第八十六話「三位」
研究棟の扉を開け、受付で今日使う器具を受け取る。
そこから箱を抱えて訓練場に向かうと、借りていた区画にはすでにリア、エヴァン、フェリクスの三人が揃っていた。
「遅えぞ、レイン」
俺を見るなり、フェリクスが言った。
「まだ時間過ぎてないよ?」
訓練場の時計を見る。約束の時間まではちゃんと余裕がある。
「知ってる。言ってみただけ」
「何それ」
前回は最後まで自分の番が回ってこなかったから、早く始めたいだけらしい。
今日は実験を終えた後、そのままフェリクスの実技も見せてもらうことになっている。前回は俺だけ衝立の裏にいたせいで、フェリクスの魔法そのものを見られなかったからだ。
そのため、最初から訓練場の一角を借りて実験をすることにしていた。
リアが俺の持ってきた箱を机の上に置き、中身を確認する。
「じゃあ始めましょう。約束通り、今日はフェリクスからよ」
「待ってました」
フェリクスが訓練場の中央に出る。
机には測定器、記録用紙、研究計画。その横には前回と同じ衝立も用意されている。
手順も、基本的にはエヴァンの時と同じだ。
「まず制御を解いて」
「はいよ」
フェリクスが一度腕を下ろした。
次の瞬間、身体の内側に抑えられていた魔力が一気に広がる。
「おお……」
「どう?」
「多い」
胸から腹、肩、腕、脚。
普段は制御の内側に隠れている分まで表に出たことで、見える光の量が大きく増した。
ただ、アルドリックとは違う。
アルドリックの場合、試合中で使える魔力に制限があって総量そのものまでは分からなかった。それでも魔力を見ていると、こちらまで押されるような独特の圧を感じる瞬間があった。
フェリクスには、それがない。
今は普段隠している分まで解放している。それでも、アルドリックを見た時の感覚とは違った。
(量は多いけど、あの圧はないんだな)
「レイン」
「あ、ごめん」
「別のこと考えてたでしょう」
「ちょっとだけ」
「今は総量」
「分かってる」
制御を解いた直後の魔力は、身体全体に大きく広がっている。
そのまま決められた時間だけ待つ。
腕や脚に散っていた光が動き、次第に身体の中心側に寄っていく。完全に同じ分布になるわけではないけれど、前回と同じように、時間が経つほど大きな変化は小さくなっていった。
「観測」
リアの合図で、測定器が値を取る。
俺もフェリクスの魔力全体を見る。
終わると、フェリクスはいったん普段の制御に戻した。
俺は衝立の裏に回る。
ここから先は見ない。
耳も塞いだ。
何の魔法を、どのくらいの出力で使ったのか。俺に分かる情報はできるだけ減らす。
しばらく待っていると、肩を二度叩かれた。
リアの合図だ。
衝立の外に出る。
フェリクスはすでに魔法を使い終え、もう一度制御を解いていた。
さっきと同じ時間だけ待つ。
「観測」
使用後を見る。
これを三回。
最初は前回と同じように、消費量に分かりやすく差をつける。
三回目まで終わると、リアが測定器の記録を伏せたまま俺を見る。
「順番は?」
「三回目、一回目、二回目」
「確定?」
「うん」
リアが記録を開く。
実測された減少量も同じ順番だった。
「全部合ってるわ」
「よし」
術者がフェリクスに変わっても、少なくとも比較しやすい条件なら結果は崩れなかった。
続いて、前回の二段階目と同じ条件に移る。
今度は制御を解いてから観測するまでの時間を毎回変える。使用前と使用後でも同じ時間とは限らず、魔法を使わない回が入っているかどうかも俺には知らされない。
使用前では身体の中心に魔力が寄っていたのに、使用後ではまだ手足に広がっていることもある。
その逆もあった。
それでも、形そのものではなく、広がった範囲と密度をまとめて見る。
四回分が終わった。
「一番大きいのが四回目。次が一回目、三回目。二回目はほとんど変わってないと思う」
リアが測定記録を確認する。
「合ってる。二回目は魔法を使ってないわ」
「こっちもいけた」
「ええ」
リアは二つの結果を並べ、しばらく見比べた。
「じゃあ、前回できなかったところに進みましょう」
「差を小さくするやつ?」
