35話 【後編】バトルマラソンを知る
『パァン!!!』
国の威信をかけた、第48回『王都バトルマラソン公式戦』の号砲が鳴り響いた。
バックヤードの魔導テレビに釘付けになっていた創太は、お目当ての「酒好きの恐竜」を探して、画面をキョロキョロと見回した。
(……あれ? おかしいな。どこにも酒好きの恐竜なんかいないじゃん。)
創太がそんな場違いな疑問を抱いた瞬間、画面の向こうではスタート直後の百人以上の屈強な獣人ランナーたちが密集したまま、一斉に殴り合いを始めた。先頭集団に入ろうとする者、それを阻止する者の拳と蹴りが交差し、数人が派手に吹き飛んで路面に転がっていく。
「これ、F1のスタート直後の大クラッシュみたいだな……」
創太がドン引きしている横で、普段はクールビューティーを気取っているエルフのナターシャが、珍しく拳を突き上げて大興奮していた。
「いけぇぇぇーっ!!」
すると画面の向こうで、その大乱闘の渦中にある一人の男にカメラがぐっとズームアップした。
極端に身長が低く、しかし横幅と筋肉が規格外の男――ドワーフのガラム親方だった。親方は凄まじく低い姿勢から、まるで弾丸のような超高速のシングルレッグタックルを周囲の巨漢ランナーたちへ次々とぶちかまし、一瞬でひっくり返していく。
「ガラムじゃねえか!! ドワーフのおっさんがタックルかましてんじゃん!! すっげぇーーーっ!!」
創太がその圧倒的なパワーに思わず大興奮の声を上げると、横のナターシャもさらに音量を上げて叫び散らしていた。
「親方ァァァ!! そのまま全員ブッ飛ばせぇぇぇ!!」
その大乱闘の隙を突き、集団から一頭のヒョウ獣人――チーター選手が爆発的な加速で一気に飛び出した。それを見た他のランナーたちもすぐさま乱闘をやめ、猛烈な勢いでその後を追いかけ始める。画面の向こうでは、魔導実況のアナウンサーが絶叫していた。
『早くもチーター選手が圧倒的なリード! スタート直後の大乱闘を完全に切り抜けました!』
テレビを見つめる創太は、その様子を頭の中で変換していた。
(なるほど、競馬でいう「大逃げ」ってやつか。後ろの集団を焦らせる作戦だな)
追走するランナーの集団は、チーター選手を追いかけつつも、お互いに奇妙なほど『距離をとって一定の間隔を保ちながら』走っていた。
地球のマラソンのように肩を寄せ合って走れば、いつ隣の奴からローキックが飛んでくるか分からないからだ。お互いを警戒し、ディフェンスの間合いを維持しながら爆走するランナーたち。
創太は「普通のマラソンじゃ絶対に見ない光景だけど、これはこれで間合いの取り合いが面白いな」と日本酒をグイッと煽った。
◇
レースは中盤に差し掛かっていた。ここでバトルの強豪であるドワーフ族の致命的な弱点が露呈する。
ガラム親方はタックルなどの攻撃力や近接格闘こそ桁外れに強いものの、いかんせん足が決定的に遅かったのだ。あっという間に先頭集団から引き離され、画面には遅れてトボトボと走る親方の姿が映し出される。
画面がコース脇に設置された給水所に切り替わった。親方がおもむろに歩み寄り、机の上のコップを手に取る。その瞬間、親方の手元がほんの一瞬だけ、ブレるように奇妙な動きをした。
何かをした雰囲気はあるのだが、あまりにもその動作が早すぎて肉眼ではよくわからない。親方はそのままコップの液体を一気に飲み干すと、なぜか千鳥足のようにふらふらと歩きだした。
『お、おっと? ガラム選手、給水を終えましたが……何やら足元が覚束ない様子です! 急激な脱水症状でしょうか!?』実況のアナウンサーが異変を察知し、鋭く叫ぶ。
『いや、給水時の手の動きが不自然でしたね。審判団、VAR検証をお願いします』
ベテラン解説者が鋭くVAR要求を突きつけた。
画面に『審判団によるVAR検証』の文字が躍り、超スローモーション映像が流れる。そこには、コップを掴んだガラム親方が、支給されたスポーツドリンクを一瞬で路面に投げ捨て、同時に凄まじく神速の手つきで懐から、今巷で流行りの日本酒の小瓶を取り出し、コップに並々と注いで光の速さで懐に戻すという、職人技すぎる密輸の瞬間がバッチリと捉えられていた。
『……あ、あーーーっと!! これは違反行為です!! 競技中のアルコール摂取、および外部からの私的飲料の持ち込みは一発レッドカード!! ガラム選手、即座に失格処分となります!!!』
テレビの前で創太は頭を抱えた。
「何やってんだよ、あのオヤジはーーーっ!!」
◇
レースは終盤、35キロ地点の地獄の坂道に差し掛かっていた。ここで明らかな異変が起きる。序盤から大逃げを打っていたチーター選手が、スタミナ切れで完全に失速し始めたのだ。
さらに、そのチーターを焦って追いかけていた後続の集団も、完全にオーバーペースが祟って次々と足が止まり、ゾンビのように失速していく。その時、カメラが追走集団のさらに後ろから、力強いフォームで上がってくる一頭のオオカミを捉えた。
「あ、オオカミ主任じゃん!!」
画面に映ったのは、紛れもなく自分たちの上司である強欲キング・オオカミ主任だった。これには創太もナターシャもソファから身を乗り出して大興奮。
「「おおおーっ!!」」
お互いに言葉の内容は全く分からなかったが、「オオカミ主任を応援する」という思いだけは完全に一つになり、テレビに向かって全力で手を振った。
主任は確実に前の集団を捉え、一人、また一人と足を削って脱落させていく。さらに、カメラが切り替わると、主任のすぐ斜め後ろから、緑色の鱗をギラつかせたトカゲ係長までもが、伊達メガネを投げ捨てて凄まじいデッドヒートを展開している姿が映し出された。
「係長もいるじゃねえか!! すげえ!!」
ナターシャも黄色い声を上げて騒いでいる。
「係長ぉぉぉーっ!!」
ここで、ついに先頭のチーター選手が主任たちの集団に吸収された。直後、トップ集団による最後の生き残りをかけた大乱闘が勃発する。
『さあ先頭集団、激しい潰し合いだ! 右ストレートが炸裂! ローキックが刺さる!』
『いやぁ熱いですね! 終盤のこの疲労のなかで、これだけの打撃戦ができるのは流石の一言!』
実況と解説が興奮の絶頂に達するなか、煙を上げる集団をぶち破り、一歩前に抜け出したのは――
オオカミ主任だった!そして、その真後ろからピタリと食らいついて抜け出してきたのは、トカゲ係長だ!
