ひとりぼっち
(高級娼婦・・・。)
イシュバンは、ブローシュ家で働き始める前にいた宿屋で客が話していた記憶をふと思い出した。
宿泊者じゃなくても食事をできる宿屋だったため、毎晩船着き場で働く労働者らが安いビールと質素な食事を求めてわんさか訪れていた。
ある労働者の男が隣の同僚に話しかけているのを偶然耳にしたことがある。
『なあ、噂で聞いたんだがよ。○○で有名な娼婦がロンドンの大富豪に身請けされたって。』
『かああっ・・・。女はいいよなあ、育ちがどうであれ外見がよけりゃ人生逆転することができるんだからな。それに対して、俺らみたいなのは遠い親戚から莫大な遺産が入ったとか、そんな奇跡みたいなことが起きない限り一生荷運びだぜ。船が入出港するたびに蟻みたいに行き来するだけのな。』
『がははは!言うな言うな!今はとにかく酒に酔って忘れるほかねえわ。がははは!』
娼婦、と名がついてはいるが高級娼婦と呼ばれる人々は相手をする貴族たちと渡り合わなければいけない分、知識や芸事なども重視されている。
ミラ様が幼いころ伯爵から直接聞いた話だと、メディア様の生まれた家は毎日のパンにもありつけるかどうかというかなり極貧の状態だったらしい。その生活に耐えきれなくなったメディア様は、十代のころに遠く離れたロンドンまでやってきた。
そして、生まれ持った美貌をいかしつつ勉学や歌に励み、ついにブローシュ伯爵の目に留まる。
ブローシュ家にメディア様が輿入れされる前、伯爵とともに一度故郷の村へ帰ったことがあったらしいが、その頃にはもうメディア様の両親も幼い兄弟たちも行方知らずとなっていた。
天涯孤独。
その言葉がイシュバンの頭の中をよぎる。
「アイラ様。私と一緒に踊っていただけますか。」
はっと我に返ると、一人の青年が真剣な表情でアイラ様にダンスを申し込んでいた。
「はい!喜んで・・・。」
2人は男衆の間を縫ってホールの中央に行くと音楽に合わせて踊りだす。
「ああ~あんなにはしゃいじゃって。・・・なんだかな、男に媚びを売っていたころのメディア様みたいで恥ずかしいったらないわ。」
また女衆からくすくすと笑い声が上がった。
ミラ様は見たこともない冷たい表情で声のしたほうをじろりとにらみつけると、静かにその人だかりは霧散していく。
「まったく・・・。よくもまあ堂々と伯爵家の悪口が言えるわ。さっきの人だかりに何人か見覚えのある方々がいたから、あとでアンドレアス兄さまに報告しないと。」
「・・・失礼かもしれませんが、ミラ様はクローヴィス様ほどアイラ様を嫌っているわけではないんですね。少しホッとしました。」
「ああ・・・。言っておくけど、私だってメディア様のことは快く思ってなかった。彼女を身請けしたって聞いた当時は、母様と仲が良かったはずなのに父様は一体なにを血迷ったのかしらとさすがに疑ったもの。
でもアイラは私たちと同じ、このブローシュ伯爵家の娘であることに違いない。母親が嫌いだからってその娘まで同等に嫌ういわれはないはずでしょ。」
ミラ様はイシュバンの目線に合うよう少しかがんだ。
「今日は従者に預けているけど、いつも身に着けている私の剣は代々ブローシュ家の当主に渡されていたものなの。でも、父様がまだお元気だったときに、家族の中でもっとも持つのにふさわしいって特別に私に授けてくださった。
家族を守るための魔術式がこめられた剣を扱うには、それなりの度量がないとだめなの。覚えておきなさい。」
大きくうなずくイシュバン。
態勢を戻したミラ様は、遠くで友人らと話をしているクローヴィス様のほうをみながら少し寂しそうな表情をした。
「でもね。クローヴィスは母様が亡くなったとき、あれは事故じゃなくて仕組まれたものだって一点張りで。その犯人がメディア様だ、って証拠もないのにいまだに恨んでるの。
アイラに対しても母様を殺した女の娘、っていう理由で目も合わせないわね。特に、最近のアイラの見た目や言動がメディア様に似てくるほど、クローヴィスの態度はあからさまになってきてる。
それに対してアンドレアス兄さまはアイラに甘すぎる。・・・同じ両親から生まれた兄弟なのに極端よねえ。」
大きなため息をつくミラ様。いつもの男装姿ではなく、珍しくドレスを着ているせいもあるのかより疲れているように見えた。
「何か飲み物を取ってまいります。ミラ様はこちらでお待ちください。」
「あら、気が利くじゃない?じゃあお願いするわ。」
髪の色は違うもののにっこりと笑うミラ様のその表情は、初めて屋敷に来た翌日頭をなでてくださったアンドレアス様とそっくりだと感じた。
少し離れたところに、たくさんのお酒や子供も飲めるものも置かれている。
どれがいいかな、と悩んでいるとき。アイラ様の姿が見えないことに気が付いた。
(さっきまで踊っていたのに・・・!いったいどこへ行ったんだろう??)
クローヴィス様の剣幕顔が目に浮かんで慌てて捜索を始める。
ホール内をくまなく探したが、どこにも見当たらない。
よく見ると、一緒に踊っていたあの青年もいないようだ。
息を切らしながらあたりを見渡すと、柱同士の間に大幕があることに気が付く。
幕の先はおそらく別の部屋などへ通じる扉が隠されていると踏んで、急いで幕をたくし上げて奥をのぞき込んだ。
ある幕の奥をのぞき込む。中は使われていない客間のようで真っ暗だった。
しかし、目が慣れてきてよくみると奥の扉が中途半端に開けられている。
勝手に屋敷の中を歩き回ってはいけないとは思いつつも、イシュバンは意を決して暗闇に足を踏み入れた。