「そう。今度は差そのものを見たいから、待機時間は最初の条件に戻すわ」
比較しにくい状態を混ぜたまま消費量まで細かくすれば、どちらが原因で間違えたのか分からなくなるから、そこは分けて調べる。
これまで大きく三つに分けていた消費量を、まず五段階に細かくする。
「フェリクス、指定はこっちで出すわよ」
「了解」
俺には順番を見せない。
フェリクスだけがリアから指定を受け、その量に近づくよう同じ魔法を使う。
「これ、地味に俺の方も難しくなってない?」
「そうね。無理ならいいわよ」
「いや、やるけど」
フェリクスはそのまま一回目の準備に入った。
制御を解く。
待つ。
使用前を観測する。
俺が衝立の裏に回り、耳を塞ぐ。
肩を二度叩かれたら外に出る。
もう一度、制御を解いた状態を同じだけ待ってから見る。
五回分を終え、減少量を大きい順に並べる。
全部合っていた。
「まだいける」
「ええ。もう少し細かくしましょう」
そこでリアは七段階まで差を縮めた。
さすがに一つ一つの間隔は小さくなったけれど、それでもまだ迷わない。七回分を並べた結果も、測定器の記録と一致した。
リアが紙から顔を上げる。
「十まで増やしてみましょう」
「十?」
フェリクスが聞き返した。
「結構細かいぞ、それ」
「七で崩れなかったもの」
「まあ、やれると思うけど」
フェリクスは一度手首を振ってから、いつもの調子で中央に戻った。
十段階。
始めてみると、今までとの違いは途中からはっきりしてきた。
一回目。
二回目。
三回目。
まだ分かる。
頭の中で、それぞれの使用前後を並べていく。
四回目、五回目と増えても順位は置けた。
でも六回目を見た時、一度だけ判断が止まった。
(……近いな)
これまでより差が薄い。
広がりと密度をもう一度思い出し、いったん位置を決める。
七回目。
八回目。
そして九回目。
(これ……六回目と近い)
見た瞬間の広がりなら九回目の方が大きい。
けれど、密度まで含めると六回目の方が僅かに多く残っていた気がする。
今までなら、こうして考え込む前に順番が決まっていた。
十回目を見終えたところで、リアが俺の記録用紙を指した。
「並べられる?」
「ちょっと待って」
最初から見返す。
一番。
二番。
三番。
一つずつ決めていく。
最後に残ったのは、やはり六回目と九回目だった。
「六と九が近い」
「どちらが上?」
「……六回目」
一度答えてから、付け足す。
「だと思う。今までみたいな自信はない」
「分かったわ」
リアが測定器の記録を開き、俺の答えと順番に照らしていく。
最初のいくつかは一致。
その後も変わらない。
最後に六回目と九回目を見る。
「全部合ってる」
「本当?」
「ええ。それと、あなたが迷った二つ」
リアが測定値を指す。
覗き込むと、六回目と九回目の差だけが明らかに小さい。
「本当に近い」
「今までの組み合わせよりずっとね」
「じゃあ、この辺りから見分けにくくなるのかな」
「可能性はあるわ。ただ、一組だけで境界を決めるのは早いから、次に同じくらいの差を何度か作って確かめたい」
「もっと細かくも?」
「それも。その前に今日の結果を整理してから」
「……分かった」
記録を見ながら、さっきの二つをもう一度思い返す。
今まで、この眼については見えるか、見えないかで考えることがほとんどだった。
色が見える。
流れが見える。
圧縮も、変質する瞬間も見える。
でも同じものを見るにしても、どこまで細かい違いを拾えるのかは別だ。
(もっと近づいたら、今度は分からなくなるのかな)
それとも、見る場所を変えれば。
広がりと密度だけではなく、流れ方まで一緒に覚えたら。
同じ種類の変化を何度も見れば。
今より細かい差まで分かるようになるのだろうか。
できるかどうかは分からない。
それでも、生まれた時から当たり前に見えていたこの眼にも、まだ試せることがある。
限界がどこにあるのかさえ知らなかった時より、その先を考えやすくなった。
「レイン」
「ん?」
「今日はもう十より細かくしないわよ」
「まだ何も言ってないよ」
「顔見れば分かるわ」