『なんと! 動物園の現役職員の二人が先頭に立ちました! 歴史的快挙の瞬間です!!』
アナウンサーの絶叫に、ナターシャは狂喜乱舞し、創太も「いけいけ! ワンツーフィニッシュだ!」と食い入るように画面を見つめた。
『解説の先生、ゴールも近いですし、ここからのトップ争いはどう動きますか!?』
『そうですね、ここまで来たらお互いに足を止めるバトル(打撃)はタイムロスになります。起こるとしたら、間違いなくゴール直前、文字通りの一騎打ちでしょう』
画面の中の主任と係長は、少し距離を近づけ、お互いの顔を見合わせながら何かを必死に話し合っている模様だった。
『ご覧ください! 同じ職場の同僚として、限界のなかでお互いを励まし合っているのでしょう! 実に美しい、感動的なスポーツマンシップのシーンです!』
アナウンサーが涙ぐみながら実況する。
しかし、実際の音声マイクが拾っていたのは、限界を超えて脳に血が上った二人の、極めて陰湿な泥仕合(社畜の口論)だった。
「おい、係長ぉ……ハァ、ハァ……! 俺の前を走るんじゃねえ……! 次期の査定に響くぞ、オラァ!!」
「うる、さいですよ主任……っ! これ以上パワハラするなら、先月のあのセコい『架空の経費申請』、ギルドの監査に全部ぶちまけますからね……!!」
感動のシーンと説明される二人の表情は、励まし合いではなく、憎悪と職権乱用のチクリ合いによって醜く歪んでいた。
「言ったなテメェ! この『トカゲのしっぽ切り野郎』が!!」
トカゲ族にとって、この言葉は最大の侮辱であり、決して口にしてはならない禁句だった。言われた瞬間、係長の顔が真っ赤に沸騰する。
「なんだとぉ!この『犬のワンワン野郎』がぁぁっ!!」
オオカミ族と犬族は古くからのライバル関係にあり、これもまたオオカミ族を底辺と見下す最大の揶揄であった。
低次元極まりない醜い争いの末、二人の距離が完全にゼロになった。最初は小競り合いの押し合いだったが、怒りが有頂天に達した主任が、ルールで厳格に禁止されている『鋭い牙によるガチの噛み付き』を係長の首筋に敢行。
対する係長も、これまた反則である『トカゲ特有の強力な尻尾攻撃』を主任の顔面にカウンターをクリーンヒットさせた。
『あ、あれーーーっ!? バトルが始まった! しかも反則行為だ!! オオカミ主任、噛みついた! トカゲ係長、尻尾で殴った!! 両者、一発失格だァァァァッ!!!』
ピピッーーー!!! と審判の笛が鳴り響くが、理性を失った二人の喧嘩は止まらない。それどころか、コース内に止めに入った大会スタッフや審判の獣人たちまでをも巻き込み、ゴール手前100メートルの路上で、現役動物園職員による大乱闘のバイオレンス騒ぎへと発展してしまった。あまりにも醜すぎるフィナーレ。
『カ、カメラを切り替えて!! 早く別の場所を映してちょうだい!!』
実況のアナウンサーが悲鳴を上げ、解説者も『……こんな神聖な公式レースの土壇場で、これほど醜いバトルが起こるなんて、信じられません……我が国の恥です……』と完全に引いていた。
「…………」
それまで騒いでいたナターシャは、無言でスッと魔導テレビのスイッチを切り、一切何も言わずに冷え切った目で席を立ち、バックヤードの奥へと消えていった。
残された佐藤創太は、日本酒を手にしたまま、呆然と呆け返っていた。
(……いや、何見せられたんだ俺は。異世界の上司たちの縦社会、地球よりドロドロの泥仕合なんですけど……)
待遇は「国民的ナンバーワンスポーツを珍走する最強最悪の職員を擁する珍動物園」レベルへ。だが、どれだけ上司たちが国技の歴史を揺るがす大爆走(と大不祥事)を見せても、反則行為でユニフォーム(失格)を剥ぎ取られた上司たちとは対照的に、最初から剥ぎ取る服すら存在しない創太は、今日も藁のスカート一枚だった。
< 動物園関係者の結果 >
* オオカミ主任 失格 嚙み付き行為
* トカゲ係長 失格 尻尾攻撃行為
* ガラム親方 失格 飲酒行為




