↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
76/94

第七十三話「正しくいられる場所」

 三日後。


 昼休みに食堂に向かっていると、掲示板の前に人だかりができていた。


「何だ、あれ」


 ガレスが足を止める。


 ちょうど人の輪から抜けてきた学生が、友人に声をかけていた。


「特別選抜の回答、出てるぞ」


「もう?」


 それを聞いて、俺たちも掲示板に近づいた。


 一年生だけじゃない。上級生の姿も混じっている。


「見えねえな」


 ガレスが人の向こうを覗く。


「少し待てばいいでしょ」


 とリネット。


 何人かが読み終えて離れたところで、前まで進む。


 学院の印が押された紙。


 題名は、


『特別選抜制度に関する学生意見書への回答』


 だった。


 特別選抜は、通常の入学試験や教育課程だけでは適切に評価、あるいは育成することが難しい能力、技術、実績を持つ者を対象とする制度。


 最初にそう書かれている。


 その下には、例も挙げられていた。


 特殊な知覚能力。


 年齢に比して高度な魔力制御。


 通常とは異なる魔法発動技術。


 研究成果や製作物。


 実地での活動記録。


 ただし、どれか一つを持っていれば選ばれるわけではない。


 学院教員や関係機関による視察、提出された記録、必要に応じた実技確認。それらを合わせて総合的に審査する。


「こんなにあるのか」


 ガレスが呟いた。


「共通の試験をやる制度じゃないのね」


 リネットがその先を読む。


 通常入試との違いについても、はっきり書かれていた。


 通常入試は、学院で学ぶために必要な基礎能力と知識を、共通の試験によって評価する。


 特別選抜は、その方法では十分に評価できないものを別の方法で審査する。


「じゃあ、入試で上だから特別選抜になるって話じゃなかったんだな」


 近くにいた男子学生が言った。


「そもそも見るものが違うって書いてあるものね」


 隣の学生が返す。


 その時、


「ヴァレリウス」


 少し離れたところから声が上がった。


 アルドリックも掲示を見に来ていた。


「お前が通常入試だったのも、そういうことなのか?」


 アルドリックが紙から目を離す。


「そういうこと、とは?」


「首席でも特別選抜じゃなかっただろ。普通の試験で評価できるなら、そっちを受けるってことなのかと思って」


「学院の回答を読む限りでは、そうなるだろうな」


 聞いた学生がもう一度掲示を見る。


「特別選抜の方が上とか、そういう話でもないのか」


「別の制度なんだから、比べても仕方ないだろう」


 アルドリックはそれだけ言って、また文章を読み始めた。


 数日前までなら。


 ここで、アルドリックが俺に勝ったことを持ち出す声が出ていたかもしれない。


 今は誰も言わなかった。


 その先には、公開できる情報について書かれていた。


 審査には、本人の能力、研究内容、技術、活動記録などが含まれる。


 中には未公開の研究や、知られることで本人に不利益が生じる情報もある。


 そのため、個人の選考資料については原則として公開しない。


 一方で。


 制度そのものについての説明が不足していたことは、学院も認める。


 今後配布する入学案内には、特別選抜の対象、通常入試との違い、審査方法の概要を追加する。


「……本当に変えるんだ」


 思わず口に出た。


「そうみたいだね」


 隣でルシアンが言う。


 もっと曖昧な返事になると思っていた。


 学院が適切に判断している。


 それだけで終わる可能性だってあったはずだ。


 でも、案内そのものを変えると書いてある。


「エヴァンはどこだ?」


 ガレスが周囲を見る。


「あっち」


 エミールが掲示板の端を示した。


 エヴァンは、少し離れたところで何人かの学生に囲まれていた。


「今日出るって知ってたの?」


