30話 強欲オオカミとドワーフ親方
異世界動物園のハダカザルエリアのフードコートで、現在、爆発的な大ヒットを記録している謎の透明な美酒――
『ハダカザル酒・大吟醸』
観客たちが「神の聖水だ!」と毎日樽を空にしているこの大ヒット商品の裏には、動物園の責任者と、偏屈な職人による、ゲスなビジネス交渉の歴史があった。
◇
――話は、遡る。
酒造りの天才であるドワーフのガラム親方は、ハダカザルの「モグモグ、ペッペッ」事件の動画からヒントを得て、スッキリとした美味い米酒(日本酒)を完成させていた。
「おい、なんだこの美味い酒は……!?」
ガラムをはじめ、ドワーフの職人たちは仲間内だけでその極上の日本酒を独占し、内々に大宴会を開いて毎晩楽しんでいた。
しかし、その噂はすぐに動物園へと届くことになる。
バックヤードでエルフのナターシャから事の経緯を聞いていたオオカミ主任の、鋭い耳がピクリと跳ね上がった。
その獣の鼻は、大金の匂いを嗅ぎつけていた。
「……これは、ビジネスの匂いがぷんぷんするぞ……!」
強欲な主任は、すぐさまトカゲ係長を連れてドワーフの工房へと話を付けに向かった。
「ガラム親方! 聞きましたよ。ハダカザル様のアイデアを盗んで、美味い酒を密造しているそうですね。あれは元々、我が園のハダカザル様のものだ。利権をこちらに渡しなさい!」
腕を組んだ主任の厚かましい要求に、ガラムは髭を揺らして激怒した。
「バカ言うな! 実際の製造過程はこちらが独自に開発したんだ! あんなおっさんの『口噛み』なんて汚い真似せず、わしの発酵技術で造ったんだぞ! ふざけるな、渡すわけねえだろ!」
ここが勝負どころと睨んだ主任は、ニヤリとゲスな笑みを浮かべて一歩も引かなかった。
「確かに造ったのはあなた方だ。……でもね親方、ハダカザル様がそもそも酒を作らなかったら、この日本酒は生まれなかった。そうでしょう?」
「ぐっ……!!」
図星を突かれ、ガラムが言葉に詰まる。
ハダカザルのあの奇妙な動画がなければ、ドワーフたちが米に目を向けることは一生なかった。
そこへ主任が畳み掛ける。
「ハダカザル様のブランド力を甘く見ない方がいい。逆に、我が園と組めば……どうなるか、分かりますね?」
ガラムは悔しそうに歯噛みし、観念したように息を吐いた。
「……チッ。何が望みだ、強欲オオカミめ」
すんなりと折れそうなガラム親方の態度を見た瞬間、オオカミ主任の脳内で強欲のブレーキが吹き飛んだ。いつもの主任なら、小悪党らしく危ない橋は絶対に渡らない男のはずだった。
しかし……ここ最近のナターシャの活躍に激しく嫉妬していたオオカミ主任は、珍しく調子に乗ってしまったのだ。
(ふはは! 勝てる……勝てるぞ! 販売権なんかで満足してどうする!? 作り方そのものを奪ってしまえば、我が園が未来永劫この金を独占できるじゃないか……!)
欲望に目が眩んだ主任は、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべて一歩前に踏み出している。
「我が園の要求は――その日本酒の『秘伝のレシピ(作り方)』、すべての譲渡です!」
「……あ?」
「聞き取れませんでしたか? 酒の作り方を我が園に渡すんですよ! 拒否するなら……そうですねぇ。『ドワーフ工房がハダカザル様の聖なるエキスを盗み出し、不法に酒を造って儲けている』と全土に言いふらしましょう。ハダカザル信者の狂信的な観客どもが押しかけて工房を焼き払うことになりますが……いいんですかぁ?」
突如叩きつけられた、前代未聞の脅迫と技術強奪の要求。
その背後で、同行していたトカゲ係長は血の気を引かせてガタガタと震え出した。
(ちょ、ちょっと主任!?事前打ち合わせの話と全然違うじゃないですか!正気ですか!?)
