Id 1.邂逅
「メアー。ご飯食べなさいー」
「んー」
その女――メア・パロは母親に起こされ、目を擦りながら朝食の卓へと着く。
メアは周りの人間よりも運動神経が良く、潜在型断魔晶の所有者であることは判明していた。しかし『教会』に入るつもりもなく、かといって定職に就くこともなく、毎日母親の作る飯を口にするだけの生活を送っていた。
都市イングリッサ。『教会』本部の設置されている中央大陸最大の都市であり、同時に全大陸でも最大の都市となる。クラックス・シーノラ教会長の常駐するこの都市は最も安全な都市としても知られていた。
父親は『教会』の医療班であり、『教会』本部と自宅を往復する日々を送っていた。
再三父親から「一緒に働かないか」と誘われていたが、頑なに断り続けていた。
単純に家から出たくなかったためである。
だが、ある大事件がメアの人生を大きく変える。
その日も家でごろごろしていたが、母親に叩き起こされた。
「うえっ、何……?」
「パパがお弁当忘れちゃってさ。届けに行ってくれない?」
「めちゃくちゃ遠いじゃん……」
「たまには身体を動かしなさい」
ろくに運動もしないメアだったが、断魔晶の影響なのか食べても太ることはなかった。
だが筋力はしっかりと低下しつつあり、父親はあえてメアに運動させるために弁当を家に置いたまま職場へ向かっていた。母親もその意図を理解して、メアに弁当を運ぶことを頼んでいる。
「たまにはママが行ってよ」
「じゃあ代わりに掃除と洗濯と買い物と」
「いってきまーす」
いそいそと着替え始めて、弁当を持つとそのままメアは家を出た。
道中では様々な人とすれ違う。
八百屋のおばさんはよくサービスをしてくれる。メアがお遣いで行くと「えらいねえ」などと言いながら嫌いな野菜をくれるのだ。
精肉店の店主のおじさんはこの辺で一番の力自慢である。地域のアームレスリング大会で優勝候補だったが、偶然にも近くを通りがかった大元帥とかいう人に決勝で負けてしまい非常に悔しがっていた。
花屋のお姉さんはメアの五つほど歳上だろうか。メアも比較的整った容姿をしているが、そんなメアから見ても綺麗だと感じる人だ。顔を合わせる度に「いい人いない?」などと聞いてくる。だがメアはお姉さんと喋っている男の人が毎回違う人であることに気付いている。
メア自身はあまり人付き合いが好きではないが、こうした街の雰囲気は気に入っていた。
そうこう考えているうちに『教会』本部へと到着する。
「あ、あのっ、すすすいません。フロイ・パロの娘なんですが」
門番に勇気を出して話しかける。メアにとってはこの会話が一番苦痛なのだ。
「Dr.パロの娘さんですね。またお弁当ですか?」
「はははいっ」
「たまには中に入ってください。何か言われたら私が怒られるだけなので」
そう言って門番は門を開く。
いつもならここで弁当を渡して退散するのだが、珍しく招かれてしまった。
正直なところ家に帰ってごろごろしたいなと思っていたが、ここへ来るだけでもやや疲れていた。
どうせならひと休みさせてもらおう、と思って門番に頭を下げつつ中へ入る。
中では多くの人が動いていた。忙しそうに、ではあるものの怒声が飛ぶようなことは無い。どこで父親は働いているのかな、と周囲をきょろきょろ見回しながら歩いていた。
少なくとも前は見ていなかった。
「いたっ」
「大丈夫かね」
大きな青年がこちらに手を差し伸べていた。
きっと彼にぶつかったのだろう。
「あああありがとうございます」
「いや、こちらこそ前をちゃんと見ていなかった。申し訳ない。ん?見たことのない顔だな」
青年はまじまじとメアの顔を見ていた。
メアは目を合わせることに不慣れで、不意に目を逸らしてしまう。
「えっと、その」
「所属を聞かせてくれ」