「いや。受理したって連絡は来てたけど、回答の日までは聞いてない」


「草案はエヴァンが書いたんだよな?」


「ああ。出す前に何人かには読んでもらった」


「上級生も署名してたって本当?」


「本当だ」


 聞かれたことに、一つずつ丁寧に答えている。


 一組の男子学生が掲示板を振り返った。


「学院が案内まで変えるとは思わなかったな」


「俺もだ」


 エヴァンが答える。


「でも、意見書がきっかけだろ。流石だな」


「俺一人で出したわけじゃない」


「それは分かってるよ」


 男子学生はそう返して、もう一度掲示を見た。


 そこに別の学生が入ってくる。


「エヴァン。意見書って、他のことでも出せるのか?」


「学院運営に関することなら」


「授業のことでも?」


「内容による。規定に書いてある」


「どこ?」


「学生意見書の項目。詳細版の方だ」


「持ってる?」


「ああ」


「今度貸してくれないか」


「売店で買える。これからも使うなら、自分で持ってた方がいい」


「……分かった。買うよ」


 それで終わるかと思ったら、その横から今度は提出方法を聞かれている。


 エヴァンはまた答え始めた。


「すっかり聞かれる側になってんな」


 ガレスが言った。


「本人はそうなるつもりなかったでしょうけどね」


 リネットが返す。


 ルシアンは何も言わなかった。


 ただ、学生に囲まれているエヴァンを見ていた。


 数日前まで。


 エヴァンの周りに人が集まる時は、特別選抜について話すためだった。


 今は違う。


 意見書の出し方。


 学院の規定。


 回答の内容。


 そんなことを聞かれている。


 気づけば、ルシアンはもう食堂の方を向いていた。


「行こうか。昼休み終わるよ」


「うん」


 俺も歩き出した。


 * * *


 午後の授業が終わった。


 教室を出たところで、後ろから呼ばれた。


「アストリア」


 振り返る。


 エヴァンだった。


「少しいいか」


「いいけど」


 ルシアンたちには先に帰ってもらった。


 学生が行き交う廊下で待っていると、少しして人が減ってくる。


 エヴァンが口を開いた。


「この前のことだが」


「意見書?」


「ああ」


 エヴァンはまっすぐに俺の眼を見た。


「制度について学院に聞いたことは、今でも間違ってなかったと思ってる。意見書を出したことも後悔してない」


「うん」


「そこは変わらない」


「じゃあ、何?」


 エヴァンは手に持っていた入試要項を見た。


「俺、通常入試で十位だったんだ」


「ルシアンから聞いた」


「そうか」


 一拍。


「上位十人なら学費の一部が免除される。俺にはそれが必要だった」


 そこで初めて、何を話そうとしているのか分かった気がした。


「十一位だったら、かなり困ってた?」


「ああ」


 エヴァンはすぐに答えた。


「俺は平民出身だ。家族には大変な負担をかけた。入試までずっと勉強して、受かるかどうかも気にして、その上で十位以内に入れるかも考えてた」


「……うん」


「だから、お前が通常入試を受けてないって聞いた時、引っかかった」


 エヴァンが俺を見る。


「別の審査を受けてることは頭では分かってた。何もせず入ったと思ったわけじゃない」


 そこで言葉が止まった。


「……羨ましかったんだと思う」


「俺が?」


「ああ」


「……そっか」


「俺はあの試験のことで何か月も頭がいっぱいだった。それを、お前は受けてない」


 手に持った要項の端を指で押さえる。


「制度の説明が足りないと思ったのは本当だ。でも、多分、それだけならあそこまで気にしてなかった」


 エヴァンは言い切ってから、


「悪かった」


 と続けた。


「何が?」


「感情が混ざってたことだよ」


「でも、それで俺が不正したって言ったわけじゃない」


「言ってない」


「セレナ先生のことも止めてた」


「あれは根拠がなかったからだ」


「じゃあ別に——」


