったのは、彼女の息子であるマクスウェルがそれはそれは美しい顔立ちをしていること、それ故に当主からは彼が多少は愛されていたことだろう。
だが、それは正妻たちにとってみれば面白くないことであり、マクスウェルが執拗な虐めの対象となることは当然のことだった。
曰く、「野良犬の子」。ルクスフレア家の当主以外の全員からそのように疎まれ、蔑まれ、虐められる。
陰で笑われるのは当たり前、食事に虫を入れるだとか、服の上から蹴られるとか殴られるとかそんなことも日常茶飯事。時には使用人までもが彼のことを犬と見下し笑っていた。
彼の体はいつも埃や汚物に塗れ、そして当主はそれを見ないふりをする。そんなことが彼にとっての当たり前であった。
そんなある日のことだった。
ルクスフレア家はティファレトの中でも魔術に優れた家系であり、その子弟は幼少のころからそれらを習う。
そしてその日は正妻の三男、フェルディナントが初めて炎の魔術を習得した日だった。
燃えろと念じるだけで指定地点に大火を発生させられるその魔術は、当然人に使えば死に至らしめる危険なものであり、それを誰かに向けることは許されてはいなかった。
しかし、フェルディナントは幼く、そしてその無邪気な悪意は暴走する。彼は同年代のルクスフレア家の子供たちと共に、マクスウェルを人目につかないところに呼び出した。
そこはかつて彼女の母親が暮らしていた離れのボロ小屋。別宅に入ることも許されなかった彼女に当てがわれた、彼女の住処。
そこにのこのことやってきたマクスウェルに向けて――フェルディナントはその魔術を使用した。
生み出された赤い炎はマクスウェルどころか小屋そのものを呑み込む。
フェルディナントにとってみれば悪戯の一環だったのだろう。
自分が覚えた魔術の威力を知りたかったというのもあるのかもしれない。
業火はマクスウェルの服を焼き、皮膚を焦がす、その命を燃やし尽くす。
目の前で焼ける小屋とマクスウェルを見て、フェルディナントとその周りの子供たちは嗤っていた。
――見ろ、犬が燃えてるぞ!
彼らの幼稚で、傲慢で、あまりにも醜いその性がマクスウェルに向けられる。
彼らはマクスウェルが激痛にもがき苦しむ様を見て、そう声を上げて嗤っていた。
犬。そう、犬だ。
彼らにとってマクスウェルとは汚らわしい野良犬に過ぎないのだろう。
痛い、熱い、やめて、助けてと泣き叫ぶマクスウェルの姿を見ても、犬が何かを吠えているようにしか映らないのだろう。
――助けて。誰か助けて。
マクスウェルはそう願う。
――もう痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。だから助けて。
炎の中、必死にそう叫んで。そして。
――なんでもするから、助けて。
そう契約を交わした。
直後、マクスウェルの周囲に見えない壁が生まれたかのように、彼に纏わりつく炎が押し出された。
それは界約の目覚め。
障害事象の禁止――周囲からマクスウェルを傷つけうるすべての事象が禁止され、魔術の炎もまた排斥される。
押し出された炎は、そのまま近くでマクスウェルを眺めていたフェルディナントを包み込んだ。
ぎゃあぎゃあと苦痛に叫ぶフェルディナントを見て、周りに群がっていた子供たちの顔は恐怖に歪み、その場を逃げ去っていく。
残されたのは無傷のマクスウェルと、皮膚がドロドロに焼けただれながら苦悶の声を上げ続けるフェルディナント。
そして彼らの背後で燃え上がるボロ小屋のみ。
――綺麗。
その炎を見てマクスウェルはただただそう思った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「―――ぶな」
小さくマクスウェルが呟く。
「あ?なんて?」
ソラが短く疑問の声を上げて、マクスウェルに顔を近づける。
「僕を犬と――」
不意にマクスウェルの目に火が灯る。
今までの恐怖や怯えではない何かが顔に浮かぶ。
それは正しく――怒り。
「呼ぶなアあぁぁぁぁぁ嗚呼ああッ!!」
次の瞬間――気が付けばソラの体は空中に吹き飛んでいた。
「は――?」
ソラが何かを言葉を発するより先に、マクスウェルが空中のソラに肉薄し、