フェリクスが横で笑う。
「それは俺でも分かる」
「そんなに?」
「次やりたいって顔してる」
否定しづらかった。
そのフェリクスが肩を回す。
「いやー、でも十段階はこっちもきつかったわ。細かすぎ」
「そういえば、フェリクスはあれを全部出し分けてたんだよね」
俺は見ていなかったけれど、フェリクスはリアの指定に合わせて、実際に十段階の差を作っていた。
測定値を見る限り、順番も崩れていない。
エヴァンも同じ記録を確認していた。
「さすが三位だな」
「え?」
思わず顔を上げる。
「三位?」
「グレイベルは総合科の入試三位だろう」
エヴァンは当然のことのように答えた。
フェリクスを見る。
俺より少し小柄な身体に、中央で分けた長めの赤髪。耳元には小さな銀のピアスがあり、制服の第一ボタンも外したままだ。
青みがかった瞳が、俺より少し低い位置から返ってくる。
学院で再会した時、真っ先に「ちゃらそう」と思った姿そのままだ。
「……知らなかった?」
「知らない」
「マジ?」
「聞いてないよ」
「聞かれなかったし」
「一位がアルドリックで、二位がリアで……その次?」
「そう」
三位。
一位がアルドリックで、二位がリア。そのすぐ次に、目の前のフェリクスがいる。
頭の中で並べ直してみても、まだちょっと意外だった。
フェリクスは俺の顔を見て、呆れたように笑った。
「そんな驚くなって。上二人は別枠みたいなもんだし、俺の中じゃ実質一位だから」
「は?」
「アルドリックとリアは別格だろ。一般人部門なら俺が一位ってこと」
「何馬鹿なこと言ってるの」
リアが記録から顔を上げた。
「褒めてんだって」
フェリクスは気にした様子もなく笑う。
「まあ、順位が全部じゃないけどな。ルシアンみたいなのもいるし」
「ルシアン?」
「入試の順位だけ見てたら、あいつのやばいところ分かんねえだろ」
それは、分かる気がした。
昨日から学院中を動かしているルシアンを見れば、入試の順位だけで何ができるかまで分かるとは思えない。
フェリクスはそこで順位の話を切り、机に置いていた杖を取った。
リアも最後の記録を書き終え、紙を揃える。
「実験はここまでにしましょう。フェリクスでも同じ傾向が出たし、細かい差にした時の結果も取れた。次に増やす前に、一度ここまでをまとめたいわ」
「うん」
十段階の結果は、俺も改めて見返したい。
実験器具を区画の端にまとめると、フェリクスが杖を持って中央に戻った。
「で、こっからは俺の魔法見たいんだろ?」
「うん」
「ずっと隠れてたもんな」
「だから楽しみにしてた」
「そんな期待されるとやりにくいけど」
言いながら、フェリクスは別に嫌そうではなかった。
エヴァンもそのまま残っている。
「俺も見て構わないか」
「いいよ。班の作戦やるわけでもないし」
「じゃあ始めましょう」
リアが実技用の記録用紙を取り出した。
その横で、エヴァンもいつの間にか小さな手帳を開いている。
「人の魔法までメモするの?」
「大会で役に立つかもしれないからな」
「今から?」
「細かいところは後で忘れる」
「そこまでやるんだ……」
離れたところで準備していたフェリクスがこちらを見る。
「俺も見る側なら、そこまではやらねえな」
「だよね」
「何でそこで意気投合してるの」
リアはそう言いながらも、自分の記録用紙に日付を書き込んでいた。
「私は確認する項目があるから書いてるだけよ。フェリクス、始めて」
「はいよ」
フェリクスが標的から離れたところに立ち、杖を構える。
「まずは中くらいの出力から」
「おっけい」
フェリクスが短く息を整える。
「雷よ、迸りて穿て——《雷撃》」
バチッ、と杖先で青紫の火花が弾けた。
直後、細く圧縮された雷が一直線に走る。
バァンッ!
乾いた破裂音が訓練場に響き、標的の中央に黒い焼け跡が残った。
(速い)
雷属性だからというだけではない。
詠唱から発動までの魔力移動が滑らかで、圧縮にも目立った揺れがない。
「もう一段上げて」
「了解」
同じ詠唱。
「雷よ、迸りて穿て——《雷撃》」
今度は杖先に集まる青紫が一段濃い。
バチィッ!