「あっ、あの、フロイ・パロの娘で、弁当を、あの」
「ああ」
青年はメアの持っていた弁当に気付いた。
「Dr.パロの娘さんか。ご苦労様だな」
青年は周囲をぐるりと見回して、通りがかった暇そうな少年を呼び止めた。
「ヤンガ、少しこの子の相手をしてやってくれ。どうせ暇だろう?」
「えぇ……。まあ教会長が言うならやりますけど……」
少年はメアに近付いて、じろじろと顔や身体を見ていた。
「え、あの、なんですか……」
「ヤンガ・ブロスです。なんか話し相手になれって言われたので」
「弁当はお父さんに届けてあげよう。彼と少しお喋りしたら帰るんだよ」
そう言うと青年――クラックス教会長はメアの手から弁当を受け取り、通路の奥へと消えていった。
「ああああありがとう、ございます」
「ささ、あちらへどうぞどうぞ」
ヤンガはメアの身体を反転させ、背中を押しながらクラックス教会長の消えた方向と正反対の方へと歩を進めた。
「ぼ……お兄さんはどんなことしてる人なんですか?」
身長も低いヤンガを坊やと呼びそうになったが、流石に失礼だと考えてお兄さんと呼ぶことにした。メアが単純に人の名前を覚えられないだけなのだが、こう呼んで気を悪くする人は多くない。
「僕はお兄さんじゃなくて弟さんですよ。ブロス兄弟ってね、割と有名な教会騎士だと思ってたんですけど。まだ知名度は高くないかあ」
どうやらお兄さん呼びはダメだったようである。
「剣でバッサバッサ薙ぎ払う兄と、それを後方で支援する弟っていうペアでね。基本的に序列順で各地に配属されるんですけど、僕らは例外としてペアで動かしてもらってるんですよ」
笑いながらヤンガは教えてくれるが、兄らしき人物は見えない。
「さっきの人はお兄さんじゃないんですか?」
「さっきの?ああ、アレは教会長ですよ。クラックス教会長」
あまり先ほどの会話を覚えていなかったが、わざわざ教会長が直々に父親へ弁当を運んでくれたらしい。
聞くと、教会長は気さくな人物で本部内を散策してはあれこれ人助けをしているらしい。先ほどのやり取りもその一環なのだろう。
「さて、僕は調べることがあるのでこの辺で。この通路の突き当たりを右に曲がれば外に出られるんで、帰り道は気をつけてくださいね」
「あの、ちょっと待ってください」
本部内のことをあれこれ教えてもらった後、メアは帰り道を教えてくれたヤンガを呼び止めた。
「最後に教会長さんに挨拶したいので、道を教えてもらってもいいですか?」
「うーーーーーん」
ヤンガはひとしきり腕を組んで悩んだ末、目を瞑りながら頷いた。
「まあいいか。ついてきてください」
ヤンガに誘われたメアはヤンガと共に通路を進んだ。
「今夜か」
「そろそろ君も怪しまれる時期だろう。相応に歳を重ねている連中はいるが、君ほど姿の変わらない者はいない」
「確かにそうだな。リレは……」
「ラルフ・ランベルに預ければいい。どうせ部屋には残しておくのだ」
ドアの前で立ち止まったヤンガは衝撃の会話を耳にしてしまった。
ヤンガは以前よりクラックス教会長に対して疑念を抱いていた。老いない容姿だけではない。彼の教会長就任以来機械人形の出現頻度は徐々に下がっており、一昨年にリレと名付けられた赤子を拾ってからは変異型の出現は確認できていない。
それぞれは独立した事象かもしれないが、クラックス教会長が『ドゥクス』なら説明できるのではないかという突拍子もない仮説だけは立てていた。
今クラックス教会長と話しているのは誰だ?今は開けない方がいいか?
きょとんとした顔で待つメアのことなど忘れ、ヤンガは中の様子を窺っていた。
「あの、ヤンガさん」
そんなことは知らないメアがヤンガに声をかけた。
「待っ」
「おや」
ヤンガの制止も虚しく、扉は開かれてしまった。