「アアあぁぁぁぁぁッ!!」
「――――!!」
怒りのままにそう叫んで何かをした。
そして、ソラの体は夜を引き裂く轟音を伴って更にはじけ飛んだ。
吹き飛ばされた先は後方の燃える住宅街、ソラの体は途轍もない勢いのままに、彗星の如く建物群に墜ちる。
衝突。建築材に使われている木が折れる爆音と共に、燃えてもろくなっていた柱が崩れだし、ソラの体が衝突した建物とその周囲の建物がガラガラと音をたてながら崩れ落ちていく。
炎が上がる。灰が舞う。煙がもうもうと辺りを埋め尽くす。瓦礫と煙に包まれ、ソラの姿は一切見えない。地上から見えるのは、先程のソラのように、月を背にして浮かぶマクスウェルの姿だ。
「――なるほど」
そんな中、ルキナは一人呟いた。
「この前のことがどうも引っかかってた」
それはルキナが連れ去られた時の話だ。彼女はマクスウェルの能力に対して疑問を持っていた。
「物理攻撃が届かないことは納得できる。炎が避けるように動くこともそれで納得できなくもない。熱もまあ防げるのかもしれない、だけど――」
ソラとルキナは住処を竈に見立てて、マクスウェルをその中に閉じ込めた。あれは、彼の界約を「物体の動きを停止させる」と思い込んでいた時の作戦だった。
結局その作戦は失敗に終わったが、ルキナには一個気になる点があったのだ。
「酸素。四方を燃える炎に囲まれている状態なら酸素が枯渇しているはず。なのに意識を保っているのはおかしかった」
炎は酸素を食う。しかし、人体は酸素の欠乏に対して脆く、酸素濃度の薄い空気を吸ってしまった場合、即座に気絶してしまう。
それなのに彼は、燃え盛る炎の中で平然と話していた。
傷つけられないという単純なルールだけでは説明ができない。
「『傷害事象の禁止』。それはこの界約の一面にすぎない。真の力は――」
ルキナが目を細めて、目の前の悪魔を見据える。
自身の周囲から傷つけるものを排斥し、必要なものを受容する。その力は。
「事象の排斥と受容」
そう答えを導いた瞬間、ルキナの中でマクスウェルの能力の全容が繋がっていく。
マクスウェルは「痛み」を無効化したという結果だけを見て、自身の能力を「痛みを生み出す事象を禁止する」という能力だと誤認していたが、それはあくまで能力の一面を捉えたに過ぎない。
<痛苦を焦がせ、悪魔の法則>――その真の力は「排斥と受容」。
相反する二つの概念を操ることこそが彼の界約の根幹。
世界との契約で彼が得たものは、拒絶する痛みと享受する祝福を選択できるチカラだった。
彼の界約の領域内では、彼自身が無意識のうちに事象の排斥・受容を選択している。
例えば酸素。彼が燃える炎の中にあって酸素不足に陥らなかったのは、炎に使われるはずの酸素を、彼が無意識のうちに選択的に界約領域内に取り込んでいたからだ。
つまり彼の能力は人体や瓦礫といった物体にとどまらず、大気中の分子といった微細なものまでも捉える。
彼が自身の作り出した蒼炎を前にしても一切暑がらなかったのも、熱い―――つまり速い大気中の分子を領域内に入れないように彼が無意識に選択していたからだ。
先程ソラを吹き飛ばしたのも恐らく能力の応用。
水素や酸素といった可燃性の気体で領域内を満たし、そこに火を着ける。
すると発生する大規模爆発。人体等簡単に粉砕するほどの威力の衝撃波が周囲一帯に轟音と共に発生する。
しかしマクスウェル自身は界約により、自身に向う衝撃波を排斥。排斥された衝撃波はマクスウェルと反対方向のソラに向けて放たれる。
結果、人間が数十人は吹き飛ぶほどの威力の爆発が指向性を持つことになる。その破壊力は想像を絶する。
すなわち――この界約は無敵の盾であり、そして強靭な矛でもあるということだ。
世界に究極と呼べる界約があるのだとしたら、これはそのうちの一つだろう。
無限大の応用幅を持つこの力は、所有者であるマクスウェルの創造性次第でどんなことでも出来る、正しく一つの極致。
そして、それを手にしたマクスウェルは、
「僕は違う」
宙に浮いたまま、うわごとのように呟く。
「僕は強い。僕は美しい。僕は――お前らのような虫けらとは全てが違うッ!!」