「俺が謝りたいんだ」


 言葉を重ねられて、止まる。


 エヴァンは俺を見ていた。


「制度の話は撤回しない。でも、自分の感情が混ざってたのも事実だ。それは言っておきたかった」


「……分かった」


「ああ」


 それで話は終わったらしい。


 エヴァンが帰ろうとする。


 ただ。


 二歩ほど進んだところで止まった。


「もう一ついいか」


「何?」


「この前の輸送の課題」


 一組と三組の合同授業。


 橋が使えなくなった時の物資輸送を考えたやつだ。


「先生が条件を訂正した後、お前、全部は計算し直してなかっただろ」


「うん。影響するところだけ直した」


「やっぱりそうか」


「エヴァンは最初からやり直してたよね」


「ああ」


 それは覚えている。


 それまで書いていたものに一本線を引いて、次のページから全部やり直していた。


「俺のやり方だと、条件が変わったら最初から確認した方が早い。でも、お前は違った」


「前の計算でそのまま使えるところが多かったから」


「今度、見せてくれないか」


「課題?」


「どこを残して、どこだけ直したのか」


「いいよ」


「じゃあ、また授業の時に」


「うん」


 エヴァンは今度こそ廊下を歩いていった。


 次に話しかけられても、もう身構えることはなさそうだった。


 * * *


 夜。


 風呂を済ませて部屋に戻ると、ルシアンが机で本を開いていた。


 見覚えのある表紙。


「まだ詳細規定読んでるの?」


「今回のところだけね」


「もう終わったのに?」


「終わったから見てるんだよ」


「何で?」


「規定に書いてあることが、実際にはどう処理されるのか分かったから。次に読む時はその方が分かりやすい」


「また使う気なの?」


「使わなくても、知ってて困らないしね」


 ルシアンがページをめくる。


 俺はベッドに腰を下ろした。


「今日、エヴァンと話した」


「そうなんだ」


「謝られた」


 そこでルシアンが本から目を上げた。


「何を?」


「俺が通常入試を受けてないの、羨ましかったって。特別選抜の議論のときは、その感情も混ざってたって」


 ルシアンは驚かなかった。


「……やっぱり分かってた?」


「推測だけどね」


 本を閉じる。


「そういう感情も混ざってるとは思ってた」


「......何で分かったの?」


「入学式の日に話した時から、エヴァンは順位と奨学金の条件をかなり気にしてたから。今回も、制度の基準だけじゃなくて、『普通の学生は通常入試を受けてる』って何度か言ってたしね」


 言われて思い出す。


 確かに。


 エヴァンはそこに何度も戻っていた。


「制度への関心だけじゃなかった」


「そう。多分、両方あった」


 ルシアンが答える。


「エヴァンは、自分が頑張って十位に入ったことを大事にしてる。だから、その試験を受けずに入ってきたレインを、何とも思わずにいられるほど割り切れない」


「うん」


「でも、だからって、自分に都合がいい話なら何でも肯定する人でもない」


 セレナの噂を止めた時のエヴァンを思い出した。


「正義感が強いんだと思う」


 ルシアンが言う。


「レインが羨ましい。それでも、根拠のないことを事実みたいに扱うのは嫌う。その二つが同時にある」


 そこで、思い出した。


「あの時、ルシアンは途中までずっと黙ってたよね」


「うん」


「最初から近くにいたのに」


「待ってたからね」


「何を?」


「制度に疑問を持ってる側から、誰を前に出せるか見てた」


「前に?」


「もし学院に話を持っていくなら、レインの友達が動くより、元々制度に疑問を持ってた側の学生が動いた方がいい。でも、誰でもいいわけじゃない」


 ルシアンはそのまま続ける。


「レイン個人を嫌ってる人なら、制度じゃなくてレインを攻撃する話になる。噂と事実を分けられない人も駄目。逆に、制度には疑問があっても、自分から動くほど気にしてない人を前に出しても続かない」