空気を裂いた雷撃が標的に突き刺さり、ドンッ、と重い音とともに標的そのものが大きく揺れた。
出力を上げても射線はほとんどずれていない。
(制御が綺麗だ)
魔力量にも余裕がある。
でも、やはりアルドリックほどの圧はない。
「どう?」
フェリクスが杖を下ろした。
リアは記録用紙を見ながら答える。
「まあまあね」
「これでまあまあ?」
「出力は十分。高くしても精度が落ちてないわ」
「なら、いいじゃん」
「悪いとは言ってないわよ」
エヴァンが標的の焼け跡を見たまま口を開く。
「俺なら十分だと思う」
「だよな?」
フェリクスがこちらを見る。
「レインは?」
「……まあまあかな」
「おい。お前ら化け物の感性押し付けるなよ」
フェリクスはリアを見るが、リアはもう次の記録欄を確認していた。
フェリクスは頭を掻いてから、俺たちを見回した。
「……分かった。じゃあ、特技一個見せてやるよ」
「特技?」
フェリクスは正面の標的から視線を外し、訓練区画の左右にある石柱、壁、床を順番に確認した。
「ちょっと下がってて」
俺たちが距離を取ると、フェリクスは標的から大きく左に外れた石柱に杖を向ける。
「風よ、細く添いて、軌道を導け」
ヒュウッ、と足元から巻き上がった風に、白銀の魔力が細く伸びていく。
続いて杖先に青色の魔力が集まり、冷気が周囲の空気を白く曇らせた。
「氷よ、凝りて弾となれ——《氷弾》」
キィン、と澄んだ音を立て、青白い氷弾が形成される。
大きくはない。
むしろ普通の氷弾より細く、強く圧縮されていた。
けれど、フェリクスが狙っているのは標的ではない。
「そこに撃つのか?」
エヴァンの筆が止まる。
「まあ見てなって」
フェリクスが杖を振った。
ヒュッ!
氷弾が飛び出す。
青白い線が標的の左側を通り過ぎ、そのまま石柱に向かっていく。
(当たる)
キンッ!
硬質な音が響いた。
氷弾は砕けない。
石柱の表面を掠めた瞬間、鋭く角度を変えて右側の壁に飛ぶ。
キィンッ!
二度目の反射。
今度は斜め下に向きを変え、地面に迫る。
カンッ!
青白い欠片が僅かに散った。
それでも弾は止まらず、床を蹴るように跳ね上がる。
その先は標的ではない。
さらに奥の壁。
(まだ行くのか)
視線で追う。
氷弾は壁に浅く触れた。
キンッ!
四度目。
そこまで標的に背を向けるような軌道を描いていた氷弾が、一気に内側に折れた。
標的の正面には何も来ない。
横にもない。
次の瞬間。
ドッ!
標的が前に揺れた。
「……え?」
背面の中央に、氷弾が突き刺さっている。
砕けた細かな氷片が、標的の足元にぱらぱらと落ちた。
「……跳弾か」
エヴァンが呟いた。
「正解」
フェリクスが杖を肩に乗せた。
「すご……」
俺は標的から、最初に氷弾が当たった石柱まで視線を戻した。
柱。
壁。
地面。
もう一度壁。
四回も反射させて、最後は標的の背後に当てた。
風で軌道を補助していること自体は分かっている。最初に詠唱していたし、白銀の魔力も見えていた。
でも。
(綺麗すぎない?)
リネットが水弾を曲げた時とは違う。
あの時は、風で押された水弾が空中で滑らかな曲線を描いていた。
今の氷弾は、反射と反射の間ではほとんど真っ直ぐ飛んでいる。
大きく方向を変えるのは、何かにぶつかった瞬間だけだ。
しかも、速度が速い。
あれだけの速さで硬い面に衝突させれば、ほんの僅かに位置がずれるだけでも、その先の軌道は大きく変わる。
一度目で生まれた誤差は、二度目ではもっと大きくなる。
そこから三度、四度と重なれば、最後まで同じ場所を狙えるとは思えない。
なのに、さっきの氷弾にはほとんど無駄な揺れがなかった。
「フェリクス」
「ん?」
「もう一回やって」
「いいよ」
フェリクスが再び最初の位置に戻る。
今度は弾だけではなく、最初から風の魔力を見る。
「風よ、細く添いて、軌道を導け」
ヒュウッ。
白銀の魔力が細く伸びる。
「氷よ、凝りて弾となれ——《氷弾》」
キィン。
青白い氷弾が完成した。
射出。
ヒュッ、と風を切り、石柱に迫る。
弾の周囲には最初から薄い風が添っている。
でも、大きく曲げてはいない。
石柱が近づく。
(ここだ)
衝突の直前。
右側を流れていた風だけが、僅かに強くなった。
氷弾を横から押す。
ほんの僅かに入射角が変わる。
直後。
キンッ!
