第19章 朝の紅茶と緋色の瞳
ラミエラの幻視に掛ったソフィアの過去の記憶その1です。
「ソフィア様、おはようございます。」
ソフィアが目を開けるとそこはある屋敷の寝室だった。隣にはこの屋敷の従者らしき初老の男が怪訝な顔をしてソフィアを見つめている。
「お目覚めがお悪いようですね。朝の紅茶をご用意しております。」
まるで長い夢から冷めたように頭がボーっとしている。
「お父様はもう帰ってらっしゃる?」
「はい、お嬢様。昨晩夜遅くにお帰りになりました。もう朝食のお時間ですよ。」
ソフィアは寝起きに熱い紅茶を一口すすった。身体に紅茶の温もりが広がるのを感じる。
「ありがとう。あなたの入れる紅茶はいつも美味しいわ、アルフレッド。」
アルフレッドは軽く会釈をして再びソフィアを嗜める。
「お早くダイニングにお向かいくださいませ。またシャーロット様の小言を聞きたくなければですが。」
ソフィアはそう言われると慌てて身支度を整えた。
「アルフレッド、食後の紅茶もお願いね。」
「畏まりました。」
するとソフィアは寝室のドアを開け、広々とした廊下を両親の待つダイニングへ向かって走り出した。
アルフレッドは寝癖のついた少女の後ろ姿をヘアブラシを片手に見つめるのだった。
廊下の壁には様々な彫刻や美術品が並べてあるが、ソフィアはいつもと同じ風景を見るように気にも留めない。
(朝食のいい匂いだわ。)
ソフィアの寝室は屋敷の2階にあった。ダイニングは1階にあり、そこにたどり着くためには玄関の前にある大広間へ通じる階段を降りる必要がある。急いで大広間を掛け抜こうとするソフィアは、鏡の前で自分の姿を確認するため踏み止まった。鏡を覗き込むとそこにはブロンドの長い髪と蒼い目をした可憐な少女が写っていた。
「やだ、寝癖がついてるわ。またお義理母様に叱られちゃう。」
そう言ってソフィアは手櫛で寝癖を素早くごまかした。
ダイニングに行く前にソフィアは調理場に寄ることにした。キッチンはいつも、メイド達や使用人、コックたちで賑やかだった。少し寝坊をして朝食に遅れてしまったソフィアにはまだ誰も気づかない。ソフィアにはその光景がとても懐かしく思えた。
裕福な貴族の令嬢として育ったソフィアは、賑やかな朝のキッチンが大好きだった。
その日もいつもと変わらない朝だ。
背が高く恰幅の良い中年のメイド頭がソフィアを見つけ、素早く近寄り小声で耳打ちする。
「ソフィアお嬢様。朝食はもうできておりますよ。また奥様がお機嫌斜めでいらっしゃいます。お気をつけ遊ばせ。」
ソフィアも小声で答える。
「ありがとう、マーガレット。もう慣れたものよ。」
そう言い残しソフィアはキッチンと隣接するダイニングへ入った。
ダイニングには両親と、姉と弟がテーブルを囲んでいた。
「お帰りなさいませ。お父様。」
新聞を広げ執事と何やら談笑をしていた父がソフィアを見つけ、優しく微笑む。
「ただいま、ソフィア。よく眠れたかい?」
「ええ、もうすぐ休暇も終わりですもの。また学校が始まったらこんなにのんびりできませんわ。」
「まあエドワード様、公爵の令嬢ともあろうソフィア様がだらしのない生活をするだなんて許されませんわ。」
と義理母であるシャーロットが言い放った。
ソフィアは後妻であるシャーロットと事あるごとに衝突していた。こうやって決まって父がいる時に、わざとチクチクと説教をしたがるのだ。
「大変申し訳ありません。朝の紅茶を頂いておりましたの。」
最近のソフィアは素直にただ謝り、その場をやり過ごすことにしている。
「座りなさいソフィア。さあ私がいない間のことを聞かせておくれ。」
シャーロットは不服そうに黙り、ソフィアを冷ややかに睨みつけた。
その視線にソフィアは咄嗟に違和感を覚えた。シャーロットのブルネットの髪の間から、普段なら栗色に映る筈の瞳が、今日はなぜだかチラッと赤く光った様に見えたのだ。
(まだ寝ぼけているのね。私ったら。)
「ええ、お父様。休暇中はお友達とたくさん会うことができました。久しぶりにおしゃべりしてとても楽しかったですわ。」
「ほう、お友達は皆元気にしているかい?」
「はい。もうみんな男の子の話ばっかり。ふふふ。」
「あらソフィア様にボーイフレンドはいらっしゃらないの?」
シャーロットがまた横槍を入れる。
