第六十七話「ここにいる理由」
一組との合同実技授業から、六日が経った。
明日。
俺はアルドリック・ヴァレリウスと戦う。
楽しみだった。
この一週間、授業の合間や訓練場へ行くたびに、明日のことを何度も考えた。
アルドリックが使っていた炎。
魔法を撃つ前の魔力の流れ。
あの無駄のない動き。
そして。
この前は見られなかった剣技。
どう戦えばいいのか。
何を使えば通るのか。
考え始めると、アイデアはいくらでも出てくる。
なのに。
それと同じくらい、頭から離れないものがあった。
『お前は、何のために学院に来たんだ』
アルドリックに聞かれた言葉だ。
何のために、魔法を学ぶか。
あの時は、答えられなかった。
そんな自分が悔しかった。
家族を守るため。
それは間違いなくある。
レオンとテレシア、オスカーには、これまで何度も守ってもらった。
今度は、俺が守りたい。
領民を守るため。
俺はいずれアストリア家を継ぐ。
領主になれば、領を運営することも、災害に備えることも俺の仕事になる。
もっと広く考えれば。
国を守るため。
アルドリックは、そう言っていた。
でも、俺にとっては、国というのはまだ大きくて漠然としたものに感じた。
それから。
セレナの隣に立つため。
魔法だけではなく、もっと色々なものを学ぶ。
いつか再び会った時、教えられるだけの子供ではなく、一人の魔法使いとして隣に立てるようになる。
どれも嘘ではない。
けれど。
(それだけじゃないんだよな)
「今日はここまで」
教師の声が教室に響く。
授業が終わり、教本を閉じる。
教師が黒板に残った文字を消し始めた。
行政組織についての講義だった。
中央政府。
魔法省。
軍務省。
州政府。
領主。
それぞれが持つ権限と、仕事の違い。
授業を聞きながら考えてしまった。
領主になるまで、俺は何をするのだろう。
学院を卒業しても、そのまますぐレオンから家督を譲られるわけではない。
魔法兵団に入って、外敵や魔獣に備えることもできる。
宮廷魔導師として中央に残る道もある。
魔法省で研究や魔法行政に関わることだってできるし、軍務省で官僚として働くこともできるだろう。
もちろん、領地に戻って父様の仕事を手伝うのも一つだ。
選択肢はいくつもある。
でも。
どれを考えても、何かが違う。
仕事として何に魔法を使うか。
誰のために使うか。
そういう話だけでは、俺が魔法を学びたい理由の全部にはならなかった。
だって。
(面白いんだよな)
魔法が。
五歳の頃。
初めて自分で魔法を使ったときから、ずっとそうだった。
知らない術式を見る。
どうやって動いているのか知りたくなる。
自分で試す。
成功すれば、もっと別のことができないか考える。
失敗すれば、どこが違ったのか確かめる。
地理の授業でも、国によって異なる魔法があると教わっただけで、地図の前から動けなくなった。
アステリオンの工程を組み替える術式。
ルミナリアの精霊魔法。
ルクシアの治癒。
ドラコニスの航空戦。
知りたい。
見たい。
使ってみたい。
その気持ちは。
家族を守るとか。
領民を守るとか。
国を守るとか。
そういう理由より、ずっと前から俺の中にあった。
もちろん。
力があるなら、その使い方を考えるべきだと思う。
俺一人の判断で魔法を使えば、周囲まで巻き込むことがある。
東部災害で、それは十分に分かった。
魔法を使えるから使う。
それだけで済ませていいとは思わない。
それでも。
(面白いから学ぶって、そんなに駄目なのかな)
その気持ちを無かったことにはしたくなかった。
「レイン?」
「ん?」
顔を上げる。
教室には、もう学生がほとんど残っていなかった。
ルシアンが鞄を肩に掛けて、こちらを見ている。
「さっきから止まってるけど、大丈夫?」
「……ごめん。考え事してた」
「みたいだね。昼、行こうか」
「うん」
立ち上がって鞄を持つ。
ルシアンと一緒に教室を出た。
***
講義棟を出る。
昼の学院は、朝よりずっと人が多い。
授業を終えた学生たちが一斉に建物から出てきて、食堂や売店のある方角へ歩いていく。
「今日、食堂どうする?」
俺が聞くと、ルシアンが前方を見る。
「たぶん諦めた方がいい」
「なんで?」
「あれ」
指された先を見る。
食堂へ続く道に、学生が途切れなく流れ込んでいる。
