七月三日 日曜日 ➉
「お帰りなさいっスせんぱ、ってえぇ!?お財布探しに行ってた先輩が、なんかシナシナになってるんスけど!まさか、見つからなかったんスか?わわわ、だ、大丈夫っス、財布無くてもミイカがついてるっスよ!帰りの電車賃ぐらいなら全然負担するっス!」
「安心しろ、財布は見つかった。ただ、嫌なことがあっただけだ。ガチで嫌なことが」
木陰の下で、包み紙を剥がしたホットドッグに噛みつきながら、沈む言葉を吐き出す。
ざっくりゆるゆると、垂れ流すような喋り方で、何があったかをミイカに伝える。
うんうん、うぇー、と相槌をしながら親身に聞いてくれるミイカは、悪意に犯された心にとても効く。なるほど、これがミイカセラピーか。
「うひぇ、先輩がこんな死んだ目をするなんて、相当っスよ。許さん許さんぞランラン」
「‥‥‥なんとか持ち直してきた。ありがとうミイカ。そして、これ本当に旨いな」
一通り吐き出したら、怒りも覚めてくる。そして怒りが覚めて冷静になれば、話題に上げ続けるのがランランの思惑通りな気がして癪になので、強引にホットドッグに話を移した。
「でしょでしょ。自信作っス!大事なのは、かけすぎぐらいのマスタードと雰囲気程度のピクルスっスよ」
食べ終わり、これからの不安要素に俯きそうになった頭を無理やり上げて、空を仰いだ。
晴天の空を背景に、悠々と、鳥と竜が飛んでいる。
「何事もなけりゃ、良いんだがなぁ」
「‥‥‥?まぁ、きっと大丈夫っスよ!」
風が吹く。木陰の傘の下、緑の隙間から見える光に目を細めた。
□ □ □ □ □
太陽は、眩しい。
建物の影の中、空を見上げる赤い目の持ち主は、月姫雪菜は、そんな当たり前のことをぼんやりと思っていた。
理由は簡単だ。そうしていなければ沸々と、不安が湧き出てくるからだ。
「‥‥‥」
目を開けていないと駄目なのだ。目を閉じていると、焼き付いた光景の数々が瞼の裏を走り出してしまう。
競い相手、彼女彼らの素晴らしい演目たちが。
それは、八人の鬼の亜人たちが行った剣の舞。力強くありながら、水が流れるように息の合った動きは、赤いライトの下で見る者の網膜を強く焼いていた。
それは、ハーピーの亜人と獣人達が行った空のダンス。急降下、急上昇を伴った迫力のあるそれは、観客の視線を独り占めし、風と同化したような鋭く、そして優雅で、清涼感さえ感じる動きは見る者の心を掴み、感動させただろう。
それは、アクア学園の獣人の生徒、計十名による儀式魔術の行使。それによって舞台上丸ごと、大きな氷の水槽に変え、その中で着飾られた人魚の亜人たちが歌い踊るという夢物語のような光景は、マナを多く持つという、優位性を前面に出した『獣人』にしかできない演目であり。それは、見る者すべての心に、幼き頃の活気を取り戻させたに違いない。
素晴らしい。そう言うしかない努力の結晶の数々。その結晶を前にして、己はそれらと肩を並べられるだろうか?
不安が、驚き慌てて走る子リスのように、心の中を走り回り搔き乱していく。
「はぁ、ふぅ」
緊張は駄目だ。気を張りすぎるのはよくない。力み過ぎるのは悪い癖だ。
そう、自分を客観的に見つめて、冷静になろうと努力してみる。しかし、変わらない。
依然として、心臓はばくばくし、心はわたわた、頭はぐるぐるだ。
手も、少し震えてるような気がする。
誰かの期待に応えようとするのは、美徳ではある。しかし、それで失敗してしまっては悲しみが残るだけだ。
そんなの、理解している。わかっている。しかし、自信のなさには、理解していることが意味をなさない。
知っている、この靴は友人の傑作の魔装具だと。
知っている、この服は被覆部の少年の自信作だと。
知っている、このお化粧は部員の子たちが一生懸命に考えたものだと。
知っている、この髪は尊敬している先輩に結ってもらった美しいものだと。
だからこそ、自信が持てない。
「私は、釣り合ってるのかな」
「へーいへい。どうしたんだいユキちゃん、そんなたそがれてさッ」
子供の様な可愛らしい高い声、聞き覚えのあるそれが聞こえたかと思えばーー。
「へ、うひゃ!?」
とんでもなく冷たい何かがズボッと、背中に差し込まれた。
あまりにも唐突だったが故に、変な声が口から飛び出してしまい、瞬間それが恥ずかしくって、カァーッと顔が熱くなっていく。
先ほどまで、陰鬱に沈んでいた不安の沼はどこへやら、あるのは尊敬している先輩への怒り。
すぐに振り返り、小学生ほどの身長の犯人。自分の髪を結ってくれた尊敬している先輩、フーナ先輩に、声を低めにして問う。
「‥‥‥なんですか」
「かわいい声が聞こえて、耳福耳福。‥‥‥え、あ、もしかして、怒ってる?あー、いやぁ、ちょっと暗めだったから気分をいれかえれたらなぁーと、驚かしてみただけでぇ、わ、悪気はないんだよ?」
「カラメルチョコレートプレミアムティラミス」
「ほ、ほおう。先輩にたかるか後輩よ。‥‥‥まぁ、それで我らがお姫さまが元気になるなら仰せのままにってね」
なにかしらの魔法陣が幾つも重ねられた、氷の様な色の皮手袋を付けているフーナ先輩は、目を閉じ、手を胸に当て、ふわりと優雅に一礼。
そんな礼儀的な美の後に片目だけを開け、チロっと舌を出すのだから、自分の愛嬌の出し方がよくわかっている。
怒りが半分呆れで塗りつぶされ、肩の力が抜けた。
その事象だけみれば、ありがたいのだが。これがフーナ先輩の思惑だとわかるせいで、なんだか悔しい。
そんなことを考えていれば先輩は、よいしょよいしょ、と椅子を持ってきてぴょんと、椅子に座ったと思うと足を組み。
「ほほいっと、まぁ、なんだね。ユキちゃんが、緊張なんて珍しい。いつもどこか抜けててマイペースなのが可愛いのに」
「ん、ありがとう」
「うん、これ本心だね」
今度は、フーナ先輩が呆れ顔。
可愛いと、褒めてくれたから感謝しただけなのに、何かおかしなことを言っただろうか?
