33話 【後半】白馬の王子様
先鋒のナターシャが「檻の中での見せ物にされる結婚生活」という最悪の妄想により絶叫敗走したバックヤード。
次に立ち上がったのは、自称・爬虫類界のトップインテリ、トカゲ係長だった。
彼は最近新たに新調したばかりの知的な丸メガネを指先でクイクイと上げた。ちなみに彼の視力はすこぶる良く、これはただの伊達メガネである。
係長が用意した交渉の武器は、異世界の高級地酒「エール(麦酒)」だった。
(ハダカザル様は大の酒好きだと私の頭のデータベースが告げている。あのクサヤなる瘴気兵器を消してもらう代わりとして、この至高の美酒を差し出せば、私の計算通り確実に落ちるはず……!)
係長は規制線を越え、猛烈な煙が立ち込める檻の中へと進み出た。そして、ガマスクの奥でフフンと鼻を鳴らし、床へゆっくりとエールの入ったグラスを置いた。
創太は、それを見て目を輝かせた。
(お、ビールじゃん!!ナイスゥー!気が利くねぇー)
創太の顔に満面の笑みが浮かぶ。
ナイスと親指を立てて喜びを表現した。
(クゥゥーッ! クサヤを焼きながらキンキンに冷えたビール! これマジで一番やりたかったんだわ!!)
インテリトカゲは勝ち誇ったように腕を組んだ。
(ククク、私の計算に狂いはなし! 神といえど美味い酒の誘惑には勝てまい!)
創太は期待に胸を膨らませ、グラスを手に取って豪快に一口飲んだ。
「――え?」
次の瞬間、創太の動きがピタリと止まった。
(何これ……ぬるっ……!!!)
味自体は悪くない。だが、信じられないほど生ぬるいのだ。
それもそのはず、この異世界ではエールは「常温」で飲むのが基本中の基本だった。
日本の居酒屋の「キンキンに冷えた生中」を期待していた創太にとって、これは致命的なガッカリだった。
(あー……冷たくないじゃん。これじゃないんだよなぁ……)
完全にテンションの下がった創太は、そっと床にグラスを置き、拒否の意思を伝えるためにフイッとそっぽを向いて再びクサヤを焼き始めた。
「な、なぜだ!? なぜ神の口に合わない!? わしの計算が、完璧な計算がぁぁぁっ!!」
インテリトカゲは丸メガネをガタガタと歪ませ、ブツブツと呪詛のように呟きながら、ショックで思い切り肩を落としてトボトボとバックヤードへ帰っていった。
次鋒、あえなく撃沈である。
◇
「使えないトカゲめ。やはり最後は、この俺がケリをつけるしかないようだな」
最後に立ち上がったのは、強欲という名星の下に生まれたキング、オオカミ主任だった。
彼が用意した作戦は、極めてシンプルかつゲス。大きな革袋にギッシリと硬貨を詰めた、「金の力による買収工作」である。
いかにも金に目がない強欲キングらしい、直球な考えだった。主任は鼻にコルクをブチ込んだ決死の姿で檻の前に立つと、まず創太に向けて、ずっしりと重そうな革袋をジャラジャラと見せつけた。
そして、結界の檻の中に入り、それをゆっくりと床に置いた。
さらに、自分のポケットからキラリと輝く「金貨1枚」を取り出し、これ見よがしにつまんで見せた。
そして、金貨は大切そうに自分のポッケにしまった。
「この袋の中には、これ(金塊)が詰まっているぞ」という、いかにも悪徳商人のようなアピールである。
檻の中の創太は、それを見て顎をさすった。
(……お、案外良いかもな。今は檻の中で3食昼寝付きだけど、いずれこの動物園を出る時が来たら、路銀として金は絶対に必要になるしな。よし、この辺で手を打ってやるか!)
創太は満面の笑みを浮かべると、その革袋をガシッと掴み取った。
そして、ワクワクしながら袋の紐を解き、中身を確認した。
――その瞬間、創太は驚愕した。
(はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?!?)
袋の中にギッシリと詰まっていたのは、輝く金貨などでは断じてなかった。
くすんだ茶色の、価値が一番低い「銅貨」ばかりだったのだ。
(おいクソケチオオカミ!!! ケチくせぇ真似しやがって!! さっき見せびらかしたあの金貨は一体なんだよ!!!)