反射した。
そして今度は、跳ねた直後に反対側の風が強くなる。
(まただ)
衝撃で生まれた僅かなぶれを押さえ、次の壁に向かう軌道に戻している。
壁が迫る。
直前に風。
角度が変わる。
キィンッ!
跳ねた直後、また反対から押す。
次は地面。
今度は氷弾の下側に白銀の魔力が集まった。
地面に深く突き刺さらない程度に弾頭を持ち上げる。
カンッ!
氷弾が跳ねる。
直後、横から風が当たり、僅かに傾いた軌道を戻した。
(すごい)
風で弾を曲げ続けているわけじゃない。
反射の直前に、欲しい角度に合わせる。
反射した直後には、その衝撃で出た誤差を消す。
しかも、それを一回だけやっているわけではない。
次の壁。
また入射直前に補正。
キンッ!
跳ねた。
最後の反射位置は、最初の一発より僅かにずれている。
そこにもすぐ風が入った。
青白い弾道が標的の裏側に回り込む。
ドッ!
命中。
「……なるほど」
思わず声が出た。
「分かった?」
「風でずっと曲げてるんじゃないんだ」
「お」
「当たる直前に角度を合わせてる。そのあとも、跳ねた時にずれた分を直してる」
フェリクスが杖を下ろした。
「そこまで分かったか」
「毎回あれやってるの?」
「やってる。最初に大体の経路は決めてるけど、撃った後まで全部その通りになるわけじゃないからな」
「何回くらい反射できる?」
「場所と距離次第。増やせば増やすほど面倒だし、今みたいに壁が綺麗とも限らない。氷弾も削れるしな」
それでも、あの速度で飛ぶ弾を追いながら、接触する直前と直後に何度も風を入れている。
「こういう細かい軌道、俺得意なんだよ」
フェリクスがにやりと笑った。
「ここは負ける気しねえ」
横を見ると、エヴァンの筆がさっきより速く動いていた。
フェリクスも気づいたらしい。
「エヴァン、めちゃくちゃ書いてんな」
「見たことは残しておいた方がいい」
「好きにすればいいけど」
フェリクスはエヴァンの手帳に一度だけ視線を落とした。
それから、氷弾の跡が残った標的を見る。
「……今のが俺の全部だと思ったら、本番で痛い目みるぜ」
エヴァンの筆が止まった。
「そのつもりはない」
「ならいい」
フェリクスはそれ以上何も言わず、杖を肩に乗せた。
俺も改めてその横顔を見る。
入試三位。
高い魔力量と制御。
雷撃。
そして、何度も反射させながら狙った場所に通す氷弾。
最初に学院で会った時とは、ずいぶん印象が変わった。
(リアがフェリクスを入れた理由、分かった気がする)
* * *
夜。
寮の部屋で教本を開いていたけれど、さっきから同じ頁のまま全然進んでいなかった。
気づけば何度も扉を見る。
(遅いな)
ルシアンは今日も、あの冊子のことで学院中を動き回っているらしい。昼にもほとんど姿を見なかったし、最近は夕食後まで誰かと話していることが多い。
聞きたいことがある。
別に今日でなければ駄目というわけではない。それでも、できれば早く決めたい。
廊下から足音が聞こえ、やがて部屋の前で止まった。
扉が開く。
「はあ、疲れた~」
「おかえり」
「ただいま」
ルシアンは鞄を机の横に置くと、そのまま寝台に倒れ込んだ。
「今日も助っ人?」
「うん。思ってたより大変」
枕に顔を埋めたまま動かない。
今聞くのは悪い気もしたけれど、しばらく待っても起き上がる気配がないので声をかけた。
「ルシアン」
「んー?」
「疲れてるところ悪いんだけど、聞きたいことがあるんだ」
ルシアンが顔だけこちらに向ける。
「何?」
少し迷ってから口を開く。
「リリィのことで」
「ああ、やっぱり」
「何で分かったの?」
「レインが俺の帰り待ってまで聞きたいことって、そんなにないから」
「そう?」
「で、何?」
ルシアンが身体を起こした。
「ルシアンって、学院に入るまで帝都にいたんだよね?」
「うん。メルヴィンの本邸で育ったよ」
