表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/61

いつかの契約

【階層世界イエソド――???】


束の間、ソラは夢を見る。


それはかつての出来事の記憶である。


それはソラとセナの決別の切っ掛けとなった日。

そしてそれは彼の育ての親、アベルが死んだ日。



その日もまた、ソラは塔の中にいた。


当時のソラは少年で、身体も発展途上の状態だった。

しかしそれでも、当時から発揮されていた人並外れた膂力と育ての親から教えられた知識をもってすれば、第一層の安全な地帯であれば難なく冒険ができていた。


その時のクエストは、ソラにとってすれば非常に割のいい仕事だった。適当な洞窟に入っては、その中にいるゴブリン4~5匹を殺して、証拠として耳を剥ぎ取る。


朝から塔に入り、夕方には耳を詰めた袋を腰に下げて戻ってくる。それを2,3回行えば、銀貨5枚。

スラムの住人であるソラにとってすればなかなかの収入である。

年老いたアベルに代わり、そうして日々の生活費を稼いでくることが、ここ数か月のソラの仕事になっていた。


クエストは順当に終わった。朝から塔に入って、夕方前には腰から下げた小袋にゴブリンの耳をパンパンに詰めて塔を出る。

帰りしなにギルドに寄って、ギルドの職員に貶されながら報酬を受け取って、拠点までの帰路につく。


いつも通りの冒険、いつも通りの報酬、いつも通りの職員、いつも通りの帰り道。


思えばその頃から既に、新しいことのない日常にソラの心は乾き始めていたのかもしれない。

だが、それにそこまで不満もない。それが続くのも仕方のないことなのかもしれないと、なんとなくソラは思っていた。


その時、不意にソラの頭上を小さな影がかすめた。


見上げてみれば一匹の鳥が夕日を背に羽ばたいて、塔の方まで飛んで行った。それを遠く眺めながら、道の真ん中で立ち止まる。

気が付いたときから、ソラは空を飛ぶ鳥に憧れていた。何にも縛られずに行きたいところへ行ける彼らに嫉妬した。そして反対に、地上にいる縛られた人間達に嫌悪を抱いた。


その憧れと怒りこそがソラにとっての初期衝動で、それらは今も昔も変わらない。ただ、ソラは諦めていた。

変わらない日常に感じる不満が少なくなったというのがその証拠だ。恐らく縛られるということに慣れてしまったのだろう。

このまま擦れて朽ち果てていくのかもしれないと、己の末路を子供ながらに予期したのかもしれない。


だがそれもアリだろう。

快活に笑う爺と、小うるさいセナ。彼らと共に暮らしていることこそが彼にとっての日常で、そんな小さな鳥かごの中で終わるのもいいかもしれないと、ソラは妥協する。


彼は人だ。鳥ではない。あの空を飛ぶための翼はなく、重力という鎖に縛られたこの体が、空を飛ぶことを許さない。

そう思う度、ソラの心には棘が刺さる。だがその痛みに気づかないふりをしていつも通りの帰り道を再び歩き始める。


いつも通りの大通りを渡り、いつも通りの裏路地を抜けて、いつも通りの拠点まで。


そうしてソラがいくつもの路地を抜けたとき、奇妙な集団を目にした。


その集団は余りにもスラムから浮いている存在だった。

先頭には街の冒険者ですら滅多にみられないような、艶のある金属プレートで全身を覆った長身の男。

その周りにはギルドでたまに見かける街側の冒険者が4人。そのうちの一人は人が入りそうなほど大きな麻袋を背中に担いでいる。


そんな集団がスラムの中を歩いている。言葉を発することもなく、黙々とスラムの中を練り歩くさまはどこか不気味であった。


「…なんだアレ」


街側の人間はスラムのことを毛嫌いしている。そのため、こちら側に侵入してくるものなど滅多にいない。

それが集団となってスラムの中にいるというのは明らかに変だ。


それにその冒険者たちは明らかにベテランといった風貌で、スラムの人間達が怯えるかのようにその集団が通る道を避けているように見えた。

実際、彼らの服には少しの血が付いていた。それは恐らく返り血であろう。もしかすると既に数人は切った後なのかもしれない。


「…」


いつもの帰り道の中に、いつもと違う集団が現れたことに、ソラは何となく嫌な予感がしていた。

集団はそんなソラの事など気にも留めず、塔の方まで進んでいく。

その集団の背中を見ながら、彼らの目に留まらぬよう、ソラは音を立てないようにしつつも早歩きで拠点への道を進んだ。


帰ったら老人が大声で笑いながら出迎えて、セナはいつも通りの不味い飯でも作っているのだろう。

この後の出来事が容易に予測できる。いつもならそうだ。そうに違いない。


そう思って、いや、そう願って拠点への道のりを進んで。


そして、拠点について目にしたのは。


「ジジイ…」


胸を何かで刺し貫かれ、拠点の外壁にもたれかかっている育ての親の姿だった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「おい…おいッ!」


