第八十話「それぞれの強み」
二連休の一日目の朝。
俺たち五人は、学院の訓練場に集まっていた。
「今日は対人戦じゃないんだな」
同年代の中では大きく、制服越しにも肩幅の広さが分かるガレスが、腕を回しながら言う。
「まだ大会までは時間があるからね」
ルシアンが答えた。
「連携は、今後ほかの班にも声をかけて模擬戦をした方がいいと思う。僕たちだけで動いても、相手がどう崩してくるかまでは分からないから」
「じゃあ今日は?」
「まず、それぞれの得意なところを伸ばす」
そこでルシアンが俺を見る。
「レインにも、四人の魔法をじっくり見てもらいたい」
「俺?」
「授業だと、一人が同じ魔法を何度も使うところまでは見られないでしょ?」
「ああ」
言われてみれば、その通りだった。
ガレスたちの魔法を見たこと自体は何度もある。
けれど、そのほとんどは授業中だ。
教師から指定された魔法を使う。結果を確認する。次の学生に代わる。
一回の発動を最初から最後まで追い、さらに同じ魔法を何度も繰り返して差を比べるような見方はしてこなかった。
「何か気づいたら言えばいい?」
「うん。ただ、もし何か見つかっても、直し方までレイン一人で決めなくていいよ」
ルシアンが四人を見る。
「レインに見えるものと、本人が使っている時の感覚は別だからね。まず違いを見つけて、そこから一緒に試せばいい」
「分かった」
要項が配られたあの日、ルシアンは言っていた。
『課題を見た時に、取るか捨てるかすぐ決められるようにしたい』
今日の練習も、そのためなのだろう。
「なら俺からでいいか?」
ガレスが前に出た。
「身体も温まってるしな」
* * *
ガレスが選んだのは、中級土魔法の《岩壁》だった。
地面に魔力を流し、土と岩を圧し固めて防壁を立ち上げる。
授業でも何度か見たことがある。ガレスが得意としている魔法の一つで、壁そのものも安定している。
「いつも通りでいい?」
「うん。まず普通に」
「分かった」
ガレスが腰を落とし、両手を地面につく。
「大地よ、我が声に応えよ」
詠唱に合わせて、両腕を魔力が下りていく。
「重なり、固まり——」
掌から地面に流れ込んだ琥珀色の魔力が広がり、土と小石を巻き込みながら密度を増した。
「立ちはだかる壁となれ!」
地面が低く鳴った。
灰褐色の土がせり上がり、正面に一枚の壁を作る。
「どうだ?」
「綺麗」
「それだけか?」
「今のところ」
少し場所を変え、もう一度。
同じ詠唱から壁が立つ。
さらにもう一枚。
どれも高さや厚さに大きな違いはない。完成した壁だけなら、授業で見た時と同じだった。
「何もない?」
「まだ分からない。もう少し見たい」
「好きなだけ見てくれ」
それから、何度も同じ魔法を使ってもらった。
最初は全体を見る。
次は腕から地面に流れ込むところだけ。
その次は、地中に広がった魔力が壁の形を作るまでを追う。
何度か繰り返したところで、ほんの一瞬だけ引っかかった。
(今、右が早かった?)
見間違いかもしれない。
「もう一回」
「おう」
同じ詠唱が始まる。
今度は両腕だけを見る。
肩。
肘。
掌。
地面。
ほとんど同時。
でも。
右手の方が、本当にわずかに早い。
次は地面に入った直後だけを見る。
やっぱり右側の魔力が先に広がっていた。
ただし、完成した壁は真っ直ぐだ。
(途中で直してる?)
