第40話 黒闇
少年は知らなかった。少女が常日頃から両親に虐待されていたことを。
少女は知らなかった。両親の言う「躾」が世間的に見ても過剰であることを。
二人は家族ぐるみで懇意にしており、少年は少女の家庭教師になった。
ところがある日、少年は行方不明となる。家庭教師の帰りに忽然と姿を消した。
少年の両親の疑いの目は少女の家族へ向いた。少女の両親の「躾」はさらにエスカレートした。
そして少女もある日突然姿を消した。
タウの身体はみるみるうちに回復していった。
痩せ細った手足には肉がつき始め、髪も艶を取り戻した。
Σ大元帥の睨んだ通り、タウは潜在型断魔晶を宿していた。あらゆるものを飲み込み自らの力と変える。そんな性質の断魔晶だった。言葉を聞き意味を理解できていたのはこれが理由だった。
試しにタウがブラックホールを想像しながら具現化してみたところ、真っ黒な球体が現れた。
一部の教会騎士は断魔晶に名前をつけるとΣ大元帥が教えたところ、タウはその断魔晶に黒闇の名をつけた。
タウは正式に教会騎士として『教会』に所属しているわけではないが、既に断魔晶を扱い始めている。来年には編成時に組み込まれても問題ないようにするためだ。
ただしこのことをロデリック教会長は知らない。俺が報告しておくからと言うだけ言って、アラーテル支部長が報告していないのである。
「小娘もだいぶやれるようになったな」
教会騎士第六十四位であるユーヴ・イリナと手合わせをしているタウを見て、アラーテル支部長は呟く。
下位とはいえ正式に教会騎士の名を拝命している人物と対等以上に戦っている姿は異様である。
実体のわからない黒い剣に黒い外套を身につけ、タウよりも少し背の高いユーヴの周りをぴょんぴょんと跳ね回っては斬り結んでいる。
剣も外套も黒闇によって生み出されたものである。受ける攻撃は外套で吸収でき、剣の一閃は相手の攻撃を飲み込むことができる。タウ自身の未熟さを度外視すれば、上位の連中と遜色ない能力を発揮している。
Σ大元帥の教えた『鉄拳』の基礎はその足運びが活用されているくらいで、武器を使わないΣ大元帥の戦い方とは全く異なるものへと昇華されていた。
「でも私はタウに戦ってほしくない」
Σ大元帥はアラーテル支部長に答えた。
機械人形でさえ教会騎士の命を奪うことはよくあることだ。しかもこれからは『ドゥクス』と本格的な戦いになると考えられる。タウだけでなく自分の身すらも守れるかわからないのだ。
「でも俺らは教会騎士だぜ。敵が来たら真っ先に立ち向かわなきゃいけない。今はともかく、来年には小娘も先陣切って突っ込むのが仕事になるんだ。心配ばかりするなよ」
アラーテル支部長はΣ大元帥の背中をばしばし叩いて立ち上がった。
「俺も混ぜろ!」
「え、いや、ちょっと」
「支部長やめてください!」
「遠慮すんな!」
剣を振り抜いて乱入しようとするアラーテル支部長を見て、Σ大元帥も仕方なく稽古の中に参戦することにした。
ふわふわした雰囲気の北西大陸支部とは異なり、北東大陸支部の支部長室の空気は張り詰めていた。
「あの娘はさっさとクビにすればよかったのによ」
「そうは言ってもどうにもならんだろう。何よりここでは強さで支部長が決まる」
「所詮は雑魚狩りの順位だ。一対一なら俺の方が強い」
アイバー支部長は腕を組みながら足を鳴らしていた。ダンダリア支部長が拉致された件を聞いてから、苛立ちを抑えられないのである。
一方の『銃狼』G.T.元帥は立ったまま窓の外を眺めていた。
「アルグールみたいな特例だってあるじゃないか。最初から俺はあの娘が支部長に相応しいと思ったことはない」
「アレは殺人鬼が教会騎士になったことの特例だ。通常の手続きで教会騎士になったダンダリア・グルーデンだけ別扱いにする理由はない」
ずっとこの調子で二人は口論を繰り返しているが、結論と呼べるものは存在しない。
次第にG.T.元帥の方が飽きて部屋から出て終わるのがいつもの流れである。
「散歩に行ってくる」
「なら私も行くわ」
聞き慣れた、だがここにいるはずのない女の声に二人は武器を抜いた。
「やめてよね。あなた達が私に勝てるわけないじゃない」
「お前は……」
「……ミランダ」
二人の目の前にいた人物、それはかつて二人と共に志を共にした学友――ミランダ・メルベールであった。
「今はアインっていうの。よろしくね」
首元の剣とこめかみの銃口を退かしながら、歩を進めた。
「かつて死んだと聞いたお前は何者だ?」
動かされた銃口をアインの頭に再び向けて、G.T.元帥は疑問を投げかける。
かつてミランダを巡ってアイバー支部長とG.T.元帥は争っていたが、ミランダが別の男と結ばれたことで争いは終わった。
そしてしばらくして二人が教会騎士になった頃、ミランダの訃報が届いた。機械人形に殺されたという話だったが、よくある話でもある。
ところがそのミランダが寸分違わぬ姿で目の前にいる。少しも老けていないのである。
「言い直すわね。私は『ドゥクス』のアイン。ミランダ・メルベールは本名だけど、あの頃からもう『ドゥクス』だったわ」
言い終わるやいなや、G.T.元帥の銃を弾き飛ばしながらアイバー支部長に手刀で迫った。
「随分と硬い手だな」
「闘気と断魔晶を組み合わせればこれくらいはね」
アイバー支部長が斬り返すと、アインは部屋から飛び出して館内を駆け始めた。
「言い忘れてたけど!」
二人が部屋から飛び出すと、姿を消したアインの声だけが届いた。
「私ともう一人!ここに来てるから!皆おしまいよ!」
「ちっ」
アインの断魔晶の能力はよくわからなかった。少なくともアイバー支部長と斬り結べるような能力なのだろう。
そしてもう一人の『ドゥクス』がいるという。
モスクルスやズィーゲルは隙が多く終始優勢に立つことがでいていた。
しかし今回は侵入されたことにすら気付けなかった上、支部長と元帥が揃っていてもなお傷一つつけることができなかった。
「北東支部も陥ちるのか……?」
「弱気になるなアイバー。まだ負けてない」
G.T.元帥はアイバー支部長の肩を叩くと、一階まで飛び降りた。
「退路を考えて指揮を執れ。俺はミランダを追う」
「ああ……。シェイン、いるか?」
アイバー支部長は隣室にいるはずのシェイン副支部長に声をかける。
「……シェイン?」
返事がない。そもそも先ほどの騒動でも駆けつけない時点でおかしな話ではあるのだ。
「開けるぞ」
アイバー支部長は一言断りを入れてから隣室の扉を開けた。
――そこにはシェイン副支部長の遺体があった。
「シェイン!」
抵抗した様子も無く、的確に心臓を貫かれて座ったまま息絶えていた。
アイン、あるいはもう一人の『ドゥクス』に事前に殺されていたのだろう。いずれにせよアイバー支部長とG.T.元帥以外には二人しか教会騎士が残っていない。それすらも既に死んでいる可能性もある。
「……行くか」
アイバー支部長も飛び降り、G.T.支部長の後を追った。
ここの戦いは各地で起こる『ドゥクス』の急襲の、ほんの序章にしか過ぎなかった。