オオカミ主任の独断での完全暴走だった。
「て、てめぇ……っ!!」
目を血走らせたガラムは拳を握りしめ、身の丈ほどもある巨大な金槌を掴み上げんばかりの怒りで肩を激しく上下させた。
「ふざけるなッ! 酒造りは職人の命だ! ここまで心血注いで生み出したわしの技術を横取りしようたぁ……図に乗りやがって、このクソオオカミがぁぁッ!!」
怒号が工房全体を激しく揺らし、ガラムの全身から恐ろしい殺気が溢れ出す。
……だが。
不意にフッと息を吐くと、金槌をドスンと床に下ろした。
そして、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべたのだ。
「……ハハッ、だと思ったぜ」
不気味なガラムの笑みに、勝ち誇っていた主任の眉がぴくりと跳ねる。
「……あ?」
ガラムは作業着の胸ポケットから、怪しく紫色に光る魔導具を取り出した。
『――拒否するなら……そうですねぇ。『ドワーフ工房がハダカザル様の聖なるエキスを盗み出し、不法に酒を造って儲けている』と全土に言いふらしましょう。ハダカザル信者の狂信的な観客どもが……』
工房の中に、先ほどオオカミ主任が口にした凶悪な脅迫の声がハッキリと響き渡る。
「な……ッ!? それは……!?」
「ケッ! 『魔導ボイスレコーダー』だよ! 脅迫の言質、バッチリ録らせてもらったぞ強欲オオカミ!」
ガラムは意地の悪い笑みを浮かべた。
「さあて、どうする主任さんよ?これを『商業ギルド』と『ハダカザルファンクラブ本部』に持ち込んだらどうなるかなぁ?『動物園の職員が我々を脅迫し、技術を強奪しようとした』ってなぁ!信用ガタ落ちで懲戒解雇だなぁ……オラァッ!!」
完璧だったはずの自分の立場が、一瞬で人生終了レベルのどん底へ――。
あまりの出来事にオオカミ主任の脳内処理が完全にパンクした。
目の光が一気に消え失せ、口を半開きにしたまま意味不明な言葉を呟きはじめ、茫然自失で完全に上の空になってしまった。
「アガ……アガガ……ア……アガアガ……アガガ……ア……」
我に返ったトカゲ係長は平伏して謝り倒す。
「ひ、ひえぇぇッ!? 親方ごめんなさい! 申し訳ありませんでしたぁぁッ!!」
魂が抜けて「アガアガ」と呟くだけの置物と化したオオカミ主任の脇抱え、必死の形相でズルズルと引きずりながら工房から慌ただしく退散していくのだった。
――後日。
暴走して自滅した主任に代わり、エルフのナターシャが一人でドワーフの工房を訪れていた。頭を下げる彼女の姿に、ガラムも腕を組んで黙って話を聞く。
「……ガラム親方、うちの上司が大変なご無礼とご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありませんでした」
「フン……ナターシャか。お前さんが謝ることじゃねぇよ。で、どうするんだ?」
ナターシャは申し訳なさそうに、だが誠実に一枚の契約書を差し出した。
「恐縮なのですが……お互いにとって公平で、正当なビジネスの形をご提案させてください」
提示された条件に、ガラムは目を見張った。ドワーフの技術と権利を100%尊重しつつ、互いに大きな利益が出る申し分のない内容だったからだ。
「……おいおい、最初からこの案を出せばよかったんだ! あのバカオオカミめ、無駄に欲を掻きやがって……!よし分かった! ナターシャ、お前さんの顔に免じてこの話、乗ったぜ!」
◇
こうして、主任の暴走という余計な遠回りを経て『ハダカザル酒・大吟醸』は無事にフードコートで大々的に発売された。
ハダカザルのブランド力は凄まじく、毎日樽が空になるほどの大ヒットを記録。
結果として、製造元であるドワーフたちにも莫大な利益が転がり込み、ドワーフたちもめちゃくちゃ儲かるという、誰も損をしない完璧な経済圏が爆誕したのだった。
皮肉にも、ナターシャの活躍に嫉妬し、オオカミ主任が暴走したおかげで、逆にさらにナターシャが大活躍してしまうという始末。まさに泣きっ面に蜂なオオカミ主任であった。
そんな、裏で自分の知らないうちに自分の名前がついた日本酒が高級ブランド化し、ドワーフと動物園を大金持ちにしているとも知らず。佐藤創太は、今日も岩陰の高級お風呂に肩まで浸かり、最高級の冷やし日本酒をお猪口でクイッと煽っていた。
「……うまい。水のように透き通っているのに、飲むほどに深い味わいがある。こんな酒を毎晩飲めるなら、他には何も要らないな。」
待遇はついに「自らの名前を冠した銘酒で国の経済を回す、伝説の酒神」レベルへ。だが、お酒は大ヒットしてドワーフたちや動物園も大儲けしたというのに、創太の服はヒットを放つどころか三振の山ばかり築き上げたのだった。