「まだやる?」
「うん。今度も何も気にせず、いつも通り」
「了解」
ガレスが笑って、もう一度詠唱する。
やっぱり右手から先に魔力が地面に入っている。
その差は、一回だけなら単なる揺れにしか見えないほど小さい。
でも地面に入った後、土壁を実際に構成する段階に入ると、その差が少し大きくなった。
右側が先に立ち上がる。
左側が遅れる。
そのままなら壁が僅かに傾くはずだ。
そこでガレスの魔力が中央に寄り、遅れた側に流れ直した。
壁が完成する頃には、ずれは消えている。
「分かった」
「何かあったか?」
「右手の方が、ほんの少し早い」
「右?」
「最初に地面に魔力を流す時。ほとんど同時だけど、毎回右が先」
ガレスが自分の両手を見る。
「そんなことしてるか?」
「多分、意識してない」
「全然分からん」
「その差が、壁を作り始めたところで少し大きくなってる。右側が先にできるから、途中で左側に合わせるように補正してる」
「……それも知らないぞ」
「うん。多分、無意識」
ガレスが目の前の壁を見る。
出来上がった形には、ほとんど何も残っていない。
一度や二度見ただけなら、俺も気づかなかった。
「右利きだからか?」
「そこまでは分からない。でも、同じところで何度もずれてる」
「それで何か困ってるのか?」
「壁はちゃんとできてる。ただ、最初にずらして、そのあと毎回戻してる」
「最初から揃えば、その分がいらなくなるのか」
「多分。今より少ない操作で同じ壁になると思う」
ガレスがもう一度両手を地面についた。
「じゃあ、左右同時に流す」
詠唱。
今度は、逆に左が先に入った。
「あ」
「左」
「駄目じゃねえか」
「意識しすぎたんじゃない?」
「もう一回」
次は右。
その次はかなり近い。
けれど、左右を揃えようとするほど、普段より魔力の流れそのものがぎこちなくなった。
ガレスが一度立ち上がる。
「今まで一つの動きでやってたのを、急に右と左で分けて考えてるからか?」
「ありそう」
「じゃあ、手のこと考えるのやめる」
「どうするの?」
「最初から壁だけ作るつもりでやる。ただ、壁を真っ直ぐ立てるのをもっと意識する。魔力の流れじゃなくて」
両腕を軽く振り、もう一度構える。
同じ詠唱。
魔力が流れた。
(あ)
今度は左右の差が、ほとんどなかった。
土も両側から揃って立ち上がる。
途中にあった補正も入らない。
そのまま一息に壁が完成した。
「今」
ガレスが立ち上がる。
「どうだった?」
「ほとんどずれてない」
「……これか」
「うん」
ガレスが壁に手をついた。
「何か、楽だったぞ」
「本当?」
「ああ。いつもは途中で形を押さえる感じがあって、そういうもんだと思ってたんだけど、今回はそれがなかった」
もう一度試す。
今度は、また僅かに右が先だった。
「戻った」
「一回だけかよ」
「でも、一回できたなら同じ状態にはできるはず」
「なら、練習する意味はあるな」
ガレスは両手を見比べた。
「こんなの、自分じゃ絶対分からなかったぞ」
「俺も時間かけて見なかったら分からなかった」
「授業じゃ無理だな」
「うん」
一枚の壁だけ見れば問題はない。
むしろ安定している。
それでも内部では、本人にも分からない補正を毎回入れていた。
それをなくせれば、同じ魔法をもっと楽に使える。
「次、私いい?」
赤い髪を揺らし、少しつり上がった眼を標的に向けながら、リネットが杖を持って前に出た。
* * *
リネットは三つの水弾を使うことにした。
以前の実技でも見た、風による軌道補正を加えるやり方だ。
「いつも通り三つでいい?」
「うん」
リネットが杖を構える。
「水よ、集いて弾となれ——《水弾》」
杖の前に水球が生まれ、それが三つに分かれた。
続けて、短く唱える。
「風よ、細く添いて、軌道を導け」
三つの水弾の周囲に、薄い白銀の魔力がまとわりつく。
発射。
一つ目は直進。
二つ目は途中で左。
三つ目は右に曲がり、それぞれ別の標的に当たった。
「どう?」
「もう一回」
「了解」
同じ二つの詠唱から、もう一度。
さらにもう一度。
どれも綺麗に当たる。
今度は、右に曲がる一発だけを最初から追った。
水弾が進む。
曲がる地点に入った。
周囲の風が右向きに動く。
そこまでは前にも見ている。
今日は、水弾そのものの内側まで見る。
(……こっちにも?)