「……多いね」
「昨日より酷い」
「何かあるの?」
「今日は、午前で実習が終わる専科が多いらしいよ」
そう話しながら歩いていると、食堂の方から歩いてくる二人の女子生徒に目がいった。
(あ)
肩口で揃えた栗色の髪がこちらを向く。
「あ、ルシアン」
「エマ」
その隣で、横に細く編んだ淡い金髪が揺れた。
「レイン君もいる」
「リリィ」
二人とも治癒魔法科の一年生。
初めて話した時以来、廊下や食堂で何度か顔を合わせている。
エマが食堂の方を見て、すぐに顔を戻した。
「ねえ。今からお昼?」
「そのつもりだったけど」
ルシアンも同じ方向を見る。
「混んでるね」
「さっき見たら入口の外まで並んでたよ」
「そこまで?」
「だから私たちも諦めたところ」
リリィが言う。
「売店で何か買おうかって」
「じゃあ一緒に行く?」
ルシアンが聞いた。
「いいの?」
「もちろん」
四人で学生売店に向かう。
食堂を諦めた学生は他にも多いらしく、売店も普段より混んでいた。
それでも、食堂の列ほどではない。
棚には昼食用のパンや焼き菓子、果物などが並んでいる。
俺は肉を挟んだパンと、赤い果実の飲み物を手に取った。
「それ選ぶんだ」
横からエマの声。
「何か変?」
「ううん、逆。帝都だとよく見る組み合わせだから」
「そうなの?」
「私もリリィも帝都育ちだからね。街でもこういうお昼はよく食べるの」
エマの隣のリリィが俺の手元を見る。
「でも、男の子がそれだけで足りる?」
「たぶん」
「レイン、いつもより少なくない?」
ルシアンが言う。
「朝食食べたし」
「僕も食べたけど、もう一個買うよ」
「ルシアンって意外とよく食べるよね」
「勉強するとお腹空くから」
結局。
俺も小さな焼き菓子を一つ追加した。
買い物を終え、近くの中庭へ移動する。
石畳の道から少し外れたところに、大きな木が何本か並び、その下には学生用の長椅子が置かれていた。
空いている場所を見つけ、四人で座る。
周囲にも昼食を食べている学生が何組もいた。
近くの芝生では、教本を広げたままパンを齧っている学生もいる。
エマが包み紙を開いた。
「そういえば」
「ん?」
口に運びかけたパンを止める。
「レイン君、アルドリック君と試合するんだって?」
「ちょっと、エマ」
すぐにリリィが横から止めた。
「何?」
「いきなり聞かなくてもいいでしょ」
「だって気になるし」
リリィが俺を見る。
「嫌だったら答えなくていいからね」
「大丈夫。明日だよ」
「ほら」
俺はパンを一口食べる。
「治癒科でも知られてるんだ」
「もちろんよ」
エマが即答した。
「総合科の首席と特別選抜が試合するんだもの。噂にならないほうがおかしいわ」
「……そんなに?」
「レイン、自分の名前がどのくらい広がってるか分かってないよね」
ルシアンが言う。
「最近は普通にしてるつもりなんだけど」
「普通にしてることと噂になることは別だから」
「無詠唱で上級魔法を使う人の普通は参考にならないよ」
エマまで加わった。
「……」
「レイン君、またその顔してる」
リリィが笑う。
「でも、ヴァレリウス君も有名だよ。一年生なら、知らない人の方が少ないんじゃない?」
「首席だしね」
エマが言った。
「それにヴァレリウス家でしょ。私たちみたいな平民でも、当たり前に知ってる家名だもの」
「それだけじゃないよ」
リリィが続ける。
「格好いいって、女子の間でも結構噂になってるし」
「そうなんだ」
「ほら、そういうところ」
エマが笑った。
「首席で、公爵家の跡取りで、あの見た目でしょ。目立たない方が無理だって」
帝国三大貴族。
軍事のヴァレリウス家。
入学する前から家名を知られ、学院では首席として名前が広まり、さらに女子の間でも話題になっている。
俺が思っていた以上に、アルドリックは学院内で目立つ存在らしい。
「緊張する?」
リリィが聞いた。
「すると思う」
「思う?」
「まだ明日だから」
「楽しみの方が大きいんじゃない?」
ルシアンに言われる。
「……うん」
そこは否定できない。
「勝ちたいし」
「言うねえ」
エマがパンを持ったまま笑う。
「相手、首席だよ?」
「だから勝ちたい」
「へえ。強い相手ほど燃えるんだ」
否定はできない。
むしろ。
その通りだった。
あの実技で見た炎も、魔力の流れも、無駄のない動きも覚えている。
