第18話 霊峰
結論から言えば、シェイン・カレスにとって彼女のお守りは彼の精神を削るのにベストな仕事だった。そのためシェインは彼女と異なる支部に着任することとなったのだ。
代わりに彼女のお守りに任命されたユーベン・ハインリッヒ南東支部副長は、今日も彼女の姿を見失っていた。
「どこに行ったんですかダンダリア支部長!」
ユーベンの声は虚しく南東大陸支部内に響き渡った。
「ふんふふん」
ユーベンが嘆いている頃、ダンダリア支部長は南東大陸中央部に存在する巨大な霊峰にいた。
「いいんですか……こんな……遠くに……」
「いいんだよー。もっと気楽になろうぜっ」
山岳地帯だろうが関係なくすいすい歩くダンダリア支部長の後ろを這いつくばりながら追いかけるのは、長かった髪をバッサリ切り落としたミアだった。
「……力が欲しい?」
「はい。『ドゥクス』に負けないような力が」
「うーん……」
南東大陸支部へ配属された直後、ミアはダンダリア支部長に直談判しに行った。
かつてミアは機械人形を相手に苦戦している間にミハトの命を奪われ、ウィンとDを相手に大敗を喫した。その原因は全て自分が弱いせいだと何度も嘆いた。
それからは何度も訓練を繰り返し、機械人形との戦いもこなしてきたが、まだ力が足りないと考えていた。
一方でダンダリア支部長はそのような苦境に立たされたことが一度も無かった。
英雄ダンダーリャに憧れて力こそつけたものの、十五歳で序列一桁になるほどの強さでは機械人形など相手にならなかったのだ。
そんなダンダリア支部長はミアの話を受けて、一箇所行ってみたい場所があったことを思い出した。
「ならいい場所あるよ。秘竜峰って知ってる?」
そうしてやってきたのが巨大な霊峰――秘竜峰である。
「ここで……どんなことを……?」
「えっとねー、なんか竜?っていうすごい生き物がいるらしいんだよね。よくわかんないけど」
「なんですか……それ……」
「でっかいトカゲ?らしいよ?見てみたかったんだよねー」
息を切らしながら寝転がって空を仰ぐミアの質問に、疑問符を浮かべながらダンダリア支部長は答える。
実のところ竜などという生物はこの世界には存在しない。謎の現象には断魔晶が少なからず影響しており、この竜についてもそういった類いの話であるとダンダリア支部長は確信していた。
それはそれとして、巨大なトカゲのような姿をしているのであれば見てみたいと思っていたのもまた事実である。実在するならばそれをねじ伏せ、ペットにしたいなーなどと考えていた。
「よし、じゃあやろっか」
「何をですか……?」
やや息が整い始めたミアに声をかける。
「組み手」
そう言ったダンダリア支部長は、地面のミアの顔面に向かって拳を振り下ろした。
それが見えていたミアは急いで起き上がり、その拳を躱す。
「やるじゃん。ならこれは?」
ダンダリア支部長は右手を前に突き出すと、何もないところからナイフが現れそれを握りしめた。肉すら容易く切れるナイフを構え、躊躇いなくミアに向かって斬りかかった。
「何で……?」
「強くなりたいなら強い相手と戦わなきゃダメだよ。その辺の教会騎士と戯れ合うよりこっちの方がいいでしょ」
秘竜峰の中は空気が薄く、息絶え絶えとなりながらもミアは必死でダンダリア支部長の攻撃を捌く。
「見えてるんだ?へえ」
ダンダリア支部長の猛攻は右手のナイフのみだった。ミアはそれを捌くことに必死で、右手しか使われていないことに気付かなかった。
それは即ち他の部位による攻撃など慮外であることに他ならなかった。
「あうっ」
正面から向かってきている相手がうなじに手刀を下ろすなど考えつくわけもなく、ミアの意識は消えた。
「やっぱズルっぽいよなあこれ」