風が右に押したのとほぼ同時。
水弾を構成している魔力にも、ほんの僅かな右向きの流れが入った。
その直後。
今度は左に、ごく小さな補正。
外から見た水弾は、最初から最後まで滑らかな弧を描いて標的に当たった。
「もう一回できる?」
「いいよ」
同じだった。
周囲の風で右に押す。
同時に、水弾そのものにも右方向の操作を加える。
二つが重なる。
必要なところより僅かに曲がりすぎる。
すぐに逆方向の小さな補正を入れる。
「リネット」
「見つかった?」
「右に曲げる時、風だけじゃなくて、水弾自体も右に動かしてる」
「……水弾も?」
「うん」
「そんなことしてるつもりないけど」
「一発だけでやってみよう」
三つではなく、一つだけ水弾を作ってもらう。
「右に曲げる時、何をしてる感じ?」
「何をって……右に曲げる」
「風を右に動かして、水弾を動かして、って分けてない?」
「分けてないわよ。『右に曲げる』で一つ」
「多分、それだ」
「何が?」
「リネットの中では一つの操作だけど、実際には二つやってる」
俺はさっきの軌道を指した。
「風で右に押してる。それと一緒に、水弾そのものにも右向きの魔力を流してる」
「二重に曲げてるってこと?」
「うん。だから少し行きすぎる」
「でもちゃんと当たってるでしょ?」
「そのあと左に戻してるから」
「……私が?」
「毎回」
リネットが黙った。
もう一度、一発だけ試す。
同じ詠唱。
発射。
右に曲がる。
最後に、小さく左に補正が入る。
「あ」
「分かった?」
「最後に戻してるのは分かった」
「最初の二重になってるところは?」
「……そっちは全然」
「じゃあ、水弾の方には横向きの操作を入れないつもりでやってみる?」
「やってみる」
そこから何度か試した。
最初は、水弾を動かさないことを意識するあまり風まで弱くなった。
次は、二重補正がそのまま残る。
その次は水弾側の右向きの流れを消せたのに、今までの癖で最後の左補正だけが入った。
「これ、思ったより難しいわね」
「ずっと一つの操作として覚えてたなら、分ける方が難しいのかも」
「そうみたい」
少し間を置いて、もう一度。
風だけが右に流れた。
水弾内部の魔力は前方を向いたまま。
最後の左補正もない。
一度だけ、綺麗な弧を描いて標的に当たった。
「今」
「できた?」
「うん。右に押して、そのまま当たった」
リネットはすぐもう一発試した。
今度は少し二重補正が戻る。
「まだ安定しないわね」
「でも一回できた」
「なら、まず一発で普通にできるようにする。三つに戻すのはそれからね」
そう決めると、リネットは杖を下ろした。
* * *
エミールが選んだのは、遠距離からの精密射撃だった。
離れた小さな標的に、同じ魔法を繰り返し当てる。
「いつものやつでいい?」
「うん」
長い黒髪の前髪が片方の眼にかかるエミールが、細身の杖を構えた。
「氷よ、凝りて弾となれ——《氷弾》」
杖先に、小さな氷弾が形成される。
表面は滑らかで、形にも目立った歪みはない。
射出。
遠くの標的、その中央近くに当たった。
同じ詠唱。
二発目もほぼ同じ場所。
三発目。
四発目。
「相変わらず当たるな」
ガレスが言う。
俺も最初は、特に直すところがないように見えた。
外形は綺麗だ。
形成にも目立った揺れがない。
さらに何発か撃ってもらい、今度は形成された直後の内部だけを見る。
(……何だ?)