それもそのはず、強欲な主任は極度のケチだった。
「ハダカザルは獣なんだから、中身は銅貨で十分だろ」と安易に考えて、見せ球の金貨1枚で騙そうとしていたのだ。
完全にブチギレた創太は、銅貨の袋を床にドカンと叩きつけると、主任のポケット(さっき金貨をしまった場所)をマイ箸でビシッ!! と激しく指差した。
「舐めてんのか! そのポッケの金貨を全部こっちに寄こせ!!」という怒りの要求である。
だが、これを見たオオカミ主任は、ガタガタと牙を鳴らして青ざめた。
「(ひ、ひぃぃぃっ! ハダカザル様が俺の秘密の個人資産(ポケットの隠し金貨)の存在を完全に透視して、すべて差しだせと脅迫している……! 邪神の眼からは何も隠せないのか!!)」
「き、金貨は渡せない! これだけは俺の老後の資金なんだぁぁぁっ!!」
主任は涙目を流し、ハダカザルから隠し財産を守るために、尻尾を巻いて一目散に逃げるようにバックヤードへと帰っていったのだった。
こうして、動物園が誇る最強の職員3人による命がけの交渉は、1ミリも会話が噛み合わないまま全員が凄惨な大失敗に終わった。
◇
動物園が完全に悪魔の異臭煙によって崩壊しかけたその時、地鳴りを立てて現れたのは、あの酒造パートナーであるドワーフのガラム親方だった。
ドワーフは地中深くで暮らす種族。
他の獣人たちに比べれば、圧倒的に鼻の耐久力(耐性)が違った。
ガラムはクサヤの煙の中に堂々と足を踏み入れると、ゲホゲホと咳き込みながらも、創太が嬉しそうに食べている魚を凝視した。
「……待て。ただの毒ガスじゃねえ。この鼻を突く異臭の奥にあるのは、爆発的なアミノ酸の『旨味』だ! ハダカザル、お前……またしても最高の発酵つまみを作ってやがったな!? だが、このままじゃ他の繊細な獣人どもが全員ショック死しちまう! おい職人ども、大急ぎでアレを建てるぞ!!」
ガラムは工房から屈強なドワーフの建築職人たちを呼び寄せると、ハダカザルの檻の隅に、超強力な魔導換気扇と空気清浄魔法陣を完備した、気密性100%の『特製・魔導燻製室』を爆速で作り上げて、物理的に煙を閉じ込めて解決してしまった。しかも、観客が見れるように1面はガラス張りになっていた。
「よし、ハダカザル! 次からはその部屋の中で魚を焼きな!!」
「お、おう? なんか知らんけど、俺専用の室内BBQルーム(燻製室)ができたぞ。ドワーフ、まじで気が利くなぁ!」
こうして、クサヤの煙はすべて燻製室の中で処理され、動物園のバイオパニックはドワーフの圧倒的な技術力によって、ついに平和的な解決を迎えたのだった。
◇
数日後。
ドワーフのギルドが燻製室の技術を応用し、徹底的な消臭管理のもとでVIP席限定で売り出した『ハダカザル風・乾燥魚』は、その「匂いは最悪だが、口に入れたら天国」という悪魔のギャップでヒットを記録するのだった。
そんな、裏で自分の自炊のせいで園の職員たちが全滅しかけ、それぞれが全く違う理由で精神的ダメージを負っていたとも知らず。
佐藤創太は、今日も新設されたピカピカの燻製室の中で、換気扇の音を聴きながらクサヤをチビチビと齧っていた。
「ふぅ、やっぱり日本の伝統文化は最高だな。それにしても、俺が魚を焼いただけであんな立派な個室を建ててくれるなんて、異世界の福利厚生は、なかなか手厚いなぁ」
待遇はついに「一息で園の幹部を全滅させ、ドワーフの技術力を総動員させる、最凶の異臭神」レベルへ。だが、立派な個室(燻製室)が支給されても、今日も藁のスカート一枚という実に通気性の良い姿のままで、1人寂しく燻製室の煙に燻されるだけなのであった。