それだけでも、アルドリックが強いことは分かった。
だからこそ、勝ちたい。
「怪我は大丈夫なの?」
リリィが聞いた。
「安全結界があるから」
「でも、絶対じゃないよ」
治癒魔法科だからか、返事が早かった。
「結界が作動する前に転んだり、魔力を使いすぎたりすることもあるし」
「そういう怪我もあるの?」
「あるよ。先週、訓練場で足を捻った人が治療施設に来たって先生が言ってた」
「魔法じゃなくて転んだの?」
「そう。着地に失敗したらしいよ」
エマが肩をすくめる。
「強い魔法が使えても、転ぶ時は転ぶんだね」
二人の話を聞きながら。
ふと。
気になった。
捻った足を治療する場合。
骨に異常がなければ、治癒魔法はどの程度使うのだろう。
腫れだけを抑えるのか。
周囲の組織まで一緒に——。
そこまで考えて。
口を閉じた。
このところ、少し魔法の話を控えようと思っていた。
別に誰かに言われたわけではない。
ただ。
この一週間、自分が何のために学院にいるのか考えているうちに気づいた。
俺は、本当に魔法のことばかり考えている。
朝起きても。
授業中も。
食事をしていても。
誰かと話していても。
気づけば魔法の話になっている。
夢にも術式が出てくることがある。
少しくらい。
違う話をしてみてもいいのかもしれない。
「それでね」
エマが続ける。
「今日の実習、二人一組で魔力循環を見る練習だったんだけど、最初ぜんぜん分からなくて」
「エマ、ずっと先生に確認してたよね」
「分からないままやる方が怖いでしょ」
「それはそうだけど」
リリィが苦笑する。
俺とルシアンも笑った。
でも。
気になる。
魔力循環を見る。
普通の人間には魔力そのものが見えない。
なら、何を手がかりに判断するのだろう。
触れた時の感覚なのか。
相手から流してもらうのか。
測定用の魔導具を使うのか。
聞きたい。
「……」
肉を挟んだパンを食べる。
隣でルシアンが果実を齧っている。
向かいでは、エマがそのまま午前の実習の話を続けている。
「私は手首の方が分かりやすかったんだけど」
「私は肘の内側だったかな」
リリィが自分の腕に指を当てる。
「場所で違うの?」
「それもあるし、人によって感じやすいところが違うって先生が言ってた」
同じ人間でも場所で違うのか。
魔力の流れ方に差があるんだろうか。
「レイン君」
「ん?」
リリィがこちらを見ていた。
「今日、魔法の話しないの?」
「……え?」
「さっきから、エマが実習の話してるのに」
エマも俺を見る。
「そういえば」
「いつもなら、もう三つくらい質問してそう」
ルシアンまで言う。
「三つは多くない?」
「じゃあ二つ」
「そんなに変?」
「変」
エマが即答する。
そこまでなのか。
「少し控えようと思ってるんだ」
「なんで?」
今度もエマは早い。
「いや」
パンの包み紙を見る。
「ちょっと色々あって」
「色々?」
「エマ」
リリィが名前を呼ぶ。
「何?」
「色々って言ってるんだから、そこまででいいでしょ」
エマは俺を見た。
それから。
「まあ、そうね」
それ以上は聞かなかった。
代わりに自分の飲み物を手に取る。
「でも、私たちが聞いた時は話してよ」
「いいの?」
「こっちから聞いてるんだから」
「じゃあ、そうする」
リリィが包み紙を畳みながら言った。
「私は、前みたいに話しててもいいと思うけど」
「前みたいに?」
「治癒魔法のこと聞いてた時。私は、何を言ってるのかあんまり分からなかったけど」
「俺、分かりにくかった?」
「そうじゃなくて、私たちがまだ習ってなかったから」
リリィはそう言ってから、
「でも、ああいう時のレイン君、いい顔してるよ」
それだけ付け足した。
「……そっか」
何となく。
力が抜けた。
自分で勝手に控えて。
自分で勝手に気にしていただけなのかもしれない。
とはいえ。
だからすぐにいつも通り話し始めるのも、それはそれで恥ずかしい。
「じゃあ、また今度聞く」
「うん」
「私たちが答えられる範囲ならね」
エマが言う。
「今日の実習くらいなら答えられるようになったから」
「本当?」
「あ」
ルシアンが言った。
「戻った」
「……」
三人が笑う。
「まだ何も聞いてないよ」
「顔が戻った」
「顔で分かるの?」
「分かるようになってきた」