形そのものは綺麗なのに、何か引っかかる。
「もう一回」
エミールが唱える。
「氷よ、凝りて弾となれ——《氷弾》」
杖先に形成された氷弾を見る。
外側の中心。
その内側で、最も魔力密度が高い部分。
(ずれてる)
ほんの数ミリ。
外から氷弾の形だけを見ても、まず分からない。
射出直後にも、目立った影響はない。
けれど、遠くまで飛んでいくところを追うと、内部の密度が高い側に引かれるように軌道が少しずつ傾いている。
そして、そのたびに別の小さな魔力が入った。
(補正してる)
エミールが飛翔中に直している。
だから最終的には中央に当たる。
「エミール」
「何?」
「形は綺麗なんだけど、軸がほんの少しずれてる」
「軸?」
「外側の中心と、中で一番魔力が濃いところが一致してない。少しだけ横に寄ってる」
「どのくらい?」
「数ミリくらい」
ガレスがこっちを見る。
「数ミリって」
「何回も見て、やっと分かった」
エミールは標的ではなく、自分の杖先を見る。
「それで、飛んでる途中に曲がってる?」
「少しずつ。エミールがそのたび直してるから、結果的には当たってる」
「形成の時点で魔力の中心を合わせれば、途中で直す必要がなくなる?」
「多分。ただ、どう合わせるのがやりやすいかは俺には分からない」
「やってみる」
同じ《氷弾》。
最初は中心を意識したせいで、今度は外形の方が僅かに崩れた。
次は外形が戻ったが、内部の偏りも戻る。
エミールは余計なことを言わず、そのたび杖先を見て、また唱えた。
何度か続けたうち、一発だけ。
外形の中心と、内部で最も密度の高いところがほぼ重なった。
「今、合ってる」
エミールがそのまま放つ。
飛ぶ。
今までなら途中で何度か入っていた細かな補正がない。
それでも標的の中央近くに当たった。
「今のは?」
「ほとんどずれてない」
「確かに、途中で直さなくてよかった」
「近い距離なら、今まででもほとんど差は出ないと思う」
「遠くなるほど大きくなる」
「うん」
「なら、長距離を伸ばすなら先にここを直す」
エミールはそれ以上無理に撃たず、さっきの形成時の感覚を確かめていた。
外から見たら、最初から十分に上手い。
だからこそ、授業で数発見ただけでは分からなかった。
最後はルシアンだ。
* * *
「僕はどうしようか」
「《風弾》でいいんじゃない?」
「そうしようか」
ルシアンが杖を構える。
「風よ、集いて弾となれ!」
杖先に白銀の魔力が集まり、圧縮される。
《風弾》が放たれ、標的に当たった。
もう一発。
さらに何度か。
魔力を集めるところ。
圧縮するところ。
射出する瞬間。
見る場所を変えながら追ってみる。
けれど、ガレスたちにあったような小さな癖がなかなか見つからない。
魔力の集まり方にも偏りがない。
圧縮された輪郭も安定している。
発動のたびにほんの僅かな違いはあるものの、同じ場所に繰り返し現れるような癖ではなかった。
「ルシアン、本当に変な癖がないね」
「そう? なら、出力を上げてみようか」
「うん」
同じ《風弾》を、少しずつ強くしていく。
普段より一段上。
まだ問題ない。
さらに上。
標的に当たる音が強くなる。
それでも、圧縮された魔力の輪郭は崩れない。
「まだ大丈夫」
「じゃあ次」
同じ詠唱。
さらに出力を上げる。
「まだ」
「結構いけるね」
「うん。思ってたよりずっと高い」
また一段。
かなり高い出力になったところで。
(今)
圧縮された魔力の外側が揺れた。
「出た」
ルシアンが杖を下ろす。
「どこ?」
「圧縮。初めて外側が少し揺れた」
「発動には影響してた?」
「ほとんどしてない。でも、いままでの出力では揺れは出てなかった」
「じゃあ、もう一回同じで」
同じ詠唱、同じ出力。
やはり小さな揺れが出る。
今度は一段落とす。
消えた。
「なら、この間が今の境目だね」
「ルシアンの場合、変な癖を直す感じじゃないな」
「そうだね」
ルシアンは杖を見た。
「今後は、ブレが出ない出力の上限を少しずつ上げる。まずは今の一段下を、余裕を持って何度でも再現できるようにする」
「次に見るとき、今日と比べるよ」
「お願いする」
四人とも、見つかったものは全然違った。