ダンダリア支部長がそう言ったのは空中に存在する小さな穴だった。何も知らない者ならば、その穴に通したものが任意の場所へ転移するなど想像できないだろう。事実、ミアはダンダリア支部長の左手による手刀に気付かなかった。なぜ気絶したのかもわかっていない。
「でもこの子は強くなれるぞ多分。うんうん」
ダンダリア支部長は意識の無いミアに毛布をかけ、満面の笑みでストレッチを始めた。
「どこ……」
ミアが目を覚ましたのはほんの数分後だった。しかし慮外からの手刀で気絶した記憶はなく、意識がまだはっきりしていなかった。
それでも目の前から繰り出される拳には体が反応し、即座に後方へ飛び退いた。
「えっ……えっ?」
「うんうん、元気だね。じゃあやろっか」
そう言ってダンダリア支部長はミアに向かって飛びかかってきた。
「いや、ちょっと」
ナイフの時よりも速く、ダンダリア支部長は攻め立てる。流石に反応しきれないミアは何度も打撃を受け、意識が飛びそうになりながらも懸命に捌こうともがいていた。
「遅いよー?」
さらに速度を上げたダンダリア支部長の攻撃を受け、ついにミアはダウンしてしまった。
「おえっ……」
ここに来る前に何も食べなくてよかったと内心思ったものの、肺の空気まで全て吐き出されたことで息ができない苦しみを味わう羽目になった。いや、むしろそこに胃の内容物を吐き出す苦しみまで味わわずに済んだと言うべきだろうか。
そんな状態では、顔面に飛んでくるダンダリア支部長の足の甲に反応することはできなかった。
ミアは宙に弧を描きながら意識と共に後方へ飛んでいった。
「2回目終わりー。あと何回やったらいいのかな」
ミアが意識を取り戻す度にギアを上げて意識が飛ぶまでスパーリングを繰り返す。これがダンダリア支部長の考えた「ミアが強くなる方法」である。
ミアはそれから何度も意識を取り戻し、全身に痣を作りながら意識を失い、再び意識を取り戻しては気絶する無限ループに陥っていた。
やがて陽が落ち、目を覚ましたミアは攻撃を受けることなく温かいスープを差し出された。
「あったかいよ」
そう言われても口の中が切れ痛い状態で、スープなど飲める気がしなかった。
それでもミアは朝から何も口にしておらず、胃液すらカラカラの腹の虫は元気にダンダリア支部長へ返事をした。
「今日の総評だけど、回避に無駄が多いね。攻撃なんてほんのちょっとズレてるだけで当たらないんだから、仰々しく左右に身体を揺らしたりバックステップする必要なんて無いんだよ。必要最低限の労力で躱せば攻撃の機会にも恵まれる。違う?」
手の中のスープを見つめながら、今日受けた幾つもの攻撃を思い出す。
ナイフを使われたのは最初だけだったが、後々の攻撃をナイフで行われていれば無数の切り傷までできていただろう。そもそも手加減していなければこの場で死んでいたことも容易に想像できる。
思い返せばウィンも攻撃らしい攻撃をしてこなかっただけで、力の差は歴然だった。自分よりもずっと強かったミハトですら一瞬で命を奪われたという。
ミアは何度も命の危機に瀕していたが、一方で自身の手で父親の命も奪っていた。
強いことが正しいのかどうか、自分は生きていていいのか、疲労と空腹で思考力が下がっているミアは徐々に負の考えに囚われていく。
「ほら飲め」
返事をしないミアの様子を見て、ダンダリア支部長はミアの持っていたスープをミアの口へ流し込んだ。
冷まされず口内に流れ込むスープはミアの口と食道を焼きながら胃袋へ向かっていった。
「ん!ん!」
「何言ってるかわかんないね」
スープが空になるまでダンダリア支部長の動きは止まらなかった。
「強くなりたいんだろ。ならおれを倒せるくらい強くなれ。今のおれは教会騎士第三位だ。おれを超えろ」
そう声をかけられたが、スープが熱すぎてそれどころではなかった。しかし腹の中に溜まった温かさはミアの心を徐々に解し、いつの間にかミアは小さな寝息を立てていた。