「エヴァンは違った?」


「要項をかなり調べてた。通常入試との違いをずっと気にしてたし、話も自分から続けてた。だから候補にはしてた」


「候補」


「でも、それだけじゃまだ足りなかった」


「何が?」


「レイン個人と制度を、本当に分けられるか」


 すぐに思い当たった。


「……セレナ先生の話?」


「うん」


 あの時。


 セレナが審査に関わったんじゃないかという声が出た。


 エヴァンは、それを止めた。


『根拠がない』


 と言って。


「エヴァンにとっては、あの噂に乗る方が楽だったと思うよ」


「何で?」


「レインが不正な方法で入ったことにできれば、自分がレインを気にしてることにも、一見正当な理由をつけられるから」


「……」


「でも、エヴァンは乗らなかった。自分にとって都合がいいかどうかより、根拠があるかを優先した」


 ルシアンの口調は変わらない。


「あそこで、エヴァンは自分から示したんだよ。レインを攻撃したいから制度に文句を言ってるわけじゃないって」


「だから、あの時に入ったの?」


「うん」


「『エヴァンの言ってること、正しいと思うよ』って?」


「そう」


 あの一言。


 あの時は、ルシアンまで向こう側についたようにしか聞こえなかった。


「……最初から、エヴァンを代表にするつもりだった?」


「制度に疑問を持ってる側から誰かを出すなら、一番向いてるとは思ってた」


「だから黙って見てた」


「ちゃんと任せられるか分かるまではね」


 思っていたより前から。


 ルシアンはエヴァンを見ていたらしい。


「じゃあ、その後の質問も?」


「答えそのものを知りたくて聞いたわけじゃないよ」


「レインが不正したと思うか。セレナ教授が審査を曲げたと思うか。レインを退学させたいか。特別選抜をなくしたいか」


 ルシアンが、あの時の質問を順番に挙げる。


「どう答えるかは分かってた」


「じゃあ、何でわざわざ聞いたの?」


「エヴァン自身に、人前で答えてもらうため」


 すぐには意味が分からなかった。


「レインが不正したとは思わない。ミレイユ教授については証拠がない。レインを退学させたいわけでもない。制度をなくしたいわけでもない」


「うん」


「あそこまで自分で言った後に、根拠もなく『やっぱりレインが怪しい』とは言いにくい」


「……」


「ましてエヴァンは、自分の言ってることに筋が通ってるかを気にする。そこで話を変えたら、自分が今まで真面目に制度を調べてきたことまで疑われる」


 ようやく分かった。


「最初に、エヴァンが俺を攻撃する道を閉じた?」


「正確には、根拠のない疑いを使ってレインを攻撃する道を、エヴァン自身に閉じてもらった、かな」


 俺が試験を受けていないことに対する羨ましさまで消したわけじゃない。


 今日、本人から聞いたばかりだ。


 でも。


 あの場でエヴァンは、自分の口で線を引いた。


 そこから外れれば、エヴァン自身がそれまでの自分と矛盾する。


「でも、制度についての疑問は残った」


「そこは消す必要がなかったからね」


「じゃあ、そっちは?」


「行き先を作った」


「……意見書か」


「うん」


 そこで。


 あの時の流れが違って見えた。


 ルシアンはエヴァンを黙らせたんじゃない。


 エヴァンの中にあった二つのもののうち。


 俺に対する個人的な感情は、根拠のない攻撃には使えないようにした。


 制度についての疑問には、学院に正式に持っていける場所を用意した。


 片方の道を閉じて。


 もう片方には、進みやすい道を作った。


「エヴァンって、学院に文句を言いたかったわけじゃないでしょ?」


「うん」


「制度が分からないから、ちゃんと答えてほしかった」


「そうだね」


「だから、意見書ならやる」


「少なくとも、ただ廊下でレインに言い続けるより、本人の性格には合ってると思った」


 ルシアンは続ける。


「真面目で、調べるのを面倒がらない。自分が納得できないことは放っておけない。でも、根拠のないことは使わない」


「正義感が強い」


「うん」


「それで、自分は入試を頑張った」


「だから、制度についての疑問も簡単には消せない」


 ルシアンが答える。


「『気にするな』って言ったところで無理だよ。本人にとっては、自分がかなり頑張って通った学院に、何を基準に選んだのか分からない学生がいるんだから」


 当たり前だ。


「頭では別の審査があったって分かってても、そこで全部割り切れるなら、最初からあそこまで要項を調べてない」


「でも、不正ってことにもできない」


「エヴァン自身が、それを許さないからね」


 そこまで聞いて。


 昼の掲示板が頭に浮かんだ。


 学生たちの真ん中にいたエヴァン。


「だから、エヴァンに書かせたの?」


「書かせたわけじゃないよ」


 ルシアンは否定した。


「意見書があることを出して、誰が書くかって話になった時にエヴァンを推した。断るなら、別の人にするつもりだった」


「でも、断らないと思ってた?」


「おそらくは」


 すぐに答えた。


「本人が一番知りたがってたから。それに、自分の疑問を正式な形で学院に出せるなら、エヴァンにとって悪い話じゃない」


「しかも、セレナ先生の噂を止めた後」


「そこも大きい」


 ルシアンが言う。


「レインに対する根拠のない疑いを自分で切った直後のエヴァンが、制度についてだけ意見書を書く。そうすれば、少なくとも『レインを嫌ってるからやってるだけ』とは見えにくい」