完成した壁には残らない、ガレスの一瞬の左右差。
リネット自身は一つだと思っていた操作に混ざっていた、二重の軌道補正。
外形からは分からない、エミールの氷弾内部の偏り。
ルシアンには普段の出力で目立った癖がなく、代わりに安定したまま扱える上限が見つかった。
俺の眼があれば、本人にも見えない違いを見つけることはできる。
でも、それだけで改善方法まで決まるわけではない。
ガレスが壁を作る時の感覚も。
リネットにとっての「右に曲げる」が、どんな一つの動作として身についているのかも。
エミールが今までどんな感覚で飛翔中のずれを直していたのかも。
俺には見えない。
見える俺と、実際に使っている本人。
両方の情報がなければ、その先には進めない。
「今日はここまでにしようか」
ルシアンが言った。
「次は模擬戦だよな?」
ガレスが聞く。
「うん。何班か声をかけてみる」
「今日みたいなのも必要だけど、実際に相手が動いたら別だもんな」
「そういうこと」
俺たちは訓練を終え、昼を食べるために食堂に向かった。
* * *
訓練場から食堂に続く道を歩いていると、前から二人の女子生徒が来た。
淡い金髪が見えた時点で、すぐに分かった。
(リリィだ)
隣にはエマもいる。
「あ、レイン君」
「リリィ。エマも」
「こんにちは」
ルシアンも二人に挨拶する。
ガレス、リネット、エミールと二人は初対面だ。
「同じ班のガレス、リネット、エミール」
三人を順番に示す。
「こっちは治癒魔法科のリリィとエマ」
「よろしく」
ガレスが言い、リネットとエミールもそれぞれ挨拶した。
リリィとエマも名前を名乗る。
それで別れるはずだった。
ふと、リリィと目が合った。
「……」
明日。
真っ先にそれが浮かぶ。
約束した時は普通に話していたのに、前日になって顔を見ると、あの時より意識してしまう。
「今日、練習だったんだね」
リリィが先に言った。
「うん。今終わったところ」
「どうだった?」
「面白かったよ。授業じゃ分からなかったみんなの癖がいくつか見つかって」
「レイン君が魔力を見て?」
「うん。何回も同じ魔法を見て、やっと分かるくらいのやつ」
「へえ。あとで聞きたいかも」
「うん」
その横で、エマがリリィを見る。
「リリィ、この休日の課題終わってる?」
「あと少し」
「じゃあ今日中にやらないとね。明日に残したら困るでしょ」
「……分かってるから」
「私、何も言ってないよ?」
リリィがエマを見る。
エマは平然としていた。
「じゃあ、私たち行くね」
「うん」
二人が歩き出す。
少し進んだところで、リリィだけが振り返った。
「レイン君、また明日ね」
「うん。また明日」
リリィはエマの隣に戻り、そのまま歩いていった。
俺も食堂に向かう。
横を見ると、リネットと目が合った。
何も言われていないのに、なぜか楽しそうだ。
ガレスも俺を一度見た。
エミールまで口元を僅かに緩めている。
多分、何か気づかれた。
* * *
料理を受け取り、五人で席についた。
食べ始めて少ししたところで、ガレスが聞く。
「明日、リリィと出かけるのか?」
「うん。帝都に」
「二人で?」
「そうだけど」
「じゃあデートじゃん」
「俺もそう思ってる」
ガレスの手が止まった。
「思ってるんだな」
「うん」
今度はリネットがにやりと笑った。
「最初からデートのつもり?」
「いや。最初は魔導具店に行く話だったから」
「それがどうして」
「一緒に食事して、甘いもの食べて、店も回る話になって……」
「あらあら」
「からかわないでよ」
すると、エミールが料理を食べながら口を挟む。
「それでさっき、二人とも少し変だったのか」
「変だった?」
「話す前に間があった」
自分では分からなかった。
「エマには完全に気づかれてるわね」
リネットが言う。
それは多分そうだ。
「明日の服は決めたの?」
「まだ」
「決めてないの?」
「考えてはいる。でも何を着ればいいか分からない」
ガレスが迷わず隣を見る。
「ルシアンに聞けば?」
「僕?」
「俺やエミールよりは絶対分かるだろ」
「その比較ならね」
俺もルシアンを見る。
「夜、相談していい?」
「いいよ。実物を見た方が早いだろうし」
「ありがとう。助かる」
