正直な心
日がだんだんと落ちてきた。
シリウスは視界が陰ってきたのに気が付き、訓練を切り上げようとしている。
汗まみれのシャツを手早く脱ぎ、乾いた布で体を拭う中吐く息は白く立ち上っていた。
訓練中危ないからと取り外していた、家紋入りの琥珀の耳飾りをつけなおすと、このあいだのクリスマスの時にシャティから素敵だね、と褒められたことを思い出し頬が緩む。
ふと顔をあげると、音もなく運動場の入り口にアンドレアスが突っ立っていた。
『アンドレアス。いつのまにいたんだ?いたんなら声かけてくれよ。
お前に相手してもらいたかったのに。』
シリアスはアンドレアスが久しぶりに来てくれたのに嬉しくなり荷物を雑にまとめて駆け寄った。
『なあ、最近元気なかっただろ?なんか気晴らしにうまいもんでも食いに行こう。寮への外出届けは今出せばまだ間に合うぞ。どうだ?アンドレアス。』
アンドレアスは顔をあげて見せると、いつもの穏やかな表情が少し戻ってきていた。
『ああ。そうだな。』
シリアスはアンドレアスがなぜ最近落ち込んでいたのか、あまり深く質問はしなかった。クリスマスの前日ブローシュ家へたずねた際、元娼婦らしい女が屋敷に入り浸るようになったのを目の前でいっしょにみたのだから。それでアンドレアスが精神的にまいっているのだと思っていた。
『これ結構うまいぞ!アンドレアスも食べてみろよ。』
2人は寮の生徒もよく通っている庶民的なレストランにやってきていた。肉に目がないシリウスは骨付き肉を頬張りほっぺたが膨らんでいる。
それを見たアンドレアスも肉に手を伸ばした。
『・・・うん。おいしいね、これ。』
親友の久しぶりの笑顔が見れて嬉しそうにシリウスは食事を続けた。
しばらく料理に舌鼓をうつ2人。しかし、10代後半の少年らは出された皿にかなりの量があったにもかかわらずぺろりと平らげてしまった。
『ぐわあああああ・・・食べたなあ。腹がはちきれそうだ。』
満足そうな表情のシリウスはグラスの水を飲もうとする。
そこで、アンドレアスは静かに話を切り出した。
『・・・心配してくれてありがとう、シリウス。』
『なあに。そりゃ親友であり兄弟になる者同士なんだから当たり前だろ?』
『うん、そうだね。・・・シリウス、変なことを聞いてもいいかい?』
『ん?なんだ、改まって。』
『シャティのことを好きになったのっていつからだ?好きだ、ってことに自分自身いつ気が付いた?』
ぶほっ
予想外の質問にシリウスは口に含んでいた水をうまく呑み込めずきれいに吹き出した。
あわててこぼれた水を近くにあったナプキンで拭きつつ、じっとアンドレアスのほうを向き直る。
『・・・ほ、ほんとうにお前にしては変な質問が飛びてできたな。ロマンス主義のモール教授に何か吹き込まれたか?
優等生君が急にどうした??恋の悩みか??』
アンドレアスは神妙な面持ちで話し続けた。
『実は、そうなんだ・・・。でも、君にどう話したらいいか・・・。頭がまだ混乱しているんだ。』
『ほう・・・。具体的でなくていいぞ。取り合えず頭に浮かんだ言葉を声に出してみたらいい。』
『そうか。そうだな・・・うん。相手のことはあえて彼女、とだけ言うぞ?
・・・彼女は、ある男と交際中に妊娠が発覚していて、でも婚約はしていないんだ。・・・正直いままでの俺の倫理観だと未婚の女性が妊娠すること自体・・・あり得ないと思っていた。・・・大きな声じゃあ言えないけれど。』
『・・・まあ、そりゃ家族からは縁を切られるだろうし世間一般的に許されないことだろうよ。」
「ああ・・・そう思うよな。でも、今思い出すと、そんな彼女のことを俺はずっと見ていたんだ。』
『・・・見ていた??』
『そう。見ていた。・・・目が離せなかったんだ。彼女の髪の艶とか、瞳の色とか、白くて細い手足の輪郭とか・・・。相談に乗ってくれたモール教授は、一人の女性を観察するようになるのは恋をしているからだと・・・。』
『まてまてまて・・・!・・・ちょっと待ってくれ。』
『どうした?シリウス。』
『・・・やめた方がいい。』
『・・・何?』
『やめた方がいいといったんだ。・・・その恋は危険すぎる。
正直モール教授は俺たち貴族階級とは違うからお前の恋を肯定したのかもしれんが。
それは違うぞ。・・・お前はただの子供じゃないんだ。
ブローシュ家という百年以上続く魔術師の名門貴族の長男で、社交界の人間だ。・・・悪い噂が立ち始めているお前の父親・・・ブローシュ伯爵と同じようにはならないでくれ。・・・一生はみ出し者として扱われるぞ。』
レストランの中央で、薄汚れた労働者階級の男たちが笑い声をあげて楽しげに話す声が響く。
2人は沈黙したまま空になった食器を見つめた。
『・・・すまない。俺が悪かったよ、シリウス。今の話は忘れてくれ。』
はっと顔を上げるシリウス。
アンドレアスの表情はうつむき気味になり髪で隠れていてよく見えなかった。
そのままアンドレアスは立ち上がってカウンターに金を置き、足早にレストランを出て行ってしまう。
(何と声をかけてやればよかったんだ・・・。だが、あいつを危ない道に進ませるわけには・・・。)
シリウスは誰もいない前の席を力なく眺める。
窓のほうに目を向けると雨が降ってきたのか、細かい水滴がついていることに気が付いた。
寒い夜、冷たい雨。
心配になったシリウスは走って追いかけようと一瞬腰を浮かしたが、追いかけたとして彼を慰めるような言葉は何も出てこないのはわかり切っている。
嘘はつけない。
それが自分の長所でもあり、短所なのだと初めて思い知った瞬間だった。