思わず荷物を手から落としたソラは、急いでアベルの元へと駆け寄って、その身を抱き起すと指の隙間から温かいものがゆっくりと流れ落ち、衣服を重く濡らしていく。

傷口からはとめどなく赤い血が流れだし、彼がもたれかかっていた外壁と地面を真っ赤に染め上げていた。


――言うまでもなく、致命傷。この失血量では助かることはないだろう。


だが、それでもその老人はまだ息があった。呼吸は掠れ、心拍も弱弱しいものにはなっている。その状態でも、彼はまだ生命を繋いでいた。


「待ってろ…ポーションがあるはず…!!」


それでもソラは一縷の望みをかけて、拠点の中にしまっておいたポーションを取ってこようとするが――


「…やめろ」


声が聞こえた。その声に咄嗟に腕に抱えた老人の顔を見下ろせば、彼は薄く開いた目でソラのことを優しく見つめていた。


「ジジイ――」

「…俺は、もう助からん。貴重なポーションを、使うな馬鹿垂れ…」


そう言って彼はゴホッと大きな咳をして、それと同時に口の端から赤い血液が零れ落ちる。

その顔は青ざめており、胸の上下は驚くほど弱い。呼吸のたびに、まるで身体の内側から力が漏れ出していくかのようだった。

指先に温もりはあった。それなのに、その感触はどこか砂を掴むようで、握るほどに薄れていく気がした。

それでも、老人はいつものように笑みを浮かべながら、その瞳には強い光を宿していた。


「俺のことは、いい…どうせ、老いぼれ。すぐに死ぬんだ…少しばかり早くなったところで大差はない…」


そう言って咳き込むと、その度に口から血が溢れ出す。

正しく風前の灯。彼の命は今まさに尽き果てようとしている。

だがそれでも、彼は震える手でソラの胸元を掴んで、グイっと引っ張って、口を開いた。そこに浮かんでいたのは、怒り。


「俺、よりも…セナだ」

「セナ…?」

「そう、だ…セナが、連れてかれた…ッ!!」


老人の顔に浮かんでいるのは、セナのことを守れなかったという自分に対する怒りなのであろう。


「セナが連れてかれた…?誰に?」

「誰かは分からんかった…が、多分、街の冒険者の集団だ…」

「はぁ…!?」


状況は混迷を極めている。

育ての親は胸を貫かれ、幼馴染は消えた。更に、セナを攫ったのはソラ達に恨みを持つスラムの住人ではなく、街側の冒険者だという。

その時、ソラは帰り道に見た集団を思い出した。正確にはその中の一人が下げていた大きな、それこそ人一人は入ってそうな麻袋――。


「あれか…!?」


全ては憶測にすぎないが、ソラはその直感が正しいことを確信していた。

だが、それが分かったとて何になるというのか。

死にかけの親。捕らわれた少女。スラム。街。冒険者の集団。そんな単語たちがソラの頭をぐるぐると駆け巡り、答えの出ない堂々巡りに陥ろうとしたその時、


「痛っ」


ギュっとソラは頬をつねられた。

そんなことが出来るのは勿論、目の前の死にかけの老人しかいない。


「何すんだ、ジジイッ」

「五月蠅い…俺は、良いから、とっととセナを助けに行けッ」


老人の顔が歪む。それはいつもソラやセナを叱るときに浮かべる表情と同じだ。

そして言うのだ。


「セナを助けられなかったら、ぶん殴るからな…ッ」

「……ッ」