それで話題は自然に今日の練習に戻った。
ガレスは、左右を揃えようとすると逆にずれるのがまだ気になるらしい。
リネットは午後に水弾一つからやり直すと言った。
エミールは、射出せず形成だけなら寮の練習室でも確認できる。
次に見る時、今日とどう変わっているのか。
そっちも楽しみだった。
* * *
夜。
寮の部屋で棚を開ける。
休日に着られそうな服を何着かベッドの上に置くと、向かいで本を読んでいたルシアンが立ち上がった。
「それで全部?」
「うん」
「結構少ないね」
「普段ほとんど制服だから」
「まあ、分かるけど」
茶色の髪の下で、ルシアンの緑の瞳が並べた服を順に見ていく。
「別に変な服はないよ」
「じゃあどれでもいい?」
「ちょっと待って。どうしてすぐそうなるの?」
「変じゃないならいいかなって」
「明日、リリィと帝都を歩くんでしょ?」
「うん」
「なら、まず清潔感を見ないと。皺のない服を着る。靴を綺麗にしておく。髪も普段より少し整える。そのうえで、自分に合うものを選ぶ」
「清潔感……これとかどうかな?」
一着を身体に当て、鏡を見る。
「悪くないね」
ルシアンが言う。
服を戻す。
別の上着を取る。
「これは?」
「いい感じ」
「こっちは?」
「それも合うと思う」
「どっち?」
「そこは自分で決めて」
「そこまで見てくれないの?」
ルシアンが笑う。
「僕が上から下まで全部選んだら、レインが明日のために考えて選んだ格好じゃなくなるでしょ」
「……たしかに」
「合わない組み合わせは言うから、それ以外の中から最後は自分で選べばいいよ」
何通りか合わせる。
色が重くなりすぎるものは外す。
少し硬すぎるものも戻す。
最後に残ったものを見比べ、自分で一式を決めた。
「それにする?」
「うん」
「なら次は髪かな」
鏡の前に立つ。
「せっかくだし、前髪分けてみたら?」
「えっと。こう?」
「もう少し中央」
言われた通りに触る。
一度崩して、もう一度。
「……これくらいかな」
「いいね。似合ってるよ」
「じゃあこれで行く」
鏡から離れようとすると、ルシアンの視線が俺の手元で止まった。
「ついでに爪も整えておいたら?」
「長い?」
「長くはないけど、右だけ少し不揃い」
自分で見る。
確かに、何本か端が揃っていない。
「そんなところまで気にするの?」
「物を渡したり、食事したりしたら普通に見えるからね」
「なるほど」
机から爪を整える道具を出したところで、棚の奥に置いてあるいくつかの小さな瓶が目に入った。
「あ」
「今度は何?」
「香水」
「持ってるの?」
「母様から持たされた」
何本か取り出す。
ルシアンが一本ずつ確認した。
「使うなら薄くでいいよ。近くに来た時に分かるくらい」
あの日、中庭でリリィの隣に座った時のことを思い出した。
甘いミルクのような香り。
風が吹いた時に、ふっと届いた。
「強い香りじゃなくていいんだ」
「さりげないくらいがちょうどいいでしょ」
「それもそうか」
服。
髪。
靴。
爪。
香り。
(ここまで決めれば大丈夫そうかな)
そう思ったのに、今度は別のことが気になった。
「……ルシアン」
「まだある?」
「明日、何話せばいいかな?」
一瞬、ルシアンが黙る。
「そこも決めるの?」
「一日もあるんだよ。途中で話すことなくなったらどうしよう」
「この前も二人で昼食べながら普通に話してたんでしょ?」
「それはそうだけど」
「なら、そのままでいいと思うよ」
ルシアンは椅子に戻った。
「リリィは食べるの好きだし。店を回るなら、食べ物の話は勝手に出るんじゃない?」
「食べるのが好きなのは知ってる」
「特に甘いものはかなり好きだよ」
「そうなの?」
「食堂でもよく選んでるしね」
「……そこまで見てなかった」
「明日聞けばいいじゃない」
「うん」
「それに帝都はリリィの方が詳しい。分からない場所なら普通に聞けばいい」
「俺が案内しなくてもいいの?」
「帝都の店、分かるの?」
「……ほとんど分からない」
「じゃあ案内しようとしない方がいい」
「うん」
学院の初日に迷ったことまで知られている。
帝都育ちのリリィを相手に、今さら詳しいふりをしても仕方ないけど。
