SIGMA 5.後悔
崩廻Ⅲを纏っていたΣは、全身に白の甲冑のようなものを着けており、背中には純白のマントを靡かせていた。雷を触れたはずの手には白い手袋があった。後に鏡で自身の姿を見たΣは、戦隊ヒーローなんかにいそうな姿だなという感想を抱いた。
「そうだ、彼は」
レボルトは海へと落ちていたため、生死を確認することはできなかった。しかし今の自分ならば返り討ちにできると考え、断魔晶を解くとハイルの元へ走った。
静寂から再び激しい雨音に町は包まれ、Σは背後を歩いていた者の存在に気付けなかった。
Σはハイルをすぐに見つけることができなかった。どこかの物陰か、あるいは建物の中だろうと考えていたためだった。
しかし夜が明け、Σは見てしまった。レボルトの一撃で倒壊した建物の下敷きになっていたハイルを。
所有者の命を吸い力と変える断魔晶世界樹に命を食わせ、レボルトによる激しい攻撃に晒されたハイルはΣに助けられる前から既に虫の息だった。そのまま建物の倒壊に巻き込まれたことが致命傷となり、Σの断魔晶の制限解除よりも前に息を引き取っていた。だがΣがそれを知る由は無い。
助けられたはずの命を救えなかったと、自らの無力を呪った。
それと同時に新たな命を救う手立てがあるのかもしれないとも考えた。
二十六使徒と奴は言った。ライセプスと奴は言った。
さらなる異世界の存在を伝えるために、Σは身支度をして『教会』本部へ向かう準備を始めた。
「貴様も戻ってきたか、Σ元帥」
「これはラルフ元帥。本部に帰還とは何か特別なご用でも?」
「貴様には何もわかるまい」
およそ一ヶ月半もの月日を経て本部に帰還したΣは、ラルフ元帥と再会するもこれだけの言葉を交わしたきりこの年に顔を合わせることはなかった。
ラルフ元帥はΣよりも一ヶ月ほど後に崩廻Ⅱへ到達し、Σに次ぐ元帥となった者だった。
弟子を取り後進の育成に力を入れていたのだが、Σと同じタイミングで現れた謎の勢力によりそのほとんどが殺害・拉致されたと後々知ることとなる。
「『鉄拳』Σ、ただいま帰投しました」
「遅かったじゃないか、元帥」
Σを迎えたのはジーベン・ガーヴェイン教会長である。『教会』は民を守る組織でありそのために教会騎士は死を恐れずに戦うべきだという理念を掲げる過激な人物だが、それが口だけでないことの証明のために度々戦場に立ち教会騎士を鼓舞する熱さを備えた人物だ。ただしその思想からか言葉の端々からは棘を感じることもある。
「先んじて手紙で報告はしましたが」
「良い。知っている話を聞いていられるほど暇ではない」
ジーベン教会長はそのまま、お前の知らない話を聞かせてやると続けて、ラルフ元帥のことを話した。
「お前も正体不明の敵と交戦したと聞いている。そしてその正体についての見当もな。その上で問おう。『ドゥクス』に加えて異世界と思しき者共の対処。どのようにすべきかね?」
「他の異世界人と遭遇した人達の話を聞かせてください。可能な限り異世界の言葉をまとめ、誰もが次には言葉を交わせるように本を編纂します」
そう言うと、Σは腰の断魔晶をジーベン教会長の机の上に置いた。
「そして私は命を救うことができませんでした。貴方の言う教会騎士の規範になれないような者が元帥など務めるべきではありません」
「仕舞え。こんな所で私を凍死させる気か?」
Σは元帥を辞任するつもりで断魔晶を机に置いた。その時、断魔晶が勝手に力を放ち部屋中の気温を下げ始めたのである。まるで断魔晶がそれを拒むかのように。
「編纂は認めよう。しかし元帥を辞めることは許さん。亡き教会騎士Ρを弔うための人生だろう。お前を救うために命を懸けた師匠の死を無駄にするな。お前もまた誰かのために命を懸けて散るまで教会騎士を辞することそのものを許さんぞ」
ジーベン教会長としては貴重な戦力を失いたくないだけであった。
