第七十二話「君と制度は別だろ?」
「エヴァンの言ってること、正しいと思うよ」
ルシアンが言った。
回廊が静かになった。
「は?」
ガレスが最初に声を出す。
「お前、そっちなのかよ」
「そっち?」
「だから、レインの特別選抜がおかしいって——」
「僕、そんなこと言った?」
「いや……」
「エヴァン」
ルシアンはもうガレスを見ていなかった。
「レインが不正して入ったと思ってる?」
「思っていない」
返事は早い。
「セレナ教授が審査を曲げたと思ってる?」
「そんな証拠はない」
「レインを退学させたい?」
「違う」
「特別選抜をなくしたい?」
「それも違う」
「じゃあ、何が知りたい?」
エヴァンが止まった。
手の中の入試要項を見る。
「……制度の基準だ」
「もう少し詳しく」
「特別選抜が、何を評価するための制度なのか」
「それは誰に聞けば分かる?」
「学院」
「だよね」
ルシアンが俺を見る。
「レインは知らないんだよね?」
「うん」
「なら、レインに聞いても答えは出ないね」
「でも」
ガレスが割り込んだ。
「レインが特別選抜に選ばれるくらい強いのは事実だろ」
「そうだね」
「だったら、レインが特別選抜でも別におかしくないだろ」
「うん。僕もレインに実力がないとは思ってないよ」
「じゃあ——」
「でも、特別選抜って実力があれば選ばれる制度なの?」
「……それは」
ガレスが止まる。
「知らねえけど」
「僕も知らない」
ルシアンがエヴァンを見る。
「エヴァンが聞きたいのは、そこだよね?」
「ああ」
「レインに実力があるかどうかじゃない。学院が何を見て特別選抜を決めているのか」
「……でも、強いなら選ばれてもおかしくはないだろ」
ガレスがまだ食い下がる。
「誰もおかしいとは言ってないでしょ」
リネットが返した。
ガレスがそちらを見る。
「じゃあ何なんだよ」
「レインが選ばれてもおかしくないことと、どういう基準で選んでるのか分からないことは、両方成り立つでしょ」
「……」
「何でどっちかにしようとするのよ」
「してねえよ」
「してるじゃない」
「してないって」
その時。
「じゃあ、選考内容を全部公開しろってこと?」
一組の女子学生が口を挟んだ。
「アストリア君が何で選ばれたのかも?」
「そこまで公開する必要はないと思うわ」
人の輪の外から声がした。
リア。
二組の学生と一緒に食堂へ向かう途中だったらしい。
金色の髪を肩から払い、足を止める。
「何で?」
「個人の選考資料に何が含まれているか分からないもの」
リアが答える。
「研究内容、未発表の術式、保有している技術。本人の能力に関する記録もあるかもしれないわ」
俺の場合。
魔力視。
完全無詠唱。
研究記録。
視察団の前で見せた魔法。
魔獣災害での実績。
「でも、それじゃ何も分からなくない?」
女子学生が言う。
「全部か何もか、で考える必要はないでしょう」
リアはエヴァンを見る。
「制度として何を評価するか。それと、レイン個人が何を評価されたかは別よ」
「……ああ」
エヴァンが頷く。
「俺が知りたいのは前者だ」
「なら、個人の選考資料まで求める必要はないわね」
「ああ。そうだ」
「ならいいわ」
リアはそれ以上言わなかった。
「じゃあさ」
専科の男子学生が言う。
「ヴァレリウスは?」
視線が動く。
少し離れた場所に、アルドリックがいた。
「また俺か」
赤い眼がこちらを見る。
「お前の名前が一番使われてるから」
「俺が使わせているわけではない」
「まあ、そうだけど」
「アルドリック」
ルシアンが呼ぶ。
「何だ」
「君が通常入試だったこと、不当だと思ってる?」
「思っていない」
「レインに負けてたら、レインの特別選抜に納得した?」
アルドリックが眉を寄せる。
「模擬戦の結果で選抜の正否が決まるのか?」
「決まらないね」
「なら質問の意味がない」
「じゃあ逆に、君が勝ったからレインの特別選抜がおかしい?」
「思わない」
さっきまで。
アルドリックに負けた。
だから特別選抜なのはおかしい。
そう言っていた学生が近くにいた。
その学生は何も言わなかった。
「制度の基準が分からない、っていう疑問は?」
「それも昨日答えた」