折角なら、自分でエスコートしたかった気持ちもある。
「魔法の話はやめたほうがいい?」
「なんで? していいでしょ」
「いいの?」
「レインから魔法の話を取ったら、その方が不自然だよ」
少し安心する。
「ただ、リリィが別の話をしたそうなら、そこで切り替えればいい」
「分かった」
また考える。
「あ」
ルシアンが本に伸ばしかけた手を止めた。
「……今度は何が気になるの?」
「お金は、どのくらい持っていけばいい?」
「途中で足りなくなるより、多めに持っていけば?」
「俺が払う?」
「何を?」
「食事とか」
「最初から全部払うって決めなくていいと思うよ」
「でも俺から誘ったし」
「リリィからも誘われたんでしょ?」
「そっか」
「忘れてた?」
「忘れてはないけど」
「なら、リリィが自分で払うつもりなら無理に止めなくていいし、レインが何か出したいなら、その時に言えばいい」
「その時に決める?」
「そう」
「……難しいよ」
ルシアンがしばらく俺を見る。
「レイン」
「何?」
「さっきから、全部先に正解を決めようとしてない?」
止まる。
服。
髪。
香り。
話題。
支払い。
言われてみれば、全部同じだった。
どうすれば失敗しないか。
何を選べば正しいのか。
明日になる前に、答えを決めようとしている。
「……してるかも」
「明日何が起きるか分からないのに、全部は決められないよ」
「そうだけど……ルシアンはこういうの平気そうで羨ましい」
「こういうのって?」
「女の子と出かけるの」
「僕が恋愛に慣れてると思ってる?」
「俺よりは」
「その比較なら大抵の人が勝てそうだけど」
「そんなに?」
「少なくとも、出かける約束をしてる最中に、それがデートだと気づいてなかった人よりは」
「うっ」
否定できない。
「僕は家の付き合いが多いから、学院に来る前から同年代と出かける機会はそれなりにあったよ。男子だけってわけでもないし」
「ああ」
三大公爵家のメルヴィン家。
ルシアン自身も人付き合いが広い。
学院に入ってからだけでも、廊下や食堂で俺の知らない学生から声をかけられているところを何度も見た。
「じゃあ、付き合ったりも?」
「それとは別だよ」
ルシアンはあっさり否定する。
「むしろ僕の家だと、誰かと大っぴらに付き合えば、周りが家同士の意味まで考え始めるから」
「面倒そう」
「かなりね。だから恋愛に慣れてるわけじゃない。ただ、一緒に食事したり出かけたりすることには、レインより慣れてるだけ」
「それだけ経験あれば十分だよ」
俺は、明日着るために残した服を見る。
「……ほんとにこれで大丈夫かな」
「また聞いてる」
「あ」
ルシアンが俺を見る。
「レインが決めたなら、いいと思うよ」
「そういうもの?」
「リリィが本当は何を着てほしいかなんて、僕にも分からない」
ルシアンも服を見る。
「でも、普段こういうことをほとんど気にしないレインが、明日のためにここまで考えて選んだんでしょ」
「うん」
「だったら、それで喜んでくれるんじゃない?」
俺も服を見る。
最初は、一番正しい服を知りたかった。
結局ルシアンは、最後の答えまでは選ばなかった。
おかしくならないところまで教えて、あとは自分で決めろと言った。
多分、その方がいいのだと、今なら思える。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ルシアンはようやく本を開いた。
俺も明日持っていくものを確認する。
財布。
ハンカチ。
待ち合わせの時間。
もう一度だけ確認して、鞄を閉じる。
「レイン」
「何?」
本から目を上げないまま、ルシアンが言った。
「まだ一回目のデートだからね」
「……分かってる」
「明日一日で何か決めないといけないわけでもないし、そんなに浮き足立たなくてもいいと思うよ」
「……」
少し考える。
「それもそうか」
「うん」
明日は、リリィと帝都に出かける。
まずは、それだけだ。
そう考えると、さっきまでより少し簡単に思えた。
それでも、明日着ていく服だけは皺にならないよう、きちんと掛け直しておいた。
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