24話 アートに目覚める
その日、佐藤創太(39歳・元社畜)は、くだらない計画を思い付いていた。
(そういや昔、テレビのニュースで見ただろ。動物園の象とかチンパンジーが適当に筆を振り回して描いた絵が、なんかものすごい高値で売れてバズってたな……)
もし芸術的才能を発揮して「天才画伯」としてバズれば、今度こそ文化的な存在と認められるはずだ。そうすれば、このお粗末な藁のスカートを卒業して、まともな服がもらえるのではないか。
創太はさっそく、檻の前にやってきたナターシャに向けて、空中で四角を描いて筆をシャカシャカする「絵を描きたいジェスチャー」を開始した。
言葉は通じずとも、その熱意だけは伝わったらしい。ナターシャは何故か急に顔を真っ赤にして息を荒くすると、バックヤードへ全力疾走していった。
彼女の脳内では「つ、ついに神が聖なる神託を文字や絵で残されるおつもりか……!?」という凄まじい勘違いが爆発していたのだが、もちろん創太が知る由もない。
大急ぎで用意された最高級のスタンド付きキャンバスと絵の具一式が、檻の中に差し入れられる。
「よし、巨匠ソウタの誕生だ!」
創太は意気揚々とパレットを持ち、筆を握った。
最初は、驚くほど大真面目に描いていた。目の前の美しい露天風呂や、ナターシャの姿を頭で思い浮かべながら、丁寧に筆を走らせる。
しかし、佐藤創太には致命的な欠点があった。
——絵の才能が、お話にならないレベルで壊滅的だったのだ。
アラフォーのおっさんがド真面目に描いた絵は、遠近感もデッサンも時空ごと歪んでおり、幼稚園児の落書きですら生ぬるい、呪いのビデオに出てくるような不気味なナニカへと変貌していった。
当然、結界の向こうで固唾を呑んでいた観客たちの反応も、すこぶる冷ややかだった。
創太には彼らが何を言っているのかさっぱり分からなかったが、檻の向こうに流れる、お通夜のような生々しいドン引きの空気だけは肌で察することができた。
スマホを構えていた観客たちが、そっと気まずそうにカメラを下ろしていく。
(あーー、めんどくさ!!! やめたやめた! 俺に絵なんか描けるわけねえだろ!!)
一瞬でプライドが粉々に砕け散り、逆ギレした創太は、持っていた筆を地面に叩きつけた。
おもむろに、パレットの上のカラフルな絵の具を両手にベッタリと塗りたくり、キャンバスに向かって狂ったように踊りながら、手のひらをペタペタ、ベチャベチャ、バチンバチン!と全力で叩きつけ始めた。
「芸術は爆発だぁー」
「うおーーー! もうどうにでもなれーーー! 泥遊びだオラァァァ!!」
奇妙なステップを刻みながら、ヤケクソで原色の手形をキャンバスに殴りつけていく。
すると次の瞬間、結界の向こうから
「おおおおおおお……っ!!!」
という、地鳴りのような大歓声が湧き起こった。
(えっ、こっちの方がウケんの!?)
手のひらを返したような大熱狂に、創太は一気に調子に乗った。
「ヒィーーハーー!!」
と叫びながら、観客の歓声に応えるようにさらに激しくお尻をフリフリし、ノリノリで謎のダンスを踊り始める。
その瞬間、創太の腰に巻かれた「自作の藁のスカート」が、絵の具の塗りたくられたキャンバスの表面にグシャッと擦れ合い、シャリシャリ、ザザザッ!と激しい音を立てた。
これによって、キャンバスのドロドロの絵の具の上に、繊細なグラデーションと圧倒的なスクラッチ感をぶちまけたのだ。
パシャパシャパシャパシャ!!!
と、今日一番のフラッシュの嵐が巻き起こる。意味は分からないが、檻の向こうの住人たちが涙を流して拝んでいるのを見て、創太は自分のヤケクソのボディーアートダンスパフォーマンスが大成功に終わったことを確信した。
貴族たちが口々に
「衣服すらアートにする彼に最高の衣服を献上せよ!」
と叫び合っている熱狂の雑音を背に、創太は満足するのであった。
◇
数日後。
アートの巨匠が手掛けた服が異世界動物園に届いた。
展示スペースの創太の前には、ナターシャだけでなく、オオカミ主任とトカゲ係長も同席し、豪華な木箱を運んできていた。
相変わらず言葉は一言もわからない。しかし、ナターシャは満面の笑みを浮かべ、木箱を指さしては、服に袖を通すような仕草を必死に繰り返している。
(ん?)