「じゃあさ。帝都で、夕方から行ける場所って何か知らない?」
「夕方?」
「うん」
「リリィと?」
「……うん」
ルシアンの口元が少し上がった。
「二回目?」
「その言い方やめて」
「合ってるんだ」
「合ってるけど」
「どんなところがいいの?」
改めて聞かれると難しい。
「前と同じように店を回るだけじゃなくて、夕方からでも行けて、リリィも楽しめそうなところ」
「レインも楽しめるところ?」
「できれば」
「魔導具店は?」
「それ、リリィにも言われた」
「言われたんだ」
「だから違うところ」
「なるほどね」
ルシアンは少し考え、天井を見ながら指先を動かしていたが、やがて思いついたようにこちらを向いた。
「あ。天環鳥は?」
「てんかんちょう?」
「天環鳥。知らない?」
「知らない」
「ちょうど今くらいの時期に、帝都の外側を群れで通る渡り鳥だよ。羽が空気中の魔力に反応して、夜になると青白く光って見えるんだ」
「光るの?」
思わず身体を起こす。
「一瞬だけね。でも群れで飛ぶと結構綺麗だよ。上昇気流を拾う時に大きく旋回するから、遠くから見ると夜空に光の輪みたいなのができる」
「だから天環鳥?」
「そう」
「見たい」
「でしょ?」
「どこで見られるの?」
「帝都の中心だと見づらいけど、外縁まで馬車で行けば見られる場所がいくつかある。夕方からでも十分間に合うよ。むしろ暗くなってからの方が綺麗だし」
「それ、すごくいいかも」
前回と全然違う。
夕方に学院を出て、帝都の外側まで行き、暗くなってから二人で空を見る。
それに、魔力に反応して光る羽。
俺の眼なら、普通に見える青白い光と魔力そのものはどう違って見えるのだろう。群れで一斉に飛んだら、どんな流れになるのかも気になる。
「レイン」
「ん?」
「もう鳥のことしか考えてない?」
「リリィと見に行くことも考えてるよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「ならいいけど」
ルシアンは寝台の上で足を伸ばす。
「ただ、リリィも帝都育ちだから、一応見に行ったことがあるか聞いた方がいいかもね」
「あ」
確かにそうだ。
「有名なの?」
「帝都育ちなら知ってる人は多いと思う。でも、毎年ちゃんと見に行く人ばかりじゃないし、一度見たことがあっても別にいいんじゃない?」
「そっか。じゃあ聞いてみる」
どこに行けば見やすいのかも、またルシアンに詳しく聞けばいい。
「ほんとにありがとう」
「そんなに?」
「結構困ってたから」
ルシアンが俺の顔をじっと見る。
「何?」
「いや。レイン、リリィのことになると面白いなって」
「どういう意味?」
「そのまま」
「分からない」
「分からなくていいよ」
「気になるんだけど」
「じゃあ自分で考えて」
疲れて帰ってきたはずなのに、さっきより楽しそうだ。
天環鳥を教えてもらったので、それ以上追及するのはやめる。
ルシアンが再び枕に身体を預けたところで、もう一つ聞こうと思っていたことを思い出した。
「そういえば、ルシアン」
「今度は何?」
「あの冊子のことなんだけど」
「うん」
「本当に、助っ人を選ぶための試験が目的なの?」
ルシアンは一度こちらを見た。
けれど、答えはいつもと変わらなかった。
「試験じゃないよ」
「でも、みんな試験って呼んでる」
「僕は一回もそう書いてないでしょ」
「それはそうだけど」
ルシアンは枕に頭を戻しながら、何でもないことのように言った。
「意見募集だって」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
感想や評価をいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。
次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。




