七月三日 日曜日 ⑫
暗闇の中の会場は、声で満ちていた。それぞれは小さな声だ。しかし、それらはいくつも重なり、まるで大きな生物の吐息のようにざわざわと空気を揺らしていた。
観客全てが、大きな一つの生き物の様であった。
瞬間、けたたましいブザー音が響く。
その瞬間、ピタリと声は止まり、緞帳に穴が開いてしまうかもしれないと錯覚するほどの、大量の視線が舞台を隠す薄布を突き刺した。
しん、と。
音のない、ただ一塊の視線だけが存在する会場。
その中にもう一度、ブザー音が響き、幕が上がる。
「「始まる」」
一人の『人間』の少年と、一人の『人間』の少女の声が、その静けさの中で小さく重なったのを知る者はいない。
引きはがされた幕、月明かりのような薄い光によって露わになる舞台上。
そこには、誰もいなかった。空っぽな、お城と草原を模したセットが存在しているだけで、人の影も形もなかった。
視線の塊が、解ける。
一つの生き物の様だったそれが、ばらけ、散乱し、舞台をくまなく探す。
しかし、探したものが見つかることは無く。困惑のざわめきが広がり始めーー
□ □ □
『今だよ、ユキちゃん、幸運を!!レディーゴー!!』
「『はい、先輩。行ってきます』‥‥‥魔術装具、起動」
頭の中に響いた先輩の声に返事をして。月姫は、自分が立っていた鉄筋を蹴り、自由落下へと身を投じる。
「風よ、靴と化して空を歩く権能を私に」
そして、
□ □ □
視線が、ばらけ、散乱していた物たちが、再び一つへと集約した。
その先は、うすぼんやりとした光の中、空に浮かぶ目を閉じた少女。
少女のゴシックロリータを模した赤と黒のドレスが、そのうす暗さの中で、壊れそうな儚い幻想的な美しさを纏っていた。
艶やかな黒髪が風に揺れる。彼女のバンプスの靴が纏う、風の魔術が揺らしている。
しかし、その現象をそうと、ただの魔術の副産物であると、現実を認識できる者は観客にはいなかった。
みんな、空想に溺れていたのだ。視界の舞台、そこからあふれ出る異質で幻想的な空気、それに浸った思考は停止し、文字通り今を認識できず忘却していた。
閉じられていた瞳が、ゆっくりと開く。紅い宝石の様で、血の様でもある赤い瞳。
小さな唇が、言葉を紡いだ。
「ワンダーランド学園、演目。『物語』」
パチン、と。一瞬、光が消え。ピアノの音が暗闇に響く。
そして、その音楽に合わせて、再び幻想を纏う少女の声が紡がれる。
「それは、一人の吸血鬼と勇者の物語。白夜戦争の物語」
物語が、紡がれる。
降り注がれる強い光が舞台を露わにし、いつの間にか現れた演者達が、舞う。
□ □ □ □
ぞわッ、と背筋に怖気が走った。恐怖の電気信号が、鳥肌を呼び起こし、呼吸がヒュっと止まってしまう。
「先輩?」
その異常な反応に、ミイカの表情が不安げに、上代の視界へと首をかしげて入り込んできた。
「マナ酔い、っスか?」
「いや、違う。ちょっとびっくりしただけだ」
嘘ではないが、ミイカには真意が伝わらない言葉で返事を返し、心の中で声に出せない嗚咽を叫ぶ。
(嘘だろ!?なんでよりによって、それなんだよ!!)
白夜戦争。それは、吸血鬼を根絶した、歴史に名を刻んだ約500年前の戦争。
狼人の傭兵に『吸血姫殺しの英雄』という、畏怖と栄光の二つ名を与え、数多の犠牲者を出しながらも『吸血鬼』という被害者が加害者に変わる負の連鎖を断ち切った歴史の転換点だ。
それゆえに『白夜戦争』は、有名な『物語』として語り継がれている。
だからこそ、これをテーマに舞台を行うことはおかしくはない。
しかし、月姫雪菜がそれをするのは問題しかない。
(そんな舞台の最中に、吸血鬼バレの原因が出たら、観客は簡単にそれを結び付けるぞッ!!)
