16話 故郷を想う
ここ最近、異世界動物園のバックヤードは、かつてない重苦しい空気に包まれていた。
「……やっぱり、今日も元気が無いわ」
展示スペースを覗き込むナターシャの翡翠色の瞳には、アイドルの華やかさはなく、純粋な「飼育員」としての深い焦燥と心配の色が浮かんでいた。
檻の中のハダカザル(39歳・佐藤創太)の様子が、明らかに数日前からおかしかったのだ。
いつもなら朝一番にキレキレの火起こしを見せるのに、最近は動きが鈍い。
自作の藁のスカートを力なくカサカサと鳴らしながら、虚空を見つめて深くため息を吐いている。
あんなに大好きだった高級霜降り肉の香草焼きも、半分以上残したまま床に座り込んでいた。
「主任、係長! ハダカザル様の緊急会議を始めます!」
ナターシャに呼び出され、オオカミ主任とトカゲ係長も深刻な顔で机を囲んだ。
「うーむ、一時は呪いの儀式かと恐れたが、今や我が園を救ってくれた大切な存在だ。これほど弱り切っている姿は見たくない」
「食事も喉を通らないとは……。もしや、何か重い病にでもかかっているのでは……!?」
どれだけ考えても対策が思いつかない。
だが、彼らの思いは一つだった。
「ハダカザル様を元気にしたい」
ナターシャはすぐに、創太と一番心を通わせているウサギ獣人の少女、リーリを園に呼び出した。
「リーリちゃん、お願い。ハダカザル様に何があったのか、聞いてみて」
「うん……やる」
リーリは結界の前に駆け寄ると、元気のない創太の目をじっと見つめ、覚えたての『指先の言葉(手話)』で一生懸命に問いかけた。
『どこ、痛い? 悲しい? なんで、ご飯、食べない?』
リーリの必死なジェスチャーを見た創太は、ふっと弱々しく微笑んだ。
そして、お腹をさすりながら、遠い空を指さした。
『お腹は痛くない。ただ……遠い故郷の、あの味が恋しいんだ』
創太は必死に、自分が今一番食べたい「日本食」のイメージをジェスチャーで伝えようとした。
まずは、小さな豆を潰して、ドロドロの液体を絞り出す動き。次に、同じ豆をすり潰して、発酵させた茶色い塊を作る動き。
さらに、海の中に潜り、ゆらゆらと揺れる長い草(海の草)を引きちぎる動き。
リーリは創太の手の動きを凝視し、後ろで見守るナターシャたちに必死に翻訳した。
「病気………違う……食べたい……豆……ソース……ペースト……海……草」
「豆のソースとペースト……? それに、海の草だと……?」
ナターシャ、主任、係長の3人は顔を見合わせたが、この付近の大陸にはそんな奇妙な食材の心当たりは一切なかった。
「仕方ありません、ハダカザル様の命には代えられん。SNSで世界中に情報を呼びかけるぞ!」
オオカミ主任はすぐさま、総フォロワー数、数千万を誇る園の公式アカウントで情報を発信した。
『【至急・拡散希望】我が園のハダカザル様が体調不良です。原因は故郷の味が恋しいため。『豆のソース』『豆のペースト』『海の草』という食材に心当たりのある方は、どんな些細な情報でも提供をお願いします!』
この投稿は「神の危機」として異世界中を駆け巡り、爆発的な勢いで拡散された。数時間後、世界中の冒険者や商人、学者たちから膨大な情報が寄せられた。その中に、有力な目撃情報があったのだ。
『はるか東の果て、世界の境界にある「極東の小さな島国」に、独特の発酵調味料を操る文化があるらしい。彼らはそれを「ショウユ」と「ミソ」と呼び、海の黒い草を「コンブ」と呼んで食べているそうだ!』
「これだわ……!!」ナターシャは叫んだ。
動物園はすぐさま特別予算を使い、国一番の最速の飛行魔獣を手配。極東の島国へと商人を飛ばし、至急それらの食材を取り寄せることに成功した。
翌日の夕方。創太の前に、丁重にラッピングされた三つの小箱が届けられた。
ナターシャたちが固唾を呑んで見守るなか、創太が力なく箱を開けると――そこには、見慣れた漆黒の液体、芳醇な香りの味噌、そして乾燥した立派な昆布が入っていた。
「……あ、あああ……っ」
創太の目から、大粒の涙がポロポロと溢れ出た。間違いない。醤油と味噌、そして出汁の王様、昆布だ。
異世界に来てから、ずっと心の奥底で焦がれていた、我が故郷の味。
創太はさっそく、手際よく昆布で出汁を取り、支給されていた魚を醤油でじっくりと煮付け、白米の横に温かい味噌汁を添えた。
湯気とともに立ち上る、懐かしい磯の香りと大豆の匂い。
一口食べ、味噌汁をズズッとすすった瞬間、創太の全身に電気が走った。細胞が、元社畜のアラフォーの肉体が、一瞬で完全に蘇る。
「う、美味すぎる……っ! 醤油と味噌があれば、俺はどこでだって生きていけるぞ……!!」
創太は全裸(※藁のスカート)のまま、涙を流して大号泣しながら、あまりの嬉しさに両手を突き上げて歓喜のダンスを踊り狂った。
まさに、涙を流して「よろこんぶ」である。
結界の向こうでそれを見たナターシャたちは、お互いに抱き合って涙を流した。
「ハダカザル様が……笑ったわ! 元気になられた!」
「よかった……! 本当に、本当によかった……!」
こうして、創太のホームシックは最高の形で解決した。
日本の「出汁(旨味)」のクオリティを手に入れた創太の自炊ライフは、ここからさらなる神の領域へと突き進むのだが、そんなことより、久しぶりの日本食の美味さに、創太はただひたすら涙が止まらないのだった。
待遇はついに異世界三大美食家レベルへ。だけど、当然のように今日も服はもらえない。




