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第七話「純白の魔導師」

あの日を境に、周囲の俺を見る目が明らかに変わってしまった。 


今朝もそうだった。日課の座学へ向かうため、オスカーの後ろについて廊下を歩いていた時のことだ。角を曲がろうとした瞬間、足元から微かな話し声が聞こえ、俺は思わず足を止めた。


長年アストリア家に仕え、幼い俺を自分の孫のように可愛がってくれていた、見知った侍女たちの声だった。


「……信じられます? あの幼いレイン様が、魔法を使われたなんて」


「ええ……書庫の火事を聞いた時は耳を疑いましたわ。もしこのまま健やかに育たれれば、将来は立派な『魔導師』様になられて、この館をお継ぎになるのかもしれませんね……」


ひそひそと交わされる声には、かつての温かな親しみは欠片もなく、どこか遠い世界のものを見るような困惑と引きつった畏怖が混ざり合っていた。


書庫で俺が誤って魔法を発動させ、ボヤ騒ぎを起こした一件は、すでに屋敷の隅々にまで尾ひれがついて広まっているらしかった。


角を曲がり、俺たちの姿が目に入った瞬間、侍女たちは弾かれたように会話を絶った。真っ青な顔で壁際に寄り、深々と頭を下げて俺をやり過ごそうとする。


「無邪気な可愛い坊ちゃん」だったはずの俺は、彼女たちの中で「いつ暴走するかわからない、気味の悪い力を持ったアストリア家の嫡男」へと書き換えられてしまったのだ。


かつてオスカーから教わった通り、一般の使用人たちが扱えるのは、せいぜい暖炉に火を灯したり、掃除の水を汲んだりする程度のささやかな「生活魔法」に過ぎない。


魔力制御の基礎すら学んでいない五歳の子供が、声も出さずに巨大な火球を喚び出した――そんな現象は、彼女たちの常識からすれば、愛くるしい幼児の姿をした異形の怪生物に見えても無理はなかった。


頭では仕方のない反応だと分かっていても、昨日までの笑顔が消え、見えない壁を築かれていく感触は、幼い身体にじんわりと冷たい毒のように堪えた。


そんな俺の沈んだ内心を、誰よりも早く察してくれたのは母のテレシアだった。その日の午後、静養のための自室で、母さんは俺をそっと膝の上に抱き上げた。


「レイン。あなたにどれほどの特別な才能があって、将来どんなに偉大な立場になろうとも……私たちはいつでも、あなたの母であり、父ですからね」


琥珀がかった銀髪から漂う日だまりの匂いと、背中に回された細い腕の温もり。彼女は優しく俺の頭を撫でながら、噛みしめるようにそう囁いてくれた。


父のレオンは生真面目で不器用な男であるため、母さんのように甘い言葉を直接かけてくれることはなかった。

だが、後からオスカーに聞いた話では、父さんは使用人たちを一人残らず大広間に集め、「レインを見る目を変えないでやってほしい。あの子はアストリアの跡取りである前に、私の大切な息子なのだ」と、あの巨躯を折り曲げて深く頭を下げて回っていたという。


胸の奥が焼き尽くされるような熱さでいっぱいになった。無条件で自分を愛してくれる家族がいる。前世で孤独に震えていた俺にとって、それは間違いなく救いそのものだった。


――だが、そのあたたかな救いに救われれば救われるほど、俺の胸の奥底で、暗く醜い「別の感情」が鎌首をもたげ始めていた。


前世の俺は、何一つ誇れるもののない凡庸なサラリーマンとして死んだ。


血の滲むような努力を重ねても、生まれながらの天才にあっけなく踏み潰され、敗北感と疎外感に苛まれ続けた惨めな人生。


だからこそ――自分が誰かに無条件で愛されているという絶対的な安心感を得た途端、その土台の上で、俺の中に眠る「圧倒的な力」への欲望が猛烈な勢いで暴走を始めたのだ。


オスカーに「帝国の千年におよぶ歴史の中でも類を見ない」とまで言わしめた、自分に宿る異次元の魔法の才能。


(……俺は、本当は敗北者なんかじゃなかったんだ。この世界で、誰よりも高い場所へ立つために生まれてきた『選ばれし存在』だったんじゃないのか……?)