そんなこと、もうできないことぐらいソラにだって分かる。

勿論、アベルもわかってて言っているのだろう。彼の命は1秒後に尽きていてもおかしくはない。セナを助けに行くということは、彼を見殺しにするということだ。

しかし、それを分かった上で老人は声を絞り出している。


「行けッ…!!まだ、間に合うはずだ…ッ!!」


ソラの服を掴む手の力は弱いはずなのに、拒絶できないほど真っ直ぐだった。

薄く開いたその目が、まだ燃えている。苦痛に曇りながらも、強く、ソラを見据えて。


「――クソッ!!」


ソラは上着を脱いで、それを地面に敷き、その上に彼の体を横たえた。

そして、


「帰ってくるまで死ぬんじゃねえぞッ!!」


そう叫んで、ソラはオレンジ色に染まる道を全力で走り出した。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


拠点の前の通りを走り抜け、裏路地を潜り、瓦礫を飛び越えひた走る。

全力疾走を続けているソラの額から大量の汗が流れ落ちる。心臓の鼓動が煩く、肺は悲鳴を上げている。それでもなおソラは走る。


目指すは先程すれ違った奇妙な集団の行く先だ。あの集団の行き先は不明だが、大方街の方向に進んでいるであろうことは分かっている。


あの集団が恐らくセナを連れ去ったのだ。目的は不明だが、恐らく人売りか何かだろう。彼女は見た目がいい。街の上流階層や、上層の変態共には売れることだろう。

わざわざスラムの外れまで攫いに来るというのがどうにも謎であるが、今はそんなことを考えている暇はない。


ソラにとっては、街へ逃げ込まれるまでがタイムリミット。街は敵地だ。街の中ではソラは自由に活動できず、何かしようものなら自警団に囲まれるであろうことは目に見えている。


ギルド前の大通りに到達されてしまうまでに追いつき、セナを取り戻さなければならない。

スラムは入り組んでいる。その構造は迷路のようになっていて、ただ道なりに進んでいくだけでは行き止まりや迂回路を通ることになり、目的地にたどり着くことはできないのだ。


例え進むべき方角が定まっていたとしても、その方角へ進む道があるとも限らない。何が言いたいのかというと、あの集団は街への帰還に手間取っている可能性が高いということだ。

あの集団の中にはスラムの人間が見当たらなかった。つまり彼らは全員、土地勘もなくスラムに侵入してきた外様ということだ。


それならば、スラムからの脱出にはソラの数倍時間がかかる。例え行きの道順を覚えていたとしても、それは完全ではないはずだ。

似たような廃墟が延々と連なったスラムでは、人の方向感覚や記憶は曖昧なものになる。ましてやソラの拠点はスラムの端だ。そこまでたどり着くためには何度も道を間違えているはずで、そうなると正確に構造を記憶することなど到底不可能だ。


そしてソラにとってスラムはホームだ。近道や抜け道等いくらでも知っている。走れば間に合うといった老人の言葉は嘘ではない。


だから走る。


走る。走る。ただ走る。

スタミナなんてものはもうとっくのとうに切れている。両足がもう無理だとでも言いたげに震えていて、息をするたびに肺が痛み、酸素の供給が足りていない頭にズキンという痛みが走る。