アルドリックが言う。
「疑問が出ること自体はおかしくない」
「だって」
ルシアンはそれだけ言った。
「じゃあ」
専科の女子学生が口を開く。
「ヴァレリウス君が勝ったことは、もう関係ないんじゃない?」
「本人がそう言ってるしな」
「最初に誰が持ち出したんだよ」
「知らないわよ」
「お前言ってなかった?」
「私は言ってない」
「……じゃあ何の話してたんだっけ」
ガレスが言う。
「特別選抜の基準だ」
エヴァンが返した。
「それだけ?」
「俺は最初からそれを話してる」
「でもお前、レインが試験受けてないの気に食わないんだろ」
「それは……」
エヴァンが止まる。
「俺の問題だ」
「なら、制度の話には持ち込むなよ」
「そのつもりだ」
ガレスが口を閉じる。
「学院に聞くって」
一組の女子学生が言った。
「窓口に行って質問するの?」
「まずはそれでもいいんじゃない?」
ルシアンが答える。
「答えてくれなかったら?」
「その時は正式に出せばいい」
「正式に?」
「意見書」
何人かが顔を見合わせた。
「そんなのあった?」
「入学式でもらった冊子に書いてあるよ」
「どこ?」
「後ろの方」
「覚えてない」
「僕は覚えてる」
「でも」
一組の男子学生が言った。
「たしか意見書って、出せるってだけだっただろ。無視されたら終わりじゃないか?」
「無視はできないよ」
「何で?」
「規定数の署名があれば」
「……何それ」
「詳細規定」
「入学式の冊子にそんなの書いてなかったぞ」
「簡易版だからね」
「じゃあどこに書いてあるんだよ」
「売店で売ってる方」
ガレスがルシアンを見る。
「お前、あれ読んだの?」
「読んだよ」
「全部?」
「必要なところは」
「何ページ?」
一組の女子学生が聞く。
「百八十二。学生意見書の項目。署名については次のページ」
「覚えてるの?」
「そこは」
「何で?」
「気になったから」
エヴァンが一歩近づく。
「何人必要なんだ?」
「五十人」
ルシアンが答える。
エヴァンが周囲を見る。
「それなら……」
「一年生だけでも届く?」
女子学生。
「今ここに何人いる?」
「二十人くらい?」
「全員が署名するわけじゃないだろ」
「内容によるわよ」
「俺は読む」
「私も文面次第」
「待て」
エヴァンが言った。
「まだ何を出すか決めてない」
「じゃあ、それ決めて学院に聞けば終わるんだろ?」
ガレスが返す。
「終わるかは分からない」
「少なくとも今みたいに、レインに聞いても分かんねえ話をずっとするよりマシじゃん」
エヴァンがガレスを見る。
「お前、制度には興味ないんじゃなかったのか」
「ない」
「じゃあ何で」
「これでレインのこと関係なくなるんだろ?」
「ああ。制度についてだけ聞くなら」
「なら、さっさとそっちの話にしろよ」
「……雑だな」
「何が」
「まず」
ルシアンが言った。
大きくない声。
それでも、次の言葉が重ならなかった。
「エヴァンが一番知りたいことは?」
「特別選抜が何を評価する制度なのか。それと、何でそういう制度があるのかも知りたい」
「じゃあ、一つ目」
ルシアンが指を一本立てる。
「特別選抜では、何を評価しているのか」
二本目。
「どのような目的で特別選抜が存在しているのか」
「ああ」
エヴァンが頷く。
「それが知りたい」
「あと、審査についてどこまで公開できるのかも必要ね」
リアが続けた。
「個人の選考資料まで公開する必要はないけれど、どういう手順で審査しているのかは別でしょう」
「じゃあ三つ目」
三本目。
「個人情報を除いて、どの程度の審査手続きを公開できるのか」
ルシアンが手を下ろす。
「他は?」
「アストリア君本人が選ばれた理由」
専科の女子学生が言った。
「それは個人情報に入る可能性があるわ」
リア。
「ならなし」
「ミレイユ教授の関与は?」
さっきセレナの話を出した男子学生だった。
「根拠がない」
エヴァンが返す。
「制度について聞くなら必要ない」
「ヴァレリウスとの模擬戦」
「俺を入れるな」
アルドリック。
「……はい」
「他は?」
誰も言わない。
「じゃあ三つか」
ガレスが言った。
「三つだな」
一組の男子学生。
「それなら分かりやすいんじゃない?」
