SIGMA 4.雷獣
新たな役職である元帥とは、個人の目的を持ちながらも新たな教会騎士のスカウトを行うために五大陸全土を渡り歩く者に与えられるものである。
これまでは崩廻Ⅱに達している潜在型断魔晶の所有者でも元帥の称号を与えられていたが、ある程度一般化できる理論を用いるために、顕在型断魔晶の所有者かつ崩廻Ⅱに達した者にのみ元帥の称号は与えられることとなった。
Σの目的は一貫して「Ρの仇を討つこと」であった。そしてその仇は言うまでもなく『ドゥクス』であり、神出鬼没の『ドゥクス』を追うためには元帥という立場は都合が良かったのである。
そんな史上初の顕在型断魔晶の元帥として任命されてから十年ほど経ったある日、Σは北東大陸の港町であるチェツパを訪れていた。
「この周辺では時折機械人形を見かけるというが、本当か?」
「ああ本当だよ。ここから東にある山を越えたあたりで現れるんだ。頑張って山を越えたら次は機械人形だなんて勘弁してほしいね」
「ありがとう。これは情報料だ。それはそれとしてこの魚をくれないか」
「まだ焼いてないけど、いいのかい?」
「生魚が好きなんだ。はは、よしてくれ。皆同じ顔をするんだ」
Σは地元で情報を得ると、泊まっている宿へと戻り魚を捌き始めた。
「お客さん相変わらず生臭いねえ!」
「すみません。後で空気入れ替えますんで」
「でも今夜は雨だよ?早めに済ませてちょうだいな」
いわゆる素泊まり形式の宿のため食料は自分で調達する必要があるのだが、客全体で共有する台所での調理が許されているためΣはここを利用していた。
他の客からも生臭いという意見はあったものの、焼き魚が主流で魚自体も港町でしか食べられないこの世界で刺身を食べられる喜びの方がΣにとっては重要だった。そのため宿主に対して多めの利用料を支払いつつ他の客の料金をその分差し引くように依頼していた。
ここ一週間ほどそのような形でチェツパに滞在しており、翌朝には帰ろうと考えていた。その日の夜にその事件は起きた。
「貴様何者だ!答えろ!」
『お前はちょうど良さそうだな』
雷雨の中で身長二メートルを超える巨躯の男と対峙していたのは、Σとは違う宿に泊まっていた、休暇中の教会騎士であるハイル・ディエールだった。
宿屋が揺れたような気がして目を覚まし階下へ降りると、宿主夫婦を虐殺していた巨躯の男と遭遇したのだ。
『お前は骨がありそうだ。一緒に来てもらおうか』
「罪も無い人を!よくも!」
ハイルの左手にはジャマダハルのような武器が握られていた。彼の断魔晶である世界樹は淡い緑の光を発し、ハイルの怒りに呼応するように力を増した。そしてそのままハイルは世界樹を振りかぶり、巨躯の男へ鋭い連撃を浴びせた。
「貴様は何者だ!何を求めてここに来た!答えろ!」
ハイルの袈裟斬りは巨躯の男の鎖骨で止まり、男はぼそりと呟く。
『永くないな。使えん』
両腕を広げた男が凶悪な笑みを浮かべた……その瞬間、巨躯の男のこめかみに彼の人生で最も大きな衝撃が与えられ男は宙を舞った。
「大丈夫か」
駆けつけたのはΣだった。
ハイルの泊まっていた宿とは道を挟んで向かい側であり、雷雨の中でも聞き取れるほどの異音に気付いたのである。
「貴方は……Σ元帥か……」
「奴は何者だ。『ドゥクス』か?」
「わかりませんが、……言葉が通じないようです。しかし奴は無辜の民を……」
「わかった。下がっていろ」
そう告げたタイミングで、巨躯の男はΣの背後に仁王立ちしていた。
『この俺を殴り飛ばすとは、気に入った。共に来い』
Σはその言葉に耳を疑った。
それはこの世界に来てから初めて聞いた英語である。
やや訛ったような喋り方のようだが、Σにはしっかりと聞き取れた。
『お前は何者だ?』
『お、話せる奴もいるんだな。俺はレボルト・ヴェンガンス。二十六使徒の一人、天賦〈Volt〉のレボルト・ヴェンガンスだ』
