第43話 龍炎
「アルチェ……貴様……」
炎の中からグラシェの声が聞こえる。
「俺は『錬武』サイジ・ジーナス元帥だ。お前らの敵だよ」
「ああそうか……」
ロデリック教会長はこの状況に違和感を覚えていた。
氷を操る『ドゥクス』ならば自身の業火で対応できる。そもそも『教会』屈指の殲滅力を誇る炎に対応できる者などほとんどいない。氷ならば尚のことである。
無論例外は存在する。Σ大元帥の崩廻Ⅲは絶対的な防護壁である。ロデリック教会長でも溶かすのは困難を極める。
だが、もしそれと同等以上なら?ロデリック教会長の頭にはその可能性が過った。
「全員離れろ!」
ロデリック教会長の声と共にサイジ元帥とアンベル副会長は退避する。
――それと同時だった。グラシェを囲む炎が全て凍てついた。
氷の中に閉じ込められる炎は一つの芸術品となるだろう。
しかしそれを砕いてグラシェは現れた。
「三人纏めて相手してやろう。この誰にも奪われない私の断魔晶でな」
「――ッ!鳳!」
グラシェが動き始めるより先に、ロデリック教会長は二つの筒を繋ぎ合わせた。筒から吹き荒れる炎が翼のように羽ばたき、巨大な鳳の姿で双翼を盾のように固める。
「やらせるか!」
グラシェの背後に位置していたアンベル副会長は鳳の防壁に入れなかったが、体に纏う無盾はあらゆる攻撃を跳ね除ける代物である。あらゆるものを貫く無槍を構えてグラシェの背中に向かって突撃する。
しかしアンベル副会長の体は途中で静止する。
「なッ……!?」
「老人、貴様の敗因はこの私に単独で攻め入ったことだ。その勇気だけは褒め称えよう」
苦悶の表情を浮かべたまま、アンベル副会長の身体は動かなくなっていく。
「行くしかないか……」
「やめろ。アンベル・リーは捨ておけ」
「しかし!」
「この鳥の炎が無ければ俺たちとて無事では済まないだろう」
皮肉にも無盾はアンベル副会長の肉体の崩壊をも防いでいた。物理的な衝撃は通さずとも、内部から肉体を壊す手段は存在する。
サイジ元帥がロデリック教会長の突貫を制止してから数秒も経たず、アンベル副会長は氷の彫像となった。
「立ち続けることもままならないはずだ。どれだけ耐えられるかな」
グラシェは冷気を発しながら歩み寄る。否、それは歩みと呼ぶには速すぎた。
氷の剣を構えて鳳へと斬りかかる。
鳳の翼に剣が振り下ろされる。その瞬間に、サイジ元帥は鳳の前へ出てグラシェの剣を受け止める。
「そんな矮小な剣で止められるとでも?」
「仮にも身内だった奴の手の内など、知らないわけは無かろう」
サイジ元帥は剣を跳ね除け、右手を腰のホルダーに入れた。
そこから取り出されたのは赤い宝玉だった。
「獣王剣」
短剣の柄に空いた穴に宝玉を埋め込むと、刀身が火に包まれる。
そして再びその短剣でグラシェへ刺突するが、グラシェは剣でその攻撃を受け止める。
「その程度……む?」
その刺突は剣の表面で受け止めて氷で包まれるはずだった。
しかし現実は予測と異なり、剣の表面をじわりじわりと溶かしていた。
何かがおかしい。
「断魔晶で作られた剣ならば長くは保たないはずだ」
グラシェはその一言で察し、後方へ飛び退いた。
「南東の支部長代理といい貴様といい、断魔晶の無力化などと……」
グラシェが放っていたのは崩廻Ⅳによる冷気と氷の剣による攻撃だが、崩廻の覚醒段階が強さに直結するわけではない。相性の問題で勝てない相手というのは存在する。
断魔晶に頼って戦う者にとって断魔晶の無力化はその最たるものであり、これを打ち消せる能力を『教会』ではわずか二例しか観測していない。
サイジ元帥の短剣『獣王剣』は宝玉を柄に埋め込むことでそれに合わせた効果を発揮する断魔晶だが、彼自身の技術によって表面に断魔晶を無力化する能力が塗布されている。オードに提供していた剣と同じ作り方である。