独り宙を舞いながら、マクスウェルは月に向かってそう叫ぶ。
「違う、違う違う違う違うッ!!」
子供の癇癪。あるいは発狂。怒りなのか、屈辱なのか、それとも劣等感か。そのすべてが織り交じった叫びは最早悲鳴といってもよいだろう。
彼の瞳は焦点を失い、過去の嘲笑が耳鳴りのように蘇る。
廊下の陰で交わされた囁き。宴席で向けられた哀れみ。正妻の子らの、あからさまな軽蔑。
「僕を馬鹿にしたあいつは死んだッ!!家の者どもも全て僕にひれ伏したッ!!父上ですら僕を恐れている!!もう僕は犬なんかじゃあないッ!!」
彼が見ているのは目の前のものではなく、過去の誰かなのであろう。
「僕は下賤な血なんかじゃないッ!!僕こそが最も優等で、お前たちが劣等なんだッ!!」
胸の内から溢れ出すのは、彼にとってのトラウマであり、そして自負である。
犬小屋と見まがう小さな家畜小屋で一人寂しく死んでいった母親の姿。
彼自身の血統を見下し、彼の容姿に嫉妬し、彼を犬と罵った有象無象。
彼はそれらすべてに否と告げる。
「違う、僕は違うんだ…僕こそが最も優れた存在であり頂点なんだ…!!能力もなく、ただ吠えるだけのお前らとは違うんだ…ッ!!」
喉が裂けるような叫びのあと、彼は大きく息を吸い込んだ。だが肺を満たしたはずの空気は、どこか空虚で、冷え切っている。
「僕は違う」
呟きは、先ほどまでの絶叫とは打って変わって、ひどく静かだった。
震える指先が、自らの胸元を掴む。鼓動は速い。だがそれは恐怖ではない。
証明だ。生きている証明。勝ち続けてきた証明。彼を犬と見下した全てを見返した結果の証。
「お母さんは弱かった……だから死んだ。でも僕は違う。僕は強い、僕は強いんだ」
焦点の合わぬ瞳が、ゆっくりと何かを見据える。
それは過去の嘲笑か。それとも、今もなお心の奥底で囁く「お前は庶子だ」という声か。
「この力と美貌こそが僕の証――誰も僕には逆らえない」
過去の屈辱が、ゆっくりと形を変える。傷ではなく、刃へと。
「僕を犬と呼んだ奴らはもういない」
癇癪を起しただけの子供は、もうそこにはいない。
激怒し、発狂して―――反転した。
「僕を犬と呼ぶ奴は全て殺す」
彼を蝕む過去の残像は彼が能力に目覚める原因となった着火剤。
それをソラは安易に弄んでしまった。その結果が招いた爆発だ。
マクスウェルは発狂と共に自身の根幹に覚醒し、もはや手が付けられない存在となってしまった。
この究極の界約を相手にして太刀打ちできる者はもういない
「なるほど」
はずだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「なるほど…なるほど。何となく理解したぞ」
崩れ落ちた建造物の瓦礫でできた山の中から声が聞こえる。
未だ炎は収まらず、蒼色が空に立ち上り続けるその中から、反対にひどく冷ややかな声が響く。
「生まれに縛られているのか。ああ、つまり―――」
マクスウェルの目の間に広がる瓦礫の中から、突如として青い光がこぼれだす。
そして、
「お前は首輪付きの雑種犬か」
その瞬間、瓦礫の山が消し飛んだ。
勢いよく瓦礫が宙を舞う。
マクスウェルに飛んできたものは全て界約で防がれたが、他の瓦礫は辺りに散らばり、他の建物に衝突して更に街を破壊する。
爆心地――そこに立っていたのは拳を天高らかに掲げた体勢のソラだ。右半身を走る紋様が強く発光し、その体を神秘的に照らしている。
「家、血、生まれがどうとか…くだらなすぎるなァ。わざわざ自分で自分に首輪をつけて、キャンキャンキャンキャン吠えやがる。所詮は犬だな」
ソラが心底つまらなそうな顔で吐き捨てる。
先ほど強烈な一撃を食らったはずのその体には傷一つすら見られない。
何故無傷なのか、どうやって瓦礫の山を弾き飛ばしたのか。
マクスウェルにはまるで理解ができない。
「…今、何と言った?」
しかし、そんなことよりもマクスウェルにとっては大事なことがあった。彼にとって許せない一言。
「あ?くだらねえって言ってんだよ――クソ犬」
それは正しく開戦の狼煙だ。
「―――――殺すッッ!!」
「第二ラウンド開始だな――犬野郎ッ!!」
彼らにとっての決戦が今、始まった。