反応に困る。
でも。
悪い気はしなかった。
しばらくして、午後の授業へ向かう学生が増え始めた。
エマが時間割を確認する。
「そうだ。明日の試合なんだけど」
「うん」
「その時間、ちょうど私たち授業ないんだよね」
隣のリリィを見る。
「だから二人で見に行くね」
「え?」
「だめ?」
「いや。大丈夫」
「ほんとに?」
リリィが確認する。
「知ってる人が見てるとやりにくい人もいると思うから」
どうだろう。
見られること自体は気にならない。
むしろ。
勝ったところを見てもらえるなら、その方がいい。
「うん。大丈夫だよ」
「ならよかった」
「怪我したら治してあげる」
エマが言った。
「頼むよ」
「頼まないでよ」
すぐにリリィが口を挟む。
「私たち、まだ一年生なんだから」
「でも治癒科だよ?」
「治癒科に入って二週間も経ってないでしょ」
「じゃあ軽い怪我なら」
「怪我しないのが一番だから」
リリィが俺を見る。
「安全結界があっても、気をつけてね」
「うん」
エマも立ち上がった。
「まあ、がんばって」
「がんばってね」
二人が手を振る。
「ありがとう」
俺も返す。
二人は実験棟の方へ戻っていった。
その背中を見送ってから、ルシアンが隣で言った。
「よかったね」
「何が?」
「応援してもらえて」
「……うん」
それは普通に嬉しい。
「勝たないと」
「応援されると余計に?」
「うん」
立ち上がる。
午後の授業まで、もう時間がない。
俺たちも講義棟に向かった。
***
夜。
寮の部屋で、ベッドに横になりながら教本を開いていた。
気づけば、さっきから同じ行を何度も読んでいた。
『お前は、何のために学院に来たんだ』
まただ。
「レイン」
「何?」
反対側からルシアンの声がした。
ベッドに仰向けになり、頭の後ろで腕を組んでいる。
「最近、ずっと考えてるね」
「……分かる?」
「分かるよ」
天井を見ていた視線がこちらを向く。
「今は、同じページを十分くらい開いてる」
「そんなに?」
「うん」
自分の教本を見る。
確かに。
全然進んでいない。
「アルドリックとの試合?」
「それもあるけど」
少し迷う。
ルシアンは待っていた。
急かさない。
「前にさ」
「うん」
「アルドリックに聞かれたんだ」
「何を?」
「何のために学院にいるのかって」
ルシアンの緑の眼がこちらを見る。
「魔法を学んで、それを何に使うつもりなのかって」
「ああ」
そこで何か思い当たったらしい。
「それで、この一週間ずっと?」
「うん」
「レインらしいね」
「どういう意味?」
「一回気になると、答えが出るまで考えるところ」
「出てないけど」
「今回は、問題が難しそうだね」
教本を机に置く。
「何もないわけじゃないんだ」
「うん」
「家族を守りたい。領民も守りたい。いつか領主になるなら、そのための力は必要だと思う」
「そうだね」
「国だって」
少し考える。
「守らなくていいとは思わない」
州都の城門を行き交っていた人たち。
帝都の大通りで働いていた人たち。
店を開く人も、荷を運ぶ人も、幼い子供もいた。
領地の外にも、守られている日常がある。
「それから、セレナの隣に立てる人間になりたいっていうのもある」
ルシアンは黙って聞いている。
「卒業してからだって、魔法兵団に入るとか、宮廷魔導師になるとか、魔法省で働くとか。選べるものはいくらでもあると思う」
「うん」
「でも」
言葉が止まった。
一週間考えて。
結局。
一番引っかかっているのは、そこだった。
「俺、魔法が面白いんだ」
口にしてみると、妙にしっくりきた。
「もっと知りたいし、使ってみたい。知らない魔法があるって聞くだけで見に行きたくなる」
「だから学院に来たっていうのも、普通にある」
「うん」
「でも、それって」
何と言えばいいのか。
「何に使うか決めてから学んでるわけじゃない」
アルドリックは違った。
国を守る。
そのために何が必要なのかを見ている。
地理の授業でも。
実技でも。
きっと、普段の勉強でも。
「力を持つなら、何に使うか考えるべきだっていうのは分かるんだ」
「うん」
「でも、面白いから魔法を学びたいっていうのを捨てるのも違う気がする」
ルシアンはすぐには答えなかった。
「アルドリックの言ってることも、僕は分かるよ」
「……うん」