それでもソラは走るのだ。

そして、あと2つほど路地を抜ければギルド前の大通りに到達するという所で、


「見つけた…!!」


ソラは奇妙な五人組の背中に追いついた。


相も変わらずその集団はどこか不気味で、全員黙々と街までの道を歩き続けている。

恐らく全員が冒険者。それもかなりの手練れだろう。

何故ならばアベルが刺されているのだ。いくら耄碌したといってもあの老人が並みの冒険者の群れに負ける姿など想像できない。


つまり、あの集団を一斉に相手にすることは拙い。どうにかして一人ずつ打倒するような、そんな計画を立てなければならない――と考えるのが自然だ。


だが、それがどうしたというのだ。


「殺す」


ここはスラムだ。

ここでは人を刺しても、攫っても罪には問われない。そして、人を殺したとしても。


計画なんていらない。ただ殺せばいいのだ。スラムの論理とは弱者は死に、強者が生きる、たったそれだけ。


親を傷つけた奴らを殺せ。兄弟を攫った奴らを殺せ。

例え、あの麻袋の中身がセナでなかったとしても関係ない。知らない奴ら等全て殺してしまえ。


ソラの本能がそう叫ぶのだ。そして、ソラもその声に身を任せる。

目に殺意が宿る。狂気じみた怒りが、疲れ果てた四肢に力を呼び戻した。

その瞬間、ソラの右足が力強く地面を蹴る。蹴られた地面はその衝撃に少し凹んだ。

風を切って前へ。駆け抜ける音すら遠く聞こえるほどに速く駆ける。

右手を強く、強く握りしめて。


「なんだ――」


そして大きな麻袋を持った冒険者が振り返った瞬間に、


「くたばれ」


その頭に目掛けて、握りこぶしを叩きつけた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


何かが宙を舞った。


それは大きな石のような、あるいは大きな椰子の実のようなサイズ感のもので、飛びながらその赤い果汁を周囲にまき散らした。


その何かとは、人の頭部だった。振り返りざまに強烈な勢いで殴られた人の顔が、くるくると飛んでいた。

それがべしゃっと音を立てて地面に落ちたとき、その場にいた他の4人は目の前の光景を呆然と眺めていた。


眼前には、頭部を失い直立したまま死んでいる仲間の姿。そして殴りかかった体勢のままでいる一人の薄汚れたスラムの少年。

彼らの仲間だったそれは痙攣しながら地面に崩れ落ちていき、少年はその体が担いでいた麻袋を引き寄せる。


そして、ソラは黙って袋の口を開け中身を見る。

勿論彼らは知っている。中には手足を縛られながら気絶している少女が入っている。


「…貴様はなんだ?」


彼らの中の一人が、目の前の少年に向って問いかけた。


立派なフルプレートの鎧で着飾ったその男こそが彼らのリーダーだ。目の前で仲間が殺されたということに一瞬動揺したものの、すぐに気を切り替えて目の前の少年を睨みつける。


それは彼が有能な冒険者であることに加えて、他の4人とはこのクエストで初めて知り合ったという経緯があるからだ。殆ど赤の他人に等しいような即席の仲間の一人が死んだだけであり、狼狽えることなどありえない。