滅んだ吸血鬼。本来なら、だれもよほどのことが無ければ考えないその古の存在を、この舞台を通して、観客は想起している。であるならば、月姫雪菜が『吸血鬼』らしい何かを露呈させてしまえば、すぐさま『そうかもしれない』と思ってしまうだろう。たとえ、それがありえないと小ばかにした妄想であっても、だ。
そして、そうなれば、月姫雪菜はすぐさま俺を殺す。真剣か、冗談かなんて、関係ない。そうやって、勘繰られた時点で駄目だ。
(‥‥‥なぁ、もしかして、月姫は俺を殺したくて、こんな綱渡りやってんの?地雷の上で踊るようなまねするのか?それで、死ぬのは俺って、なにその悪夢。うぅ、いがいたいぃい)
「あ、あの先輩?本当に大丈夫っスか。顔が真っ青っスよ。ミイカ、先輩の為なら今から病院に付き添うっス!‥‥‥弱ってる先輩の看病ふひひ」
暗闇の中で、耳元でミイカが小声で話しかけてきた。最後の方は聞こえなかったが、どうやらまた心配させてしまったようだ。
「いや、本当に大丈夫だ。すまん、心配かけたな。俺はちゃんと、元気だ」
「しょぼーんス‥‥‥」
「なぜに?」
理不尽にがっかりされて、困惑しながらも、舞台に目をやる。
賽はすでに投げられている。出目を変えるのは、次の自分に託す。だから、今はただ集中を切らさず、月姫の動向を追い続けろ。
何が理由かを見極められなければ、無駄に何度も『死ぬ』羽目になる。
それだけは勘弁だ。
□ □ □ □
舞台に立つ人が、目まぐるしく動いていく。それを見下ろす二人の存在がいた。
『上から俯瞰するの、リハーサルぶり』
『まぁねぇ、本来こういう事でもないとやらないからねぇ、ユキちゃん、服の着心地と魔装具の調子はどうだった』
『うん、問題なし。靴もちゃんと浮けた』
雪菜とフーナの二人は、舞台の真上。本来だったら人がいるべき場所ではない、観客が誰も気にしない『吊り物』と言われる場所に、フーナを下にする肩車の形で立っていた。
『‥‥‥重く、ない?』
『ん~?全然ですとも、ユキちゃんみたいな美少女が重いわけないじゃないですか。まぁ、冗談は置いといて、大丈夫。体重を軽くする系の魔術を掛けてるからね。全然平気ですよっと』
『なら、良かった』
『あ、でも、あまり揺れないようにしてね。私でも、失敗するときはしちゃうから』
『うん』
月姫がここにいる理由は、『月姫雪菜が、空中から現れる』演出のためだ。
月姫は最初と最後の2回ここから飛び降りて、舞台に現れるという役目がある。飛び降りる演出をする理由としては、簡単に観客の視線を劇的に集めることのでき且つ、魔術の使用が難しい『人間』でもできる原始的な方法だからだ。
だが、月姫一人ではここに居続けることはできない。
そもそもの話、高校生の人間のバランス力では長時間ここにはとどまり続けらず、また、この鉄筋は人ひとり分の体重がかかることは想定されたものではない。
だから、フーナがいる。
体重を軽くする魔術と認識阻害の魔術を使った上で月姫を肩車をし、彼女が月姫では取れない緻密なバランスを補うことことによって、人がいられない空間に居座るのを可能としたのだ。
『ユキちゃんの出番そのものは最初と最後だけど、その『最後』は舞台のラストパートで、盛り上がり処。体力温存準備万全は大切だよ』
『‥‥‥今更なんだけど、フーナ先輩の魔力は大丈夫?』