しかしΣにとっては自らの揺らいでいた指針を改めて示す言葉であり、これからしなければならないことを明確にさせた。何よりも断魔晶が諦めていなかった。
「失礼します」
「あ、それともう一つ」
退室しようとしたΣをジーベン教会長が引き止める。
「曲がりなりにもお前は一度辞めたことになる。だがそんなお前を再任用したこととして、お前に大元帥の称号を与える。『教会』から逃げられると思うな。お前の命はまだここにある」
「……はい」
ジーベン教会長はΣを逃さないためにこのような形でΣを縛りつけた。結果としてΣは存命のまま長年戦い続けることとなるのだが、この処置が無ければどうなっていたかはわからない。
この後、Σはおよそ三年ほどで異世界言語の指南書を編纂した。編纂だけでなく全教会騎士が習得しなければ、次なる襲撃に備えられないことも理解していたためΡの敵討ちは一旦保留して異世界言語の教務官として働いた。
異世界という存在について学ぶことに興味を抱いた者は多かったが、中でも意欲的だったのはラルフ元帥だった。
歳下であり新参者だったΣが新たな元帥に任命されたこと、さらには自身が初めて到達したと思っていた崩廻Ⅲに僅差で先を越され到達されたことに激しい嫉妬と劣等感を抱いていたのだが、それ以上に弟子を喪った憤りの方が大きかったのだ。
そして物語は現在に至る。
「前世の知識を使って異世界で無双、ってよく見るテンプレートね」
「だとしても、この力は独力で身につけた。師匠がいなければ飢え死にしていたはずだし、ライトノベルほど甘い人生ではない」
Σ大元帥達の元々いた世界には、異世界へ転移あるいは転生し、現代の知識を利用して高い地位を築くという流れの物語が量産されていた。タウはこれを指摘したのだが、この手の物語で主人公が何十年もの月日をかけて努力するパターンはほとんど存在しない。
「また二人で内緒話かよ?」
「内緒話ではないですよ。たまには故郷の言葉を使いたいだけです」
ノックもせずに扉を開いたのはアラーテル北西大陸支部長である。
Σ大元帥が自身を異世界人だと告白したことでアラーテル支部長が監視担当にあてがわれたのだ。
「そうかい。だが忘れるなよ小僧。裏切る兆候を見せたらその時点で俺の敵だ。昔のことなんざ関係無いからな。小娘も同じだ」
現在Σ大元帥と対等以上に戦えると目されているのは、教会騎士第一位から第四位までのメンバー、つまり各地域のトップと、生き残っている元帥しかいない。各地域に元帥を配置することになった理由のひとつがこれである。
「裏切りなどしないと言っているのになあ」
「そういう体裁を執らないと駄目なんだよ」
アラーテル支部長は適当な椅子へ腰掛けた。
「あの時の小僧が隠し事してたってことが悲しくて仕方ないぜ。でもよ小僧、お前まだ戦うつもりあるんだろ?」
「当然です」
「小娘もか?」
「あっ……はい……」
Σ大元帥としてはタウを命を奪い合う戦いに巻き込みたくはなかったのだが、どのような形であれ『教会』に所属することを命じられた。そのため最低限の護身用として『鉄拳』の基礎を手解きしている。
「俺は悔やんでるのさ。小僧と出逢うよりも前に嫁がいたんだ。エレンっていうんだがな。俺はエレンではなく教会騎士になる道を選んだ。結局離婚してしばらくしたら機械人形に襲われて死んじまった。だから俺は断魔晶にエレンの名をつけた。小僧はどうだ?老い先長くはないが、やれることはある。振り返っても進み続けろ」
思えばΣ大元帥の人生は後悔の連続だった。Ρを見捨てて逃げたこと、ハイルの安全を確保せずレボルトと戦ったこと、異世界の言語に日本語を含まなかったことなど。数えればきりがない。
しかし今できることもある。タウを全力で守り抜くことと、Ρの仇を討つことだ。そしてそれは共に『ドゥクス』を討つことに繋がる。
「やりますよ、私は」
アラーテル支部長をまっすぐに見つめるΣ大元帥の目は硬い決意に満ちていた。