両親の深い情愛によって前世の傷が癒やされたからこそ、かえって前世で届かなかった「特別な人間になりたい」という執着が、狂おしいほどの甘美な陶酔となって俺を侵食していく。


すべてを見下ろしてしまいそうになる傲慢な高揚感と、自分の中に芽生えた凶暴な自尊心。


夜、静まり返ったベッドの中で幼い手のひらを見つめながら、己の中に蠢く「力への欲動」に呑まれそうになり、俺は密かに身震いしていた。


―――


それから数日後。アストリア邸にセレスタ州総督――レオニス・グランフォード総督の遣いと名乗る男が訪れた。


応接室で交わされた通達において、俺が犯した法定年齢未満での魔法行使は「故意ではなく予見困難な事故」として不問に処された。領主である両親に累が及ばなかったことに、俺は胸を撫で下ろし、深く安堵の息を吐いた。


だが、使者がもたらした書状の続きは、それだけで終わらなかった。


「……アストリア伯爵家嫡男、レイン・アストリアの魔法適性は、帝国史上類を見ない特異な事例である。これは一個人の領主が抱え込める範疇を超え、国家として管理すべき性質のものと判断する。彼は帝国にとって無上の宝となるか、さもなくば猛毒となる。よって国家安全保障の観点から、帝国魔法省より『監視役』を派遣する」


使者の厳格な声が室内に響く。


「今後はその監視役の監督下に限り、特例として適正年齢未満での魔法教育を許可する。また、将来成人の儀を迎えた折には、速やかに帝国中央魔法学院へ進学し、国家のために尽力する『魔導師』となることを強く推奨する。なお、派遣される監視役は、『純白の魔導師』ーー」


使者がその名前を口にした瞬間、同席していたオスカーの顔から血の気が引き、眼鏡を指で支えたまま「なんと……あの方が、直々に……!?」と声を詰まらせた。


使者が立ち去った後、俺は思わずオスカーの袖を引いた。

「監視役って……? 僕は、オスカーに魔法を教えてもらうんじゃダメなんですか?」


俺の問いに、オスカーは苦笑混じりに首を振ると、ゆっくりと腰を落として俺と視線を合わせた。


「お言葉は大変光栄にございます、レイン様。学問や作法、あるいは魔法の『基礎知識』までであれば、私めでもいくらでも教え導くことができましょう。……しかし、私ごときでは、レイン様の持つ才能の『真の領域』を受け止めきれないのです」


「受け止めきれない……?」


「ええ。私めのような『魔術師』は、専門学校や師事で技術を修め、国家資格を得て社会で魔法を振るう専門技術者に過ぎません。対して『魔導師』とは……全国に五校しか存在しない最高峰の魔法学院を修め、狭き門である国家試験を突破した一握りの天才のみに許される称号。数千の魔術師を束ねる、魔法そのものを極めた至高の存在なのです」


オスカーはどこか遠い世界を見上げるような、深い畏敬の込もった眼差しで溜め息を漏らした。


「私めが学院を卒業して久しい現在でも、学会の論文や噂であのお方の凄絶な名は絶えず聞こえておりました。凡百の学者が生涯をかけても解き明かせぬ古代術式を一瞬で解き明かし、弱冠十八歳にして帝国魔法学院の『特任教授』の座に就かれた、異次元の天才にございます。レイン様にも、引けを取らないかもしれません。あのお方の深淵なる知性が、レイン様の才能を正しく導いてくれるはずです。」


その言葉には、かつて魔法の道を志した者としての純粋な憧憬と、重々しい確信が宿っていた。


こうして、俺の教育方針は決定した。一般教養や歴史などの座学は引き続きオスカーが、そして魔法に関しては、その凄絶な噂を持つ『純白の魔導師』が全権を握ることとなったのだ。