「……」


「それに、レインの友達が制度を擁護するために出すより、制度に疑問を持ってた本人が出す方がいい」


 ガレスでもない。


 リネットでもない。


 ルシアンでもない。


 特別選抜に疑問を持っていた側のエヴァン。


「ガレスは、制度に興味ないからね。僕が書けばレインと同室だし、君を庇ってるように見える。リアでも制度については書けるけど、最初から問題を追ってたわけじゃない」


「エヴァンなら」


「制度に疑問を持っていた側から、その制度だけを問題にする代表になれる」


 代表。


 その言葉で、昨日までの流れが一つに繋がった。


「……だから、ルシアンはあの時まで黙ってたんだ」


「うん」


「エヴァンが使えるタイミングを待ってた」


「だから、使うって言い方は」


「でもそうじゃん」


 ルシアンが少し困ったように俺を見る。


「本人がやりたくないことをさせたわけじゃないよ」


「分かってる」


 それが、余計に変な感じだった。


 誰も無理に動かされていない。


 エヴァンは自分が正しいと思ったから意見書を書いた。


 ガレスは俺の話を終わらせたかったから、制度の話を学院に持っていくことに賛成した。


 リアは個人情報と制度を分けたかった。


 アルドリックは、制度について疑問を持つこと自体はおかしくないと思っていた。


 全員が自分の理由で動いた。


 それなのに。


 最後には、ルシアンが用意した意見書という場所に集まっていた。


「今日、みんなエヴァンに聞いてた」


「見てたよ」


「意見書のことだけじゃなくて、規定のことまで」


「うん」


「そこまで考えて、エヴァンを前に出したの?」


「今日みたいになるところまでは考えてないよ」


 ルシアンはすぐに否定した。


「学院がどう答えるかも分からなかったし、周りがエヴァンをどう見るかまでは決められない。ただ、意見書が通れば、エヴァンが自分で学院に問題を出して、何かを動かしたという事実は残るとは思ってた」


「それは、エヴァンのため?」


 ルシアンは少し考えた。


「そうなればいいとは思ってた」


「何で?」


「レインに対する疑いだけ止めても、エヴァンがレインを羨ましいと思ってることは消えないから」


 今日、本人から聞いた言葉を思い出す。


「自分は何か月も入試のために勉強して、十位まで取った。それくらい大事だったものを、レインは通ってない。そこは僕が何を言っても変わらない」


「うん」


「だから、その感情まで無理に否定させるつもりはなかった」


「エヴァンが本当に正しいと思ってる方で、自分から動けるようにしたかった」


 ルシアンが答える。


「制度の説明が足りないと思うなら、学院に聞く。自分で調べて、自分で文章を書いて、署名を集めて、正式に出す。それで学院が答えれば、少なくとも『自分は何もできなかった』では終わらない」