だが、他の3人は違う。彼ら4人は長年一緒に連れ添ってきた冒険者パーティであり、その仲間が目の前で突然ん死んだことに対して気が動転しないわけもない。

男が少年に向って話しかけたのは、そんな彼らが正気を取り戻すための時間稼ぎだ。たかがやせっぱちのガキだが、そんな彼が出す圧力に男は嫌な予感を感じていた。


少年――ソラは男の言葉に反応を返さない。ただ黙って麻袋から少女を取り出し、その手足を縛る縄を強引に引きちぎって地面に横たえる。


そして顔を上げたソラと目が合った瞬間、男は背中に冷たいものが走った。

その目に映るのは憤怒と殺意。地獄の業火のごとく燃え上がるそれが、視線だけで男を焼かんばかりに迸る。


拙い、と男が思ったその時にはもう遅い。


「殺す」


再度、ソラはそう言って、目の前の彼らを殲滅するために走り出した。




ソラは目の前の集団に対して3人と1人という分け方ができることを即座に把握していた。


何故ならば仲間が殺された時のリアクションが違う。一人は瞬時に冷静さを取り戻したのに対して、他の3人は動揺し、呆然としたままだった。

恐らくは死んだものを含めた4人は長年の付き合いで、残りのフルプレートの男は最近知り合ったといったところだろう。


そのことを看破したソラは即座に殺害計画を立てる。

単純明快――簡単な奴から、一人ずつ、一瞬で殺す。ただそれだけだ。


「えっ」


未だ動揺したままの3人のうち、背中に弓を担いだ男に向って跳躍する。

目の前に突然現れた少年と殺された仲間の姿に慌てた男が間抜けな声を上げる。

そしてソラはそんな彼の頭を両手で掴むと力任せに270°程回転させる。周囲にゴキゴキと鈍い音が鳴り響く中、男は白目を剥いて、その体から力が失われた。


「なん――テメェッ!!」


3人の中でいち早く正気を取り戻した男がソラの横合いから突進し、剣を振りかざす。

そんな男に向って、ソラは両手で掴んだ男の死体をポイっと投げ飛ばした。


「なッ…!?」


男は飛んでくる死体を避けることもできず、かといって弾き飛ばすことも、切り飛ばすこともできない。何故ならそれは彼の仲間だ。十年以上付き合ってきた親友の体が目の前に飛んで来た時、思わず彼は受け止めてしまった。


そして、死体で男の視界と両手が塞がったその瞬間に、ソラは投げ飛ばした死体の背中にぶら下げられていた矢筒から一本の矢を取り出し、死体の陰から男の右目に思いきり突き刺して、そのままぐりぐりとかき回す。


脳髄をぐちゃぐちゃにされた男は声を上げることもできずにそのまま即死した。そして、崩れ落ちる二人の男の死体を見ることもなく、ソラは次の目標に向って鋭い目を向ける。


「ひッ――」


残りの一人が恐怖の声を上げる。それも当然、あっという間に10年来の付き合いの仲間が全員殺されたのだ。立ち向かうという気概など彼にはない。

そして、その殺意の目が彼のことを射抜いた瞬間、自然と彼の体はソラに向って背を向けた。


「よせッ!!」


リーダーの男がそう叫びながら逃げる男の背中に手を伸ばす。だが、恐慌状態に陥った彼の耳にはその声と手は届かず、その場から逃げるために全力で走ろうとして――


「これで4人目」


少年の静かな声が響くと同時に、ヒュンっという風を切るような鋭い音が鳴った。それは少年が逃げる男に向って何かを投げた音だ。


その何かとは――直剣だ。ソラは殺した男の手から剣を奪いとり、逃げる彼の背に向けて投げていた。

そしてそれは狙い過たず彼の背中に直撃し、


「あっ、アあぁあぁぁぁぁあああッ!!」


勢いのままに突き破って、その切っ先が地面に突き刺さり、それ以上逃げ出さないよう、彼の体を大地に縫い付けた。それはまるで針で押さえつけられた蝶の標本のような姿であった。

男の悲痛な断末魔が辺りに鳴り響く。その絶叫を聞くのはソラと、フルプレートの男のみ。

気づけば辺りから人の気配は消え失せていた。どうやらスラムの住人達はとばっちりを恐れて身を隠したようだ。


静寂の中、夕日は沈み、一瞬の明かりがその場にいる彼ら二人を照らす。


「残りはお前だ」

「貴様…ッ!!」


その光を全身に受けながら、ソラはフルプレートの男に向って殺害を宣告する。

男からすれば訳が分からないだろう。

見知らぬ少年が突然現れたと思ったら一瞬のうちに仲間を皆殺しして、挙句の果てに自身の事すら殺すといっているのだ。


だが困惑している暇はない。目の前の少年は間違いなく自身を殺すつもりである。そして、そのための技術も力も持っていることは証明されている。


ソラは最初に殺した男の死体から、先ほど投擲したものと同じような直剣を回収する。街の冒険者らしい、良い剣だ。新品のように光り輝いており、刃こぼれの一つもない。


これなら殺せる、ソラはそう確信した。

拾い上げた直剣を握りしめ、足を一歩踏み出そうとして、



[動くなッ!!]