女子学生が言う。
「私は署名してもいい」
「草案読んでからね」
「もちろん」
「これって誰が書くの?」
声が止まった。
「……誰が出すんだ?」
別の学生が聞く。
正式な意見書。
名前を書く。
学院が読む。
何人かが視線を逸らした。
その中で一人。
エヴァンを見る学生がいた。
「エヴァンじゃない?」
一組の女子学生が言った。
「え?」
「一番調べてるし」
「昨日も要項持ってたな」
男子学生も続く。
「待て」
エヴァンが言う。
「俺は出すなんて言ってない」
「エヴァンでいいんじゃない?」
ルシアンが言った。
エヴァンがそちらを見る。
「何で俺なんだ」
「一番、制度の問題として話してたから」
「それだけで学院に意見書を出せって?」
「嫌なら別の人でもいいけど」
「……」
ルシアンはそこで黙った。
誰も代わりに名乗らない。
エヴァンが要項の表紙を見る。
「正式に出したら」
「うん」
「名前も残るんだよな」
「残ると思う」
「教授も読む?」
「審議する人は読むだろうね」
「……」
「別に」
ガレスが言った。
「お前が出すから署名しない、とかはないぞ」
「聞いてない」
「いや、何となく」
「私は内容がさっきの三つなら署名するわ」
リネット。
「私も草案を見る」
リア。
「俺も文面は確認する」
アルドリックが言った。
エヴァンが顔を上げた。
「……お前も?」
「制度への質問として妥当ならな」
「アストリアの選抜を疑うって意味じゃなく?」
「なぜそうなる」
「いや……」
「俺は最初からそれは言っていない」
「……そうだったな」
エヴァンが黙る。
手元の要項を閉じた。
「分かった」
「何が?」
ルシアンが聞く。
「俺が出す」
「うん」
「ただし」
エヴァンが周囲を見る。
「アストリア個人のことは書かない」
「賛成」
専科の女子学生。
「ミレイユ教授のことも」
「当然だ」
「模擬戦も」
アルドリックが先に言った。
「分かった」
「草案いつできる?」
「今決めたばかりだぞ」
「明日?」
「無理だ」
「じゃあ明後日」
「待てって」
「一組にも回して」
「専科にも欲しい」
「署名用紙は?」
「詳細版に書式あるよ」
ルシアンが言う。
「後でエヴァンに見せる」
「借りていいのか?」
「もちろん」
「じゃあ今日」
「いいよ」
「私も詳細規定見たい」
「それは売店で買って」
また声が重なった。
俺に質問していた専科の女子学生が、今はエヴァンに草案の話をしている。
ガレスは横から、
「変な文章にすんなよ」
と言って、
「お前はまず規定を読め」
と返されている。
アルドリックはもう食堂に向かい始めていた。
リアも二組の学生に呼ばれて、
「草案ができたら誰か持ってきて」
とだけ残して去る。
「レイン」
エミールの声。
「何?」
「食堂」
「……あ」
昼休みだった。
「腹減った」
ガレスがすぐ反応する。
「俺も行く」
「意見書は?」
エヴァンが聞く。
「俺が書くわけじゃないだろ」
「さっき決めようぜって言ってたが」
「決まったじゃん」
「……」
「じゃあな」
ガレスが手を上げる。
そのまま、俺たちは食堂に向かう。
数歩、歩く。
後ろではまだ話している。
エヴァンの周りに。
一組。
三組。
専科。
さっきまで言い合っていた学生が残っている。
「レイン?」
ルシアンが呼ぶ。
「あ、うん」
「何食べる?」
ルシアンが聞いた。
「……何がある?」
「魚と肉」
「じゃあ肉」
「僕も」
ルシアンは、もう後ろを見なかった。
* * *
昼食を終えた。
午後の授業に向かう。
さっきまで人が集まっていた回廊は静かだった。
俺はルシアンの隣を歩く。
「ルシアン」
「何?」
「俺を庇わなかったよね」
「庇ったよ」
すぐ返ってきた。
「どこが?」
「どこって?」
「最初にエヴァンの言ってること、正しいって言った」
「うん」
「ガレスみたいに俺が強いとも言わなかった」
「うん」
「学院が正しいとも言わなかった」
「うん」
「……じゃあ、どこで庇ったの?」
ルシアンが俺を見る。
「君と制度は別だろ?」
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