「ソフィーのボーイフレンドはエウロさ!」
頬に朝食のソースをつけた弟が面白そうに言った。最近になって漸くテーブルマナーを覚えた幼い弟はそれでもまだ上手にフォークを使えない様だ。自分の目線のやや下にテーブルがあるのだから仕方ない。それでも大人ぶりたい弟はメイドに食事を口まで運んでもらう歳ではないと頑なに主張していた。
ソフィアは赤面して即座に訂正する。
「ちっ、違うわ!誰があんなチャラチャラした男!」
そう言いながらソフィアは愛らしい弟の頬をナプキンで拭った。弟はされるがまま、大きな瑠璃石の様な瞳で、嫌そうにジッとソフィアを見つめている。
「エウロ様ですって?まあ。ソフィア様も中々隅に置けませんわね。お目当ては3大貴族の跡取りだなんて。」
そうシャーロットが言うと姉のセレステがクスクスと笑いだした。ソフィアの顔がさらに紅潮する。
「ちっ、違います。断じてあんな男!そもそもエウロ様がお慕いしているのはお姉様ですわ!」
とばっちりを受けるセレステが冷静に受け流す。
「聖職者を目指すエウロ様が女性にうつつを抜かしているとは思えませんわ。それに、こんな出戻りの身重な女、あの方は相手にしませんわよ。」
セレステの優しい声は亡くなった母にとても良く似ていた。その容姿も艶やかで、整えられた豊かな髪はブロンドと言うよりも白銀に近く、それによく似合う透き通った白い肌はソフィアの憧れだった。その優しい声が、なぜかソフィアにはとても久しぶりに思える。
母が亡くなる少し前、セレステは小国だが友好国の一つである権力者と政略結婚をした。だが結婚後しばらくして母が急死したため、悲しみに打ちひしがれた姉を気の毒に思った主人に実家に戻されたと聞かされている。その結果、まだ年若かった姉のため、後日円満に離縁も成立した。しかし妊娠が発覚したのはその後であった。
そのため出産後に判明する赤子の性別によってまたややこしい話になる筈なのだが、姉と元主人の交流は続いており、父や姉の様子や話を聞く限りではとても物分かりの良い人格者の様だ。その証拠に身重のセレステのために度々溢れんばかりの贈り物が届く。お礼の手紙を認める姉はまるで、相思相愛の恋人と文通するかの様だった。
そしてセレステは臨月を迎えていた。
「それに、お父様。ソフィアが気になっているのはエウロ様のご級友の方ですわ。」
姉が悪戯っぽくソフィアに小さくウインクする。
「きゃーっ!お姉様。何をいうの!?」
確かにセレステの言葉は確信をついていたのだ。
ソフィアは先日エウロが神学校から連れてきたと言う級友に初めて会った。少し物憂げだけれども、優しい眼差しと落ち着いた様子がソフィアに眩しく映った。
「ボーイフレンドはもう少し待って欲しいな。」
父が心配そうに言う。
「まあエドワード様ったら過保護で可愛らしいっ。」
シャーロットはそう言って父の肩に手を添え、また面白そうにソフィアを見つめた。ソフィアにはまた赤い瞳が一瞬チラッと光った様に見えた。
「意地悪なんてお姉様らしくないわ!もうっ」
「ふふ、やっぱり家族がみんな揃うと賑やかで楽しいわね。」
そう言ってセレステは微笑んだ。
恥ずかしさでいっぱいのソフィアは、そのまま朝食をそそくさと終え食後の紅茶を入れるアルフレッドの待つ自室へと急いだ。
————————
その日、夕暮れに赤く染まった空を窓から見上げながら、ソフィアは今朝見たシャーロットの赤い瞳について考えていた。
「緋色の瞳。」
そうソフィアは呟いた。
後妻としてシャーロットがソフィアの家に来たのは数年前のことだった。母を失い打ちひしがれていた父と私たちを救ってくれたのは、嫌味ではあるが賢く野心家のシャーロットのおかげだ。
だが赤い瞳は魔族の象徴でもあった。
(今日は私、どうかしてるわ。)
きっとこの空が夕焼けに緋く染まる様に、ただの錯覚だったのだろうとソフィアは無理やり自分を言い聞かせた。
緋く染まった空はその後無数の色に変化し、そして辺りを闇へと誘った。
————————
それから転寝をしてしまったソフィアはガラスの割れる様な音でハッと目を覚ました。
すると突然、屋敷の中から鼓膜を破る様な轟音が響いた。ふと外を見ると日が落ちてるのが分かる。そして窓のガラスには無数のヒビが走っていた。
「何!?」
ソフィアは急いで廊下に飛び出し大広間へ向かった。