男が放ったその一言で動きを止めた。いや、止められた。


「は…?」


ソラは初めて殺意以外の感情、すなわち驚きと困惑を顔に浮かべた。


それは彼にとって初めての経験だ。足は地面に縫い付けられたかのように持ち上がらない。直剣を握る右腕は、それを持ち上げた状態で静止して振ることも手放すこともできない。

口を動かすこともままならず、顔は男の方を向いたまま。

ソラは見た。男が言葉を放ったと同時に、その目が青く光るのを。


つまり――権限。


ソラにもそれに対する知識はあった。世の中にはイエソドの住人よりも絶対的に格上の存在がいるという事実と、それらが扱う権限という命令権については育ての親から教育されていた。


だが、スラムの人間とっては関係のない話だ。汚く、娯楽もなく、治安も悪いスラムに上層の人間が来ることは決してない。

そのはずだった。


「…ふぅ」


男は一息ついて、そのままソラの元に歩き出す。

それに対してソラは何もできない。顔をそむけることもできず、男が近寄ってくるのをただ黙ってみていることしかできない。

そして、男はソラの目の前までたどり着いて、


「クソがッ!!」


ガントレットのついた右腕で思い切りソラの顔を殴り飛ばした。


「がぁ…ッ!!」


ソラの体は後方に大きく吹き飛び、そのまま背中から地面に激突。荒い砂や小岩に肌を擦られ鋭い痛みを覚え、顔を苦痛に歪める。

殴られた頬からは鈍痛が響き渡り、熱を持ち始めているのも感じられる。間違いなく罅は入っているだろう。


「まさか、こんなガキに殺されるとは…本当に使えんな、下層の者とは」


そんなことをブツブツと呟きながら男はまたソラに向って歩いてくる。兜の中にある表情はうかがい知れないが、その目には間違いなく憤怒と殺意が籠っていた。

そのまま、男は倒れこんだソラの上に跨り、


「おらッ!!」


ソラのみぞおちに向って、怒りのままに右腕を振り下ろした。

ソラの肺から空気が漏れるが、何故か声は出ない。その鈍痛に気を失ってしまいそうになるソラだったが、


「待て、楽にはさせんぞ」


すぐさま、フルプレートで包まれた、男の重い体が腹にのしかかり、意識がつなぎとめられる。だが、逃げ道はどこにもない。


「貴様のせいで、私の評価が下がるかもしれない」


低く押し殺した声がソラの耳元で響き、次の瞬間、


「ゴミがッ!!」


もう一度拳が振り下ろされ、ソラの視界が揺れる。恐らく今の一撃で内臓のどこかが潰れたのだろう、喉の奥から鉄臭い何かが込みあがってくる。

だが、そんなソラの事などお構いなしに、目の前の男は更に拳を振り上げながら叫び続ける。


「貴様があのゴミどもをッ!!殺したせいでッ!!私は恥をかいたッ!!」


そう強く叫ぶ度に男は拳をソラに向って振り下ろす。拳が落ちるたび、地面の感触が遠くなる。