『ん?』
『ずっと思念の魔術を使ってる。この会場は魔力が満ちてるから回復は早いけど、それでもずっとこれをつけっぱにするのはなかなかな、魔力消費。辛くないの?』
『あ~、まぁ、魔力消費はまぁまぁあるけど、いやあのですね。私は、種族的に、こう、敏感なんですよ』
『敏感?』
『お耳が弱弱なんですよねぇ』
どこか恥ずかしそうに言うフーナ先輩の声色は、いつものそれとは少し違っていて、
『こう、「喋られると駄目」って、こと?』
「ふぶ!?」
ふと芽生えた悪戯心に突き動かされた月姫は、ぽしょりとフーナの耳にささやいた。
フーナは、一瞬、ほんの刹那だけぐらりと体制を崩す。
だが、さすがは小人族。前かがみになった瞬間、すぐさま体中の肌肉を微細に器用に動かしバランスを取り戻す。
が、感情までは元には戻らない。
『ななななな、なにをしてるのですかユキちゃんさん!?先輩おちょくるのは、舞台前だけですよぉ!?今やったら危ないって!!駄目、め!!』
『ご、ごめん、ね』
慌てふためく、叫び声のようなモノが念話の魔術越しに飛んでくる。それに気おされ、慌てて謝罪したときに、ようやく気付いた。
『ユ、ユキちゃんに小悪魔属性付与とか、激やばなんですが!?こんな美少女が小悪魔とか、同性の私が言うのもなんだけど、可愛すぎて鼻血出るってッ!!ユキちゃん可愛い!!マジ美少女!!』
『せ、先輩が一人で騒いでる‥‥‥』
そう、話ながら、疑問が頭によぎる。
(あれ、私、なんであんなことしたんだろ)
□ □ □ □ □
「先輩、もうそろそろ終盤っスかね」
「たぶんな」
白夜戦争は、吸血鬼が滅ぼされるまでの物語だ。
被害者が加害者に、加害者が被害者になり続ける地獄の連鎖を断ち切る物語。
今舞台上では、吸血鬼役の生徒を剣舞によって、切り伏せ続けている『吸血姫殺しの英雄』役の生徒がいる。
これは、『吸血鬼の王』である『吸血姫』へと至る一幕。
‥‥‥『吸血姫』それが、これを『戦争』と言う形にした元凶だった。『吸血鬼』には、本来思考能力が存在しない。だが、『吸血鬼』の『吸血姫』と呼ばれるものは違う。思考能力を持ったうえで、他の『吸血鬼』を操ることができるのだ。
だから、戦争になった。人と同じ思考能力を持ちながら人を『吸血鬼』にすることをえらび、世界を脅威にさらした個人と、それを食い止める魔族という構図で。
『吸血姫』はまだ、舞台に出ていない。
だが、配役の目途は嫌でも立っていた。
(一度だけの出演での登場にしてはあまりにも、月姫の衣装はものすごく凝っていた)
であるならば、あれで終わりなわけがない。であるならば、当てはめれる役は一つしかない。
観客の息が、止まった。
ぴたりと、静止した。
察して目線をあげ、脚光の下にいた存在に目を見開いた。
予想は当たっていた。
(やっぱりッ!!)
「狼よ、なぜ、永遠の命を求めないの?」
少女が浮かんでいた。空に浮かんでいた。
誰も届かぬ、手を伸ばしても触れられぬその頂で、幻想を纏った少女が、赤い瞳に黒髪の人間が、『吸血姫』が、こてん、と首をかしげながら。
「ねぇ、どうして?」
そう、無邪気に心の底から不思議そうに問うた。
お く れ て ご め ん な さ い ッ ! !
6月中には一本出す予定だったのに、こんなことになって本当にごめんなさいッ!!!