「可愛いけど、先が心配になるねぇ。まぁ、それはそれとして、言ってみなさいな、不安は言った方が楽になるよ」
不安。そう、頭が言葉を反復した瞬間、ふたたびあの陰鬱な気持ちが戻ってくる。
それらの言葉を吐き出すように形にして、先輩に打ち明けた。
「‥‥‥私が、釣り合ってるかわからなくなって」
「なにと?」
俯いてしまった視界は、二人のつま先だけを映している。
裏方としての、無難な先輩の靴と、自分の可愛らしい魔装具の靴。
「みんなが‥‥‥みんなが用意してくれたこの服やお化粧や、舞台。それと私が、釣り合ってるかそれが、とても不安で釣り合ってないのかなって思うと、申し訳なくて」
「違いますぜ、ユキちゃん」
え?と、声を漏らす前に、ぺちっと、頭が叩かれた。
全く痛くない、それどころか、まるで撫でるような優しさで。
「釣り合ってる、釣り合ってないじゃない。私たちは、君が、主役が、最高に輝ける踏み台を作ってるだけなんだよ」
顔を上げる。視界の中にあるのは、揺れる緑色の髪の中にある、フーナ先輩の青色の目で。
それは、ただただ優し気に、笑っていた。
「気にすんな。私たちを振り回す気で、全部使って高く飛んでやるってつもりで、本気で楽しく勝つ気で挑め。それが、私たち裏方の思うことだ」
「誰も、ユキちゃんを疑ったりしてない。私が保証しましょう!」
「‥‥‥フーナ先輩、とってもありがとう」
不安は水に溶けるようには、簡単になくなってくれはしない。それでも、その言葉は舞台に立つ誇りと、勇気を与えてくれる。
ならば、ここでうじうじはしていられない。
「ん。フーナ先輩。私、がんばるよ」
「そうそう、の意気!人でも、やれるところを見せつけちゃえ!」
それは、何気ない、ただの激励の言葉だった。
裏も、表もない、優しさと思いやりだけが込められた言葉。
それゆえに、その善意は嘘つきに罪悪感の絞首刑を課す。
「ありがとう」
月姫雪菜は笑顔のまま、そう返した。それが、誰にも気づかせないという最低限をこなした上で行える行動だった。
不安なんて消し飛ばすような過去に起因する恐怖が、頭の中に現れる。
血の一色で彩られた真っ赤な悪夢。老人、大人、子供、あらゆる死体の山の上で啜り泣く幼き自分。
自分が誰にも吸血鬼だと、バレてはいけないと、そう強迫観念じみた想いを抱く理由の光景の中で、過去の声がささやいた。
不安なんて、もうどこにも無い。
あるのは、失敗なんてできないという。誰にもバレては行けないという。そんな、圧迫感を伴い、誰にも明かせられず、悟られてはならない孤独な緊張。
過去の声が囁く。まるで、それは子ども寝かしつけるような優しい声。
『わかった?悲しいけど、吸血鬼のあなたは、人と共に生きれないの。でも、安心して。もし、誰かに、吸血鬼だとバレたら。必ず‥‥‥』
優しくて、それでいて冷たい声。
『上代秘織を殺せば、全て大丈夫だからね』
残酷で、それでいて私を正しい方へと導いてくれる声が、頭の中で響いた。
(あぁ、やっぱり)
じゃ、私は魔装具の点検行ってくるから、と部屋から退室する小さく頼りになる先輩の背中を見ながら思う。
吸血鬼で、嘘つきで、友達だって殺せてしまう、醜い化け物の私は、みんなと釣り合うわけがない、と。




