第9話 獣姫
鉤爪を生やしたミハトはミアに向かって突進し始めた。
リレは持ち前の反射神経で大剣を抜き、ミアの前に割り込んで鉤爪を受け止めた。
「なんでお前……」
「ミアの手足じゃ鉤爪を受けられないだろ!ボサッとすんな!」
ミアの断魔晶『ブリッツ』はあくまで思考を超越する速度で筋肉を動かせるものにすぎない。仮に鉤爪の一突きをその腕で受ければ腕には四つの細い穴が空いていただろう。
手加減しない、などと言ったもののミハトはその手前で寸止めするつもりだった。しかしそこにリレが割り込んできたため結果として寸止めするはずだった鉤爪はリレの大剣とかち合うことになった。
ミハトの予想を超える動きにミハトの口からは「ほう」などと感嘆の声が溢れ出た。
「これが受けられるならもっといけるよな!」
ミハトは盾のように構えられたリレの大剣に向けて両手の鉤爪でさらなる追撃を仕掛ける。
ミハトの猛攻に剣が大きくとも体格差で劣るリレは徐々に後退させられる。
「ミア!」
リレがミアの名を叫ぶと、ミハトの左後ろに回り込んだミアが右手のストレートを繰り出した。それはミハトが左手でリレに攻撃をしたタイミングであり、防ぐ手立ての無かったミハトのこめかみに直撃した。
「やった……?」
「まだだ!」
ミハトは地面に倒れ込む際に受け身をとり、寝転ぶことなく一回転しては再び立ち上がった。
「いたた……いつの間に連携なんて覚えたのさ」
「何も言わなくてもミアは攻撃してましたよ」
「流石だね」
最初の一撃をリレに救われてから怯んでいたミアは否定したくてもできない空気になっていた。
思い返せば初めて父親を殴り飛ばした時、なぜこれまで反撃しなかったのにあの時だけ攻撃したのかよくわからなかった。あの時も今も必死な思いでしか動いてなかったような気がする。
そこに戦う上での思考はほとんど挟まらず、反射だけで動いていたと言っても過言ではない。
「それじゃ、お楽しみの崩廻だ」
その一言でミアの意識は再び現実へと戻された。
ミハトへ目をやると、手の先から茶色の毛に覆われていくのが見える。その毛は首元へと侵食し、やがて顔全体を覆った。
「猫」
ミアの口から漏れた言葉の通り、ミハトの頭部には耳のような二つの山ができており、頬からは長い髭が生えていた。
「気を抜くな!どんな攻げk」
常に意識を配っていたリレはミアへの注意喚起を促した。――促したはずだったが、それが伝えられるよりも先に試合場の端までリレは吹き飛んでいた。
一瞬のことにリレもミアも思考が追いつかない。リレに至っては気付いたら壁に直撃しているのだ。視界が揺らぎ、数瞬の間に意識を失った。
ミアがリレの飛んだ先を見てから再び首を前に戻した瞬間、鉤爪の先が眼前に突き付けられた。
死ぬ。
そう思ったミアは死の間際の恐怖からか、あるいは生きている安堵からか、股から生温かいものを漏らしていた。
「安心しろって。殺しやしないよ」
ミハトは鉤爪を引っ込め、獣化を解いた。
ミハトが崩廻を発動していたのは一分にも満たない僅かな時間だった。その間にリレとミアは戦闘不能にされていた。二人は崩廻という上位の力との違いをその身をもって知ることとなったのだ。
「まだ昼だよ」
壁へ寄りかかるリレにミハトは声をかける。
その声が聞こえたと同時に、リレは目を見開き大剣をミハトに目掛けて突き出した。
「威勢が良いのはいいが、寝たふりは感心しないなあ」
リレの大剣を持つ右手首を押さえ、ミハトはリレの顔に膝蹴りを直撃させた。
これには何とか耐えていたリレも堪らずダウンし、後頭部を壁にぶつけた後地面へ倒れ込んだ。
「ミア。こいつを起こして上に戻ってこい」
呆然とするミアへと声をかけ、ミハトは試合場を後にした。
その場に残されたのは漏らしたものの上にへたり込んだミアと、完全に沈黙し意識の無くなったリレであった。
