第六十八話「見える優位」
訓練場に続く道を歩く。
先週と同じ道。
ただ今日は、普段の一年生実技で使う区画を通り過ぎ、そのさらに奥に向かう。
前方に、石柵で囲まれた広い訓練区画が見えてきた。
縦も横も百メートルほど。
平らに均された地面の周囲を低い石柵が囲み、その外側には観戦場所が設けられている。
一組と三組の学生は、もうかなり集まっていた。
それだけじゃない。
実技服の形が違う学生もいる。
専科だ。
襟元に二本、三本の銀線をつけた学生までいた。
(上級生まで来てるのか)
昨日、エマから治癒科でも噂になっているとは聞いた。
でも、ここまでとは思っていなかった。
その中にエマとリリィもいる。
近くにはガレス、リネット、エミール。
エマがこちらに気づき、隣のリリィも振り返った。
リリィが何か言おうと口を開く。
けれど、そのまま閉じた。
俺も足を止めない。
訓練区画の中央には、開始位置を示す二本の白線。
その向こうに、アルドリックが立っていた。
濃い銀髪に赤い瞳。
腰には剣。
杖はない。
視線を周囲に動かす。
石柵までの距離。
地面の状態。
目立った凹凸はない。
杖を握り直し、腰の短剣も確かめる。
「レイン」
声に足を止めた。
ルシアンだった。
茶色い髪の下の緑の眼が、まっすぐこちらを見る。
「勝ってきなよ」
「うん」
それだけだった。
石柵の切れ目から中に入る。
腰で濃紺の鞘が揺れた。
アルドリックは短剣の存在を知っている。
試合前の申告でも確認している。
知らないのは、俺がどこまで使えるかだ。
三十メートル。
白線を挟んで向かい合う。
「両名、安全核を確認」
先週と同じ実技教師が言った。
胸元の安全核に触れる。
透明な魔晶石には、既に基幹結界の魔力が通っている。
「問題ありません」
「こちらも」
「条件を確認する。開始距離三十メートル。飛行魔法は禁止。使用できる出力の合計は二百まで。発動中の魔法、結界、身体強化、武器への魔力付与も全て合算する」
「はい」
「分かりました」
「安全核の作動、降参、または私が続行不能と判断した時点で決着だ。故意に危険な術式を使うな」
教師が下がる。
魔力二百。
この制限は、ただ試合の規模を小さくするためのものじゃない。
今その瞬間、何にどれだけ割り振るか。
攻撃。
身体強化。
結界。
武器への付与。
上限のせいで、全部を高出力にはできない。
どこかを増やせば、他が減る。
その配分の判断力が問われている。
さらに、咄嗟の防御に回せる余力も残して戦わなければならない。
俺は飛行を封じられている。
魔力量に任せた圧倒的な出力も使えない。
だから今日は、それ以外の武器で戦う。
五属性。
魔力視。
完全無詠唱。
同時制御。
それから、魔力配分の素早い切り替え。
一番大きいのは。
俺には、アルドリックの配分が見えることだ。
今は全身を均等に巡る淡い魔力。
踏み込む前には脚に寄る。
剣を強化すれば、腕から剣身に。
炎なら茜。
雷なら青紫。
どこに使おうとしているのかが、発動する前から分かる。
一方。
アルドリックからは俺の配分が見えない。
同じ大きさの火球でも。
俺がどれだけ魔力を込めているか。
身体強化にどれだけ使っているか。
別の魔法を同時に作っているか。
分からない。
この差を使う。
アルドリックの戦い方は、先週見た。
必要以上のことはしない。
炎で足りるなら炎だけ。
止められた時に、必要なものを足す。
最初から全部を読み切ろうとはしない。
起きたことに、一番いい対応を返してくる。
だったら。
対応させる。
そのために動いた魔力を見て、次の択を選べばいい。
教師が片腕を上げた。
真紅の瞳と目が合った。
「始め!」
三つ。
同時に火球を作る。
正面。
右。
左。
大きさも。
色も。
速度も揃える。
放つ。
正面の一発。
アルドリックが剣を合わせる。
触れた瞬間に崩れた。
低出力。
二発目。
左手の炎球で相殺される。
三発目。
アルドリックが、同じように左手を上げる。
流れ込む魔力も、二発目とほとんど変わらない。
(気づいてない)
火球同士がぶつかった。
次の瞬間。
アルドリックの炎が押し返された。
「っ!」
赤い眼が僅かに見開かれる。
左腕に魔力が一気に流れ込んだ。
茜色の炎が膨らむ。
爆音。
火球が弾けた。
炎が大きく広がり、アルドリックの靴が地面を滑る。
半歩。
それだけ。
でも。
同じ見た目の三発。
二つは軽い。
最後だけ重い。
アルドリックは。
ぶつかるまで、それを知らなかった。
(これで分かったはずだ)
見た目だけじゃ。
俺の魔法は読めない。
それだけで。
判断に負荷をかけられる。
そして。
(気づいたはずだ)
今日の俺が。
最初から取りにきていることに。
炎越しに、赤い眼が俺を見る。
さっきまでより腰が落ちた。
炎が消えきるより先に。
次。
風刃。
アルドリックが剣で払う。
すぐに二つ目。
今度は身体を沈めて避けた。
そのまま脚に魔力が集まる。
前に出る。
距離を詰めるつもりだ。
俺は正面から火球を撃つ。
アルドリックは走る勢いを殺さず、左に一歩ずれて避けた。
続けて水弾。
剣が動く。
刃で弾くつもりだ。
触れる直前。
破裂させた。
「っ」
拳ほどだった水が広がる。
顔。
胸。
腕。
細かな水滴がアルドリックに降りかかった。
顔にも水が掛かり、赤い眼が一瞬だけ細められる。
俺から視線が外れた。
その間に。
先に分けていた細い魔力を、地面すれすれに走らせる。
アルドリックの横を抜ける。
背後。
そこで変質。
青紫。
バチッ── !