「それでああなった」


「そこは結果だね」


 ルシアンはそう言った。


「でも、エヴァンにはあっちの方が合ってると思ったよ。誰かにレインは悪くないって言われて終わるより、自分が正しいと思ったことを、自分で最後までやる方が」


「自分が頑張ったことを、自分で認められるから?」


「多分ね」


 ルシアンは断定しなかった。


「十位だったこともそうなんだと思う。エヴァンは、自分が努力して取ったものを大事にする。その分、それを簡単に飛び越えたように見える相手を無視できない」


「俺か」


「うん」


「でも、俺を悪者にするのも嫌だった」


「嫌というより、自分がそれを許せないんじゃないかな」


「正しくないから?」


「根拠がないからね」


 ルシアンが言う。


「正義感が強くて、その上、かなり真面目なんだと思う。自分に都合がいいからって、間違ってると思うものを使えない」


 そのエヴァンに。


 個人的な羨望を使いにくくさせて、制度についての疑問だけが進める場所を作った。


 ルシアンは、机の上の詳細規定に指を置いた。


「正しくありたい人には、正しくいられる場所を作ればいい」


 それだけ言ってから、続ける。


「無理に動かさなくても、自分でそこに立つから」


 俺は黙った。


 魔法なら。


 魔力が足に集まれば、踏み込む可能性が高い。


 手が茜色に光れば、次は火球がくるかもしれない。


 見えるものがあるから、予想できる。


 でも。


 羨ましい。


 誇りたい。


 正しくいたい。


 そんなものに色はない。


 ルシアンにもそれを実際に見ることはできない。


 それでも。


 誰が何なら受け入れて、何なら拒んで、どこなら自分から動くのか。


 言葉と行動だけを見て、組み直している。


 誰かを押して動かしたわけじゃない。


 進みたい方向を見て、その先に道を置く。


 気づいた時には、別々の理由で動いていた人間が、同じ場所に集まっていた。


 今回、ルシアンはそれを俺を守る方に使った。


 俺と制度を分けて。


 根拠のない疑いを外して。


 話の行き先を、俺ではなく学院に変えた。


 だから俺は、あの騒ぎの中心にいたはずなのに、最後にはそこから外れていた。


 そこまで考えたところで、一つだけ嫌な想像が浮かんだ。


 今回は、ルシアンが俺の味方だった。


 じゃあ。


 もし、そうじゃなかったら。


「ルシアン」


「何?」


「もし逆に」


 口に出してから、少し迷う。


「ルシアンが俺を潰そうと思ってたら、どうしてた?」


 ルシアンが俺を見る。


「潰すって?」


「退学させるとか極端じゃなくていい。学院で、俺の特別選抜がおかしいって思わせたいなら」


「ああ」


 ルシアンは少し考えた。


「それなら、あの時とは逆にする」


 そう言って。


 少し間を置いてから、淡々と話し始めた。


「まず、レインと制度を分けない。


 エヴァンには、レインが不正したと思うかなんて聞かない。エヴァンは根拠のないことを嫌うから、必ず否定する。そうしたら、レイン個人を疑う話がそこで一度切れる。


 代わりに、通常入試は基準が事前に分かっていたこと、エヴァンがその基準で試験を受けて十位だったこと、特別選抜は要項を読んでも基準が分からないことを順番に確認する。


 その上で、『じゃあ、レインがその基準を満たして選ばれたことを、学生はどうやって確認する?』って聞く。


 エヴァンは、不正だとは言わないと思う。でも、分からないとは答える。


 それで十分。


 昨日は、エヴァンの個人的な感情と制度についての疑問を分けた。レインに不利な方に持っていくなら逆に、その二つを同じ方向に向ける。


 自分は基準の分かる試験を何か月も勉強して、奨学金の境目になる十位を取った。でもレインは、基準の分からない別の制度で入った。


 そういう形なら、エヴァンはレインを不正だと思わなくても、説明を求める側から降りない」


 ルシアンの声はいつも通り穏やかだった。


 ただ、本当にそうすればいいだけみたいに続けている。


「アルドリックにも、レインの特別選抜がおかしいと思うかは聞かない。


 アルドリックはレインを不正だと思ってないし、自分が通常入試だったことにも不満がない。そこを聞けば、レインに有利な答えが返ってくる。


 聞くのは事実だけ。


 学院から通常入試を受けるよう言われたか。通常入試で自分の能力はきちんと評価されたと思うか。なぜ自分が特別選抜ではなかったのか説明されたか。


 多分、入試を受けるよう言われた。評価には不満がない。特別選抜じゃなかった理由までは知らない。そのくらいになる。


 それだけあれば、入試首席の天才であるアルドリックは通常入試で評価できたのに、レインにはなぜ別の制度が必要だったんだって、周りが勝手に考える。


 模擬戦の結果は僕から出さない。


 みんな知ってるから。


 僕が持ち出すより、誰かが自分でアルドリックが勝ったことを思い出した方がいい。自分で辿り着いた疑問の方は、人は簡単には捨てられないから」


 ページを閉じた詳細規定が、まだ机の上に置かれている。


 ルシアンはそれを見ることもなく続けた。


「リアには、昨日と同じように個人の選考資料まで公開する必要はないって言ってもらう。


 でも、リアは情報を隠したいんじゃなくて、守るべき個人情報まで公開するのは違うと思ってる。


 だから、『個人情報を出さない範囲で、選抜が適正だったことは説明できるんじゃないか』って話に変える。


 そうすればリアを、レインを疑っていなくても、説明を求める側に立たせることができる。


 大事なのは、レインを嫌ってる人だけを集めないこと。


 レインを嫌ってる人たちが騒いでるだけなら、周りは簡単に距離を取れるから。