「やりたいことが決まってた方が、何を勉強すればいいか分かりやすいから」
ルシアンが枕元に置かれた時間割を見る。
「例えば、将来魔法工学の仕事をしたいって最初から決めてるなら、魔法工学や術式理論を優先して学べる。選択授業を決める時も迷わない」
「そうだね」
「アルドリックなら、軍事に必要なものを優先して見るだろうし」
先日の大陸地図を思い出した。
輸送隊。
国境。
街道。
俺が見ていなかった場所を、アルドリックは見ていた。
「ルシアンも、決めてるの?」
「候補はいくつかあるよ」
「何にするつもり?」
「まだ決めきってはない。兄がいるから、僕は家を継ぐ立場じゃないしね。だから、学院にいる間に自分がどこで一番役に立てるのか見つけたいと思ってる」
そう言って、ルシアンは少し考えた。
「ただ」
続ける。
「今決まってないと駄目ってわけでもないんじゃない?」
「そうかな」
「先週の地理」
「地理?」
「レイン、授業が終わった後もずっと地図見てたでしょ」
「……見てた」
「僕が廊下で待ってる間、全然出てこなかった」
「ごめん」
「別に責めてないよ」
ルシアンが笑う。
「入学する前から、『地理を一番勉強したい』って思ってた?」
「いや」
むしろ。
地理の授業があそこまで面白いとは思っていなかった。
「でしょ」
「うん」
「もしレインが学院に来る前に、やることを全部決めてたらさ」
ルシアンが時間割を指でなぞる。
「魔法に関係ないと思った授業は、最初から興味を持たなかったかもしれない」
「でも地理も魔法に関係あったよ」
「それを知ったのは授業を受けたからでしょ」
「……確かに」
アステリオン。
ルミナリア。
ネヴァリス。
知らなければ、興味の持ちようもない。
「魔法技師になりたい人が、政治なんて自分には関係ないって思うこともあるだろうし。軍人になりたい人が、魔法史の専門授業なんて必要ないと思うこともある」
ルシアンが続ける。
「でも、後でそれがどこに繋がるかなんて、今は分からないよ」
「……うん」
「だから」
一息つく。
「学院にいる間に色々学びながら、何に使いたいか見つけるっていうのも、一つのやり方じゃないかな」
静かだった。
窓の外から、夜の風の音が聞こえる。
「……じゃあ、どっちが正しいって話じゃないの?」
「たぶんね」
即答だった。
「あいつは目的が決まってる。それなら、それに向かって進めばいい」
「ルシアンも?」
「僕も僕なりに考えてる」
「じゃあ俺だけ?」
「だから、そこを比較しなくていいんじゃない?」
「比較?」
「早く決めた方が偉い、遅い方が駄目、とか」
ルシアンはそう言ってから。
「少なくとも、僕はそう思わない」
目的を決めてから学ぶ。
学びながら、目的を探す。
ある意味では、どちらも正しいのかもしれない。
「……難しいな」
一週間考えた。
それでも分からない。
家族。
領地。
国。
セレナ。
魔法。
どれか一つを選べば、それが答えになるような気もしなかった。
「それでいいんじゃないかな」
ルシアンが言った。
「いいの?」
「まだ学院に入って二週間も経ってないよ」
「……それはそうだけど」
「四年間いるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、今ここで決めなくてもいいと思う」
ルシアンがベッドから起き上がる。
「明日になったら、また知らないものを見るかもしれないし」
「……そっか」
答えは出ていない。
たぶん、明日になっても、アルドリックの言う「何のために学院にいるのか」という問いへの答えは分からない。
でも。
それでいいのかもしれない。
分からないなら。
分かるまで見ればいい。
知らないものを知って。
やってみたいことをやって。
その先で変わるなら、それも含めて俺の答えなのだろう。
横を見ると、立てかけた杖が窓から差す月明かりを受けていた。
明日は、あれを持って訓練場に立つ。
何のために学院にいるのか。
何のために魔法を学ぶのか。
その答えは、まだない。
けれど。
明日、アルドリックと戦う理由なら。
考える必要もなかった。
(勝ちたい)
それだけは。
最初から、はっきりしていた。
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