―――


ついに、その監視役がアストリア邸へ到着する日がやってきた。


周囲の使用人たちから距離を置かれた寂しさなど、もはやどこかへ吹き飛んでいた。魔法への渇望と、抑えきれない高揚感が胸の奥で熱く燻っている。


あの老練なオスカーにそこまで言わせる魔導師だ。一体どれほどの傑物が現れるのだろう。


雪のように白い魔導衣を纏い、銀色の長髪を腰まで垂らした老婆。


そんな物語に出てくるような姿を勝手に思い描きながら、俺は応接室の柔らかいソファで、足を揺らしながらそわそわとその時を待っていた。


どれほどの魔力を秘め、どれほど深淵な知識を有しているのだろうか。期待と緊張で幼い額にはじわりと汗が滲み、胸の鼓動が次第に早まっていく。


その偉大なる師を通じて、自分の中に眠る才能が本物であることを証明したい――俺の心は熱く波打っていた。


やがて、廊下の向こうからカツカツと足音が近づいてきた。


二つの足音。一つはオスカーの、聞き慣れた重みのある革靴の音。だが、もう一つは――心なしか小さく、そして軽やかだった。まるで、屋敷の若い侍女が歩いているかのような。


「こちらでございます」


オスカーの恭しい声と共に、応接室の重厚なオークの扉がゆっくりと引き開けられた。


――その瞬間だった。


扉の隙間から、圧倒的な『光の粒』の奔流が、濁流となって室内に雪崩れ込んできたのだ。


物心ついた時から俺の目に当たり前に映っていた、世界を満たすあの美しい光の粒。


だが今、目の前に広がったのは次元が違っていた。視界を埋め尽くすほどの濃密な光が空間を歪め、きらきらと眩い燐光を撒き散らしている。


本人は完璧に制御して抑え込んでいるつもりなのだろうが、俺の目には、あまりの密度の高さゆえに光が全身から溢れ出し、部屋全体を光の海へと変えているのが丸わかりだった。


だが――その眩い光の渦の中心に立っていたのは、俺が勝手に夢想していたような威厳ある老賢者などではなかった。


そこにいたのは、一人の小柄な少女だった。


華奢な身体を包み込んでいるのは、染みひとつない純白の魔導衣。


明らかに彼女の体躯には大きすぎるサイズで、背に下ろされた深いフードは、被れば顔ごとすっぽりと覆い隠してしまいそうだ。


長すぎる裾や袖口には、血液のように鮮烈な深紅の糸で緻密な幾何学紋様が刺繍されており、それが魔導衣の異質なほどの白さを際立たせている。


そして、彼女の胸元で重厚な輝きを放っていたのは、王冠を戴く八芒星の銀製の記章だった。中央の紫銀の魔晶石は生き物のように淡く脈動し、その周囲を埋め尽くす精密な術式陣が神秘的な光を宿している。


——帝国魔法省が認めた、国家最高峰の『魔導師』たる者のみに授与される特級の証。


色素の薄い淡い栗色の髪が、純白の生地の上にさらさらと流れ落ちている。そして、夜空をそのまま切り取ってきたかのような、澄み切った紫色の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いた。


どこか気怠げで、慢性的な眠気を漂わせたような半開きの瞳。


だが、視線が重なった瞬間、俺の背筋に冷たい氷の針を刺されたような電流が走った。


その幼い容姿とは裏腹に、瞳の奥には、底知れぬ圧倒的な知性と冷徹な理性が揺らめいていたからだ。


「……初めまして。私はセレナ・ミレイユ。帝国中央魔法学院の特任教授です」


氷を転がすような、感情の起伏を一切削ぎ落とした透き通る声が室内に響く。


少女――セレナは、精巧な陶器の人形のように表情ひとつ動かさないまま、静かに、けれど明確に告げた。


「私は、あなたを弟子として遇するつもりは一切ありません」


彼女は半開きの紫色の瞳をわずかに細め、俺という存在の価値を冷酷に品定めするように見つめてくる。


「私の役目は教育ではなく『管理』です。あなたが帝国にとって危険な存在にならないよう、監視するための」


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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次話もよろしくお願いいたします。

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