紫電。
背後で弾けた音に、アルドリックの肩が僅かに動いた。
気づいた。
でも。
振り返って確認している暇はない。
身体を左に投げ出す。
同時に、左手を自分の濡れた胸元に向けた。
炎。
制服の表面を舐めるように熱が走る。
水滴が一気に蒸発した。
白い蒸気が膨らむ。
直後。
紫電がアルドリックの肩のすぐ横を抜けた。
僅かに制服を焦がす。
でも。
安全核は鳴らない。
俺は杖先に土を集める。
細長く。
硬く。
土槍。
白い蒸気の中に撃ち込む。
アルドリックが動いた。
赤。
一瞬だけ見えた瞳。
アルドリックが地面を蹴る。
土槍が脇腹を掠め、その後ろの地面に突き刺さった。
「……っ」
避けられた。
完全には見えていなかったはずだ。
それでも反応した。
速い。
魔法以前に。
身体能力が化け物だ。
蒸気が散る。
着地した瞬間。
アルドリックの脚に、また魔力が集まる。
(来る)
距離を詰めてくる。
俺は火球を撃つ。
アルドリックが右に避けた。
その右側から風をぶつける。
身体が左に押される。
そこに水弾。
上体を僅かに反らして外す。
止まらない。
俺は杖先を下げた。
土が浅く割れる。
俺たちの間を横切る、小さな溝。
幅も深さも大したことはない。
アルドリックの視線が足元に落ちる。
溝の直前。
地面を蹴った。
飛び越える。
(今)
地面から足が離れる。
空中では、大きく方向を変えられない。
雷。
青紫が走る。
「っ!」
アルドリックの剣が上がった。
紫電が剣身にぶつかる。
青白い光。
空中で身体が捻れる。
着地。
体勢を立て直し切れず、右足が横に滑った。
そこに火球。
アルドリックは地面に手をつき、そのまま横に転がる。
火球が背後を抜けた。
起き上がるより先に。
アルドリックの左手。
炎弾。
俺は薄い水膜を斜めに出す。
炎弾が触れ、軌道が上に流れた。
アルドリックが立ち上がると同時に前に出た。
風。
足元に横から当てる。
一歩目が外にずれた。
それでも。
崩れた姿勢のまま剣を振る。
剣身に茜色の炎が走る。
そのまま、炎を纏った刃を斜めに薙いだ。
俺は身体を引く。
剣先から伸びた炎が、胸のすぐ前を通り過ぎた。
熱が胸元を撫でる。
避けるために下がった、その一瞬。
アルドリックがさらに踏み込んだ。
(近い)
俺は火球を撃つ。
アルドリックは剣を斜めに振り、弾いた。
そして、その振りを止めない。
剣を振り抜いた勢いのまま身体を回し。
左手をこちらに向ける。
青紫。
雷撃。
俺は杖を下げる。
地面から薄い土板を立ち上げた。
雷が当たる。
破裂。
土片が飛ぶ。
その陰から。
アルドリックがさらに来る。
身体強化。
速い。
風圧を正面からぶつける。
制服が大きく膨らむ。
足が一瞬止まる。
それでも倒れない。
地面を強く踏み。
押し返してくる。
俺は後ろに下がりながら、水を低く流した。
俺とアルドリックの間を横切る一帯に。
薄く。
同時に。
その一角だけ、土を少し下に沈める。
深くはない。
足首が落ちる程度。
流した水が窪みに溜まり、周囲との境目を隠した。
地面の色だけが変わる。
アルドリックが一度だけ足元を見る。
濡れた場所を避けるように、進路を少し外に変えた。
そのまま来る。
小さな火球。
避けさせる。
少し遅らせて風刃。
アルドリックが剣で受ける。
剣が外に開いた。
水槍。
胴に向ける。
左手から炎。
水槍が正面から熱を受け、途中で形を崩した。
水が飛沫になって地面に散る。
その瞬間。
俺は足元を見る。
さっき低く流した水。
それから。
今、崩された水槍の水。
地面に残っている。
アルドリックは。
仕込んだ窪みのすぐ手前まで来ていた。
火球。
右側に撃つ。
アルドリックが左に避ける。
今度は左から風。
身体を右に押す。
そこ。
誘導した。
水で隠した窪み。
アルドリックが踏み込む。
「っ!」
勢いの乗った足が、そのまま窪みに落ちた。
足首まで沈む。
アルドリックの上体が前に崩れる。
俺は地面の水を動かす。
周囲に散っていた水が、沈んだ足に集まった。
冷やす。
白く曇る。
凍結。
足首。
靴。
周囲の土。
まとめて固める。
(取れる)
杖を向ける。
雷。
でも。
アルドリックは俺を見なかった。
足元。
茜色。
炎が爆ぜた。
氷に亀裂。
同時に脚に身体強化。
バキッ!