ソラの身体はもはや痛みとしてではなく、鈍い震えとして衝撃を受け止めるだけになっていた。

ここにきて、ソラは自身が失敗したことを理解した。


目の前の男は上層の人間なのだろう。まさか上層の人間が下層の人間に紛れており、しかもスラムにまで来ているとは想定していなかった。

男が他の冒険者たちから浮いているように見えたのは、事実、彼らに比べて位階が違ったからだ。


そして権限。

知識としては知っていたが、視認されるだけで発動するその命令権がここまで強制力のあるものだとは知らなかった。


現に、今もまだ権限に縛られ、ソラは体を動かして身を守ることも、苦痛の言葉を漏らすこともできないままに殴られ続けている。


「殺す!?私を殺すだとッ!!下層のゴミ風情が図に乗って何をぬかすかッ!!」


意識が朦朧としてくる。鋭い痛みが次々に与えられるが、それすらも徐々に曇って来て、意識が断絶しそうになる。

死。その単語がソラの頭をよぎる。

ソラはその日初めて、自身の死を予感した。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ん…」


ガンガンっと何かを打ち付けるような音が周囲に響き渡っている。その音を感じて、少女は薄く目を開けた。

手首、足首に締め付けられていたようにひりひりとした感触があるが、それ以上に全身のいたるところが鈍く痛む。


「痛っ…」


特に殴られた頭が痛む。そして、その痛みで思い出した。


その少女、セナは家の外で洗濯物を干しているところを突然後頭部を殴られたのだ。後ろから殴られたため、犯人の姿も見ていない。

それからの記憶は殆どないが、担がれてどこかに運ばれるような感覚があったことは微かに覚えている。

その事実に気づいた瞬間、


「殺す!?私を殺すだとッ!!下層のゴミ風情が図に乗って何をぬかすかッ!!」


そんな声がセナの耳に届いた。

強い怒りのこもったその声にセナは思わず体を縮めてしまう。

そしてビクビクとしながらその声の方向を見れば。


「――」


そこには満身創痍で殴られ続けるソラと、ソラに馬乗りになって拳を振るう一人の男がいた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「最後に言い残すことはあるか?」


馬乗りになっていた男は息を整えながら、ソラを見下ろしてそう言った。

その瞬間、ソラは漸く自身の体が動くようになったことに気が付いた。しかし、動くようになったといっても動かすことはできない。

全身にわたって強い痛みがある。内臓のいくつかもやられてしまったみたいで、喉の奥から鉄臭い何かがこみあげてくる。あばら骨に腕の骨は折れているようだ。顔面の骨にも罅が入っているだろうことは容易に分かった。