少なくともΣの元いた世界にそのような存在を聞いたことは無い。このことから、元いた世界とは別で異なる世界も存在するのではないかとΣは推察した。
『お前をライセプスに連れ帰って戦力にしたいんだが……。ちゃんと強い奴じゃないと意味が無いからな。そこのゴミみたいに弱いのは困るぜ?』
レボルトはそう言うと、構えてからΣへ突進してきた。なんとか目で追える速度だが、咄嗟のことにΣは反応が少々遅れた。
「ぐっ」
タックルが直撃したものの、闘気を纏うには十分な間だった。やや後退させられたがΣは踏みとどまり、レボルトを見据える。
ははっ、と息を漏らして笑うレボルトの身体からはパチパチと放電しているように見えた。否、その通り実際に放電していた。
互いに手の内を明かしていないものの、このままでは拙いと判断したΣは断魔晶を宙へ放り発動させた。
「俺に力を貸してくれ!」
Σの断魔晶はその出力を上げるほど広範囲へ影響を及ぼすことができるが、その対象を選択できるほど器用ではない。そのため出力を抑え、自分の周囲だけにその範囲を狭めた。そしてチェツパの町全体が破壊される可能性を考慮し、Σはレボルトへ先制攻撃を仕掛けた。
『甘いんだよ!』
Σの拳が当たる直前で、レボルトは全身から激しい雷を放出させた。
僅かな放電から攻撃を予期していたΣはバックステップでなんとか回避したものの、その攻撃は後方の建物へと直撃した。
「貴様!」
意思の疎通をさせようという気は無くなっていた。話を聞くだけならば殺さない程度に痛めつけてからでいいとも考えたためである。また攻撃を躱わすこともできないと理解した。
その結果、Σの繰り出す戦法は決まっていた。インファイトである。
Σの打撃全てにレボルトは対応していた。そればかりか、その腕に雷が纏われていたことでΣの身体は少しばかり痺れることとなった。
一方でレボルトも腕が徐々に悲鳴を上げ始めていた。Σの打撃の一撃が重いだけでなく、そこに冷気が乗っていることで腕の感覚が徐々に失われていたのである。
体格こそレボルトが優っていたものの、格闘戦ではΣに軍配が上がっていた。それは戦っていた二人でも感じていたことだった。
『ちっ』
雨音にかき消されるほどの小さな舌打ちと共に、レボルトは盛大に雷を放った。突然の挙動にΣは思わず飛び退いてしまった。
目も開けられないほどの閃光に目を閉じた。1秒ほどで目を開けたところ、目の前にいたのは人の身を捨て去ったレボルトだった。
両手足と頭部があり二本足で立っていることから人型であることは間違いない。しかしその全身は雷に包まれており、顔と思しき場所には目と口のような形の穴が空いていた。
「……まずい」
人の手で触れれば感電しそうなほどの雷を纏うレボルトに恐怖したわけではない。これ以上町への被害を出さずに戦える自信が無くなったことから溢れた言葉である。
わずかに逡巡したが、すぐに決心はついた。
「すぐに片をつける」
Σは断魔晶の効果範囲の制限を解除した。制限の解かれた断魔晶の効果範囲はチェツパの町を二つは覆えるほどである。雨雲さえも凍てつき、地を叩いていた音は全て鳴り止んだ。
『うおおおおっ!』
雷獣と化したレボルトは、無差別に雷を撒き散らしながら咆哮と共にΣへと突進してきた。
鉄拳の基本の構えで迎え討とうとしたが、Σの少し手前でレボルトは何かにぶつかったかのように跳ね返された。
その時のΣは巨大な氷の球体の中にいた。氷の中から外を見ていたΣはそれに気付かなかったのだ。
レボルトの跳ね返りを好機と見たΣは、深く腰を落としてレボルトの胸部目掛けて拳を振り抜いた。
氷から飛び出したΣの拳に痺れは無い。レボルトの身体は通りの先へと吹き飛ばされ、凍っていた海に穴を開け落ちていた。
これが『教会』において種類を問わずに初めて存在を確認された、崩廻Ⅲである。