そのため無力化の範囲は刀身の触れる場所のみとなる。
しかし断魔晶の無力化という能力自体がグラシェを強く警戒させる。
「はあっ!」
短剣を構えるサイジ元帥の後ろから、背中に炎の翼を生やしたロデリック教会長が飛びかかってくる。
恐らくは崩廻なのだろう。
グラシェは相性の差を覆せると認識させ相手に萎縮させるため、炎を氷漬けにしてみせた。しかし相性の差は完全には覆らず、断魔晶の無力化と熱波という不利な相手に長期戦を挑むのは無謀だと判断した。
「副会長だけか……。いずれ貴様は断罪する、アルチェ」
そしてグラシェは全身を溶かし地面に呑まれていった。
「アンベルさん……」
幸か不幸か、アンベル副会長の肉体は凍りついたまま原型を保っていた。派遣先での死が多く遺体の損壊が激しい教会騎士にとっては珍しいことである。
「とはいえウィンは討てた。グラシェも不利を押してまで戦う奴ではない。一旦は我々の勝利ではないか?」
サイジ元帥は短剣を納めてロデリック教会長に声をかける。
「ああ……。奴らの奇襲を利用した迎撃作戦。アンベル副会長の命と引き換えならば……」
そこでロデリック教会長の口が固く結ばれた。
本来であれば仲間の命を犠牲にした勝利など得たくないのだ。想定外だったのはグラシェの強さ。アンベル副会長を守りきれなかった己の弱さを恥じた。
「ごめんなさい」
ロデリック教会長はアンベル副会長の遺体に頭を下げた。
「行くぞ。後悔はここに置いていけ」
サイジ元帥はそう声をかけて歩き始めた。
ロデリック教会長も涙を拭き、サイジ元帥の後を追った。
水から氷に戻ったグラシェは『教会』本部の教会長室にいた。
「ざまあみろ」
胸に穴を開けられ死んだウィンの遺体を見てグラシェは嗤った。
以前も断魔晶を無力化する剣でウィンは斬られて撤退する羽目になった。
それを知ってて受けることはないだろうが、二度も同じ手で敗北を喫しては意味が無い。
「だが仇は取ってやる」
グラシェは再び崩廻Ⅳを発動させる。
教会長室だけではない。『教会』本部の地上部分から徐々に凍りつき始めた。
「……まずいな」
階上へ上がる二人を冷えた空気が包み始めた。
冷気が噴出するような構造の建物ではない。となれば考えられることは一つだけである。
「はあっ!」
ロデリック教会長の一振りで冷気を押し返す。
それでもグラシェの冷気は止まらず、先の戦いと同等以上の勢いで襲いかかってくる。
「なんとかならないか」
「なんとかできるが、加減はできんな」
「欲は言わない。奴を倒せるなら」
「十分欲深いよ」
サイジ元帥はロデリック教会長の前に出て、短剣を構えた。
まだ柄には赤い宝玉が嵌め込まれたままである。それを撫で短剣を掲げる。
「下がっていろ、教会長。お前でも焼け死ぬぞ」
そう言われても、ロデリック教会長は戦いの結末を見届けなければならない義務感を背負っていた。
ロデリック教会長が数歩下がったのを見てから、サイジ元帥は静かに目を閉じる。
「……ドラゴンフレイム」
その一言で空気が熱くなる。よく見ると刀身が赤みを帯びており、熱を纏っていることが一目でわかる。
ロデリック教会長が瞬きをした。その僅かな間に、巨大な赤い生物が現れていた。
二つの手を持つ蛇のように長い身体と、あらゆるものを飲み込まんとする巨大な口を広げた生物である。ロデリック教会長はそんな生物を見たことが無かった。
その生物はそのまま通路を直進し、触れるもの全てを焼き尽くす。燃えるなどという言葉すら優しい程度だ。文字通り灰燼に帰す。
「これは……」
もはや焼け跡ですらない、四方全てが焦げた通路を前にロデリック教会長は立ち尽くしていた。