凍った土ごと足を引き抜く。
俺の紫電が走る。
アルドリックが身体を横に投げる。
雷が肩を掠めた。
地面に手をつき、一回転。
立つ。
速い。
本当に。
反応してから、動き終わるまでが短い。
俺は追撃する。
火球。
アルドリックが炎弾を撃ち返す。
正面でぶつかり、爆ぜる。
その炎の横から風刃。
剣で受ける。
すぐに雷。
今度は身体をずらす。
青紫が肩口を抜ける。
そのまま前に。
アルドリックが近づく。
剣先には。
茜色。
大きい。
(炎)
俺は水を前に集める。
厚い水膜。
炎を受ける。
そのつもりだった。
アルドリックの半身で隠れた左手が。
現れた。
青紫。
「まずい」
水に雷を流されたら。
防御そのものを利用される。
俺は水膜を消し始める。
その瞬間。
茜も。
青紫も。
消えた。
「── 」
(それもフェイクか)
アルドリックの魔力が脚に移る。
身体強化。
地面が鳴った。
一気に。
維持していた距離が消える。
水を消すことに意識を取られた。
その隙を狙われた。
剣。
速い。
避けきれない。
余力の魔力を、自分の胸元の前に一気に回す。
局所結界。
透明な面が開く。
ガンッ!
剣がぶつかる。
結界がたわみ。
亀裂。
割れる。
衝撃だけが身体に届く。
後ろに滑った。
(危なかった)
残していた余力。
これがなければ。
防げなかった。
アルドリックは止まらない。
炎弾。
俺が避ける。
避けた先に剣。
杖で風圧を起こし、身体を外に流す。
アルドリックは足を踏み直しながら、剣身に雷を纏わせる。
青紫の線が刃を走った。
振る。
剣そのものは届かない。
でも。
刃先から短い雷撃が飛ぶ。
速い。
上体を倒す。
頭上を青紫が抜けた。
戻した剣から今度は炎。
左から右に薙ぐ。
後ろに跳ぶ。
熱が頬を撫でた。
アルドリックも同時に前に出る。
剣と。
魔法と。
身体が。
途切れない。
離れている間は。
俺の方が手を増やせる。
配分を見る。
それに合わせて次を出す。
でも。
近づくほど。
アルドリックの剣が早く届く。
身体能力も。
剣技も。
向こうが上だ。
見えていても。
身体が間に合うとは限らない。
それでも。
近いからこそ使えるものもある。
完全無詠唱。
心内無詠唱よりも僅かに発動が早い。
魔法が届くまでの時間も短い。
そして。
今の俺には。
もう一つ。
左手を腰に落とす。
濃紺の鞘。
アルドリックの赤い眼が動いた。
柄を掴む。
鞘走りの音。
銀色の刀身が、陽光を返した。
短剣。
抜き切ると同時に半身になる。
右手の杖。
左手の刃。
訓練場の外から、どよめきが届いた。
アルドリックの足が止まる。
本当に僅か。
一拍にも満たない。
でも。
止まった。
赤い眼が短剣に。
俺の腕。
足。
姿勢。
また短剣。
アルドリックは、短剣の存在は知っていた。
でも。
俺がどこまで使えるかは知らない。
それに。
俺の身体を流れる魔力も見えない。
見えている動きが。
元々の身体能力なのか。
身体強化なのか。
どれだけ魔力を使った結果なのか。
アルドリックには分からない。
その差も。
使う。
アルドリックが剣を構え直した。
俺は右手の杖を構えたまま。
左手の短剣を前に向ける。
今度は。
この距離で戦う。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
感想や評価をいただけるととても励みになります。お気軽にお寄せください。
次話もお楽しみ頂ければ幸いです。よろしくお願いします。




