2話 希望の火を起こす
頑丈なケージから容赦なく押し出され、通路を歩かされた。鉄格子の扉が開くと、創太はよろめきながら光の中へ足を踏み出した。
(……なんだ、この場所は?)
そこは人工的な岩場と数本の枯れ木が配置された、見覚えのある空間だった。
そう——日本の動物園の猿山だ。
外からは、モフモフした獣人たちが、物珍しそうに自分を見ている。
ハッとして、すぐに手で股間を隠した。
(え?なになに?フルチンはきついんだけど)
困惑する創太の視線が、隣の似たような展示スペースに留まった。そこにいたのは——見慣れた赤ら顔に、茶色い毛並み。
(あれは……ニホンザル……!?)
日本の動物園で何度も見た、紛れもない地球の猿だった。
その奥のエリアには、だらけた様子で笹を齧るジャイアントパンダの姿も見える。
(間違いない……。ここは異世界の『動物園』だ。地球から召喚した動物を展示している。そして俺は……展示物として檻に入れられたんだ……!)
チート能力も大冒険もない。ただの展示動物。完璧に理解した瞬間、強烈な絶望感が創太を襲った。
咄嗟に逃げ出そうとしたが、外との境界にある見えない壁にぶつかり、転がった。
「いてっ、何だこれは? 魔法か!?」
ガラスも柵もない。
だが、よく見ると半透明な淡い青の魔法陣のような壁——結界魔法が、逃亡を完全に不可能にしていた。
観客の子供たちが、全裸で転がった創太を指さしてケラケラと笑う。
惨めだった。
理不尽にも異世界に召喚され、
理不尽にも服を脱がされ、
理不尽にも動物園にぶち込まれた。
どうやら定番の異世界転移でよくあるチートも無いみたいだ。
だが、創太は39歳のアラフォーだ。クソみたいな理不尽と戦い続けてきた元社畜である。四つん這いのまま、彼の瞳にふっと奇妙な光が宿った。
(待てよ……。ここは動物園だ。ビジネスなら、資本主義のルールが通用するはずだ)
日本の動物園を思い出す。
客を呼べる花形スターになれば、待遇は跳ね上がる。冷暖房完備の個室や、美味い飯が与えられるはずだ。
(もし俺が圧倒的なトップスターになれば、待遇も良くなる。ゆくゆくは言語も覚えて、ここから出してもらおう……!)
絶望の沼から、一筋の希望の火が見えた。
元々の性格が楽観主義でマイペースの創太は切り替えが早かった。
(よくよく考えてみれば、煩わしい仕事から解放されて、のんびりスローライフをエンジョイ出来るのでは?)
まずは何とかお股を隠さなくては恥ずかしすぎる。とりあえず岩山の陰に隠れ、大量に積み上げられている藁を使って即席の藁スカートを作った。我ながら上手くできたな、と満足する。
動くたびに、自作の藁スカートがカサカサと音を立てる。
カサカサ
カサカサ
その時、ガチャンと音がして、岩場に「食事」が差し入れられた。鉄製のボウルに入った水。見た事もない果物と野菜。ピチピチ跳ねる生の魚。うっすら青い血が浮き出た生の肉。そして、脱穀前のモミ殻がついたままの米。
「…………………」
「無理だろ……」
アラフォーの胃袋で生肉や生魚を食べたら、間違いなく寄生虫か食中毒で腹を壊す。米も生で食べるのは厳しい。
——この異世界において、米とは主に家畜に与える餌であり、知性を持つ獣人たちが口にするような代物ではなかった。
創太は覚悟を決めて、すくっと立ち上がった。
展示スペースにある一本の枯れ木に駆け寄り、バキッと細い枝をいくつか折る。
これできりもみ式火起こしだ!