(んんん?!)
(お、おい……)
(まじか! ついに俺の想いが通じて、まともな服を用意してくれたのか……!!)
(服を着て欲しいって事だね?分かったよナターシャさん)
ついに創太は、藁のスカートを卒業する時が来たと直感した。
思えば、とても長かった。そう、この世界に来てからすぐに服とはおさらばになり、裸族としての生活が始まったのだ。
歓喜に震えながら木箱を開け、中にある生地を引っ張り上げる。
しかし、中身を広げた創太は、一瞬で真顔になった。
そこに入っていたのは、白でも黒でもなく、原色の赤や青や黄色が不規則に飛び散り、至る所に藁の切れ端がトゲのように縫い付けられた、アヴァンギャルドすぎる「全身タイツ」だった。
これを着たら確実にただの変態である。
あまりの衝撃に、創太はスッと静かにタイツを木箱へと戻した。
まともなズボンやシャツを求めていたアラフォーのおっさんに、このエキセントリックすぎる変態全身タイツを着用する勇気などあるはずがなかった。
その様子を見たナターシャは、確信した。
「やっぱり、服はいらないみたいね。この孤高の生き物は、既成概念に囚われない自然体——」
「つまり、ほぼ全裸を愛しているのよ……!」
———珍しく、
創太はナターシャの表情を見て、彼女が考えていることが分かってしまった。
(え? ナターシャさん、もしかしてものすごい勘違いしてる? ちがうよ!? 服は欲しいんだよ!? この服がサイコすぎるから戻しただけだよ!?)
焦った創太は、必死に手を左右にブンブン振ってジェスチャーで全力の否定を開始した。
———珍しく、
その様子を見ていたオオカミ主任が違和感に気がつき、ナターシャに言った。
「……おい、なんかハダカザル様、ものすごい勢いで否定しているような気がするぞ?」
———珍しく、
トカゲ係長も「うむ、確かに服を欲しがっているように見える」と同調する。
しかし、ナターシャはきっぱりと言い切った。
「そんなことないわよ! 間違いなく『こんな俗世の服はいらない』と言ってるのよ!」
(だから違うってば!!!)
完全に会話が明後日の方向へ進んでいることに大慌てした創太は、とにかく服が欲しいことを証明するため、慌てて木箱からタイツを引っ掴んだ。
そして、この変態タイツを着ようと、両手でグイッと勢いよく自分の足へと引っ張り上げようとした。
しかし、焦りすぎたのが災いした。
アラフォーの足はタイツの変なところに引っかかり、自分の体重で思い切りその生地を踏んづけてしまったのだ。
引っ張り上げる猛烈な力と、踏みつけられた足。
気づいた時には、もう遅かった。
びりびりびりびりびりっ!!!
小気味よい音を立てて、最高級の特注芸術全身タイツが真っ二つに裂けて破けた。
それを見たナターシャは、これ以上ないほどの完璧なドヤ顔を浮かべて主任たちを振り返った。
「ね? 私の言ったとおりでしょ? 自らの肉体で衣服を破壊することで、全裸の美学を証明されたのよ!」
オオカミ主任とトカゲ係長は
「おおお……さすがナターシャ、ハダカザル様の高次元の思考を完璧に理解しているな……!」
と、拍手を送って彼女を称えた。
(だから、ちがうってーーーーーーーーーーーーーー!!!)
創太が心の中でどれだけ大声で叫んでも、その悲痛な否定が彼らに届くことはなかった。
「衣服破壊パフォーマンス」の一部始終を結界越しに撮影していた観客によって、破けたタイツを掲げる創太の写真がSNSへとアップロードされてしまった。
『速報:天才アーティストのハダカザル様、贈られた最高級の服を自ら引き裂く!「私は服を嫌悪する」という強烈なメッセージか!?』
その投稿は瞬く間に拡散され、大バズりを巻き起こした。
こうして、佐藤創太の必死の抵抗も虚しく、世間には「ハダカザルはとにかく服が大嫌い」という事実が不変の真実として完全に定着してしまうのだった。
檻の向こうで激しくフラッシュを焚かれながら、創太は今日も高級な露天風呂に浸かり、遠い目をして、何かを言おうとしたが言葉にならなかった。
「……」
待遇はアートの鬼才レベル。だが、「服は大嫌い」という誤解だけが、今日も世界を駆け巡っていく。(いや、普通に服は好きですけど?)