ミアはなんとか力を振り絞りリレを目覚めさせ、二人で元の部屋へと戻ってきた。
「遅いぞ。何やってたんだ」
あまりに理不尽な言葉に対して何か言い返そうと思った二人だったが、そんなことをする気力すら残っていなかった。
突っ立っていても仕方ないので各々それぞれの席へと着くなり机へ突っ伏してしまった。
「話も聞けないほどへばったか?」
実際に肉体的なダメージを受けたのはほぼリレのみだが、気力は完全に削がれてしまった。精神の疲労により姿勢を正すことすらも億劫となっている。
「まあいいや。適当に話すから頭の片隅にでも入れておけ」
そこからミハトは独り言のように話を始めた。
「私の断魔晶は中手骨の骨頭のあたりから鉤爪を生やせるものだ。長さはだいたい肘から中手骨のあたりまでだ」
拳を握ると出っ張る手の甲の骨を指しながら説明をしていく。
「ところがこいつの崩廻はこの鉤爪に一切関与せず、全身を獣化させるものだった」
鉤爪を出しながら拳の部分を獣化させるという器用なことをやっている。ミハトの崩廻は全身でなくとも身体の一部を獣化させることもできるという実証でもあるが、疲れ切った二人の頭には鉤爪しか目に入らなかった。
「獣化させた部分は身体能力がさらに向上して、最高速度は音速を超える。小柄な私でもこのスピードがあれば大柄の相手でも重い相手でも対等に戦うことができる」
小柄とはいってもミハトの身長は百七十センチメートルを超えており、先程吹き飛ばしたリレよりも高い。
ただ機械人形は基本的に体長が二メートルを超えており、時折三メートルを超えるものも現れる。そのようなものと比較するとミハトでも小柄に見える。
「断魔晶の崩廻による進化は、その断魔晶と自身の研鑽によって生まれる。私の場合、鉤爪だけで攻撃力は足りていたからそれを補う形でスピードに特化した獣化という形で崩廻に至ったと考えている」
言い換えれば防御面にまだ不安が残るため崩廻Ⅱへ至るならばそこを補う形になるのではないか、とも付け足した。
断魔晶の所有者が自らを省みることで断魔晶がそれに応える形が基本である。
「私と戦って何が足りないか思い返すんだな」
そう言い残してミハトは部屋から出ていった。
扉の閉まる音がすると、机に突っ伏したまま二人はお互いの顔を見合った。
「リレって何年も断魔晶と一緒なんでしょ。ずっと大剣のままなの」
「うん、物心ついた時からずっと」
ラルフ元帥からは、十三年前の『教会』本部襲撃の時から大剣だったと聞いていた。その言葉に嘘はないのだろう。小屋に置いてきた幼いリレの写真には、リレと共に大剣が写っていることが多かったためだ。
「ミアは?」
「私が『ブリッツ』を使えるようになったのはつい最近。聞いたでしょ?お父さんを殺したの」
リレはその質問に頷いた。
ミアからその経緯を聞くとリレは納得したが、それでも人を殺すのは良くないと口にした。
「なんで?お父さんは何年も何年も私のことを……。しょうがないじゃん」
ミアにとっては当然のことだった。ラルフ元帥に厳しくも優しく育てられたリレには決してわからない。
潜在型断魔晶の所有者が教会騎士の任務以外でその力を振るうことは世界的に禁止されている。
ミアは全く知らないことだが、ミアが『教会』本部に到着した時から秘密裏に身辺調査はされており、ミアの家からは父親の遺体共々ミアの痕跡が全て消されている。ロデリック教会長からそれを伝えられるのはまた後の話である。
「ミアに足りないものは戦って見つけるしかないよ」
「それはあんたもでしょ」
お互い深いため息を吐き、席から立ち上がった。
顔を上げると黒板には「飯食って寝ろ」と書き残されていた。まだ昼前だが、今日の講義は終わりということだろう。
二人は食べるものを求めて食堂へ向かった。