指の一本も動かすことが出来ないのだ。立ち上がることも、立ち向かうことも、逃げることも、もはや何もできない。

男もそれを分かっているようで、そんな状況だからこそ権限を解いたのだろう。


「……」


日が暮れて、夜が始まる。辺りに夜の闇と冷たさが広がっていく。

そんな中、ソラは黙って男の顔を見つめていた。


「どうした、早く何か言うがいい」


その声に宿るのは愉悦だろうか。権限によって無抵抗となったソラをボロ雑巾のような姿に変えたその男は、その状況にどうやら優越感を感じているらしい。

他者の上に立つ。自身より下の他者を見つけて嗤う。他者を縛る。

そんなことに満足感を感じているのだ。

それはなんて、


「…気持ち、わりい」


ソラはそう言った。傷だらけで、力も入らない体の中で唯一動く口という部位でもって、目の前の男を切り裂いた。


「気持ちわりいんだよ…とっとと失せろ、カス」


そう口にして、ソラは口に混じる血を唾と混ぜて、男の顔に向って吐き出した。

その赤い唾は男の被っている兜に当たり、ねっとりと垂れ落ちていく。

男の手が震える。兜の隙間から除く両目が充血する。


男は剣を抜き放つと、肩で大きく息を吸い込んだ。そして直後、全身を怒りでふくらませる。

そして、少年を真下に見下ろしたまま、両手で剣の柄を握りしめ―


「――死ねッ!!」


激憤のままにそう叫びながら、剣を振り下ろして――


『止まれえええええぇッ!!』


その瞬間、1人の少女の金切り声が周囲に響き渡った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


セナの目の前でソラに向って剣が振られている。それを避けることは彼にはできないだろう。

そしてセナは何もできない。


――いやだ。


セナの頭の中にそんな声が響く。


――いやだ、いやだ。


男が剣を振り下ろすその一瞬は引き延ばされ、その間にセナの頭の中をその感情だけが埋め尽くす。

だから祈る。


――お願いだからソラを助けて。


ルキナは何かに向けてそう祈る。


――アタシにできることなら何だってします。


祈りの形式も、言葉の順序も、まるで知らない。


――だからどうか、お願いだから。


それでもセナは捧げた。精一杯の祈りと願いを。

そして。


――()()()に服従するから、ソラを助ける力をください。



そして、彼女は契約した。



その瞬間、セナの両目に燃えるような熱が宿った。まるで両の眼球だけが炎の中に埋め込まれたようなそんな熱を感じた。


それと同時に、自身が何をすべきか、そして何ができるかを理解した。

両目が燃えて、溶けて、新たに生えてくるようなそんな奇妙な感覚と溢れ出す涙をそのままに、両目で目の前の光景を確と見る。


数m離れたところにいるソラと、彼に向って剣を振り上げる男。

後者を燃える両目で睨みつけて――


『止まれえええええぇッ!!』


セナはそう叫んだ。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


少女の声が辺りに響き渡ると同時に、ソラの目の前にいた男の体は動きをピタリと止めた。


「は…?」


男の体はまるで彫像になったかのように動きが静止しており、ピクリとも動いていない。

兜から除く瞳も瞬きもせず、ソラを怒りのままに睨んでいた。だというのに、剣は一向に振り下ろされない。


それに驚いたのは、今まさに死にかけているソラであろう。ソラはその感情のまま、疑問の声を上げた。

まるで時間が止まったかのような静寂の中、小石と砂を踏みしめながら誰かが歩いてくる音が響く。


痛む体をそのままに、ソラは音のなった方向を向く。

そこにいたのは一人の少女――セナだった。


セナの片手には短剣が握りしめられている。恐らくそこらに転がっている死体のどれかから抜き取ったものであろう。

ふらつく足でもってセナがゆっくりと男に近づいてくる。


しかし、男の動きは静止したまま。顔をセナに向けることもしないし、剣を振り下ろすこともしない。

一体何が起こっている――そんな疑問がソラの頭を駆け巡る。


そして気づけばセナが男の目の前に立っていた。


「死ね」


彼女は両手で強く握りこんだ短剣を、男の兜の隙間に勢いよく差し込んだ。


ぷちゅっと、薄い刃が何かを破る音がする。短剣を伝って赤い血が溢れ出してセナの腕を汚していく。

だがセナはそのことを全く気にしない。その刃をぐりぐりと動かしながら右足で男の体を蹴り飛ばす。


すると、先ほどまで全く動かなかったはずの男の体は面白いように後ろに倒れこんだ。その顔面には短剣が突き刺さったままであり、その光景はどこか滑稽なものに思えた。


目の前で荒い息を吐きながら立ち尽くすセナを、ソラは見上げる。気づけば夕日は落ち、月が夜空を照らしていた。その月明りに照らされた血濡れのセナは、どこか以前と違う存在のように見えて――


その瞬間、ソラの意識は急速に曇り始めた。

目が勝手に閉じて、身体に感じる痛みが無くなっていく。

そんな中、セナが自分の体を抱き起すのを感じる。彼女の両目から溢れる暖かい涙が自分の頬を濡らしていることもぼんやりとわかる。


セナが何かを必死に叫んでいる。だが、内容は分からない。頭が回らず、理解ができない。


身体も口も動かない。やがて意識は底なしの沼に沈んでいく。


もしかしたらこれが死という感触なのかもしれないとそんなことをなんとなく思いながら、それでも意識が落ちる直前に聞こえた言葉を思い出す。


その言葉は――




『いかないで』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