床の上で猛烈に木の棒同士を擦り合わせ始めた。
「ハァッ、ハァッ、ナメるなよ……!俺のサバイバル能力を!」
全裸の男(藁のスカート有り)が、必死の形相で木を擦り合わせる。
「なんだあいつ?」
観客達がざわつき始めた。
◇
——気づけば、すっかり夕方になっていた。
ふと見上げると、異世界の空は、息を呑むほど鮮やかなピンク色に染まっている。燃えるような夕焼けが、ゆっくりと夜の闇に飲み込まれていく。傾いた太陽の光が、数本の枯れ木の影を長く引き伸ばし、結界の檻の中へと冷たい影を落としていった。
体力の限界は——
——とうに超えていた。
手には潰れたマメが——
——あちこちに出来ていた。
その時だった。
木屑の奥から、細く、頼りない一条の煙が立ち上った。
創太は息を止め、壊れ物を扱うようにそっと乾草を添え、祈るように優しく、優しく息を吹き込んだ。
小さく爆ぜる音が響く。
次の瞬間、赤い小さな、だが力強い炎がパッと弾けた。
ゆっくりと、焚き火に火が灯る。
あたりは、厳かなほどの静けさに包まれていた。
創太の頬を、熱い一筋の涙が静かに伝い落ちる。チート能力も大冒険もない。だけど、自分の知恵と力だけで、この世界の理不尽に一矢報いたのだ。胸の奥から突き上げるような、圧倒的な達成感だった。
静寂を引き裂くように、結界の向こうから、誰かが小さく手を叩く音が聞こえた。
パチ、
パチ、パチ、
パチ、パチ、パチ、パチ……。
その音は一つ、また一つと徐々に増えていき、やがて地鳴りのような、激しい拍手と喝采となってすり鉢状の観客席にこだました。
「おい、あいつ……今、火を生み出したぞ……!」
「なんて気高く、美しい野生の証明なんだ……!」
感動に震え上がった異世界の住人たちが、一斉に魔導携帯を掲げた。
パシャパシャパシャパシャパシャ!!!
無数のフラッシュが夜の展示スペースを照らし出す。それはまるで、創太の頭上に広がった満天の星空のように、目も眩むほどの輝きで彼を包み込んだ。
「よし……。火はできた。あとは、この肉と魚を……!」
創太が涙を拭い、意気揚々と生の魚と肉を手に取った、その時だった。
背後から、重い鉄格子が開く音が響いた。
「ガチャン」
「――よく頑張ったわね、見直したわ」
振り返ると、そこにいたのは美しい銀髪のエルフ
――ナターシャだった。
背後からの美しい夕日をバックに浴びて、彼女のシルエットは息を呑むほど神々しい。
ナターシャは、創太の起こした焚き火の炎を見つめ、それから創太の涙の跡を静かに見つめた。その翡翠色の瞳には、もう軽蔑の色はなかった。あるのは、ひとりの誇り高き生き物への、心からの敬意だった。
ナターシャはそっと胸に手を当て、夕日のなかで、優しく感動的なスピーチを静かに語り始めた。
「言葉も通じず、服すら奪われ、外の世界から切り離されてなお、お前は尊厳を失わなかった。自らの知恵で闇を照らし、火を灯してみせた……。お前のその強き魂に、私は今、深い敬意を表します」
その神々しいエルフの姿と、音楽のように美しい声、まるで壮大な映画のエンディングのような感動的なシーン。
だが、創太は異世界の言葉は全く分からない。
お腹を「グゥゥ〜」と情けなく鳴らし、完全にポカンとした顔で首を傾げていた。
(……え? ナターシャさん、夕日バックにめちゃくちゃ良いこと言ってそうな雰囲気だけど、マジで何言ってるか1ミリも分からん、ちょっと今は忙しいと言うかこらから食事なんだ。ちょっとだけ待っててくれるかな?)
ボケっとしてる間にナターシャはテキパキと動いた。
せっかく長〜い長〜い時間をかけて起こした火は一瞬で消され、手に持っていた肉と魚は問答無用に回収され、食料のトレーはあっと言う間に下げられた。
(は?今日一日かけて起こした火なんだけど?手もマメが潰れるほど頑張ったのに?)
(えええーーーぇ?ていうか、閉園時間だからって、 嘘だろ? まさかの時間切れ!?ちょっ、これからが本番なのに。 俺の肉や魚がぁああー。まだ今日は何も食べてないんですけどぉぉぉおー。)
(ニクガァァァァァァァァァァ!!)
(サカナガァァァァァァァァァ!!)
創太の心の悲鳴が夕空に溶け、消された焚き火から細い煙が昇る。銀髪を夕陽に染めるナターシャは、檻の中の男を静かに見つめていた。
翡翠色の瞳に宿る、かすかな光。
言葉は届かずとも、彼女は男が灯した火の意味を胸に刻む。背を向け去っていくナターシャの記憶の中で、その小さな炎は永遠に燃え続けるのだった。
翌朝。
展示スペースの隅に、昨日まではなかった焚き火用の乾燥した薪と、着火用のきりもみ式火起こしの素材一式が綺麗に用意されていた。さらに塩と胡椒の調味料まで。
それを見た創太は、ふっと口元を緩める。
「よし……。狙い通り、分かるじゃないか」
待遇はついに初めてのレベルアップした。だが、服はまだにもらえていない。




