25話 酒を錬成する
リバースする表現が含まれます。食事中の方は控えた方が良いかもしれません。
食生活がカンストしつつある佐藤創太だったが、アラフォー元社畜には、どうしても我慢できない致命的な「渇き」があった。
(……あー、酒が飲みてえ。美味い日本食には、やっぱりキリッと冷えた日本酒だろ!)
しかし、この異世界において米は「家畜の餌」扱いであり、それを使った米酒(日本酒)など存在するはずもない。
ならば自作するしかないが、創太はただの元サラリーマンだ。酵母がどうだの、麹菌がどうだのといった専門的な酒造の知識など、流石にあるはずがなかった。
(米はある。でも酒にする知識はない……。どうする? ……あ。そういえば昔、大ヒットしたアニメ映画で見たな。巫女さんが米を噛んでツボに吐き出して作る、日本最古の酒……)
そう、【口噛み酒】である。
人間の唾液に含まれるアミラーゼという酵素が、米のデンプンを糖化させるという、原始的だが確実なライフハック。
今の創太には、知識の代わりに「腐るほど余った時間」がある。
(よし、やるか! 飲むのは俺自身だし、背に腹は代えられねえ!)
創太はさっそく、お供え物の白米をふっくらと炊き上げた。そして、ナターシャから以前勝ち取ったお気に入りの素焼きのツボを抱えると、炊きたての白米をスプーンですくって口に放り込んだ。
モグモグ、モグモグ。
アラフォーのおっさんが、無心でひたすら米を噛み締める。
それを見た観客席の獣人の子供が、無邪気に声を弾ませた。
「あ、見てママ! はだかのおさるさん、もぐもぐしてかわいい!」
子供のほっこりとした声が響く中、十分に唾液と混ざり合ったそれを、ツボの口へ向かって
――ペッ。
「……え?」
一瞬で凍りつく観客席。
モグモグ、モグモグ……ペッ。
モグモグ、モグモグ……ペッ。
モグモグ、モグモグ……ペッ。
モグモグ、モグモグ……ペッ。
モグモグ、モグモグ……ペッ。
創太は狂ったように真剣な眼差しで、「米を噛んではツボに吐き出す」という、地味極まりない作業を何時間も繰り返した。
そして、ツボの中身が溜まったら蓋をし、あとは檻の隅の温かい場所に置いて、野生の酵母による自然発酵をじっと待った。
だが、結界の向こう側でこれを見ていた観客たちは、「神のあまりにも不気味な奇行」に、恐怖と強い拒絶反応で失神寸前になっていた。
「お、おい……見ろよ、あれ……」
「ハダカザル様が、虚空を見つめながら何かをドロドロになるまで咀嚼して吐き出しているぞ……」
「見ちゃダメ! 目を隠しなさいっ!!」
先ほどの獣人の母親は、血相を変えて我が子の目を両手で塞ぎ、ガタガタと震えている。
異世界人たちの目には、ハダカザルが「ただただ気持ち悪い、理解不能な生理的嫌悪感を催す行動」に没頭している姿にしか見えなかった。
白米を口に含んでは、ねっとりとした体液(唾液)と混ぜ合わせ、それをぐちゃぐちゃの液体にしてお気に入りのツボへと何度も吐き戻していくのだ。
しかも凄まじい執念の顔で。
「間違いないわ……! あれは呪いとかそんな高尚なものじゃない……! 純粋に、ただひたすらに気持ち悪い生態行動よ……!」
「うわあああ、生理的に無理だ、吐き気がしてきたァァァッ!!」
SNSは『【閲覧注意】ハダカザル様、自分の体液で米をドロドロに汚染中。不気味すぎて精神が崩壊しそう』と大炎上。
しかし直後、タイムラインを埋め尽くした動画のあまりのグロテスクさにユーザーからの通報が殺到。『不適切なコンテンツ』として投稿は即座に削除され、拡散した客たちのアカウントも一瞬で巻き添え凍結された。
通路の影でこれを見ていたオオカミ主任は、あまりの気味悪さに鳥肌を立てながらトカゲ係長にしがみついた。
「係長! あの不浄のツボをハダカザル様から没収して、今すぐ生ゴミとして処分するんだ!」
「無理です主任! あんな凄まじい不気味の塊、誰が触れるんですか! 見ているだけで目が腐りそうです!!」
数週間後。ツボの中から、ぷーんと芳醇で甘酸っぱい、どこか懐かしいお酒の香りが漂ってきた。
「よし……ついに発酵が終わったな!」
創太は満面の笑みを浮かべると、ツボからすくい取ったドロドロな液体(自作の日本酒)をコップに入れた。
そして、高級露天風呂に肩まで浸かりながら、ぐいっと一気に、喉に流し込んだ。
「ん?」
「確かに酒っぽいが、なんか甘酸っぱいヨーグルトみたいだ。ま、これはこれで飲めるかな」
その瞬間、結界の向こうの観客たちから
「オエエエエエエエエッッッ!!!!」
「いやあああああああああああっっっ!!!!」
という、絶望と嘔吐感の悲鳴が大爆発した。
「の、飲んだァァァァァァァァッ!!! 自分がペッペッって吐き出した、あのドロドロの体液混ざりを一気に飲み干したァァァァッ!!」
「自分の分泌物を嬉しそうに摂取するなんて、どんな変態的な生命体なのよぉぉぉっ!!」
「ハダカザル様が完全に狂ってしまったぞぉぉぉっ!!」
観客たちはあまりの気持ち悪さに吐き気を催し、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
同時に、現場から命からがら逃げ出した客たちによって、SNSは再び阿鼻叫喚の投稿で埋め尽くされた。
『【速報】ハダカザル、数週間溜め込んだ自分の唾液ドロドロ米汁を笑顔で完飲。完全に一線を超えた』
オオカミ主任はその場で気持ちが悪くなり、リバースした。オロロロロ。
それを見たトカゲ係長ももらいゲロをした。オロロロロ。
その不の連鎖のリバースを見たナターシャは、口を押えて猛ダッシュで逃げた。
そんな、自分がただ映画の知識で作ったどぶろく(口噛み酒)を飲んでいるだけなのに、常軌を逸した不気味な変態行動として全員からドン引きされているとも知らず。
佐藤創太は、今日も岩陰の高級お風呂に浸かりながら、満足そうにつぶやくのだった。
「ふぅ、やっぱり日本酒を作るのは無理っぽいな。それにしても、なんでみんなあんなに嬉しそうに叫んで走っていったんだろ? 異世界の宴会は、なかなかアグレッシブなんだなぁ」
待遇はついに「己の体液を愛飲する、生態が不気味すぎる謎の生命体」レベルへ。だが、いつまで経っても服を貰えないおっさんは、ただ風呂の湯気に虚しく冴えない体を浮かび上がらせるのだった。