 エヴァンは制度の基準が知りたい。


 リアは制度の透明性と個人情報を分けたい。


 アルドリックは制度について疑問を持つこと自体を否定していない。


 全員、レインを嫌ってなくていい。


 それぞれ別の理由で、同じ側に立たせればいい」


 一度。


 ルシアンが言葉を切る。


「ミレイユ教授の噂は、僕からは出さない。


 僕が出せば意図が見えすぎる。


 でも、誰かが言い出したら、昨日みたいにすぐ切らない。


『教授が審査に関わっていないことは確認されてるの?』


 そのくらいで止める。


 関わっていたとも、不正したとも言わない。


 分からないことだけ残す。


 根拠のない噂は、断定した方が否定されやすい。間違ってると示せば終わるから。


 でも『分からない』は、学院が答えるまで残る」


 淡々と。


 次の手が続く。


「この前はレインを話から切り離したけど、もしレインに不利に持っていくなら、あえてレイン本人にも話してもらう。


 何を評価されたと思うか聞けば、魔力視、完全無詠唱、研究、実地経験。その辺りを答えることになると思う。


 答えれば、自分にはこれだけ特別な能力があるって、レイン自身に並べさせることになる。


 アルドリックに負けた直後なら、それが事実だとしても聞く人によっては言い訳に見える。


 もし答えなければ、本人も自分がなぜ選ばれたのか分かっていない、になる。


 どちらでもいい。


 レイン自身が、説明を求められる場所から降りられなければ」


 ぞくりとした。


 ルシアンは構わず続ける。


「それから、意見書。


 ただし、露骨にレインを調べろとは書かない。


 特別選抜の評価基準。通常入試との違い。審査手続き。制度が適正に運用されていることを、学院がどう担保しているのか。


 そのくらいにする。


 レインを嫌ってる学生しか署名できない文面にはしない。


 むしろ、レインを疑ってない学生でも署名できる文面にする。


 エヴァンが書く。


 リアが、個人情報に踏み込んでいないことを確認する。


 アルドリックにも、制度についての質問としてなら間違っていないと思わせる。


 もしアルドリックまで署名したら、かなり強いと思う。


 本人はレインを疑ってない。


 でも周りから見れば、『通常入試首席のヴァレリウスまで、特別選抜の説明を求めている』という状況になるから」


 今、名前を挙げられたのは。


 昨日、実際にあの場にいた人たちばかりだった。


 ルシアンは続ける。


「最後に、構図を変える。


『レインを疑う学生』と『レインを庇う学生』にはしない。


『学院に制度の説明を求める学生』と、『理由の分からない特別扱いを受けているレイン』に持っていく。


 そうなったら、ガレスがいくらレインは強いって言っても意味がない。


 アルドリックがレインを疑ってなくても関係ない。


 リアがレインを責める必要もない。


 エヴァンも不正だなんて言わなくていい。


 誰にも思ってないことを言わせる必要はないんだ。


 それぞれが元から持ってる理由で、レインに説明を求める側に立たせればいい」


 ルシアンの顔を見る。


 いつもと同じだった。


「僕自身も、レインがおかしいとは一度も言わない。


『学院は説明した方がいいんじゃないか』って言ってればいい。


 嘘もつかない。


 誰かに嘘をつかせる必要もない。


 昨日と同じ人に、同じ材料を使う。


 違うのは、どこに立ってもらうかだけ」


 そこで。


 ようやくルシアンは口を閉じた。


 部屋が静かになる。


 ルシアンは平然と冊子の表紙を眺めている。


「……ルシアン」


「何?」


「ルシアンが味方で良かったよ」


「味方、ね」


 ルシアンがこちらを向く。


「レインも、こういう戦い方があるってことは、知っておいてもいいかもね。今後のためにも」


「今後?」


「うん」


 ルシアンはそれ以上何も言わなかった。


「そういえば、ルシアンは入試何位だったの?」


「六位だよ」


「六位?」


「うん」


 十分高い。


 入試では。


 魔法の知識。


 計算。


 制御。


 そういうものしか問題にできない。


 答えがあって、点数がつけられるものだけだ。


 けれど。


 誰が何を大事にしているのか。


 何なら譲れて、何なら譲れないのか。


 何を人前で言わせれば、その後の本人の行動まで変わるのか。


 誰を前に出せば、同じ意見でも周りからの見え方が変わるのか。


 いつ口を挟んで、いつ黙って待つのか。


 そんなものを測る問題は、多分ない。


 試験で測れるものだけが、その人の能力じゃない。


 俺には魔力視がある。


 アルドリックには剣がある。


 リアには、積み上げた理論がある。


 こういう力は、試験で測りやすい。


 対してルシアンには、試験の点数とは別のところに、確かに能力がある。


 俺は初めて、そういう力を目の当たりにした。


「レイン?」


 呼ばれて、顔を上げる。


「どうしたの?」


「……何でもない」


「そう?」


 ルシアンは詳細規定を開き直した。


 いつもと同じ部屋で、いつもと同じように、本を読む。


 俺は初めて。


 ルシアンを少し恐ろしいと思った。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


感想や評価をいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。


次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。